題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/7/11


石手寺:愛媛県-前編(2003/6/28)

横浜から寝台特急に乗って坂出についた。といっても今の若い人は私が何の歌を下敷きにしているかわかりもしないであろう。そんなことは関係なく特急に乗り換え松山に向かう。駅に降り立つと、いろいろな記憶がよみがえる。前に来たときはMacintoshが故障を起こし、泡食ってインターネット喫茶だか修理屋だかを探す以外何もせずに寝てしまった。勿体ないことをしたものだ。ホテルでふて寝している暇があればバスにのるべきだったのに。

などと考えていてもしょうがない。バス停を探すと石手寺経由どこそこ行きというバスに乗り込む。そのうち雨が降ってきた。それを見ながらぼんやり考える。この石手寺というのは、八十八ケ所の五十一番札所であり、大変由緒正しい場所らしい。しかしそのオフィシャルサイトは異様な気を発散させているし、珍寺大道場で「どこに出しても恥ずかしくない位の立派なマッドな寺」という大変すばらしい評価を得ている場所でもある。であるから今回の目的地に選んだわけだが、でかける直前見つけた別のサイトでは「すごく期待した割にはがっかりスポット」と書いてある。時期的には後者の方が最近であり、ひょっとすると私も「すごく期待してがっかり」となってしまうのかもしれない。ええい、ぐだぐだ言っている場合か、というわけで家を出てきてしまったわけだが、こうやって雨など降り出すとどうにも悲観的になってきてしまう。そうだよなあ。比較的最近行った人ががっかりなんて書いてるんだから本当にがっかりかもしれないなあ。はるばる横浜からここまできて雨は降っているし。

などと悲観的な妄想にとらわれているうちにバス停に着く。傘をさし近づいてみるのだが、入り口からはすでにして妖気が発散されている。龍の上に立った観音様がいるのだが、それくらいは「まあちょっと派手目ね」と思えばいいこと。しかしこいつは何なのだ。

人頭蛙とでも言えばいいのか。気がつけばその横になにやら高床式をもうちょっと縦にのばしたような塔とも建物とつかぬ物があり、そこにはトーテムポールのような怪しげな像がある。

ついでに言えばこの像の裏には猫が昼寝している。(本物の猫である)このときは「わーい猫ちゃんだ。猫ちゃんだ」と喜んでいたのだが、事態がそれほど平穏で無いことを知ったのはその後しばらくのこと。

写真を撮ると回廊のような屋根のあるところを進む。両脇にはお遍路さん向けのあれやこれやを売っているが、餅らしき物以外全く興味はない。餅も一個単位では売っていないようなのでパスしてしまった。

さて、その回廊がつきたところには山門がある。そこを通るとなかなか重々しい外観の三重の塔がある。それ自体はどうってことはないのだが、そこにはたくさんの折り鶴がかけられ「イラク戦争」という看板が大きく掲げられている。

ここのオフィシャルサイトにもあるとおりこの寺は最近非戦を前面に押し出しているらしい。裏手には「アフガン救済資金援助」という看板もある。では9.11あるいバリ島のテロで家族や友人を亡くした人たちへの募金があるかと言えばそれは見つからない。

左手におれて少し進む。するとそこにはこんなものがある。

ペンキがはげかけた像はまあメンテナンスが行き届いていないということでわかるのだがこの門に書かれた絵柄は一体なんであろう。そもそも何故こんなところにおいてあるのだ。外観を構成しているベニヤ板は崩壊しつつあるというのに、捨ててしまおうという気もないように思える。

ううむ。ここまでですでに異様な雰囲気が満ちているが、まだまだのはずだ。本堂近くに戻るとその近くにマントラ洞という看板、それに異様な入り口がある。100円払え、と書いてあるので箱に100円を放り込む。くぐれば門の近くにあったものと似たなにやら変に細長い像がある。

その両脇には怪しげな木彫りの顔もかかっているのだが、気にせず先を急ぐ。「マントラ仏の生命の流れ説明」というわけのわからない案内図があり、そこからは壁に書かれた怪しげな絵も見えるのだが、そちらはとりあえず後回し。変な2本(そう数えたくなる)の像と人形を横目に大仙窟とかかれた洞窟に進む。

洞窟に入ると急に湿度が下がったような気がする。いきなり正面にでてくるのがこんな像だ。

写真を撮ると先に進む。通路中央に地蔵がおり、その間にロープをはり通路を分けている。つまるところ地蔵をポール代わりにしているのだが、ばちなど当たらないのだろうか。地蔵はちゃんと帽子とかかぶっているし。

そのとき遠くの方からなにやら怪しげな声とも物音ともつかぬ音が聞こえてきた。まもなくそれは一組の夫婦の会話が壁面に反射したものとわかった。しかしこの洞窟の中で聞けばそれはあたかも亡者の叫びのようにも聞こえる。そんなことを考えながらしばらく進むとなにやら仏様がいる。

上には網やら豆電球やらが存在している。細い道をしばらく進むとまた少し広くなった場所があり、今度はぴかぴか光ったり電球がついていたりする。

しかし何かがおかしい。壁にたてかけてある板には

「中央の五鈷に触れて仏の智恵を感得下さい」

と書いてあるのに中央の台の上に何もいないではないか。そのうちフラッシュなどの点滅パターンが変化し中央が明るくなる。よく観ると何かがあることがわかる。

これは寺の人間がおいた物なのか、あるいは観光客がいたずらでおいたものなのか。いずれにしても数珠などかけているのは確かである。

その先進むと行き先に明かりが見えてくる。やれうれしや、ようやく出口と思えばそこには巨大な岩が立ちはだかっており、左右の狭い隙間を抜けることになる。外に出て振り返ってみれば岩はもろに洞窟を塞いでいる。何を考えてこんな構造にしたのだろう。

写真を撮ると私は後ろを向く。車道があり一見寺の敷地を出たかのような印象を持つ。しかしまだ道は半ばにも達していないのであった。(続く

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注釈