題名:私のMacintosh

Quadra700

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日付:1998/6/22


Quadra700

さて、StanfordのBookstoreの価格表を見ていた私はある日ふと「なんだQuadra700を買ってもそんなに高くないじゃないか」と思いつくことになる。それまでアクセラレータだのIIciだの考えていたのもどこへやら。一度この考えにとりつかれると2度とこの考えが消えることはなかった。

しかしながらこの「Quadra700購入計画」には大きな障害があった。Quadra700は"System7.0 Required"のシステムだったのである。ここで話はちょっともどる。

 

System7.0というのは、MacintoshOSの大きな革新、と言われていた。そして大きな新しいソフトウェアの例にもれず、そのリリースは遅れに遅れていた。

このシステムにさわったのはその夏にある入力デバイスの試験のアルバイトをすることになった時だった。その入力デバイスはタブレット上で、文字を書くと、日本語として認識してくれるという製品だった。実はこの製品は雑誌上で、何度も紹介はされていたのだが、いつまでたっても発表されない、という代物だったのだ。

それの試験要員の広告が、、、どこにでていたのだろう?覚えていないがとにかく応募する気になった。そのデバイスの試験には当然のことながら日本語を書くことのできる人間が必要とされる、ってなわけで多分4-5人の日本人がいたと思う。

実際どこで試験するんだろう、、、と思ってついていくと、最初の試験はSRIの内部になるその会社の事務所で行われた。次の試験はなんとAppleの社内で行われた。林檎マークの旗がひらめくビルに入っていくと、ある太ったおっちゃんが相手をしてくれた。何でもAppleの社内にサードパーティーが使用できる試験エリアがあるのだそうで。

そこで朝から晩まで日本語を書いて過ごした。そして部屋に於いてあるマシンをさわってみると、中にはSystem7.0がはいっているやつがあったのである。

その前の夏には直接Macintoshのものではないが、OSの分野で非常に大きな出来事がもう一つあった。Windows3.0の発売である。私はその画面を見た時に「これはMacintoshは危ないかもしれない。」と思った。

それまでとにかくMacintoshは高い、というのが定説だった。しかし優れたGUIを装備することで、その価格の差異を正当化していたのである。そして当時は「おもしろいソフトウェア」が乗る、といえばMacintoshだった。

ところが今度のWindowsは細かい内容がどうであれ、今までのWindowsとは全然違い、少なくともアプリケーションを立ち上げると、Macintoshそっくりにみえるのである。おまけに当時のMacintoshOS6.Xにはなかった3Dライクなウィンドウの表示までされる。

なーんとなくいやな予感がしながらも、私はしばらくWindows3.0を横目で見ながらくらすことになった。まだ当時のStanfordはMacintosh全盛だったのだ。

さて話を戻そう。System7.0をさわってみると、ウィンドウがちょっと3D表現になっている。これはWindowsに触発されたものかそうでないのかはわからない。そして同じ機械上であると、なんとなくSystem6.X よりも遅い。しかしなんとなく使いやすい。これは不変の真理であるが、使いやすさの向上は必ず処理速度の低下を伴うのだ。一昔前は「処理速度が飛躍的に速くなれば、画期的な機能が実現できるに違いない」と誰もが思った。ところが起こったことは、処理速度の画期的な向上の半分以上は細かい使いやすさの向上に消費されてしまっているのである。

再び話をもどす。ほどなくしてSystem7.0はリリースされた。が、当然のことながら日本語版はかなり遠い未来まで手に入る見込みがない。しかし日本語が使えなくては仕事はできない。。。これではQuadra700を購入するどころではなく、その前にIIcx上でも使用できないではないか。。ところが世の中には奇特な人が我々が思うよりもずっとたくさん存在しているのである。なんと日本語System6.Xに英語のSystem7.0を上書きして、かつパッチを当てることでSystem7.0での日本語の使用を可能にするユーティリティ"Gomtalk"が発表されたのである。しかもこれはフリーウェアだ。

これで理論的には私がIIcxからQuadra700に乗り換える条件は整ったことになる。今までの例で行けば私はこの購入をためらうところであるが、今回ばかりはそうはならなかった。IIcxの処理速度の遅さは私にとって毎日非常なストレスとなってきていたからである。

それから購入までの道のりは、以下のように進んだ。

1992/1/11:IIcx売却の広告を貼る

1/13:購入依頼の電話あり

1/15:4MBRAM4枚購入。一枚あたり$130

1/18:IIcx渡し

1/22:Quadra注文

1/28:いつとどくんだ、と文句を言いに行く

2/2:Video spigot($500)購入

2/4:Quadraとどく

こう書くと淡々としているようだが、例によって例のごとく事はすんなりとは進まなかった。

小心者の私は、まずQuadraを購入するまえにIIcxを売却しようとした。当時自由になった青金が少なかったわけではないのだが、「Quadraは買ったが、IIcxは売れずに残っている」という事態を異常に恐れていたのである。さて私がしょこしょこと作成した「売り出し公告」の縮小版コピーを以下に示す。

はっきり言って私は商売に向いていない。最初から高い価格をふっかけて、交渉しながら安くしていく、なんてことはできないのである。従って当時IIcxが$2200というのは結構良心的な価格であったにも関わらず"Price Negotiable"という一文を付け加えずにはいられなかったのである。

さて項目を順番に見ていくといくつか興味深い点が浮かび上がってくる。まずセールスポイントとして、やたらとIIsiを引き合いに出している。IIsiとは一代きりで終わってはしまったが、結構うれたマシンだったのである。当時Stanfordにいた日本人がかうマシンとしては、白黒でいいと思う人はSE/30, カラーがほしいと思う人はIIsiだったのである。

従って私としては当時IIcxの後継の役割もになっている(と思われていた)IIsiに対して如何に私のIIcxがアドバンテージを持っているか、という点に力をそそいで宣伝する必要があったのである。

IIsiには拡張スロットが一機有り、Nu-BUSカードかSE/30用の拡張カードか、どちらかをさせるようになってはいた。しかしそのためにはどちらかのタイプの拡張アダプタを購入する必要があったのである。IIcxはNu-BuSだけであるが、アダプタなしで使用できる。これがまず一点。実はIIsiでも拡張カードを使用しよう、という野心さえ持たなければこのアダプタは必要ないのである。しかしセールスをするときに多少のほらはやむ終えないだろう。

もう一点は処理速度であった。CPUだけ比較すると、IIcxは68030@16Mhz, IIsiは68030@20MHzでIIsiのほうが有利なのであるが、IIsiはビデオ回路をメインの基盤上に持ち、CPUが処理を行っていたこともあり、「実はIIcxより遅い」という噂が雑誌上や、そこら辺のユーザーの間でとびかっていたのである。しかしながらここでも小心者の私は「と言った人を3人は知っている」という曖昧な表現をつけざるを無かった。なんといっても「本当か?」と言われれば「伝聞です」としか答えようのないあやふやな話ではあったから。

さて「使用期間」は2年であるがわざわざ「Floppy Driveは半年前に交換済み」と断っている。これは何も将来売り飛ばすことを見越して交換したのではなく、単に動かなくなったkら交換したのである。当時のMacintoshのフロッピードライブには、その後つけられたようなふたが付いていなかった。常時口がひらきっぱなしだったのである。

私はルームメートと暮らしていたが、掃除をしないことに関しては今と全く同様だった。(もっともルームメートはときどき狂ったように掃除を始めることがあったが。彼との共同生活が終わる直前に気が付いたのだが、この男が掃除を始めるのは、部屋に女を呼び込む準備だったのである)従ってMacintoshのあらゆる面からほこりは容赦なく吹き込むわけだ。

フロッピは半年経ったあたりから調子が悪くなってきた。1.4MBのディスクはちゃんと読めるのだが、720KBが読み込める確率がだんだん落ちてきた。そのうち1.4MBのディスクも読めなくなった。これはまずい、とあちこち探して修理に持っていったら、そこのおじさんは黙ってふたをあけた。そして「何だこのほこりだらけの内部は」と言った。彼が書いた領収書の「処置事項」の欄には「ほこりだらけのフロッピを交換した」と書いてある。

最後にハードディスクの容量が、当時私は使っていた135MBではなくて、40MBになっている。これは私が新しく購入した135MBのディスクはそのままQuadra700に取り付けて使用して、使わないまま押入に眠っていた40MBのハードディスクを取り付けて売り飛ばそう、という魂胆からである。自分が「40MBではほとんど何もはいらない」と見捨てた物をつけて売り飛ばそうというのだから、多少あくどい感じは否めない。そして天罰は必ず下るものである。どんな天罰が下ったかは後述する。

さて私はこの公告を作ってさっそく日本のスーパーマーケット「やおはん」に張りに行った。ここの掲示板には車からコンピュータから何から何までの売ります、買います公告がでている。いくつかの公告は幅広い人間にPRすることをねらって英語で書いてある。私でもこの公告程度の英語を書くことはそんなに難しいことではない。では何故日本語で公告を書いたか?

海外において日本人を過度に信用するのは間違っている。しかしながら、その文中の「過度に」をとって、「適度に信用する」というのは妥当な態度である。日本人であれば、相手がどのような人間がなんとなく見当は付く。しかし相手が日本人以外であるとどんなのがでてくるか見当が付かないのである。実際英語で公告を書いたばかりにあやしげな人間につきまとわれて苦労をした、という話は結構聞いたし、だいたいにおいて日本人のほうが「物わかりがよろしい」というのは事実だろう。「自己主張のちゃんとできる」米国人に売ろう物なら、最初の値段の交渉から始まり、売却後に「動かないじゃないか」とかさんざん文句をつけられる、という被害妄想に私は陥っていたのである。そしてもう一つ付け加えれば「英語でいろいろな交渉をするのがおっくうだ」というのも大きな理由であったかもしれない。

 

さてこの時期、San FransiscoではMac World Expoが開催される。最初の年にもいって「こんなもんかな」と思ってはいたものの、この年も足をはこぶことになった。そしてこの年は無駄足ではなかったのである。

この会場ではRegistration Cardを胸にぶらさげてふらふら歩くことになる。そこには私が当時勤めていた会社の名前、○○Heavy Industriesが刻まれていた。そしてあちこちのブースで何か質問をすると、おこることは以下のとおりである。

向こうの意地悪そうなマネージャー私の胸の札をじろっとみる。

○○という名前に気が付く。

とたんに態度が変わって「ほら。このサンプルをあげるよ」と言って製品版を一個無料でくれる。

このときほど私は日本の経済力と○○という名前に感謝したことはない。有名なのは○○でも自動車と電機なのであるが、大抵の人間にはその区別はつくまい。

さてこういった「貴重な経験」の他にもMacintosh関係で驚くことがあった。一番インパクトがあったのは当時発表されて間もないQuick Timeのデモンストレーションである。

今はコンピュータの画面上で動画が表示されることなどあたりまえになってしまった。しかしMacintoshの画面上でアポロロケットの打ち上げ風景を見たときの衝撃は今でも覚えている。そしてなんと画面の大きさを変更してもそのまま画像は表示され続けるのである。

私は一目でこれが気に入った。そして来るべきQuadraに画像入力ボードを購入することを本気で考えるようになるのである。

もう一つ、当時私はQuadra上のRAM の容量を決めかねていた。当時RAMというのはとても高い物だったのである(システム及びアプリケーションのRAM使用量も今から考えればささやかなものだったが)8MBにしようか(1MB×4)、20MBにしようか(4MB×4)。とずーっと悩み続けていたのである。

さてExpoの会場をふらふら歩いていると4MBのRAMを安売りしているブースがあるのに気が付いた。一枚約$130である。これは当時では破格の値段だった。

その値段を見ても私は決心をつけかねていた。そのブースの前を数回往復したあげくに、いったん家に帰った。

私はQuickTimeの感動にひたっていたのとともに、「さてあのRAMをどうしよう」とずーっと考え続けていたのである。買おうか買うまいか、それが問題だ。

さてそこに電話がなった。でてみれば相手は広告をみてMacintosh購入を打診してきた人である。なんと広告を貼ってから二日で反響があった。相手は非常に固い感じでしゃべった。質問も交渉もほとんどなしに話は簡単にまとまった。そして引き渡しの場所と時間を指定していきなり電話はおしまいになった。

なんだかちょっと狐につままれたような気がするけど、まだ金を渡したわけではないし、とりあえずよかろうと思って、具体的にコンピュータ乗り換えの準備をすることになる。

さて。RAMの件に関してはそれから二日間悩み続けたあげく、これまた最後は衝動的に決断することになった。いきなり再びSan Fransiscoまで車をとばして4枚4MBのRAMを購入したのである。

 

さてこれでRAMまでそろったのだが、何故か私はQuadraをまだ注文しなかった。数日後に私はIIcxを引き渡すことになっていた。それから後はQuadraがくるまで私はコンピュータのない生活を強いられることになるのである。正直言って自分が何を考えていたのかよくわからないが、一つだけ考えられる理由は当時銀行口座に十分なCashがなかったせいではないだろうか。

さて引き渡しにそなえて、押入にしまってあったHD40を取り出してさっそくつけてみた。これさえ動けば万々歳というところである。ところがやはりこの世の中にはどこかに神様がいるのかもしれない。自分がスクラップにしていたものをつけて売り渡そう、などと考えると必ず天罰が下るのである。HD40はうんともすんとも動かなかった。

それから「ケーブルが悪いのではないか」とか「ひょっとしたらロジックボードが壊れたのではないか」などと疑心暗鬼にとらわれながら数時間格闘したあげく、私はHD40が(理由はわからないが)おしゃかになった事を知った。そしてIIcxの引き渡しは翌日である。

そこからにわかに私は泡を食い始めた。なんとか明日までにこのコンピュータを動く状態にしないとえらいことになる。車を飛ばしてコンピュータショップに行って40MBの内蔵HDを探し出したのである。

ところが発見したことは「世の中に40MBのHDはもう売っていない」という事実であった。店に行くまでは「世の中のHDはだんだん大容量化している。ということはきっと40MBのHDなんてめちゃくちゃ安く買えるに違いない」とタカをくくっていた。

ところが私が発見した事実は、最安値のHDの値段というのは$400前後でいつの時代もかわらない。ただその最安値のHDの容量だけが上がっていく、というものだった。従って一番安いのは$400の80MBのHDだったのである。

HDの陳列ケースの前で数分間凍り付いたあげく、そのHDを購入した。$2200でIIcxを売りつけて「してやったり」と思っていたが、やはり世の中そう簡単にはいかないのである。これで当初の予定より$400余分な出費が必要となった。

翌日広告をはりだした「やおはん」の駐車場でIIcxを引き渡した。相手は声の通り、まじめそうな人であった。彼は電話ではほとんど質問をしなかったが、実際に顔を合わせるとたくさん質問をしてきた。もっとも困るような事は何も聞かれなかったが(特にやましいところがあったわけではないし)

というわけで約2年間使用したIIcxはこれでおさらばとなった。当時の日記にはやたらと「これで2年間つれそったIIcxともおさらばです」とか書いてある。ところがこうした場合によくあるように、やたら言うことやら書くことは感傷的だが実際にはそんなに感傷にひたることもないのである。

とにかくこれで金が手に入った。これでこころおきなくQuadraの注文ができるというものだ。

 

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注釈

世の中には奇特な人が:トピック一覧)こういう奇特な人達に私は無限の感謝とシェアウェアの料金を捧げたいと思う。本文に戻る

 

私は商売に向いていない:(トピック一覧)どんな立場であれ「値段の交渉」はとても苦手だ。小心者だから最初から最低ラインの値段を呈示してしまう。買う立場であれば相手が言った値段ですぐに妥協してしまう。私の弟は反対に「必ず値切る」という信条の持ち主である。本文に戻る

 

一代きりで終わってはしまった:当時「Macintoshの筐体は3代に渡って使用される」という説がまことしやかにささやかれていたのである。IIcx→IIci→Quadra700のようにである。しかしながらIIsiは特に上位の後継機種も出ずに終わってしまった。本文に戻る

 

自己主張のちゃんとできる:(トピック一覧)世の中「日本人は自己主張がちゃんとできなくていけない」という妙な強迫観念が広まっているように思える。自己主張がちゃんとできるだけではろくなことにならない、というのが私の意見である。本文に戻る

当時では破格の値段:ちなみに手もとにある雑誌(1998年6月発売)を読んでみると、Quadraで使える16MBのRAMの値段は9800円である。6年間で価格は約1/5に下がったことになる。本文に戻る