日付:2000/6/30
ここで起こっていることここでちょっと説明をはしょり、先に導かれるべき結論を借用して説明をする。先ほどの「前提」は別に光の速さに限る必要があるわけではない。ちょっと一般化して、
「それが発せられるものの速度に関係なく、一定の速さで伝わる」
何かがあったとする。それと等速直線運動している立場からみて物理法則が同一である、という仮定を組み合わせると、その
「一定の速さ」
が超えられない「速度の上限」であることが導かれる。つまりどんなに速度を足していってもその速度を超える事ができないのだ。したがって別の言い方をすると
「ある点で起こった作用の影響が別の点にまで伝わる速度には上限があり、その値は等速直線運動しているどの立場からみても一定の値である」
という事を言っていることになる。こうやって文字にすると
「ふーん」
と思う。なるほど、なんだかわからないが物が伝わる速度には上限があると。そりゃまあ速度たってそう無限に大きくなれるわけではない、といわれれば「そんなものかな」と思う。そして
「それがどうした?」
と聞きたくなる。
しかしながらこの「仮定」はもっと深遠な意味を含んでいる。例えばこうだ。
この文章を書いているのは夏だから、花火の打ち上げを考えよう。ある地点には打ち上げ花火の筒があり、そこから1km離れたところにも花火の筒がある。そしてあなたのミッションはこの二つの花火を
「同時」
にうちあげることだ。
普通に考えればあなたはもう一人助手を雇い、そして事前に綿密に時計を合わせておく。そしてあなたは一方の花火のところに待機し、助手をもう一つの花火のところに行かせ、
「時計が午後5時になったとき」
花火の打ち上げボタンを押す、と取り決める。これでMission Accomplished。
ところがあなたは最近
「相手が動いていると時計がずれる」
という話しを聞いたばかりだとしよう。なにを言っているのかさっぱりわからないが、なんだかいやな予感がする。かりに助手と時計をちゃんと合わせたところで、そいつが別の花火のところまで移動したときに本当に時計はあっているだろうか?ああ。相対性理論などという怪しげなものを耳にしなければ、こんな妙な脅迫観念にとらわれることもなかったものを。
というわけであなたは助手に頼る、という考えをすてる。さて、どうしよう?
「仮に」ここで無限大の速度で作用を伝える魔法の棒があるとしよう。するとこんなしかけをつくることができる。
あなたの手元に棒の端をおき、その端を押すと近くの花火打ち上げボタンを押す様にし、棒のもう一つの端は別の花火の打ち上げ用ボタンのところに置く。あなたがこちらで棒を押すとあなたの近くの花火がうちあがるとともに、遅れ時間0で(魔法の棒の定義により)別の花火の打ち上げようボタンがおされ、別の花火もうちあがる。なるほどこれならば誰がどうみても
「同時に花火がうちあがった」
というわけだ。「時計がずれるのではないか」などと疑心暗鬼に陥る必要も無い。
しかしながら先ほどの述べた仮定が語るのは、
「そうした魔法の棒は存在しない」
ということなのである。(なぜならこの魔法の棒を使えば、無限の速さで作用が伝わってしまう)
あなたのところからもう一つの花火のところに打ち上げ信号を送ろうとすれば、それは一番早く送ろうとして光(しかも真空中を伝わるやつ)を使ったとしても、
(花火の間の距離)/光の速度
の時間がかかってしまうのだ。たいていの場合この遅れに気がつく人はいないだろうが、あなたは世の中には無意味なまでの細かいあら捜しに喜びを見出す人間がいる、という事実を忘れてはならない。
OKそれではこんな仕掛けはどうだ、と次に考える。
二つの花火のちょうど中間点にあなたは座る。ここからスイッチを押すと光が発射され、今度はスイッチは光が伝わるとオンになることにしておく。花火までの距離は同じだから信号が伝わるのにかかる時間も同じ。したがって花火は同時にうちあがる。
こう書くとこの論議には文句のつけようがないように思える。ところがぎっちょん。例の仮定を導入するとそうはいかない。
「そうはいかない」のはこれが動いている相手からみた場合である。今述べた道具立てがすべて「相手の宇宙船」の上にあり、相手の宇宙船ははあなたから見て、前方に速度vで移動しているように見える。逆に「相手の宇宙船」からみれば「あなたの宇宙船」は後方に速度vで移動しているように見えるだろう。
この場合、上の説明は、「別の宇宙船」から花火打ち上げセットを見るときに成り立つ、ということができる。(別の宇宙船は花火打ち上げセットは動いていないと思っているからだ)さて、この
「同時に花火がうちあがる」
光景をあなたのの宇宙船からみるとどうなるだろうか。
別の宇宙船にのっている人間があなたの脇をとおるちょうどそのときに、スイッチを押すとしよう。ここからはあなたからはこう見える。
信号が前方と後方に伝わっていく。速さは両方とも真空中の光速:Cである。が前方の花火はこちらから遠ざかり、そして後方の花火は近づいてくる。したがって最初に後方の花火に信号が届きどんとうちあがり、そして次に前方の花火に信号が届きどんとうちあがる。誰だ花火を同時に打ち上げたって言っているやつは。
なぜこんなことになるかといえば、(繰り返しになるが)先ほどの「光の速さは光源の速度にかかわらず一定」という仮定のせいだ。素直に光は前方にc+v後方にc-vの速度で進んでくれれば,こんなことにはならないものを。
しかし前提は前提だからしょうがない。こうしてみると先ほどの仮定を取り入れた場合
「同時」
という言葉を使うときに慎重にならなくてはならない、という結論が得られる。ここで再び。
「そうかい。それがどうした?」
と聞くのはフェアな論議である。
普通の生活において、この「同時」という言葉は暗黙のうちに了解されていることが多い。誰も
「この(20cmはなれた)二つのボタンを同時に押してね」
といわれて
「それってあなたから見て?それともそこをばたばた走っている人から見て?それともスペースシャトルに乗っている人間から見て?」
などと聞き返したりしない。こんなことをいちいち確認しなくてもいいのは、通常「同時」というのは誰にとっても共通の事だと考えているからだ。
ところが例の仮説のおかげで普段文章の上では省略すらされている「同時」という言葉を慎重に使わなくてはならない、ということになる。さて、ここで先ほど
「何だこの結論は」
と考えた「運動している物体の長さが縮む」
ということについて考えてみよう。
そもそもものの長さを測る、というのはどういうことか、から考える必要がある。何をもったいぶって。ものものさしをあてて、端と端の目盛りを読めばいいではないか、ということになる。なるほど。では相手が動いている場合には?
そう考えると先ほどの定義に一つ言葉を付け加える必要があることに気がつく。
「”ものの長さを測る”とは、(なんとか)ものさしをあてて、物体の端と端の目盛りを”同時に”読むことである。」
例えば、片方の端の目盛りを読んでから1秒後にもう片方の端の目盛りを読むなんてことをすれば、おかしな値がでてくるのは当然だ。フェアであろうとすれば、どうしたって「同時に」読む事が必要となる。
ちょっとまて。今「同時に」という言葉はそうやすやすと使ってはいけない、という事を聞かされたばかりではないか。こちらが同時に打ち上げたと思った花火は、動いている相手からみれば同時に打ち上がっていないのである。
このことを「同時とは相対的なものである」という言い方をする。ここでいう相対的とはいかなる意味であるか。
私が「相対性理論って何?」と聞いたのに対し、父は
「何でも相対的ってことさ」と答えた。
私はこの父の答えが(父が相対性理論をどの程度理解していたかは別として)結構ただしいことだと思っている。では「相対的」という言葉、それにその反意語であるらしい「絶対的」という言葉は日常生活ではどのようにつかうだろうか。
ふと思い出すのは「刑事コロンボ」の「別れのワイン」という作品での台詞である。
(例によってだが)コロンボに犯人と暴かれた男は、その犯行をネタにして長年使ってきた秘書から結婚と共同経営者になることを迫られていた。そしてこういうのだ。
「幸せは相対的なものですから。結婚という監獄よりも本もの監獄のほうがましかもしれません」(まったくうろおぼえ)
また(これはたぶん冗談だと思うのだが)アインシュタイン自身の言葉によれば
「きれいなお嬢さんと居れば時間は早く過ぎ、熱いストーブのそばでは時間はゆっくりすぎる。これが相対性理論です」
だそうである。つまるところ立場を変えればその意味や価値が変わる事を「相対的」というのであり、そうしたものによらず普遍的な価値を持つものを「絶対的」と称するのではないだろうか。となるとなにを絶対的と呼ぼうか。
さて、物理で正確に「相対的」とか「絶対的」というときには、その対象とするものの量が座標系-つまり見ている人間の立場の取り方-によって変わるか変わらないかで決めるらしい。見ている者の立場とは、別にその人間が男だとか女だとか会社の上役だとか靴磨きだとかそういう意味ではない。物理法則の話だから、今まで何度か言及してきた「等速直線運動」の方向と速度だけが問題になる。これまでの説明の中で言えば、「位置」とか「速度」とかいうものは、座標系によって変わるから相対的なものだ。
またちょっとややこしいのだが「絶対空間」という言葉も使われるようである。ここでの「絶対」とは他の立場とは違う意味を持っている、ということのように思える。具体的に言えば、ここまでの説明でやたらとでてくる「等速直線運動している立場」のうち、特定の立場が「絶対的」であり、他の立場とは違う、とするような主張である。
ここまで書いてきたように「ニュートンの運動理論」はどのどの等速直線運動している観測者からみてもなりたつ。つまり一つの立場を他の立場に比べて重要視する理由はないように思える。ところがニュートンは絶対の神が存在する、という信念からこの「絶対空間」が存在する、と思っていたらしい。
かくのとおり「絶対性」を前提とする宗教は何かと問題を引き起こしてくれる。誰か
「すべての神は等速直線運動している観測者からみて同等の価値を持つ」
という相対性理論を神の領域にまで拡張した理論を開発してくれないかと思う。
「俺はこの神様が正しいと信じている。隣の奴は別の神様が正しいと信じている。まあこれは立場によるものだから、どちらがより正しいというわけではない」
と言えば良い物を、無理して
「いや。神様の法則が正しくなりたつのは、この宗教に於いてだけで後はすべてずれを含んでいる」
などと無理矢理客観的に正当化できない差異を主張するもんだからたどりつくところは殴り合いだ。
話がまたまたそれた。とにかく「同時」というものは立場によって変わってくる。つまり相対的なものらしい。というわけでここで何が起こっているかを少し慎重に見てみよう。
実際の世の中は3次元であると普通は考えている。また万物は流転し、去る者は日々に疎く、行く物は川の流れのごときなのもこの世の有様だ。つまり今ここにある、と思った物も時間がたてばもうそこにはないかもしれない。
ここまでやれ
「信号が伝わる」だの
「スイッチを押す」だの
いうものは、すべて
「或空間上の一点に、ある時刻で」
という空間の位置と、時間で指定されることがらである。これを位置+時間でイベントと呼ぼう。イベントというと何かコンサートかお祭りでもあるのかと思うが、ここでは
「できごと」
という日本語が一番ぴったりとくるだろうか。
さて、本来空間の中の点は三つの値をもってその位置を表すのが日常の常識、というものである。空間は3次元だと普通は考えるからだ。しかし正直その3次元+時間をすべて書くのは大変であるし、今のところ動いているのは一方向だけなので位置を表す一次元と時間だけをなんとか書き表すことを考える。
さて、或点から光が発射され、それがある方向に(今は一つの方向しか考えない)進むところを時間ごとに見てみよう。
まず左のように書いてみる。と、いろんな時間の状態が重なって書かれて見にくいことこの上ない。よし、では時間ごとの絵柄を縦にずらして並べてみよう、と思うと右図のようになる。
光の先端は時間とともに動いて行くから、時間と位置の組あわせで「イベント」ということができるだろう。この図はなかなか見晴らしがよろしい。考えてみればもともと二つの変化する値の組み合わせで決まる物を図示しよう、というのだから、その昔学校でならった縦軸と横軸に別の値をとれる
「グラフ」
を使うのはどうだろうか、と考える。さて、本当はこの用語は間違っているかもしれないが、私はここで「グラフ」のかわりに「ダイヤグラム」という言葉を使う。縦軸に時間をとり、横軸に位置(一方向だけだが)を取ることを考えよう。すると先ほどの様子はこうなる。
光の先端は連続するイベントとして上の図の矢印のように表される。でもってここでは説明の都合上光が異動するときにその軌跡は傾きが1になることにしよう。傾きが1になる、ということは、たとえば縦軸の1cmが1秒だとすると横軸の1cmが30万kmになっていると考えればよい。
ここで、さっきの
「1km離れた花火の中間点から信号を送り”同時に”花火が打ち上がる」
という現象がこのダイアグラム上でどのように描かれるかみてみよう。(みているのは「相手の宇宙船から」)二つの花火は時間が経過してmお別に移動するわけではないから、垂直な線で表される。
打ち上げ信号だが、時間0ではx(距離)が0.5kmのところから信号が左右に進み始める。信号の速さはcだから、傾きは1。それがxが0の地点(花火1がある地点)とxが1kmの地点(花火2がある地点)に到達したところで、どんと花火が揚がる。このダイアグラムで見る限りにおいて確かに同時に打ち上がっているように見える。
さて、ここから話はややこしくなる。同じ現象を、あなたの宇宙船からみたところをなんとか書いてみようとするわけだ。
まず「相対性理論」の事を忘れて、「普通の物の見方」で考えよう。あなたの宇宙船からみると、別の宇宙船は時間がたつに従って、x方向に動いていく。しかし相手からみれば、あなたの宇宙船のほうがーx方向に動いていることになる。
仮にあなたの時計でt=0の時に、相手の宇宙船にとっての距離x’(区別するために’をつけた)と貴方の宇宙船にとっての距離xがともに0だったとしよう。そこからx’にとって0の位置は時間がたつにつれてx方向に移動していく。というわけで二つのグラフを重ねて書くとこのようになる。
(注:上の図は「普通の物の見方」=ガリレオ変換に従った場合)
しばらく上の図をじっと見てみよう。相手の宇宙船(およびなんだかわからない物体)にとっての時間軸、t’が傾いている。何故こうなるか。
時間軸t’(及びすべての補助線)というものは、あなたの宇宙船からみて、相手の宇宙船と同じように動いて居ているものが、時間とともにどのような動きをするかを示している。そう考えてみれば、すべての線において時間tが増えるとともに、あなたから見ての距離、xが増大している。だから斜めになるわけだ。
逆にその傾いた線の世界にいる人間から、「あなたの宇宙船」を見ると、時間がたつにつれてx’軸の負の方向に動いていっているように見える。x=0であるところの時間軸を見てみよう。x'=0の時間軸t’から見ると、時間が立つにつれて、負の方向にどんどんずれていくように見えることがわかると思う。
さて、ここまでは比較的問題ないように思える。やっかいなのはここからだ。
上のグラフに光の軌跡を重ねてみよう。先ほどの同じに光の軌跡は傾き1の直線で表されるから
なるほど、と思うが、これではあなたから見た光の速度はc(つまり傾きが1)になっているが、相手の宇宙船から見たときには光の速度が変化していることになる。下に相手の宇宙船からみた光の軌跡だけを抜き出して書いてみる。
こうした図で書くと、速度が大きくなると軌跡は寝る(つまり傾きが小さくなる)ことになる。上の図では傾きが1より大きくなっている、つまり光速度はcより小さくなってしまっているのだ。
それも道理で、ここでは「普通の物の見方」を使ってダイアグラムを書いている。つまり今の設定では相手の宇宙船は光と同じ方向に速度vで進んでいるのだから、あなたから見て速度cの光の速度は相手の宇宙船からみるとc−vになることになる。
さて、困った。いくら私が心情的に親近感を抱いたとしても、今は
「光の速度は一定」
を前提においているのだから、とにかくそうなってもらわないと話が先に進まない。どうすればいいだろう?
先ほどの考察に穴があるとは思えない。つまりt’の軸及びそれに平行な線というのが移動する速度に比例して傾くことに間違いはない。となれば、できることは一つしかない。つまり水平な線を、
「光の速度がcで一定=傾きが1」
になるように傾けてしまうのだ。こう書くとずいぶん乱暴な事をしているように思う。そしてその
「恐ろしい結果」
についてはこの後延々と考えることになるのだが、とにかく結果を恐れず軸を傾けると下図のようになり、とにかく光の速度はcになる=直線の傾きは1になる。
この図を再び「あなたの宇宙船からみた図」と重ねてみよう。
線がやたらと重なって見にくいことこの上ないが、とにかくこうするとt−x、t’−x’のどちらからみても、(つまりあなたの宇宙船から見ても、相手の宇宙船からみても)光の速度はcになるのである。
さて、ここで「水平な線を傾ける」というのは確かに傾きを1にする手段にはなっているものの
「だから良いんだ」
と言われてもなんだかごまかされている気がする。そこで定量的な議論を少し横においておいて、この水平な線が傾く、ということはどういうことなのかを説明してみる。
そもそもこうしたダイアグラムで水平な線というのは何なのか。固い言葉で言えば、時間が等しい線、平たく言えば
「距離は異なっていても”同時”なイベントの集まり」
である。つまりこの水平な線の上にある点はすべからく
”同時”
と見なされるのである。しかしここまでくれば、たぶんあなたは(ここまで辛抱強く読んでくれたとしてだが)この
”同時”
という言葉について十分偏執狂的になっているに違いない。
というわけで、(どういうわけだか)さっきの
「花火は同時に打ち上がるのか」
がこのダイアグラムの上でどう表現されるかみてみよう。相手の宇宙船からみて(つまり花火に対して動いていない立場からみて)花火が同時に打ち上がることは前述した。さて問題です。あなたの宇宙船からみると状況はどうなるでしょう?
花火1と花火2はあなたから見ると時間がたつにつれて前方に移動していくように見える。だから軌跡は斜めになっている。そして光の速度は同じくcだから傾きは1だ。すると信号がそれぞれの花火にたどり着くのは。。。
この図のようになる。あなたにとっての時間軸というのは垂直に立っているやつであり、同時なイベントを表す直線は水平なものだ。ところが上のダイアグラムに示される通り、どう考えても花火1が打ち上がった後に花火2が打ち上がるように見える。
ところがさっき見たように、花火に対して動いていない立場-相手の宇宙船からみればこの二つは同時に打ち上がったように見えるのだ。ではどうする。できることは一つだけ。上に引いた線のように、花火1と花火2に信号がたどり着いた点を結んで
「おれの立場では、この直線上にあるものが同時におこったイベントなのだ。つまりこの直線が”水平線”だ」
と言うことである。そしてそれは相手にとって変なことであろうはずがない。
実は上の図を書くときにはすでにして花火1、花火2の距離は先ほどの図と一緒ではないが、それはここでは関係ない。とにかく動いている相手を観察すれば、同時のイベントを結ぶ点はこのように傾く、という事だけは確かである。
というわけで、先ほど
「光の速度が一定とするためにはこれしかない」
と言い切った方法もそうデタラメではない、、とここでまた言い切ってしまうのである。
さて、これでなんとなく釈然としない物を感じながらも「光の速度が一定」ということを前提としておくと、ダイアグラムがどのように変化するかはわかった。さて、この
「ひずんだ」
ダイアグラムを使って、「長さが縮む」だの「時計が遅れる」だのが何を意味しているかを考えてみる。
という事を言っている:そして”たまたま”その速度が真空中の光の速度なのだが。本文に戻る