題名:何故英語をしゃべらざるを得なくなったか

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日付:1998/5/22


2章:最初の二つの英語教室

 さて最初の英語のクラスの前、私は少なからず緊張していた。

先生はどう考えても「日本人」ではないのである。何人か知らないが英語をしゃべる方が日本語をしゃべるよりも遙かに得意であることだけは間違いない。そして私はこの時点まで日本人以外の人と英語で会話した経験がほとんどなかった。(脳天気な卒業旅行を別としては)

教室にAクラス(私がはいったクラスはこういう名前だったのである)の数人が待っていると、英語のInstructorがはいってきた。一瞬教室内に緊張が走る。誰もがこう考えているのだ。

「はたして彼が発する言葉を理解することができるだろうか?」

次に教室内に響きわたったのは彼の次の言葉だった。

チョット ツクエヲ ウゴカシマショウカ」

どっと力が抜けた我々はわらわらと机を動かし出した。

さてこの英語の教室がどの程度私の役にたったのか定かではない。しかし英語力の向上云々以外にいくつか興味深いエピソードが頭に残っている。

まず最初は(これはどの英語のクラスでもそうだと思うが)自己紹介である。例によって例のごとくこれはたいていの場合全くおもしろくない。しかしInstructorの自己紹介はおもしろかった。

彼が何人であるか正確に覚えていない。しかし彼は徴兵のある国(実は徴兵制度がない国のほうが少ないように思えるのだが)の出身で、実戦の経験もあるのである。そして彼はこういった

"You don't know what war is. I know what war is"

この言葉には我々は素直に耳を傾けるしかないのである。

もう一つ彼が紹介してくれたエピソードは日本語の「敬語」に関するものであった。

彼が日本語を習って、しばらくたったころ、高級な飲み屋に行ったときに、相手のママさんはこう聞いたのだそうだ。

「どちらからいらっしゃいましたか?」

「どこから来ましたか?」といった通常の言葉での日本語教育しか受けていなかった彼が「?」となったのは言うまでもないことである。実際日本語の「敬語」というのは、日本語をマスターしようとする外国人にとって悪夢のようなものであろう。

などという自己紹介が一通り終わると、しゅくしゅくと英語教室は進んでいくのである。このクラスの最初には必ず

Goro Otsubo, How are you ?

Fine, Thank you , and you ?

というおきまりの挨拶を先生と全員が交わすのである。このFine thank you , and you という定型文書はあまりにもたくさん繰り返されたため、私は最後にはこの言葉に対してアレルギーを示すようになってしまった。(このアレルギーはまだ尾を引いていて、How are you と言われると、何故かFine, fine fineと3度繰り返し、and youを絶対つけない変な癖ができてしまった)

このクラスでは、テキストも使うが(正直言ってどんなテキストだったがかけらも覚えていないが)いくつか題を与えられて、各人がそれに対する自分の考えを英語でしゃべる、という形のレッスンも結構あった。こういう自由課題があると、各人の性格とかが結構現れて、特に入社間もない新入社員同士での親交を深めるのに役立ったのかもしれない。

記憶に残る傑作なスピーチもあったのだが、どちらかというと内輪受けのたわいもないものだったので、あっさり省略しよう。この講義が終わった後にTOEICを受けたわけでもないので、どの程度英語力向上に効果があったのかはわからない。しかし多分次の英語教室では相手がNative Speaker of Englishだからと言ってあわてなくてもすむことになるだろう。

 

さてその「次の英語教室」にかよう機会はほぼ1年後にやってきた。(ということは、その後1年は英語に関して何もやっていなかったということである)

 

話はそれるが、私は会社にはいってから「男数十人に女一人」という比率の職場に面食らっていた(学生時代はもっとひどかったのであるが)その反動があったのかどうかしらないが、私の一年上の先輩に彼女がいる、と聞いたとき「どこで見つけたんですか?」とまじめに不思議そうに聞いたのである。すると先輩は「会社から補助が出るYMCAの英語教室があって、そこで知り合ったんだ」と答えた。実際この先輩はこのエピソードにより、私が所属した部で伝説の人となっていたのである。

なんと。世の中にはそんなおいしい話もあるのか。英語の勉強ができる。会社から補助がでる。しかも(会社ではあまり出会いのチャンスの多くない)女性とお知り合いになることができ、うまくいけば彼女ができるかもしれない。

この英語教室は2年目から申し込むことができるのである。そして、私は1年目の終わりに「へへへっへへ」と申し込んでおいた。

しかしながら世の中大抵の場合思った通りには行かないのである。私が入社してちょうど一年たった1986年の4月の1日。会社に行って朝のグループ朝礼にでたら、上司が「大坪さん。課長から何か聞いていませんか」と言った。

何のことだ?と思って「へっつ?」と言う間もなく、私はいきなり隣の隣のグループに配置換えになったのである。

ここでその時の悲惨な状況を思い出して、"My miserable life contest"を始めるつもりはない。しかし実質的な被害というのも見逃すことができないものがあった。

この当時は2週間出張して、2週間会社に戻り、たまった膨大な仕事をこなすというサイクルの繰り返しだったのである。そしてこういう生活をしていると、毎週水曜日にYMCAに行くなんてことは夢のまた夢となるのである。

最初の頃は、まだ周りはとても忙しそうだが、私は週に一度はYMCAに行くことができた。そうはいっても当時はまだ純真だった私は「周りがこんなに忙しそうにしているのに、帰っていいだろうか」と思い、机の上に「今日はYMCAに行きます」という置き手紙をして逃げるように行くことにしたのである。

さてその英会話学校であるが、、、正直言って2-3回しか行っていないのではないかと思う。

Instructorは二人いた。一人は全くどういう人だったか覚えていない。ただしこのInstructorの英語はなんとか理解できたのである。もう一人いたほうが難物であった。

彼女は大変ふくよかな体型の女性で、、、何を言っているのかさっぱり理解できなかった。彼女の英語が早口なせいか、なまっていたせいか、それとも単に発音が明瞭でなかったせいか。当時の私はそんなことを区別できるほどListeningができたわけではなかったのである。

さてこの「何を言っているかわからないInstructor」の講義で、例によって、何か題を与えられて、各人が自由にしゃべる機会があった。その時の題は"About my job"だったように記憶している。

当時私は息も絶え絶えの状態で「私はこんなところで何をやっているんだろう」を口癖にしていた。もともとおれは航空宇宙関係の仕事がやりたいといってこの会社にはいったはずだ。なのにどうして、富士の裾野でやたら壊れるトラックと格闘してるんだ?

私が述べた事は概略以下の通りであった。

「私は仕事の選択にあたって間違いをおかした。私は間違っていた。しかし何故間違ったかという理由を知る必要がある。そうでないとまた同じ間違いをすることになる」

このスピーチに対し、くだんのInstructorはとても親身に(少なくとも彼女の表情はそうだった)コメントを述べてくれた。しかしながら、誠に遺憾なことに何を言っているか全くわからなかったのである。

このとき同じクラスにいて、後に私より一年前に留学することになる先輩は「自分はこんなすごいことをしているんだ」と得意げにしゃべった。私の同期のある男は、「おれはこんな仕事したくねえんだ」と彼が常々日本語で言っているのと同じ内容の事をしゃべった。次にしゃべったのはある会社のHigh Positionにいる50歳前後の男性である。彼はあきらかに直前にしゃべった私の同期に向かってこういった。

「会社に自分の希望と違う仕事をアサインされているからと言って、むくれてはいけない。そういった時にどういう態度をとるか、会社のほうは注意深く見ているんだよ」

当時の私は「何言ってやんでぃ」と思っていた。しかし今から考えれば、確かにこの男性が言ったようなこともあるようである。しかし、会社側が「この男には彼が望んでいるのとは違う仕事をアサインしている」という自覚がないと、単に「その男」の胃に穴があいておしまいになることも経験したが。(その場合、「いやー。仕事をやりすぎちゃいかんぞ」と言われておしまいになるだろう)

 

もう一つのお目当てであった、「女性の知り合いを増やすこと」はどうであったか?2-3回しか出席していないのだからできるわけがない、ってのは言い訳である。最初の授業の後に懇親会と称して、近くの飲み屋かなんかに行ったことを覚えている。しかしながら(これまた当然のことながら)「胸がときめく出会い」なんてのは滅多にないのである。

さらにもう一つおまけもついていた。最初たてた「英語の勉強ができる。女の子の知り合いができる。会社から補助が出る」の二つはすでに消えている。そして最後の「会社からの補助」については当然のことながら条件が付いていたのである。

「全ての授業の70%(?)以上に出席した場合、受講料の半額を会社が補助」というのがそれである。そして2-3回出席しただけで、全ての授業の70%になるとすれば、全体は3ー4回のコースでなくてはいけなくなる。正確に何回のコースだったか覚えていないが、それより回数が多かったことだけは確かだ。よくよく考えてみれば、会社の都合の「出張」で出席できなかったのだから、そのことを考慮してくれても良いはずだ、、、なんていう言い訳が通用しないことは会社で働いた経験のある方ならわかっていただけるだろう。

というわけで、私は金を数万円(正確な値は覚えていない)をYMCAに寄贈した形となった。そして当たり前の話だが、英語の能力向上には何の役にもたたなかったのである。

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注釈

 Instructor:私は「先生」(トピック一覧参照)という言葉をやたら使うのが好きではない。不思議なことだが「先生」という言葉は本来持つべき意味をはるかに越えた「意味」を持っているように思える。「特定分野について教育する能力を持った人」のはずが、「偉い人」という意味まで含んでいるように使われている。またそう呼ばれた相手が「本当に自分は多くの面に於いて偉いのではないか」と思い始めるのがもっと問題である。本文に戻る

 

チョット:昔not a native speaker of Japaneseはいつもカタカナでしゃべっていた。最近の漫画を見るとこの傾向がすたれたようである。実際カタカナばかりの文章はとても読みにくい。最近はふきだしのなかの行が縦になっていると日本語で、横になっていると日本語以外、ということを表しているように思える。本文に戻る

 

徴兵制度がない国のほうが少ない:日本と米国、あとはどこだ?という感じである。Stanfordで私のルームメートだったフランス人は、兵役の代わりに、米国内のフランス政府の機関でしばらくただ働き(に近いもの)をする道を選んでいたが。

-と書いていたのだが、読者の方からご指摘をいただいた。NATO加盟国について見ると、96年段階で16カ国中10カ国で徴兵制が採用されていたとのこと。また冷戦の終結とともに徴兵制度をもつ国は減少する傾向にあるとのこと。認識を改める必要があるようだ。

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外国人にとって悪夢のようなもの:戦後マレーの虎と呼ばれた山下将軍を尋問した米国士官の手記に以下のような一文があった。「日本語というのは、それをマスターしようとする外国人を惑わすために作られたような言語である」

もっとも「敬語」でしゃべられると、理解ができなくなるのは外国人ばかりではない。いつかある19歳の女性にプレゼントを贈った際に、非常に大げさな敬語を使った手紙を添えておいた。冒頭の部分は

「残暑も厳しい折いかがお過ごしでしょうか。

お嬢様におかれましてつつがなくお過ごしのようと承り、心からおよろこび申し上げます。」

しばらくたって彼女から電話があり「何かいてあるかわかんない」と言われた。本文に戻る

 

学生時代はもっとひどかった:私がはいった大学は願書出願のときに、すでに「第2外国語の希望」をださなくてはならなかったのである。工学部系統だったので、女性が少ないであろうことは予想していた。そこで「少しでも女性が多い確率が高いのではないか」と思いフランス語を選択する、という愚かなことをやったのである。

確かに女性はいた。もっとも50名近くのクラスに対し2名である(彼女たちはお互い異なるタイプであったが、とても感じのいい人達であったのは幸いであったが)

教養課程が終わり、学部に進学すると状況はさらに悪化した。124名の学科に女性は一人である。しかも彼女は大正何年かに学科が創立されて歴代二人目の女性だったのである。本文に戻る

 

世の中大抵の場合思った通りには行かない:(トピック一覧いいことも悪いこともだいていこうである。うまくいくと思っていると、うまくいかない。うまくいかないだろうと思っていると意外ととうまくいく。(こともある)本文に戻る

 

配置換え:トピック一覧)私はこの時結構ショックを受けていたことを覚えている。しかし(その後の3年は私にとって本当に悲惨なものであったにもかかわらず)今にしてみれば、このときの配置換えは私にとっては+に働くものだったのである。(仮にあの仕事をずっと続けていたら収縮活動はずっと困難だっただろう)そして、この配置転換に伴う上司の態度も、その後の配置転換と比べて言えることだが、思いやりに満ちたものであった。

また私はこの配置転換は結構突然であると思っていた。ところがその後私が経験した配置転換の「突然さ」はこのときの比ではなかったのである。本文に戻る

 

"My miserable life contest":トピック一覧)「私の不幸な生活コンテスト」である。これは米国でMTVだかVH1だかで本当にやっていた企画だ。日本では「不幸自慢」とも言うようだ。とにかく「自分がいかに不幸な目にあっているか」ということを自慢しあうことである。本文に戻る