日付:2001/3/26
X4章:Detroit Rock City日本を出たのは2月の10日ではなかったかと思う。CAD man(製図のExpertの事をこれからこう呼ぼう)はこの話があるまで一度も海外に行ったことがなく、パスポートをとるところから始めた。アメリカ行きを言い渡されたのは私が黒板に穴を開けていた頃。そんな急な話で間に合うのかと思うだろうがそこが大企業の強み。なんだか業務上どうしても必要だとかなんとか一筆書くとパスポート取得のプロセスが加速されるのだそうである。
さて、そんな彼も含めてヒラは4人である。その他上司も何人か同行していたはずだがあまり覚えていない。名古屋をでてシカゴかどこかを経由しDetroitに向かう。途中研究Expertが鞄の中にいれていた何かがX線検査のたびにひっかかり、その度に荷物を開けていたがそれが何であったのかはよく覚えていない。
ヒラのもう一人は設計男である。彼はそれ以前から米国関係の仕事を担当しており或程度英語もしゃべれるし、飛行機での出張も慣れた物だ。それどころか最近行った回数から言うと私よりも彼の方が慣れていることになるのである。であるから一行は彼が先頭を切り、そのあとを3人がついていく、といった形で進んでいく。
長い長い旅の後Detroit 空港に到着だ。外は無彩色の世界。つまり灰色と白と黒である。ちょっと外にでるとこれが大変寒い。なるほど噂通りだ。これからどれだけか定かでない期間、ここで暮らせといわれるわけか。重い荷物を抱え寒気にさらされながら無彩色の風景を見つめる。私は苦虫などかんだことはないし、そもそも苦虫とは何か知らないのだが、この時の自分が「苦虫をかみつぶしたような顔」をしていたことだけは確かである。
2台の車に分乗するとホテルに向かう。このホテルの場所については設計男が知っていたし私は営業のH氏から絵に描いて教わっていた。慣れない都市での運転というのはいつもやっかいである。私は土地勘があるであろう設計男の車にひたすらついていく。そのうち絵に描いて教えてもらったようなホテルが見えてくる。しかし設計男は降りる口を間違えた。少しぐるっとまわるとなんとかホテルに着く。チェックインをすると自分の部屋にいき、荷物をほどいて一段落となるはずなのだが。
今回荷物づくりをするにあたって私は一つ馬鹿な事をしていた。いつも持ち歩いているジュラルミン製の鞄がある。その昔腰巻き小物入れで最初に渡米したときに買ったもので、やたらと重いが頑丈なので重宝している。どう重宝するかと言えば、東京出張に行った帰り、指定券がとれずすわれなかった時に椅子代わりになるのである。皮の鞄ではこんなことはできまい。とはいっても飛行機の中で立っていることもないから今回そのメリットは生かされないのだが、鞄はこれしかもっていないからしょうがない。
さて、機内に持ち込む荷物は一つ。この鞄を持ち込んでもいいのだが、まあ軽い方がよかろう、ということでデイパックにした。私が愛しておりどこにでも持っていくPower Bookももちろん持っていかなければならない。これがなければ仕事はおろか、他人と会話(もちろんメールでだが)もできない。ここまでは問題ない。しかし次にやったことは大いに問題であった。ノートパソコンは手で運ぶ荷物にいれなければならない、というのはよく知っていた「鉄則」であったにもかかわらず私はそのノートパソコンをジュラルミン製の鞄にいれ、そして鞄をスーツケースにいれ、カウンターで「はい、よろしく」と預けたのである。
長い長い飛行中、あれこれの雑念にまじって、この懸念は消えていない。なぜおれはあんなことをしたのか。いや、まあしょうがない。あのジュラルミンケースは頑丈だからきっと中のものも大丈夫だよ。さて、DetroitについてみればBaggage claimでスーツケースはごとんごとんとぶつかりながら落ちてくる。その度に私の不安は再燃する。そりゃたしかにジュラルミン製の鞄にいれてあるとはいえ、あれで大丈夫なのだろうか。その疑問が氷解するときはとうとうやってきた。ホテルの部屋にはいりベッドの上にスーツケースを置き、ばこんと開ける。その中のジュラルミン製の鞄を開ける。
一見したところ異常はないようだ。しかし蓋を開けた瞬間私はため息をついた。液晶には見事にひびがはいっていたからだ。
後悔先に立たず、覆水は盆に戻らず、こぼれたミルクはコップにもどらずそして割れた液晶はなんともならない。なぜわざわざ私はPower Bookをデイパックにいれず、スーツケースにいれてしまったのだろう。考えたところで答えはでない。唯一私に思い浮かぶのは
「ストレスのあまり馬鹿な事をした」
くらいである。もっとまともな理由が思いついたとこで状況が改善されるわけではない。
しょうがない。液晶は完全に割れてしまったわけではないから、苦心しながらNiftyにつなぐことを考える。フォントを最大にするとなんとか文字が読めることが解る。当時Niftyserveが提携していたCompueserve経由でやればなんとか接続できるはずだ、、とあれこれ試行錯誤を繰り返す。この手順だけは一応渡米前に調べて置いたのである。しばしの格闘の末なんとかメールが読めるようになった。渡米の前にいっしょにふぐを食べてくれた女性達からさっそくメールが来ている。それを読んで少し気が楽になった。
この日は他にやることがない。夕方になったご飯でも食べに行こう、ということになったのではなかろうか。何を食べたのかは覚えていないが食後にどこに行ったかは覚えている。ストリップである。
正直な事を言えば風俗関係の店というのはどうにも苦手だ。小難しい理屈も何もなくいつも行った後にあほらしくなる。それがどのような行為であっても、相手の背後に燃え上がる
「勤労意欲」
が見えてしまうと、「ああ。労働って神聖なものね」という気持ちが先に立ってしまい、色気も何もあったものではない。しかしそんな気持ちになると場合によっては相手に余計な労働を課すことになり、そう思うとますます申し訳なく、、、といってくだらないアリジゴクに落ちて行くわけだ。かくして帰ったときはなんだか虚無感とともに「なんなんだこれは」と思う。
とはいっても一応男性に生まれついたわけであるから人生経験ということで行って見ようとも思うし、アメリカについていきなり
「俺は個人行動で」
というわけにも行かない。そりゃ基本的に私はわがままな男なのだがなんといっても私は「団体行動」を重んじる会社の人間と来ているのだ。おうちに帰るまでが遠足です。というわけで素直についていく。みんなでレンタカーから降りるととても寒い。いくばくかの金を払い中に入るとステージがあり、お姉さん達が上半身すっぽんぽんで踊っている。
私はそのお姉さん達を感心しながら見ている。何が感心するといって、とりあえず見事なスタイルをしているからだ。とはいってもそれは桜の花をめでるようなもので、特に色気とは関係ない。一人日本人好みのかわいい感じのお姉さんがいることに気がつく。彼女はあまり動き回ったりせずにじっと立っている。ジョーに言わせると
「彼女はちょっとNervousだ。新人なんじゃないかな」
なのだそうだが可愛いことには変わりはない。そんなことを考えているとお姉さんが一人私の前に来て
"Do you wanna dance ?"
と聞いた。私は"Dacneって何?"と聞いた。彼女は何か答えたのだろうが私には理解できなかった。しょうがないから"こうやって見ているだけでいいよ"と言った。彼女はしょうがないわね、という顔をしてあっちに行った。
そのうち帰納的に理解したところから見ると、このDanceというのを頼むと、お姉さんが自分の前すれすれで踊ってくれるのである。もちろんタッチは無しだ。おまけに$10くらいチップとして渡さなくてはならない。さっきのお姉さんが言った中で理解できた言葉に
"This is for you and also for me"
とかいうのがあった。なるほど。これも彼女たちにとっては収入を得るための大切な手段というわけか。
理屈が解れば拒むのも野暮な話である。その後はお姉さんが来るたびに無条件で$10出した。しかし本当の事を言えば、こうやって目の前で踊っていようが、ステージの上で踊っていようがこちらとしては同じ事である。おまけに彼女からは
「はい、この踊りで$10よーん。さっさとチップをよこしなさい。おうちでは子供がお腹を空かして待ってるんだから」
という勤労意欲が発散されているからますます色気などは引っ込んでいく。
周りを見ればみなは結構ご機嫌だ。ジョーや、ロスから来た総務関係の担当、ギルちゃんも(この男は「ちゃん」を付けたくなるような男である)ぎゃーぎゃー騒いでいる。彼らと以前から面識がある設計男に言わせると
「二人とも奥さんをロスに残してきて、ここで羽を伸ばして居るんだ」
なのだそうだが。
さて、私の方としては「見るべき程のものは見つ」といった心境だ。綺麗なお姉さん達も堪能したし、ご飯もいやというほど食べたし、そろそろ帰って寝たい。綺麗なお姉さんも好きだが私は睡眠の方をより愛しているのだ。しかし米国人コンビは肉食人種のパワーで騒ぎまくっている。先ほど聞いた彼らの事情を思えば「帰ろう」などとは言えない。顔をアルカイックスマイルの状態で固定すると目を開いたまま睡眠にはいる。それでも目の前に
"Do you wanna dance ?"
が来れば$10払うことは忘れない。設計男はここに来る前に東南アジアのどっかにいったらしく、その紙幣をチップとしてお姉さん達の下着につっこんでいる。お姉さん達が
「このお金使えるの?」
と相談しているのこと。私が払うのはピンピンの米$だから安心だよ。だからあまり前にこないでね。
深夜にいたりようやくその場から開放された。ああ。ようやく眠ることができる。
翌日は根拠地とすべき事務所とアパート探しである。営業のH氏とギルがつきあってくれる。つきあってくれる、というか我々は彼らにくっついて移動している、といった方が正しいかもしれない。特にH氏はのりのりである。これにはちゃんと理由がある。
○○重工のカーエアコンビジネスは基本的に○○自動車相手ばかであったことは前述した。しかしH氏はそうした状況に決して満足はしていなかったのである。○○自動車の相手はもううんざりだ。新しい客先を開拓したい、という営業の鏡のような意欲に燃えていた。
そこに今回の話しである。それまでもGM相手に一部の部品は売っていたのだが、今回はそれとは比べ物にならないくらいの規模のチャンスだ。彼が燃える物当然のこと。事務所を借りて、そこに絵をかざりましょう。今はこの事務所だけど、正式に受注がとれたらあそこの高いビルにオフィスを構えましょう。きっと眺めがいいですよ。いや僕こういう雑務が大好きなんですよ、とかあれこれ言っている。
対するにこちらとしてはあまり前向きになる理由はない。私はこの凍てつく大地が一分、一秒ごとに嫌いになってきている。カーエアコンなどにはもともと何の愛情も抱いていない。しかしこれが給料を得るための手段であれば、エアコン君とも仲良くしようではないかと自分に言い聞かせているのだが、この話がどこかに消えてしまい、今年の夏は日本ですごせればそれに勝ることはないと心のどこかで考えている。出発直前に最初の事業所の友達に出したメールにはこう書いてある。
「今まで色々でたらめなアサイメントをこなしてきたが、今回のは特大版だ。
人生唯一の楽しみのバンドもできなくなるし。。
I shall let them pay for it.」
そんな私の意図は別として事務所探しにアパート探しは続く。最初に言った貸事務所は平屋であり、なんだかぼろっちいところだった。その日のうちに行ったのかどうか覚えていないが、最終的に決まったのはそことは違う事務所である。米国によくある外から見ると黒くみえるようなガラスに囲まれたビルのとあるフロア。部屋がいくつかあり、そこを各社に切り売りしている。荷物を受け取ったり送ったりとあれこれの事務はそこの専属お姉さん達がやってくれる、という寸法だ。特筆すべきはそこにいる女性の愛想の良さと色っぽさである。特に一番若いお姉ちゃん(顔は覚えているのだが、名前は忘れてしまった)は日本からきた誰もが
「あの女の子かわいいな」
というような微分係数の変動が大きいボディラインをしている。もっとも一番愛想がいいのはもっと年輩の女性なのだが、その彼女たちにしても美人であることには変わりはない。そして目が合うと絶妙なタイミングでウィンクをする。
大抵のアジア人の男性にとって、女性からウィンクをされる機会というのはそう多くはないと思う。それが美人の白人相手であればなおさらだ。それが彼女たちの商売上のものである、と理性でわかっていても動悸を押さえることができるようになるまでには数ヶ月の期間が必要であった。
さて、アパートの方は一発で決まった。月に$1000ちょっと払うと、それで全部OKである。ホテルよりもずっと安いし、TV、ビデオ、洗濯機に乾燥機などの設備は全部ついている。後で気がつけばここは少し職場まで遠いのだが、まあ気にはならない。しばらくのホテル住まいが終わった後はここに住むことになる。
その日の晩飯は韓国焼き肉屋である。私は韓国焼き肉屋を結構愛している。本当のことを言えばその愛は肉よりは、ビビンバとつけあわせの辛い漬け物シリーズに向いている。しかしみんな異常にたくさん食べる。焼き肉を野菜に巻いて、ミソをつけてたべると確かにおいしい。おいしいのだが、量が多すぎることに違いはない。こんな生活を続けていたら体は一月もたたないうちに爆発してしまうだろう。しかし今は耐えるしかない。思えば腰巻き小物入れで初めて渡米したころは強制もされないのによく食べていたなぁ。若かったからあれに耐えられたのだろうか。しかし一月後私の体型は見事に変貌していたことも確かだったのだが。
その後何人かはストリップに行った。昨日行ったのはDetroitのストリップ。今日行くのはカナダのストリップなのだそうである。私も来るまでしらなかったのだが、Detroitというのは米国とカナダの国境の町でもあり、トンネルをくぐればそこはウィンザーというカナダの街。そこにでは米国と法律が異なり、お姉さんが下まですっぽんぽんで踊ってくれるとのこと。
しかし私にしてみればそれがどうした、というところである。その日は失礼して早めに寝ることにした。翌日は2月13日。いよいよGM様とのミーティングである。