日付:2003/10/5
名古屋から名鉄電車に乗り、布袋大仏の脇を通る。前に来たときと同じ顔でぬーっと座っている。さらに乗り続けることしばらく、犬山遊園という駅で降りるとてくてく歩き始める。今日は曇りで気温もそれほど高くない。今日の目的地はここから3kmということだからなんとかなるだろう。木曽川を左手にしながら立派な歩道を歩く。柵にはこんな模様がある。
いきなり桃太郎である。この歩道は桃太郎神社にいくためだけに造られた物なのだろうか。そんなことを考えているうちに歩道が終わり車道の脇を歩くことになる。車は結構いきかうが道はほぼ平坦だから楽だよねと自分に言い聞かせる。さっきから川の上をジェットスキーがぶいんぶいんと行き交っている。ああ、あれの乗ったら簡単にいけるのになあ、と思ったと言うことは疲れていたのかもしれない。そのうち何軒か店が見えてきた。どうやら到着したようだ。近くには「ここは桃太郎生誕の地」と堂々と書かれている。ううむ。この自信はどこからくるのか、と思いながら入り口をみる。
いきなり猿、雉、犬の人形全開である。ここが今日の目的地桃太郎神社。中にはいるとさっそく「毎日洗濯をしたお婆さんの足跡が遺っている」洗濯岩がかざられている。
ちゃんと足跡が白いペンキで示されているがそもそも岩に足跡を残すおばあちゃんとはどのような女性であったのか。説明看板には宝物館があり「話の種にご見学をおすすめします」とか書いてある。最初から”話の種に”と断っているところが好ましい。更に進むと階段があるがその入り口に桃太郎が立っている。
この桃太郎、近くでみると目が上下に分散しており、結構危ない顔つきをしている。階段を上ると途中にはおじいさんがいる。このおじいさんはどのくらいここに立っているのだろうか。つきあたったところには家来を従えた桃太郎が堂々と座っており、その手前には新たな征服者に仕えるがごとく鬼がたっている。ええい、貴様には鬼の魂はないのか。強い者にしっぽを振るのは犬の役目だろうが。その左には神社が、右手には秘宝館がある。まず神社から観る。するといきなりでてくるのがこの桃型アーチである。
このアーチに貼られている板には
「桃形鳥居をくぐれば悪は去る(サル)。病は居ぬ(イヌ)、災いは来じ(キジ)(古書引用)」
と書いてあり、有り難さよりも脱力を誘ってくれる。そこをくぐると「泣く鬼」がいる。この写真ではよくわからないがわき水によって常時涙を流している。役柄とは言いながら彼は何年泣き続けていたのか。元泣き虫の私としてはなんとなく気の毒になる。
神社の壁に貼られている説明を読むと、ここはずいぶん昔から桃太郎神社として存在していたことがわかる。白黒の写真がいくつかあり、どういう関連かわからないが
「山本五十六大将が子供の頃に桃太郎の格好をした」
写真もある。その脇には「当地の子供は誰でも桃太郎音頭を踊ります」などと書いてある。本当だろうかとも思うし結構そうなのかも、と思う。当地(これがどの範囲かはよくわからないが)で育った子供は大きくなりここを離れて「え?桃太郎音頭知らないの?」と驚くのかもしれぬ。
神社の正面はこのようにガラス張りとなっており、その先には更に何かが見える。ここに祀られているのは伊邪那枝命が大神実命と命名した桃である。魔物に襲われた際、桃を投げて難を逃れたという。確かにその話は聞いたことあるけど、そこからいきなり桃太郎と言われてもなあ。さらには
「桃が魔よけとして不思議な霊力あることは世界の伝説です。しかるに桃の神を祭神とした神社は世界中で当桃太郎神社只一カ所ですので研究の為来日された有名なスタール博士です」
などと白黒写真が掲げられている。ここは「そうか。あの有名なスタール博士がなあ」と素直に感動すればよいのか、あるいは疑ってかかればよいのか。
そこを出ると今度は秘宝館に向かう。入り口に小さな箱が置いてあり、200円を入れる。するとすぐ脇でおみくじとかなんとかを売っていたおじさんが歩いてきてパンフレットを渡してくれた。そこの入り口には雉やら犬やらが手を挙げて迎えてくれる。
ここは秘宝館と言いながら子供の遊び場を強く意識しているように思える。子供が乗りそうな自動車のおもちゃもたくさんあるが、私が感動したのはこれである。
竹馬の向こうに輪っかがある。確かこれを棒で押しながら転がすのだ。サザエさんが何かで観たことがある。観たことはあるがやったことはない。では試してみようと思いやってみたが1mも進むことはできない。ううむ。自分が器用だと思ったことはないが。その横にはこんな鬼がいる。
「背中へどうぞ」と言われてもねえ。顔を見ているとポール・マッカートニーという名が頭に浮かぶ。その先には「略奪品」を山のように抱えた桃太郎一行がいる。顔つきもどことなく盗賊の一団のようだ。
では、ということで秘宝館にはいる。小さな建物であり、例によって古い物が手当たり次第に収納されている。昔懐かしいラジオなどをを観ると桃太郎と何の関係もないが思わずうれしくなってしまう。平成8年に火災にあった旧宝物館の瓦がある、ということはここは一度火事にあっているのか。その先にはいろいろなものがガラスケースに入っている。
手前にあるのが鬼の金棒。これはなかなか立派である。その後ろに鬼の珍宝なるものがある。一つには「犬に食いちぎられた物。長さ15cm」と妙に細かい説明が付いてるが、そもそもこれは何なのか。その隣には鬼の子供のミイラなるものの写真があるがこれは猿かなにかだろうか。
その奥には昭和17年に作られた「中部軍報道部」発行の「大東亜戦争第二周年十二月八日征け桃太郎・米英を撃て」という絵がある。
戦前桃太郎は戦意高揚に使われたキャラクターだったらしい。猿が「前進基地の無血占領だ。どんなもんだ」などと言っているがその後補給が続かず悲惨な状況に陥ったわけだ。ルーズベルトが住んでいる洋鬼島(ヤンキー島)は地図の中にかかれているが、そこまでどうやって行こうとしたのか。行けると思ったのか。桃太郎が乗った船には七福神が南方にあった資源を持ちにこにこ座っている。しかし舵をとっているのは犬だ。当時の日本もそうしたものではなかったのか。彼らはどこに行けると思っていたのか。
反対側のガラスケースには終戦時の御前会議の模様を書いた絵、終戦の詔勅、日露戦争開戦の詔書なんぞが飾ってある。さらには日露戦争当時の陸海軍将官の写真があり東郷大将と乃木には札がついているが他はよくわからない。黒木や児玉はどこだ、と探してみたが見つかったのは無能ぶりが悪名高い第3軍の参謀長伊地知だったというのは皮肉なことだ。といったところで桃太郎神社見物はおしまい。
帰りはいつも行きより短い。そんなことを考えているうちにもう駅に着いた。ここは以前鉄道と自動車用道路がいっしょくたに存在していた場所だが今は二つの橋になって分かれている。あれは大変珍しい物だったと聞くが当時はなんとも思わなかった。変わった物も日常黙って置かれればそれとも気がつかない。
駅で電車を待っている間にもらったパンフレットを読んでみる。このあたりには桃太郎伝説にちなんだ地名がたくさんあります、と書いてある。桃太郎がここにいたのだから鬼ヶ島も木曽川の支流、可児川にあることになっている。伝説が先か、あるいは地名が先だったのか。
「鬼がいなくなってからは春のようなのどかな日が続くので」
という理由で「春里村ができた」と言われるとどうも後者のような気もしてくる。