題名:私のMacintosh

ViaVoice

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日付:1999/4/16


ViaVoice

さて、私は今、この文章を、ViaVoiceという新しいプログラムを使って書いている。そして誠に遺憾ながら今私が使っているコンピューターはLibrettoというIBM−PC系統のノートパソコンである。

PrivateではしばらくWindowsなんか絶対つかうものか」という信念を持っていた私がなぜこんなことになってしまったか。話はちょっと前にさかのぼる。IBMが、新しい音声入力プログラムを開発したといううわさは、結構前から聞こえていた。ただの広告であれば、私はこういった音声入力が成功したという話は、信用しないのだが、今度は実際に使用したユーザーから声が聞こえてきた点が違っていた。もともと音声入力には興味を持っていた私だが、今回は特にこのニュースに興味を持つ理由があった。

98年10月から、ある会社に就職してからというものを、私のHP入力のほとんどは通勤の電車の中で行われている。それはそれで結構、長い通勤時間の有効な使い道であったのだが、そのうちだんだん手首が痛むことに気がついてきた。通勤電車の中でで膝の上に置いたコンピューターで文章を入力しようと思えば、どうしたって手首が結構ヘンな格好にならざるをえないのである。おまけに長年アパートで使ってきた外付けキーボードは調子が悪くなってきており、入力にかなりのストレスを感じるようになってきた。つまり外でも家でも私にとってとってキーボードをたたく、というのは苦痛を伴う作業になってきたのである。

初めての子供ができた夫婦が、いつも赤ちゃんを抱いていなくてはいけないので、腱鞘炎になったと話を聞いたことがあった。その時は腱鞘炎なるものが自分とは縁のあるものと思っていなかったのだが、最近感じ始めた痛みを見るにつけこれはちょっと危ないかもしれないと思い始めたのである。

そうやって不安になっていたときに、音声入力プログラムのニュースを聞いたわけだ。私は何としてもこれを使ってみたいと思った。音声で入力ができるのであれば、手首が痛む心配なぞないではないか。そしてそこからいろいろと妙なことを始めたのである。

まず最初にやったことは、このプログラムが動作する機器の一覧表を手に入れることであった。IBM社はこのプログラムに関しては結構気を入れているようで、きちんとしたホームページがあり、たいていの情報はそこに記載されている。最初に「あわよくばMacintoshバージョンの開発予定はないか」と思ってみてみたが、そうした私の甘い願望を打ち砕くように、「Q:Macintosh版の開発予定はありますか? A:現在のところその予定はありません。」ときっちりとFAQに書いてある。結局私がこのプログラムを使おうと思えば、何としてもIBM−PC互換機を手に入れなければならない。この判断は耐え難いことであった。しかしながら増加していく首の痛みを考えるときに、私はその信条を多少曲げなければならならないのではないかと考えはじめたのである。

さて今私は会社でWindowsを使っている。ビジネスの世界ではもうWindowsは標準となってしまったから他に選択肢はない。しかし使えば使うほど私はWindowsが嫌いになっていたのである。嫌いなOSしか動かない機械を購入するのはイヤだなぁと思っていた私に、ひとつのアイデアがひらめいた。私が使っているMacintoshには、Virtual PCという、IBM−PCの動作をエミュレーションするプログラムがのっている。速度は結構のろいが、私のMacintoshはIBM−PCでもあるわけだ。ってえことは、うまくいけば、ViaVoiceを私のMacintosh上で動かすことが可能になるかもしれない。

 

ある日私は横浜にあるパソコンショップに向かっていた。とりあえずViaVoiceを購入して、Macintosh上のVirtual PCで動作させてみようと考えたのである。つらつらと並んでいるソフトを見ていくと、ViaVoiceにはいくつかのバージョンがあるようであった。目的としていた純正ViaVoiceは、20,000円近くする。それより安いのがあるなと思って見ていたら、どうもこれの前のバージョンのVoice Typeという製品であるようだった。実際問題このプログラムが、Macintosh上で動くかどうか、自信を持てなかったから、もし初めからフルViaVoice買って動作しなければに丸損である。したがって私はこの古いバージョン(値段は7,000円ほどだった)であるVoice Typeという製品を購入してまず動作するか確認しようとしたのである。ViaVoiceにアップグレードも可能であるから、もし動いた場合、あるいはIBM-PCの購入を決断したさいでも無駄にはならないな、と思ってのことである。

家に帰ると早速インストールである。いつもながらVirtual PCを使うたびに、Windowsの使い勝手の悪さにはぶ然とする。しかし文句は言っていられない。CD−ROMから立ち上げてゴソゴソとして、なんとかインストールが完了した。次にはプログラムを立ち上げて、マイクのセットアップである。これは途中まではうまくいった。しかしながら、マイクの音声出力レベルを調整する段になって、それ以上先に進まなくなってしまったのである。私にはどこが悪いか分からない。しかしながらこのプログラムが動作しないことについて、どの会社にも文句言えないことは明白である。実際IBMはこのプログラムはMacintosh上のVirtual PCで動作するなどとは一言も言っていないのだ。私はそれでまたしばらく音声入力プログラムを使う、という野望をどこかに隠すことにした。

ちなみにそれでなくてもこのVoice Typeという製品は、文章を認識させる際に、単語を区切って入力する必要がある、という代物であった。これでは世間で全く話題にならないわけだ。Via Voiceはここからどの程度進歩したのだろう。

 

それから2週間ほどして頃、私はとても疲れていた。なぜかについては、また他に書く機会があろう。しかしこの時期私には書きたいことは山ほどあったのである。そう思って何とか気力を振り絞って、キーボードに向かってみたが、疲労のあまりの激しさから文書が全く前に進まない。しかしながら最近とみに記憶力の衰えが激しいこともあり、今のうちに書いておかないときっと忘れてしまう、という気持ちになっていた。そこで私は決心したのである。自分の主義を多少曲げることになろうとも、何としても音声入力プログラムを購入するぞ、と。指が動かなくなっていても、おそらく言葉をしゃべるくらいのことはできるはずだ。

その決意に至ったのは、4月16日の金曜日である。最初は翌日の土曜日に買いに行こうなどと考えていたのだが、フラストレーションに殺されそうになって頭では、ろくなこと思い付かない。その日は1日仕事部屋の引っ越してあったから、夕方はろくに仕事ならなかった。そこでとっとと早く帰って、帰り道にコンピューターを購入しよう、と考えたのである。

横浜駅で降り立って、知っているパソコンショップに向かった。平日の夕方というのに、店の中は物凄い込みようである。この時点で、購入する機種は決定していた。この機種決定にあたってはいくつか条件があった。

私の部屋は狭いし、おまけにもうすでに1台コンピューターを持っているのだから、大きなコンピューターは買いたくない。となるとノート型に走るわけだが、ノート型というのは一般的に言ってデスクトップよりも値段が高い。新品を見ればだいたい20万円以上はする。しかし今回買うのは、基本的に音声入力だけできればいいのであるから、なるべくやすくあげたい。この場所をとらないこと、という要求とやすいこと、という矛盾した要求を満足できる可能性をもった選択肢がひとつだけ存在していた。東芝のLibrettoという小型のノートである。このコンピューターは小さすぎて、日ごろの業務には向かないかもしれない。しかし私にとってみれば、とにかく音声の入力さえできればいいのであるから、キーボードが小さくあろうが、ハードディスクの容量が小さかかろうが問題にはならない。そしてこの方面に詳しい弟に聞いてみると、結構このLibrettoは安く手に入りそうである。

 

最初の店で、Librettoを探しまわってみたが、私が目的としていた最新機種の一つ前のタイプが品切れ状態になっているだけだった。これが人気があるためなのか、単にもう発売からの時期がずれていただけのためなのかは知らない。皮肉なことに、私が最初最も購入を真剣に検討しながら、ついにあきらめざるを得なかったソニーのコンピューターはたくさん置いてあった。PCP-R1とかいう機種で小型でかつデジカメがついているってことで話題になっていたものである。実際私はこのコンピューターが気に入っていた。大変小さいし、そのわりには私が最も重視しているキーボードもピッチが広く、打ちやすい。最初のタイプは、ハードディスクが大変遅くて、日本語変換が大変だったが、新しく発売された機種では、それも解消されているようだ。デジカメをなんに使うかは今ひとつ想像力がわかないが、これを持ち歩いていれば、いきなり撮影したい被写体にでくわすこともあるだろう。雑誌などの評判も上々なようである。

音声入力のプラットフォームとして買うならこの機械だ、と思い込んでIBMのホームページにある動作確認機種の欄を見てみた。この機種のところを見てみると、「未確認」となっている。未確認とはどういうことだろう?まだ発売されて間もない製品だから、IBMが試験していないということなのだろうか?

そう思ってそのホームページを、よく見てみると、「未確認」とは「IBMの試験では動作を確認できませんでした。コンピューターの発売元にご確認ください」ということだ、と書いてある。つまり、まだ試験をしていないのではなく、試験はしたが動作できなかったということである。なんて紛らわしい書き方なんだ、とぶつぶつ言ってはみたものの、動かなくではしょうがない。私は泣く泣く、この機械を購入することをあきらめた。

 

さて、結局最初の店では、Librettoを見つけられなかったので、二軒目に向かう。途中の道の人の多さに驚かされる。春になり、浮かれて外に出てきた人が多い、ということでもあるのだろうか。

2軒目に付いてみたら、最初に入った店よりも、もっとLibrettoのある気配がない。平たく言えば、ノートパソコン自体あまり置いていないのである。これまたこの店が力をいれていないせいか、あるいは単に売れすぎて在庫がないだけなのかは私の知るところではない。しかしここは最初の店よりも、三倍は広いだけあって中古コーナーがあった。私はかすかな期待を抱いて、その中古コーナーを徘徊してみた。いくつかのNoteパソコンが並んでいたが、結構なお値段がするか、あるいは逆にお値段は手頃だけど、古すぎてて使いものにならないようなものばかりであった。しょうがないなあ、と思ってそろそろ帰るかと思ったときに、隅の方にあったからスペースに気がついた。ガラスのケースがおいてある。そこの中を見てみれば、なんと私が探し続けていた、Librettoが鎮座しているではないか。

思うにLibrettoは小型すぎるために、万引などの犯罪を恐れて、ガラスケースの中に置いてあるのだろう。その下には、Libretto用と書かれた、フロッピーデスクもあった。私は店員さんに、この2つを見たいのですけども、といった。

 

このLibrettoを買おうと決めてから、結構ホームページなどをあさって調査はしていたのである。このコンピューターは、携帯性を狙って外とのインターフェースを極力少なくしている。標準で付いてくるのは、PCカードインターフェースと、マイク入力及び音声出力、それに赤外線インターフェースぐらいのものである。とはいっても、私が想定している利用方法であれば、これで大体間に合うのである。マイクがあれば音声を入力できるし、仮にこのコンピューターを外に持ち出したくなった時でも、PCカードインターフェースがあれば、モデムを繋いで通信もできるだろう。

一つ残った問題は、Macintoshとのデータ交換にあった。このコンピューター上では、文章の校正まで行う気はなかったから、どうにかして入力した文章をMacintoshに持ってこなければならない。1番確実なのはフロッピーだが、フロッピーディスクドライバはこれには標準ではついていない。いっそのこと電子メールで送ってみようかとか、イーサネットで直接接続してみようとか、いろいろ考えたが最後に妙な案に思いあたった。デジカメからデータをMacintoshに読み込むのに、私はコンパクトフラッシュカードを使っている。そうだこのカードを使えば、両方でファイルのやりとりができるじゃないか。Macintoshでよめることは試験済みだし、きっとLibrettoでも読めるだろう。

しかし、お目当ての機種が中古で出ていることに興奮した私は、そんなことをすっかり忘れてしまっていた。そして目の前にあった、これも中古のフロッピーに飛び付いたのである。今から考えれば、このフロッピーが、接続できないタイプのものであったのは幸運であった。店員さんはどことなく気の毒そうに「これはつなげないそうです」と言ってくれたが。

中古品購入の手続きとして、まず動作確認を行う。Librettoの、ポイント入力装置というのは、1種独特である。液晶の隣に、表に位置を指定する装置、裏にマウスのボタンのようなものがついているのである。最初は、これの操作に手間取って、起動すらうまくできないような状況であった。いろいろ苦心の後に立ち上げると、結構この機械はちゃんと動くことが分かった。付属品であるとか、マニュアルも、すべてそろっている。前の持ち主はどういう事情があったのだろうか、とつい考えてしまう。まあ聞くところによると、こうした中古品が発生するルートというのはたくさんあるそうだから、深くは考えないことにしよう。私は、「じゃあこれをお願いします」と言ってあっさりと税込み130,000円ほど払ってその機械を購入した。

 

その日私はひどく疲れていたが、家に帰ると、さっそくの電源を入れて立ち上げてみた。さっきは異常に使いづらいと思った、入力デバイスであるが、こうやっと落ち着いて使ってみると、結構快調に動く。ふたを投じれば、ほとんど場所をとらないし、邪魔にもならない。私は、この機械が結構気に入ってきた。

 

翌日の土曜日、私は朝1番から横浜にまた買い物に出かけた。音声認識プログラムは、CD−ROMで供給されるから、なんとかCD−ROMドライブを接続する必要がある。私が持っているCD-ROMドライブは、Macintosh用として売られていたものであるが、SCSIインターフェースさえつければ、IBM−PCにも接続できるようだ。ところが、私は、IBM PCで、このSCSIカードなるものを使ったことはなかった。チラチラとSCSIカードの箱を見てみると、動作確認機種であるとか、接続可能機器とかのリストが載っている。ということは、逆に言えば、つながらないものもありそうだ。なんとなく不安にかられながらも、1番安そうなカードを買った。7,000円もしないのだから、安いものだ。ほかに、コンパクトフラッシュカードと、Voice TypeからViaVoiceへのアップグレードキット、それにマイク接続用のアダプターを買って家路についた。

 

家に帰ると、さっそくセットアップである。1番の難関は、CD−ROMの接続であった。まず第一に、SCSIには色々なタイプのコネクタがある。一応確認はしていたものの、本当につながるかどうかは最後まで分からない。幸運なことに、私が選んだPCカードとCD−ROMドライブは、ちゃんと接続された。次の問題は、コンピューターが、SCSIカードを認識してくれるかどうかである。このカードには、ドライバーが付いているが、それはフロッピーで供給されている。したがって、もしちゃんと認識されなければ、私はこのためだけに、Libretto用のフロッピードライブを購入する必要に迫られるわけだ。SCSIの神様にお祈りしながら、私はPCカードを差し込んでみたが、やはり神様こちらを向いてはくれなかった。無情にも、このデバイスに対応するドライバはありませんと言われてしまった。

 

私はしばらくの間ぼう然としたが、次に結構込み入った解決方法に思いあたった。私のMacintoshにはフロッピードライブが接続されている。そしてMS−DOSのファイルも読み込むことができる。Macintosh上に、フロッピードライブと、コンパクトフラッシュカードを接続し、すべてのファイルをコンパクトフラッシュカードに移したうえで、Librettoに持ってきたらどうだろう。うまくいけば、フロッピードライブに、1万何千円払う必要はなくなるではないか。

Macintosh上でファイルをコピーして、コンパクトフラッシュカードを恐る恐るLibrettoに挿入してみると、ちゃんと認識してくれるようである。指定されたインストールプログラム動かすと、ドライバのインストールはものの一瞬で終わってしまった。あまりに素早いので、ちゃんとインストールされていないのではないかと、不安になったほどである。多少の疑念とともに、SCSIカードを突っ込んでみると、今度はちゃんと認識された。これで一安心である。調子が出てきたので、CD−ROMをっかえひっかえ、プログラムをあれこれインストールする。購入前から、このプログラムを使うためには、エンロールといって、声の登録を何時間も行う必要があると聞いていた。一応プログラムをインストールは終わって、すぐエンロールではできる状態だが、私は1休みしたくなった。そこでしばらく、お昼寝をしたのである。

 

お昼寝から目覚めると、自分がどこまで作業をやったかすっかり忘れている。しばらく頭を振り回した後に、エンロールから作業する必要があることを思い出した。プログラムを起動すると、髪の長いお姉さんが画面に出てきて、あれこれしゃべりだす。確かに、こうしたお姉さんが出てきた方が親しみがわくのかもしれないが、そのアニメ風の顔つきと、口調は、私が1番嫌悪している、営業スマイルそのものだ。私は多少の嫌悪感にとらわれながら、粛々と、エンロール作業を行った。

この作業は早い話が、画面に指定された文章を延々と読み上げいく、というものである。コンピューターが、認識できないと、「すいませんコンピューターが認識できないようです」と言って、再入力を要求される。それでも認識できないと、「すいませんもう1度お願いできますでしょうか」のように、かなり遠慮した言い方になる。その言い方のすべてが、いかにも営業的であるので(当たり前だが)私はなるべくその言葉を聞かないように、注意して音声を入力した。

どんな文章を、読まされるのかと思っていたら、最初の70ほどは、音声入力がどのようにコンピュータ内部で処理されるかの説明文である。私はなんとなくその内容の想像がついたが、普通の人がこれを読んでも、(読まされても)なんのことか全くわからないのではないだろうか。もうちょっと親しみのもてる文章にすれば良いのに。最初の75の文章でやめてもいいといわれているが、すべてのエンロールを行うとすると300の文章を読みあげる必要がある。後半に行くにしたがって、読まされる文章というのは、安っぽい三文小説のようなものあり、あるいはプログラム開発者の心情を吐露のようなものになっていく。いずれにしても、あまり一般的なものと思えない。能書きによれば、これらの文章は私の発音を解析する際に有効なものだ、ということになっているのだが、どう考えてもこれを開発した人間の思い入れが強くはいっているとしか思えない。

文章を読みながら、このように書かれたものを読み上げていくというのは、ずいぶん久しぶりだなと思い出した。つらつら考えれば、高校の現代国語の授業以来である。よく指名されて教科書を読み上げさせられたのだったが、昔からこの作業にはいったい何の意味があるのだろうと思っていた。今の会社は、信じられないほどだらだら会議をやるところで、説明資料も図表よりは文字をたくさん書いて、しかもそれを全部読み上げる、という文化を持っている。私はそれが非常に嫌いであるが、今は給料をもらうために、仕方なくそれをやっている。学校時代にはなんとも思わなかった作業が、今はこんなに苦痛になろうとは、とか妙な事を考えながら私はひたすら文章を読み上げていった。画面に出てくるお姉さんは、ときどき「その調子です」とか「休憩しましょうか」とか言ってくる。これがこちらの反応を本当に解析して言っているものなのか、あるいは単にランダムに言っているものなのかは私の知るところではない。私としては彼女の営業スマイルと言葉はあまりみたくないのであるが。

3時から始めて、すべての文章読み上げるには1時間40分かかった。一段落すると、コンピューターは、トレーニングとかと称して、入力された内容の解析を行うようである。彼(あるいは彼女かもしれないが)が一生懸命、解析をやっている間に、私は晩ご飯を食べに行った。

 

おいしい中華料理を食べて、ご機嫌に帰ってくると(あたりまえだが)トレーニングは終わっている。おそるおそる文章の入力にとりかかる。最初に、音声入力装置を音声で立ちあげようとしたら、全然認識されなかった。あの長時間の、入力作業は何だったのだろうと?不安になったが、その後文章の入力は結構快適に進んでいる。これは使えそうだ。15万円あまりを投資したかいがあったというものだ。これから、ホームページの作成は、このLibrettoと、Macintoshの共同作業となるだろう。この章の文章はほとんどViaVoiceで入力した。(その後Macintoshで1/3ほど書き直したが)時間が節約できたかどうかは知らないが、とにかく私の手首が全くいたんでいないのである。おまけにありがたいことに、この方式だと、テレビを見ながらでも(音声は切っておく必要があるが)あるいは床に寝転がって天井を見ながらでも、入力を行うことができるのである。もっとも、こうした方法で文章入力することで、私が書く文章がいい方、あるいは悪い方に変わるかどうかはよくわからない。それは、このホームページを読んでいる奇特な方の判断におまかせすることにしよう。

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注釈

PrivateではしばらくWindowsなんか絶対つかうものか:(トピック一覧)とはいっても私のこの信念に揺るぎはない。私はVIa Voiceを使っているのであって、Windwosを使っているつもりはない。本文に戻る

 

営業スマイル:(トピック一覧)考えすぎ、という声もあるだろうが。。。。本文に戻る