日付:2003/12/7
京浜急行に乗ると追浜という駅で降りる。駅裏にある病院の敷地内を通り坂道を登ると鷹取山とおぼしき方向に向けて歩き続ける。道は緩やかな上り坂で住宅街をつっきっていく。時々
「なぜこんなものが置いてあるのだ」
と思うような家にでくわすが、勝手に写真をとったりするのも気が引けるのでそのまま進む。
歩くことしばらく。前方に山のようなものが見えてきた。近寄っていくと階段があり、鷹取山公園入口とかなんとか書いてある。登り切ったところにはタンク(戦車じゃないよ)があり、どうやら水道局か何かの施設らしい。そこをすぎると海がきれいに見える道が少し続く。その先には岩壁がどんどんとそびえている。
でもってその壁の前にじっと向き合う人がいる。岩壁に登ろうとしているのだ。しかしその姿はまるで修行僧のように見える。だいたい壁を観ているばかりでなかなか動こうとしない。どこにどうやって手をかけ足をかけ、と考えているのだろうが端から見ていると人生の深遠な問題につきあたっているかのようにも見える。そして岩壁をみれば鮮やかな文字が
ここまでもろに書かれているのになぜ彼らと彼女たちは登るのであろうか。その疑問が解けたのはしばらく後のこと。
とりあず歩を進める。上り坂は帰りには下りに成るので好ましく下り坂はせっかく得た高度を失うことにより好ましくない。などと私が考えようが考えまいがとにかく道は上下を繰り返す。そのうちもう少し開けたところにでた。すると幾人かのグループが岩壁に挑んでいるのが見える。うむ。岩壁上りとは一人孤独に壁と相対するものかと思っていたが、そうばかりでもないようだ。また登るのは若い学生さんかと思っていたら、私より年上とおぼしき女性の集団もいる。などと考えながら進むといきなりでくわすのがこれだ。
大きな岩の一面をくりぬき仏像が彫られている。近くにある看板を読めば
「鷹取の地名の由来については(中略)磨崖仏の弥勒菩薩像は、逗子市に在住の..氏の依頼により、、昭和四十年頃に製作した物です(岩質がもろいので、登山練習は危険です)」
最後の「登山練習は危険です」が鷹取山全体に対してのものか、あるいは磨崖仏に対してのものかが気になる。実際磨崖仏の足下にはハーケンを打ち込んだとおぼしき穴があいているのだ。
しばし仏様の姿を拝見した後先に進む。すると人が多くなる。皆楽しそうに壁にへばりついたり、人を縄で持ち上げたりしている。公園のようになっている場所もあり、ジュースなど飲んでみる。その近くに「岩登り禁止」と書いてある場所でなぜこうもたくさんの人が登っているかという疑問に対する答えをみつけた。
この公園での岩登りは禁止する
ただし、鷹取山安全登山協議会指導員の指導に従い、次の次項を厳守して行う場合はこの限りではありません。(以下略)
なのだそうな。
さて、目的地はどこだ、と私は辺りを見回す。珍寺大道場によれば、ここにはもう一つ、というか一カ所仏が彫られた場所があるはずなのだ。展望台に登ってみる。それらしき場所は見えない。その先に行くと神武寺方面、という矢印がでている。そのまま尾根を歩き続ける。そのうち道というより壁と言った趣で、チェーンがはってある場所にいきつく。ううむ。岩登りは人事ではなかったか。
よれよれとそこを通るとさらに進む。だんだん木立が深くなってきた。こんなところにあるのかなあ、と不安になるがとにかく進む。とうとう「いくらなんでもこの先にはないだろう」というところに来てしまった。しばらく立ち止まり、
「あのすぐ先にあったのに」
という可能性と自分の足の痛みをはかりにかけ引き返す。いつものことだが帰り道は短い。チェーンもなんなく伝ってまた公園のところに戻ってきました。目的地は結局みつからんではないか。見つけられた限りの経路は通っているつもりなのだが。
いったんは諦め鷹取山の入り口とおぼしきところまで戻る。しかしそこでもう一本行っていない道があったことを思い出す。
「あっちにあったのに」
という声は頭の中でだんだん大きくなる。足は痛むが、まだ目的は半分しか達成していない。気合いを入れると道を戻る。また道が上下し出すが疲れているからなかなかつらい。をを、ここだ。こちらに行けば一時間で追浜の駅、ということになっている。
そちらにあるくことしばらく。結局もう一つの仏像は見つからずじまいだった。とここまでが一度目に来た時の話。2度目は間違った駅で降りてしまい鷹取山にたどり着くことあたわず、今日は3度目だ。しかし何度観てもそれらしい場所は見あたらない。しょうがないから仏像の写真だけとって帰ることにする。季節は秋から冬にうつり日が短くなっているのだ。