日付:1999/8/8
竿燈祭りまもなくアナウンスが聞こえてきた。どこからかはわからないが少なくともそのしゃべっている位置はこここからは見えない。今日は和太鼓のオープニングアクトがあるという。なんだろう、と思ったらあとからあとから人を乗せたトラックが走っていく。トラックの上の人たちはこちらを向いて手をふったり、あるいは奇声をあげたりしている。どんどん走って行くなあと思ったらそのうち止まって人と太鼓をおろし始めた。
アナウンスが言うには彼らは秋田県太鼓連盟に所属している団体であるという。そのうち「では始めてください」という声が鳴り響くとドラの音とともに(このドラが全体の始まりを合図する物なのかあるいはどこかの団体の持ち物なのかはっきりしないが)各団体の太鼓が始まった。
考えてみれば和太鼓なるものをTVで見たことはあっても目の前で見るのはこれが初めてかそれに近い気がする。100mほどおいて団体がやっているから、多少音がまざってしまう。おまけに運が悪いことに私の正面はぽっかりと開いている。太鼓を叩いているところを見ようと思えば右か左によっぽど首をまわさなくてはいけない。それでも太鼓の音に合わせて少し鳥肌がたっている自分に気がついた。
太鼓を叩いている人は老若男女けっこういろいろあるようだ。中でも目立つのは若い人たちの集団である。それぞれ流派があるようで、結構おとなしめに均一のリズムを叩く団体、あるいははねたり回ったり派手なアクションを見せる団体いろいろである。しかしそれぞれに十分聞かせてくれる。そのうち頭は和太鼓と西洋のアンサンブルの比較とか、そのリズムはあるいは日本の伝統のものかもしれず、あるいは最近の音楽のリズムの影響があるのかもしれない、とか妙な事を考え出したがそれは或点つけたしだ。彼らの演奏にはどこか私の中のリズムを揺さぶるものがあるに違いない。私はあちこち首を回しながら彼らの演奏に聴き入っていた。
時間がきて演奏が終わる。するとまた太鼓をトラックに積んで場所を移動する。これがあと2回繰り返された。そのたびに違ったグループの違った演奏が聴けて大変楽しませてもらった。アナウンスが告げるところによると今日叩いている曲はすべて今日のために作られたオリジナルなのだそうだ。太鼓のグループには○○流保存会とかそんな名前がついたものもあるが、○○流の伝統と、オリジナルの創作をどうやって折り合いをつけるのだろう。等と考えながら、もうっちょっと若くしてこの和太鼓かに出会っていれば結構気合いをいれて叩いていたかもしれないなと考えていた。
彼らのExcitingな演奏が終わると今度は秋田市長の歓迎挨拶である。例によって内容は全く覚えていないが、彼は自分で英語の挨拶を付け加えた。彼の英語はMajor Leagueにでてきた石橋の英語に似ている。ちょっとわかりにくいが歓迎の意を表していることはよくわかった。とはいっても英語で挨拶するほど日本人以外の観客がいるのだろうか、、と思ったらすぐ横に白人の一団がいることがわかった。何人かはわからないがとにかく英語でしゃべっている。秋田市長の努力も報われるというものだ。後で気がついたことだが、昨日の山笠にしろ今日の竿燈にしろ、確かに海外から来ていたら見に行く価値があるものかもしれない。私が海外からきた人を案内する立場であれば必ずつれていくと思う。
さて挨拶が終わると竿燈の入場である。それまで竿燈なるものがどんなものか全くわかっていなかった。とにかく提灯がたくさんついたものであることだけは駅のディスプレイなどから知っていたのだが。いくつもの団体がトラックを先頭にして入場してくる。入場と言っても会場は道路だから脇の道からはいってくるのである。トラックには太鼓がつまれ、そして笛を吹いている人が必ずついている。聞いていると彼らは皆同じメロディを奏でているようだ。
その後ろには一団の人たちが続く。数人がかりで巨大な竿燈を横にしてもっている。しかしなんという大きさだろう。それぞれの横に渡してある木の間に糸が張られているのを見て、私はあの糸を数人の人間がもってささえるのかと思った。そうでなければあれほどしなる長いものが直立するとは思えない。それぞれの竿燈には山のように提灯がついている。この提灯はそこらへんの花見やビアガーデンに飾ってある物とは違って本物である。何が本物かと言うと中に入っているのはろうそくなのだ。あれではもし倒れたら火事になってしまうではないか、と私は妙な心配をしだした。
さて、和太鼓と同じようにトラックも次から次から登場してゆっくりと笛と太鼓で音楽をかなでながら進んでいく。仮に彼らがとまったとしてもそれは彼らが所定の位置についたためか、あるいは単に前かつかえたためかはわからない。しばらくしてアナウンスの声が響いた。今度は竿燈友の会だかなんだかの会長さんらしい。彼が始め、の合図をすると一斉に演技が始まった。
支えて持ち上げる段階ではまだ何人かついているから、私はそれぞれの人がひもをひっぱるのかと思っていた。ところがすぐにそうではないことがわかった。なんとその巨大な竿燈を最終的には一人で支えているのである。
駅の観光案内所でもらったパンフレットによれば、竿燈の大きさは数種類あるが、一番大きな物は全長12m、それに最長で幅3mの横枝が9段にもはえており、全部で46個の提灯がぶらさがっている。それを一人でもっているのである。これには驚いた。そのうちさらに驚いたことに手のひらでささえてみたり、おでこにのせてみたり、肩に載せたり、最後には(とても腰に悪そうなポーズだったが)腰の上にのせたりしているのである。
何故あんなことができるのかずーっと考えていた。たとえば長さ12mの棒をあの体勢でささえることができるだろうか?提灯がついていることが慣性モーメントを大きくし、バランスをとりやすくしているのだろうか、あるいは竹がしなっているのが、重心の位置をうまくもってくるために必要なのだろうか、などといろいろ考えてみたが今のところよくわからない。とにかくそこらかしこで竿燈が立って偉い騒ぎである。子供の団体もいるが、彼らは小さい竿燈をたてている。小さかろうがバランスをとるのが難しいことにはかわりないだろう。
もし私が最初に何の知識もなしにこの竿燈を見せられれば「そんなものが立つわけないじゃないか。だいたい重心の位置が悪いし、全体が柔らかすぎるし。。」と妙な理屈をつけて一蹴するところである。しかし目の前の事実は認めなくてはならない。それは見事にたち、見事に支えられているのである。ふと何故このようなことが行われるようになったのかと考えてみた。今から数十年か、数百年か前、竿燈のご先祖さまを「ふと」立てて見た男がいるのだろう。それを見た他の連中が「俺だったら片手でもてるぞ」とか「俺なんか手のひらに載せたって立てられるぞ」とか言い出す。
さらにそれを見た隣村の連中が「こっちは提灯が2倍もついた奴を立てられるぞ」と言い出す。かくて進化というか競争が始まった。年々竿燈は巨大化し、そのための練習にも熱がはいり、、毎年技術革新が行われ、ついには「何でこんなことができるんだ」というような技が可能となった。。。などと妙な事を考えていた。
今まで観光名物になっている祭りなんて、、と思っていたがこれには心底驚いた。私があっけにとられて見ているとそのうち脇で悲鳴があがった。竿燈が一本バランスを失ってたおれたのである。アナウンスは「大変風の強い中での演技となっており、竿燈は倒れることもあります。観客の皆様はけがをなさらないように注意してください。」と何度も繰り返し告げている。注意しろったってどうすりゃいいんだ、、と思ってふと上をみあげればよくした物でこの通りには第一に電柱がない。だから竿燈が電線にふれて感電する心配はなさそうだ。第2にその代わりに街灯のようなものがたっており、その間にはかなり高いところにケーブルが張ってある。だから歩道に倒れようとする竿燈はあのケーブルにひっかかり、観客の上にもろには落ちないようになっている。これでちょっと安心だ。
さてそれからも倒れる竿燈は何本かでた。中にはあきらかに竹がおれた音とともに倒れるものもある。どうやらおれてしまえばそれまでらしい。最初に初めの挨拶をした竿燈友の会の会長(だかなんだかそんな人)は「今年は史上最高の283本の竿燈が立っております」とか言っていたが、祭り3日目となる今日に果たして何本の竿燈が残っていたのだろう。
さて竹はおれないまでも竿燈が倒れると提灯の火は消えてしまうようだ。火がついて火事になる心配は無いようである。目の前で一本倒れたのをみていたら、倒れた竿燈に数人がかりで大急ぎで火をつける。そしてまたたてるのである。途中3本の竿燈がほとんど重なってしまったことがあった。こうなったらあわてて引き離すかと思えばそうでもない。3人とも上を見つめたままマイペースで竿燈をコントロールしている。隣の方にいる某生命保険会社の竿燈の方からはやたらと悲鳴が上がっている。その会社の一文字がつけられた提灯が何度か倒れた。彼らはその会社の社員なのだろうか。この祭りが近づくと仕事を早く切り上げて練習に励んでいるのだろうか。
うまく竿燈が立っていると、かけ声がかかる。その声と先ほどから鳴り続けている太鼓と笛の音をききながら、ああ、夏祭りというのはこういうものなのかもしれない、と思った。祭りというのはどこか非日常的であり、人の普段は見えない感情が表に出てくるものかもしれない。私が今まで見たことがある祭りはおとなしいものばかりだった。三英傑の扮装をみにまとった男性がゆっくりゆっくりデパートの店員を従え歩いていく祭りは全く日常の範疇にある。
しかし祭りは本来どこか「荒っぽい」ものなのではないか。目の前で展開されている演技は荒っぽいかどうか知らないが、たまげた光景であることは間違いない。そう考えると直接見たわけではないが知っている日本の祭りの光景が頭にいくつか浮かんできた。そこでは人間の声がいろいろな形をとって爆発しているように思える。昨日と今日見たのはそうした祭りなのかもしれない。
そんなことを考え、ふとあたりを見る。日はすっかり暮れてあたりは真っ暗になっている。そのなかに何本もの竿燈が光りながらゆらゆらと立っている。風は時々心なしかそよぐ程度で、空気は暑くよどんでいる。その中をかけ声と笛太鼓の音が響いていく。
ふと大学の頃観た「八甲田山」という映画を思い出した。冬山の中で苦闘している主人公が幼い日に観たねぷた祭りの光景-幻想を見る、なんとはなしにあのシーンが思い出された。そしてこんなことを考えていた。これなのかもしれない。真夏の夜にゆらゆらと動く光と人々の熱気。極寒の山中で生死の境をさまよっている時に見たのはこの祭りなのかもしれない。
ホテルに帰ると4階にある自動販売機コーナーにいってしこたま水分を補給した。ふと見ると「宿泊客用休憩室」とか張り紙がしてある部屋がある。覗いてみればそこから通りの竿燈が見える。とはいっても二つある窓はすでに他の人に占領されていたから、私はちらちらとみただけだったが。見えたのは竿燈よりも、同じようにビルの中から、あるいは屋上から竿燈を見ている人たちである。その部屋では涼しい、空いている中で見物できるのだが、どうもTVを通して見ているような気がする。さっき感じたような「夏祭り」という感慨はわいてこない。私はそこを早々に引き上げた。
部屋に戻りしばらくぼーっとしていた。するとどこからか先ほどの笛と太鼓の音が聞こえる。ふと窓の外をみれば、表通りでの竿燈が一通り終わったらしく、裏通り(私の部屋から見えるのは裏通りだけだ)に竿燈が進んでくる。これで片づけるのだろうか、と思ったらやおら竿燈を立て始めた。あとでパンフレットをみれば「ふれあい竿燈」なる企画がある。なるほど、これは確かにふれあいだ。しかし今度こそ倒れたら偉い騒ぎだとちょっと心配にもなる。しかしそんなことにはならず、しばらくしてまた彼と彼女たちは去っていった。
翌日秋田から東京に向かう新幹線の中で考えた。今回の旅行に出てくるにあたり、デジカメをもってくるつもりだったがすっかり忘れてしまった。最初はしまったと思ったが、祭りの通りでやたらと売っている使い捨てカメラを買う気にもならなかった。
私がどう写真をとったところで、もらったパンフレット以上の写真がとれるとは思えない。しかし今日こうしてパンフレットを見るとあの目の当たりにした光景、その雰囲気とはやはり違いがあるように思える。不思議なもので、自分で写真をとってその写真を目にすると、自分が目でみた光景がその写真に写っている光景に置き換わってしまう。となれば今回カメラを持っていかなかったのは正解だったのかもしれない。
しかし人間の記憶というのは自分で自覚している以上にあやふやで消えやすいものだ。だからその記憶がなくなるまえに文章で書いてみることにした。
追記:この旅で出会った祭りに感動した私は翌年も東北の夏祭りを見に行くことになる。その顛末は「東北の夏祭り-一年後」参照のこと