何故「好き」を探す検索システ ムはインタラクティブでなければならないかについての考察(もしくは暴論)

NounaiKensakuこれはひところはやった 「脳内メーカー」の画面で す。果たして、人間が「好き」なものはこのように脳内にきちんと存在しているものなのでしょうか。
もしそうだとすれば、検索システム のやることは「ユーザに関して得られる情報を入力とし、難しいアルゴリズムを用いてユーザの脳内に存在している”好き”を当てること」となります。
し かしそれは正しい方法なのでしょうか?
(脳内メーカーのようなネタソフトの画面にまじめに突っ込むことの正否は別として)
Dottiga Suki ?ここからは、 Caltechの下條教授という方が講演さ れた内容を、その講演に参加された方の書かれたブログと 元となったであろう論 文から理解できた範囲でまとめた内容を書きます。おそらく間違い、拡大解釈などに満ちていると思いますがご容赦ください。

被 験者に対し2枚の写真を見せます。一枚はカメラ目線であり、もう一枚はそうではない。すると何がおこるか?被験者の視線を追跡すると最初は両方の写真を均 等に見ているが、だんだんカメラ目線の方を見る比率が高くなる。(グラフの横軸は絵を見せてからの経過時間、縦軸は片方の写真を見る時間の割合)そしてカ メラ目線の写真のほうに視線がロックされたところで「こちらが好き」と答えるそう です。

Dottiga Suki ?では同じ人の写真で、 カメラ目線であるかないかだけ取り 替えるとどうなるか?今度もカメラ目線の方に視線がロックされ(ただし前とは別の人物)「こちらが好き」と答える。

「好き」とは何かここから下條教授はこ のようにコメントされてい るそうです。私なりに解釈すれば、「好き」というのは脳が外界の情報とインタラクション(この場合は視線の移動ですが)された結果として生まれる言葉であ り、最初から頭の中にあったわけではない。

SukihaDokokaここで最初の「好き」 はどこにあるのか?という質問 に戻ります。
今説明したことを図にすれば、それは頭の中に独立して存在しているものではないことがわかります。カメラ目線の写真があ り、それとインタラクションする目(およびそれに付随する神経、脳)があり、最終的に「好き」という意見がでる。

こ の例に示されるとおり、人間があるものを「好き」と判断するのは頭の中に最初から「正解」が存在しているわけではない。外界に存在する情報とのインタラク ションの結果生まれるものといえます。

こうしたところから私はこう主張したい。「好きなもの」を探す検索エンジ ンにインタラクションは必要不可欠かつ重要な要素であると。
WaitAMinutesなどと自分の導きたい結論につ なげるべく強引に しゃべってきましたが、さすがにここらへんで自分でも

「ちょっと待て」

と いう気になります。突っ込みどころは多々あると思いますが、その中でも大きなものは

「そりゃ確かに綾波某とアス カ某のような、いずれ劣らぬ 美形の比較だったらそういうこともあるかもしれない。しかし」
差がある場合「こ れぐ らい差があったら、視線の動きがどうだろうがみんな右を選ぶに決まっている。これはどうしてくれる」

という意見 もあるでしょう(自分でもそう思います)

こうした問題をどのように位置づけるかについて、次のチャートで説明し ます。
MondaiKaisyou何 か「良いもの」を作ろうとしたときに取るアプローチはいくつかありますが、次の手法を好む人も居ます。すなわち現状を分析し、問題点(あるいはゴミ)を抽 出し、それを改善する、というやり方です。

Googleの検索最下位(ヒット件数が多い時の)のページを見るこ とはあまりありませんが、多くの場合「ああ、確かにこれは役にたたない」と思います。つまり既存の検索エンジンはゴミページをカットするという点において よく機能していると考えられます。

ここにある顔写真も「ゴミ」の類として捨ててしまっても誰も文句を言わないで しょう。

商品力アップ?と いう 大変な努力を積み重ねていくと「小さな不満はあるけど、なんとなく日々がすぎていく状態」になります。ここから商品性をアップさせるためには何をすればい いのでしょう?今まで行ってきた「問題点抽出、改善」のサイクルでこんな風になるのでしょうか?
真、善、美の世界「そ う はならない」というのが私の答えです。何故でしょう?聞いた話ですが、Google日本法人の社長は講演で「Googleは真、善、美には立ち入らない」 といったとのこと。私はこの「線の上」はまさしくその「真、善、美、楽」の世界だと思っています。(「楽」を勝手に付け加えていますが)
こ の世界は「問題点抽出、改善」の繰り返しで攻める事ができる世界ではない。ではどういう世界でしょう?

私はこん な 風に考えています。まずこの世界は人によって「ばらばら」で意見が簡単に一致することはない。綾波某が好きだという人もいればアスカ某が言いという人もお り、二人まとめて「アニヲタ」で片付ける人もおり、もっとまとめて「ロリコン」で片付ける人もいることでしょう。

ま た先ほどの「視線」の例ではありませんが、この世界は非常にダイナミックでちょっとした条件で「正解」がころころ変わる。

こ うした世界ではインタラクションが必要なだけでなく、インタラクション自体がユーザの満足につながると考えています。
こ のような考えから(本当を言えば、これを作った結果インタラクションの重要性に目覚めたのですが)作ったのが「渋谷お昼探索システム」ことGardsで す。

このシステムでは意図的に裏側で動いているユーザ嗜好推定ロジックを軽くし、「気に入らなければばっさばっ さと取り替える」インタションを可能としています。

これを使ってみた結果わかったことを2点述べておきます。

一 つ目。ユーザの探索方法は実に様々です。素直に絞込みをする人もいますが、絞込みをした挙句、目に付いた別のもの選ぶ人もいる。あるいは分野をまたがって あっちこっち飛び回った挙句割と最初の方に選んだものに落ち着く人もいます。

二つ目。2/3の被験者は、自分が 最後に選ぶものに出会ってもそこで探索をやめない。しばらく探し回ってから「これがいい」と戻ってきます。このことはインタラクション自体がユーザ満足に つながるものと考えられないでしょうか。

結論:インタラクション必要かつとっても重要

こ うした(強引な)考察より、私は次のように主張したい。すなわち「真、善、美、楽を提供するシステムにおいては、インタラクションは必須かつ重要な要素で ある」と。



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