題名:何故英語をしゃべらざるを得なくなったか

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日付:2001/11/11


X6章:GM出勤-again and real
「どーんとGMに来ました。最初にミーティングでデーブルーサーが相手をしてくれたけど。でもってあとはマイクに面倒をみてもらいました。一日英語をしゃべっていたら死にそうになった。本当に死にそうになった。この調子では1週間いきられないと思った。」1997/2/18

人の記憶というものは本当にあやふやだ。今度こそ本当にGMに初出勤。そうした印象の強い日のはずなのにこの日記に書いてあることの半分しか覚えていない。だから覚えていない残りの半分は推定に頼って書いてみる。

おそらく我々4人はどうにかこうにかTech Centerと呼ばれる建物にたどり着いたのだろう。受付で名前だのなんだのを書くと、扉を開けてもらえて中に入れる仕組みなのだが、初日だからGMの人間が迎えに来てくれたのではなかろうか。

そこで現れただろうデーブルーサーというのは、Power Train Cooling、すなわちエンジン等を冷却するラジエーター関係の担当者である。髭を生やしており、結構つっけんどんなところもあるのだがなかなかいいおっさんだ。彼に案内されてだろうか、ある会議室に向かう。角を曲がり、次の角を曲がり、部屋の中を通り。それはまるで迷路の中をさまよっているかのようだ。そしていつまでたっても目的地に着かない。初日の緊張感もあって我々は固い表情をし、ひたすら遅れないようについていくのだが、しかし我々はどこに向かっているのか。帰り道は解るのか。

とにかくそのうち大きな会議室に通される。10人弱の人間が座っており、何かの会議のようだ。とはいっても内容はさっぱり覚えていない。同じ会議室である重要な事を聞かされることになるのだが、それがこの日であったか別の日であったか定かでないから別に記述することとしよう。

とにかく会議は終わるとまた広い広い建物の中をくねくねと歩き続ける。2階にあがると沢山のCAD端末が置かれた設計室のような場所に通される。しかしこの暗さはどうしたことか。真昼間だというのにまるで照明のない穴蔵のようだ。人はたくさんいるようだが、目が慣れるまで様子が分からない。こんなところでどうやって仕事をするというのか。驚いていると私はある男に紹介された。なかなかハンサムなAfrican Americanであるところの彼はマイク・ラタニーという。

最初の打ち合わせ、及びこの日の会話を通じて少しずつ解ってきたことであるが、どうやらGMでは技術者を二つのカテゴリーに大別しているらしい。Engineer とDesignerである。日本ではこうした区別は聞いたことがなかったし、実際意識することもないのだが、ここでは或程度の分担が分かれている。すなわちDesignerというのは実際に図面を引き形状を作っていく人。Engineerとはどちらかと言えば解析よりの仕事をしたり、他の担当との調整をしたりする人たち。そしてこのマイクはDesignerチームのManagerなのであった。(デーブルーサーはEngineer)

最初のミーティングで話にもでたが我々はGM内にCAD端末を与えられ、そこで作業ができることになっていた。少なくとも購買部門の人間からはそう聞いていたわけだ。ところが大企業の常なのだが、肝心のDesigner部門では

「それ、なんのことっすかー?」

という状況であるらしい。つまりとにかく我々の端末はどうしよう、というところから始まるわけだ。

さて、一旦そこを去ると、今度は我々が住むべき部屋に案内される。試験エリアに隣接したこじんまりとした部屋で、ここに4人住めという。我々はなんとも思わなかったが本来ここは二人で使用する部屋で、しかも我々に割り当てられたのはそのうちの一人分のスペースであった。こういう時にウサギ小屋に住む日本人は実にたのもしい。文句を感じる閑もなく我々はあれこれの書類を並べたりしだす。

さて、私だけは再びマイクの元に戻る。CAD端末準備のお話だ。などとさらっと書いているが、私はここにくるまで数年間ほとんど英語を使わない生活をおくっていたのだ。日本語でもやっかいな交渉を英語でやる、というのは私にとって楽なものでもうれしい物でも無いことだけは確かである。しかし選択の余地はない。カーエアコンがどうやって動くか何一つ知らない私がなぜここにいるかと言えば、その英語力(あるはずの)故なのだ。

さてマイクと話し始めると先日のミーティングで出たのと同じ話が蒸し返される。すなわち我々が-設計男がと読み替えてもよいが-使っていたCADプログラムとGMが使っているそれとは違っているという事実だ。マイクの持論によれば

「ちょこちょこっと使っただけで、GMのプログラムが使えるようになるとは到底思えない。今までの経験からしてThat will never happenだ。だからあんたたちが慣れ親しんだプログラムをレンタルしたらどうだ」

とのことである。

私はそういうものかと思う。ではレンタルってどうやるんだ、と私は聞く。するとマイクはおもむろにイエローページを取り出し「俺はいつもここからスタートするんだ」とか言い放つ。例えば日本の会社であればいつも端末をレンタルとか購入している会社に電話をするところだが、GMにはそうした文化がないらしい。というか今から考えればそうしたことを扱う専門の部署が厳然と存在しており、設計者が自ら見積もりをとったりとかいうことはしなくてもいい、ということではないのだろうか。やがて彼はある電話番号に向かって話し始める。

そうこうしているうちに彼はスピーカーフォンに切り替えた。そして細かい質問はお前がやれ、などという。こちらはこの前電話でパソコン屋の場所を聞くのに苦労したあげく地図を買わなければならなかった身の上だ。しかし今はそんなことは言っていられない。何をしゃべったか覚えていないがとにかくしゃべる。

では、相手の所に行って実際に見てみよう、ということになった。マイクの車に一同乗り込むとぶろろろろんとドライブである。途中あれこれの話をする。New Yorkの交通事情はひどいね、という話をすると彼がいきなり目を見開き、ハンドルに体を寄せてきょろきょろし出した。彼曰く。

「New Yorkについて、最初は他の車の運転のAggressiveさに驚いた。しかしそのうち事故を避けるにはこれしかない、と同じくらいAgressiveに運転しだした」

彼はここまで冗談の一つも言わなかった男なのだが、その仕草はまるでエディ・マーフィーを見ているようである。言葉がわからなかったであろう他のメンバーも笑っている。

さて、目的とする店に着く。あれこれ聞いた後に、では使ってみるかということになる。さっそくCAD manに使ってみろというが、どうも調子がでないようだ。どうした?と聞いてみれば

「メニューが英語だ」

ということである。

私がMacintoshを使いはじめたころは、日本語のアプリケーションがあることのほうが珍しく、英語のメニューというのはまあデフォルトであったのだが、確かに昨今状況は変わっているようだ。私が相手にその旨を伝えると相手は簡単に

「いや、日本語版もあるよ」

と言った。そしてかちゃかちゃやっている。

私は半信半疑である。何かの間違いでここにアプリケーションの日本語版があるとしても、ベースとなるWindowsから日本語にしなくてはなないはずなのだが。しかしもし彼らの言葉が正しければ問題が解決するのでほっとした気分になる。その間もマイクは相手の会社の人間となにやら話している。そのうち相手が「どこの大学をでてるんだ?」と聞いた。するとマイクは

University of Michigan

と答えた。未だにその誇らしげな口調は印象に残っている。彼は多くのことをぺらぺらしゃべる男ではない。それだけにその3語に込められた彼の気持ちというのはこちらにも伝わってくる。ここに来るまでに

「俺は走り高跳びで何フィート何インチを跳んだんだ」

と自慢げに言う。しかし私にはその何フィート何インチがはたして高いのか低いのかわからないのである。しょうがないから、University of Michiganと言えばFootballが有名だねというと彼はただ

「そうだね」

といった。そのそっけない答えにどういう意味があるのかその日の私には解らなかったし、今でも解らない。University of MichiganはFootballだけでなく学業の方でも全米でトップクラスの大学だ。その片方だけを褒められたのがうれしくなかったのか、あるいは私が勝手にFootball好きと思っている米国人にも色々な人がいる、ということなのか。

この後者の命題はいまこうして字にしてみればあまりにもあたりまえのことのように思えるのだが、人間はとかく知らない物ほど、その内なる多様性を無視したレッテルを貼りたがるものなのである。曰く米国人は陽気だ。曰く米国は実力社会だ。ところでそういうあんたの言う米国人って誰のこと。実力ってなんのこと。

 

などと書いているが当時の私にそんなことを考えている余裕などもちろんない。なんとかさびついた英語力をたたき起こし、初対面の相手との話題をさぐりながらぼんやり待っているわけだ。そうして待つこと何分か。結局日本語版のセットアップにはまだ時間がかかるとのこと。我々は一旦GMに戻ることとした。思えば午後の2−3時頃であっただろうか。考えてみればマイクは朝から我々につきあいっぱなしである。私は帰り道こういった。

「多分ここにはもう一度こなくちゃならないだろうけど、今度は俺達だけで来るよ。あんたもあれこれ忙しいだろう。なんとかなると思うんだ」

するとマイクはこういった

「いや、大丈夫だ。今度来るときも一緒に来るよ。もし立場が逆だったらそうするだろう?」

朝からマイクは何度か「我々はチームだ」と繰り返し言っていた。私はGM初日にとにかく頼りになりそうな人間に巡り会ったことに感謝した。

 

さて、GMに戻るとRickのところに行く。彼は我々が毎日入門申請のような事をするのは面倒だろう、という。なんでもSecurityにVisitorの入門証のようなものがあるはずだからもらっておいで、という。我々はマイクの先導でまた広い広い建物の中をぞろぞろと歩いていく。ようやくたどり着いた先ではSecurityのおばちゃんがおり、マイクがなにやら話している。しばしの後に出た結論というのが

「そんな入門証はない」

という事実だ。我々はまたRickの部屋に戻る。私が「そんなものはないってさ」と言うとRickは机に頭を打ち付けた。

さて、それが終わると彼と少し話す。例によって相手が何を言っているのかよくわからない。これは今こうして振り返って言えることだが、このCooperative SourceというのはGMにとっては新しい-彼個人にとってみれば初めての-試みであり、つまるところ我々にどこまで設計作業に関わらせればいいのか、何をすればいいのか彼自身解っていなかったのではないかと思う。よどみなく彼は何かをしゃべり続けるのだが、仮に彼が日本語でしゃべっていたとしても何をしゃべっているのか理解できなかったと思う。いや、恐らく

「こいつは何を言えばいいのか解っていない」

ことが解っていたのではないか。

しかしそれは今だからこそ言えること。何を言っているかさっぱりわからない相手でもとにかくなんとか話をしなくてはならない。その場で思いついた内容に従い、ではこんなところから作業をはじめてみるよ、と言うと彼はそうしてくれ、と言った。

ああ、これでとにかく今日できることはお終いだ。部屋に戻るとその日の報告書をまとめる。日本人のメンバー全員にそれを読み聞かせ終わると私は間髪を入れず

「帰ります」

と言った。これで、これでようやくこのTech Centerからでることができる。

 

その時私は一つの事だけを考えていた。今日一日だけで神経は疲労し、頭は爆発しそうだ。こんな生活が一週間続いたら間違いなく俺は死んでしまうぞ、間違いなく一週間で俺は死んでしまうぞ、と。

 

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注釈