題名:科学について-相対性理論と疑似科学

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日付:2000/6/30


背景

物事にはそれが起こる理由が或場合とない場合がある。ない場合というのは全く偶然(のように思える)に何かが起こることだが、相対性理論は「偶然に」理由もなしに生まれた訳ではない。それが生まれた理由-別の言い方をすれば、生まれることによって解決した問題、というのはちゃんと存在していた。次に参考文献1の中にある「特殊相対性理論」に関する記述を引用する。

 

等速で動いているすべての観測者に対して、その速さがどうであろうとも、科学法則は同一であるべきだ。これはニュートンの運動理論に対しては真実であったが、いまやマックスウェル理論と光速を含むように拡張されたのである。

 

まずこうした呪文のまじった文章に相対したときは、それらの呪文が何を意味しているのかから見ていくのがたぶん正当な道なのだと思う。では「ニュートンの運動理論」から書いてみよう。

 

ニュートンの運動理論 

ニュートンの運動理論については確か中学でならった覚えがある。第一法則から第三法則まであるが、この文章の範囲で関係するのは第一法則と第二法則である。

第一法則:どんな力も働いていないときは、物体は一直線上を同じ速さを保って動き続ける

第二法則:物体は力に応じて加速される。加速度はまた物体の質量が大きいほど小さくなる。

(この定義は参考文献1を参考にしている)

 

物の本によると、ガリレオが「重さの違う玉を落としてみる(ころがしてみる)」という実験を行い、ニュートンがこの法則をうち立てる前、

「物体の自然の状態は静止であり、力あるいは衝撃に突き動かされるときだけ運動するというアリストテレスの説」

が信じられていたそうである。私のような人間からすると、実生活で聞かされた場合にはアリストテレスの説のほうがもっともらしく聞こえる。だって、何もしなければ大抵の物体はそこに置かれたまま動かないじゃないか。坂に物をおけば転がって行くけど、それだって一番低い所までいけばそこで満足して静止するし。

実生活では正直なところ第一法則を実感できることは少ない。一番「抵抗が少ない」という場面はエアホッケーのゲームだろうか。エアホッケーで空気が吹き出ているときとそうでないときの滑りの差を見れば、これがもっと抵抗を減らすことができたら、このパックははるかかなたまで果てしなく動いていくのではないかと想像を働かせることがくらいが関の山だが。

では第一法則はどこで成り立っているんだ、と言われると参考文献3には「恒星の運行」と書いてある。私など

「おお。確かに地球は何の抵抗もない宇宙空間をずっとずっと進んで行く物だな。ロケットだって噴射をやめてからもとにかくまっすぐ(だいたいだが)進んでいくことだし」

とした光景を思い出し、納得したような気分になる。しかし世の中には私ほど簡単に納得してしまう人間ばかりいるようではないようで、

「天体を運行させている力を利用すればエネルギー問題は解決だ」

と主張している方もいるそうだ。つまり地球が太陽のまわりを回ったり、月が地球の周りを回るのはなんらかの推進力が働いているから、と思っているらしい。確かに日常生活では、何かものを動かし続けようと思えば、なんらかの推進機関が必要ではないか。この「推進力」は何億年もの間、あんなに重い物を動かしているのだから地球のエネルギー問題など片手で解決してしまうに違いない。

しかしながら、運動を妨げる力が働かない状況にあっては、日常の常識よりも正しいのはニュートンの第一法則のようなのである。従って我々はエネルギー問題には別の方法で対処しなければならない。

 

さて、次に第2法則である。これについて中学3年の時、理科の授業で教師がこうした質問をしたのを覚えている。

「重い物体と、軽い物体に同じ力を加えた時、どっちが速く動くと思いますか?先生はこういう問題を考えるとき、デフォルメして考えます。すごーく軽い物と、すごーく重い物に同じ力を加えるとどうなりますか?」

この質問に対して私は手を挙げた。同じく手を挙げた人がたくさんいたのは私にとって幸運であり、そしてまた教師が私を指名しなかったのはもっと幸運だった。私はこう考えたのである。

「1cmくらいの木片(これは確かに軽い)を投げるときと、野球のボールを投げるとき(これは木片よりはるかに重い)を考えてみよう。どちらが遠くに飛ぶかといえば、ボールのほうだ。だいたい木片を投げれば力がはいらないじゃないか。よし。答えは重い方」

しかしながら私はこう考えるべきだったのである。つまり氷の上におかれた野球のボールと砲丸投げの砲丸を同じ力でけっ飛ばしたときにどちらが速いスピードで氷上を動き出す、か、というように。

さて、この「力」と「加速度」は比例している。砲丸を二人でけっとばせば(もちろん同じ力という前提つきだが)2倍のスピードで氷上をすべっていく。また「質量」と「加速度」は反比例の関係にある。同じ力でけっとばしても、砲丸の重さが2倍になっていれば(読んでいるだけでつまさきが痛くなりそうだが)速度は半分になる。

 

さて、なんとなく「ニュートンの運動理論」がわかったような気になったところで、前述した二つの定義の次の文章が意味するところだ。

 

最初の定義では

「それを基準に取ったとき、ニュートンの力学の方程式が成り立つ場合」

と書いてあり、次の定義では

「等速で動いているすべての観測者」

と書いてある。これらを並べてみると

「ある観測者を基準に取ったとき、ニュートンの力学の方程式がなりたつ=その観測者は等速で動いている」

となる。では等速で動いていると、何故先ほど述べたニュートンの運動理論が成り立つのか、またそうでなければどうなるか、について書いてみる。

まず先ほどのニュートン力学の方程式が成り立つ場合を考えてみよう。これがリアルな想定かどうか解らないのだが、宇宙空間をSome kind of 乗り物にのって、外を眺めているとする。そしてあなたは別のSome kind of 乗り物(面倒なので宇宙船とかく。考えてみればこの言葉は最近使わないな)が通り過ぎる。

両方ともエンジンはとまっているものとしよう。しかし与えら得た速度とニュートンの第一法則のおかげでほおっておけば、両方ともそのまま直線運動を続ける。

さて、あなたが律儀に体を宇宙船の中に固定して相手の宇宙船を見る。するとあなたが観測するのは、等速で直線進路を取り近づきそしてすぎさっていく宇宙船の姿だ。その速度は一定である。相手からみても同じように見えるだろう。なるほど確かにニュートンの運動の第一法則は成り立っているらしい。

 

次に第二法則だ。この法則は加速度と力の関係について述べているが、その初速については何も言っていない。以下に例を示してみる。たとえばあなたが他の宇宙船が前方から1m/secの速度で近づいてくるとしよう。そして両者からは別の物体が見えるとする。この物体は当初あなたからみれば静止している。(そして別の宇宙船からみれあb、1m/secで動いているように見えるわけだが)

次にいきなり「なんだかわからない物体」が後ろ(と貴方が思う部分)からロケットを噴射して加速する。その力は1Nで、そして物体の質量が1kgとしよう。するとあなたは物体の速度が0(つまり静止した状態)から一秒に1m/secの割合で増加していくのを観測する。

さて、同じ実験を別の宇宙船から眺めよう。1Nの力が加わると、相手の宇宙船はこう観察する。

「あのわけのわからない物体は、最初(俺の)船尾方向に1m/secのスピードで進んでいたのが、だんだんスピードが落ち、1秒後には静止し、そしてさらに1秒後には俺の船主方向に1m/secのスピードになった。まだ速度は毎秒1m/secの割合で増加しているようだが」

つまりあなたが相手と等速で運動している限りにおいて、どちらにとってもニュートンの第2法則も成り立っていることになる。(物体に加わった力も、その結果生じた加速度も等しいからだ。速度の大きさはもちろん両者から見て異なるが、第2法則は速度の大きさ自体についてはハナから何も言っていない。)

 

さて、次に考えるのは「あなたと相手が等速で動いていない場合に何がおこるか」である。

あなたが宇宙船の上で一定間隔で足で飛び跳ね、次に天井に手をついて逆の方向に体を押し戻す、といったことを繰り返すとする。(無重量空間版のヒンズースクワット+腕立てふせ、とでも言おうか)

その場合何が見えるかというと、上下にぴょんぴょんと動きながら近づき、そして離れていく宇宙船の姿だ。そして貴方が大変自己中心的な人間で、自分の三半規管で感じられる自分にかかる力を無視するとすれば、こう考える。

「ニュートンの第一法則ってなんのことだ。あの宇宙船には何の力も加わっていないというのに、どう考えても一直線上を同じ速度で動いているとは思えないぞ。何がおかしいんだ。」そして第2法則については言うまでもない。

 

しかしこの場合は「文句」のほうが間違っている。あなたがそうやって加速度を感じながら動いている限りにおいて-つまり等速直線運動していないわけだが-、あなたが観測する相手はニュートンの力学に従っているようには見えないだろう。逆にニュートンの力学に従っているように見えるとすれば、それはあなたが等速で直線運動をしている-つまり加速度がかかっていない-外部からの力が加わっていない-状態であることを意味しているのだ。

 

さて、ここで前述の前提に戻ろう。ホーキングの言葉によれば、

これはニュートンの運動理論に対しては真実であったが、いまやマックスウェル理論と光速を含むように拡張されたのである。

と述べている。確かにニュートンの運動理論に対して成り立つのはいま確認した。では「拡張」とはどういうことか?それはここで述べられている二つの法則(マックスウェル理論と光速だが)が「普通に考えると」同じように等速で動いている観測者から見て同じ法則に従っているように見えない、というやっかいな問題を抱えているからだ。

次の章 


注釈

ニュートンの運動理論:実は第一法則は第二法則に含まれる、という指摘もある。第二法則で力に応じて加速される、と行っているのだから、力が加わらなければ速度は一定のはずだ。これが何故わかれているかについては、あれこれ論議があるようだが、私としては素直に「アリストテレスの考えとは違う物を提示することを明確にした」というどっかの本で読んだ理屈をもって納得してしまうのである。本文に戻る