題名:巡り巡って

五郎の入り口に戻る

日付:2003/7/1


源宗坊寺-源宗寺:広島県(2003/6/28)

松山から船にのって呉についたー。うん。こちらのほうが原曲に近いふしまわし、などとわけのわからないことを言っている場合ではない。松山から呉経由広島行きの船に乗ったのだが、いつ接岸し下船が始まったかわからない状態だったので危うく乗り過ごしてしまうところだった。

船着き場の建物をでると、はて、と思う。ここからどこに行けばいいのだ。インターネット上で見つけたページには「呉駅から宮原経由鍋桟橋行バス約10分清水1丁目下車、徒歩5分」とだけ書いてある。とにかく呉駅に行かねばなるまい、と思いバスの時刻表を観れば30分待ちである。ええい、バスの運行表を見る限り駅も遠くあるまいと思い小雨降る中歩き出す。結果から言えばこの無謀な行動は大当たりであった。駅まで歩いて10分かからなかったのではないかと思う。

でもってそこから目的のバスに乗る。坂を上り始めたところで「清水一丁目」というアナウンスが流れる。バスから降りて途方にくれる。ここからどこに行けというのか。わかっているのは清水3−14,という住所だけ。メジャーなスポットとも思えぬから看板もないだろうし。

しょうがないから本能の赴くまま坂を上り始める。家の表札に出ている住所を観ればなにやら清水町からははずれて行っている様子。停留所に戻り別の方向に歩き出す。今度はなんとなく「清水」という住所が続いている。正解かどうかはわからぬがとりあえず歩き続ける。すると大きなお寺が見える。こういうまともな寺を観るとなんだかほっとする。しかし今日の目的地はまともな寺ではないのだ。しばらくすると道が細くなりこんな看板がある。

ふむ、と思う。今日の目的地に関してもう一つわかっていることは「休山登山道清水通コースの途中にあり」ということ。どうやらこれがその何とかコースの地図らしい。やれありがたや、と思ってはみるが話はそう簡単にはいかない。

この地図ではあたかも横にほぼまっすぐ道が延びていおり、一度左折すればいい、という印象を受ける。しかし実際の道はかなり曲がっている。しかも途中で下り坂になっている。ここまでかなり坂を上ってきているので高度を失うのがとても嫌である。きっとここらへんで曲がるのだと勝手に決めつけ坂を上っていくが道はどんどん細くなり民家の庭で終わる。そんなことを2度くらいやる。足はとても重く、がんこに降り続ける小雨のおかげで傘を手放すわけにはいかない。

そのうちとにかく地図に書いてあるとおりの墓地があるところまで行こうと思う。しばらくして小さな墓の集団が見えてきた。やれうれしや。ここを曲がれば少なくとも目的地に近づくに違いない。そう思って再び坂を上り始める。しかしまだ人家が見える。ということはたぶんあの寺はまだ先にあるということなのだ。

ぜいぜいいいながら坂を上る。あまり大変だから、最近開発した「後ろ向きに歩く」技を試してみるが足の筋肉全般が疲労しており、あまり効果がない。また前向きになって歩き出す。唯一の救いは住所を示す表示が清水3−Xからはじまり、だんだん数字が大きくなっている、という事実だ。このじれったいほど増える数字が14になったとき、それがこのつらい歩きの終わりになるはず。

もう頭もぼんやりしてきたころ、ようやく「きよみづ釣り堀」という看板が見える。どこかのサイトに「もうだめと思う頃にきよみづ釣り堀という看板が見えたらもうすぐ」と書いてあったがその釣り堀だ。やれ、うれしやと思うとその向こう側に何かが見える。

をを。これが仁王像であるか。看板もあるのだが、書いてあることは至極まともである。しかし像は普通ではない。

この先待ち受けるものについて期待が高まる。しばらく歩くと入り口らしきものが見えてくる。内部の配置図があるとともに、ローマ字の看板まである。先は坂になっている、ということはまだ上らなくてはならぬわけね。まあ先はもう少し。そう思って歩き続ける。

すると目の前に門が見えてきた。

立派な門があるような場所とは想像していなかったので少し驚く。しかも門が閉まっている。いやな予感にとらわれ取っ手に手をかけるといきなり明かりがつく。センサーがあり、私が来たことを検知したのだろう。取っ手をふっても扉が開かない。なんと今日は閉まっているのか。

私はしばし唖然とする。ここまで来てこの結末か。どこにも定休日があるなどとは書いてなかったぞ、、とぼとぼと入り口に戻る。別のルートから観ることはできぬかと思いしばらく歩くがどうもそれは無理そうだ。しょうがない。明かりがつくということは、誰かが管理しているということ。門のところで声でもかけてみるか。

そう思い再び階段を上る。明かりがつき、取っ手を今度は回してみる。するとかちゃっという音がして扉が開いた。なんと、ただ取っ手を回しさえすればよかったのだ。すぐ先には閻魔様が出迎えてくれる。

自然光

フラッシュ有

雨が降りしきる暗い日。閻魔様は自然光の中とフラッシュの中で全く違った顔を見せる。やれ、うれしや。ここまで来たのが無駄足でなくてよかった。足が重いのも忘れ坂を上り続ける。人家らしき物が見える。何もない山の中に像が点在しているだけと思っていたのでこれまた意外に感じる。そのうち本堂らしきものも見えてきた。わき水がでており、そこにどこやらの大学が水質調査した結果が書いてある。いろいろ数字が並んでいるが要するに飲用に適しているとのこと。私は普段あまりこうしたわき水は飲まないのだが、今は息も上がりよれよれの状態だ。手ですくって何杯も飲む。

そこから少しあがったところに像が立っている。

たぶん右が毘沙門天、左は延命地蔵らしいのだが彩色が素敵である。毘沙門天にはむかでもついているし。その隣にたっているのが、ここを開いた稲田源宗坊とのこと。

明治39年、奥の洞で三カ年荒修行をした後、薬草を煎じ病人を養い、独力にて各仏像を刻んだのだそうな。現存二十三体の仏像は入魂されている、というが仏像にも入魂されているもの、されていないものがあるのだろうか。

ここは昔公園になっていたが、二度の水害に遭って様子が変わってしまったとのこと。昔は果たしてどんな場所だったのだろうか。などと考えながら。すると見えてきたのが「大仏」である。

正確に言うと(というか看板によれば)この剣をもち牙をはやしている「薄い」のは大仏ではなく

「一丈六尺を超ゆるものをことごとく大仏と称すが、ここに座す未完の大仏は(中略)上体の部分は、この如来に内胎される不動明王である。」

ということになっている。大仏の手足とおぼしきものは存在しているのだが、未完の大仏といってもここからどうやれば完成に至るのか想像もつかない。

大仏の手と足とおぼしきもの

なんだかねえ、と思いながら歩き続ける。修行洞とおぼしきものがあるるが何か近寄るのがためらわれる。そのすぐ先が崖になっている。階段があり像の近くまで行けるのだが、それで油断してはならない。

さらに上に青い顔をした妙な像があるのだ。おまけに岩肌が赤く彩色されており、本来は炎のつもりなのかもしれないが血がついたようにも見える。

雨が降りしきる中、ただ一人でこんな空間にいると妙な不安におそわれる。来た道をひたすら戻る。門のところでふと横を見ると砂防ダムの向こうに何かがいる。後で地図を観れば風神らしい。

これで源宗寺めぐりはおしまい。あとで地図を見返してみれば、まだ龍王と聖徳太子像があるらしいのだが、そこへ行く道があったのかどうか定かではない。しかしまた坂を上り直すのはごめんだ。帰りは下り坂だから楽勝、とはならない。足は完全によれよれしており、急な下り坂はかなり負担になる。これで今日の珍寺巡りはおしまい。すごいところを一日に二つも観ると感覚がだいぶおかしくなり、呉駅前の普通の光景がなにか違和感をもって感じられる。

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注釈