日付:2005/9/16
ずんずんと洞窟の中にはいっていく。最初は壁に地蔵とかとにかく仏像が並んでいる。少し横にはいるとこんな人たちもいる。
そのうち「ここから八大地獄」とかいう表示がある。をを、これはおどろおどろしい地獄が再現されているのか、と思えば壁に絵が掛かっている。
これが地獄なんだそうな。絵はどこか淡々としているが、その脇には各地獄に合わせた短歌が飾られている。例えば
「蛇死せり子等のリンチの激しさに」
「蟷螂の交みつ雄を頭より食む」
などと書いてあるのだが、そもそも子供が蛇をいじめてころしたりカマキリが雄を食べちゃうのが地獄ということなのであろうか。
さて、地獄の先には仏の世界がこれまた絵で描いてある。ふーんと思っているとそのうち前方から水の音が聞こえてくる。何があるかと思って進めば、道が広くなっておりこんな世界が広がっていた。
どうやらここは極楽らしい。同じようなエリアがいくつかある。今思い返してみれば、大抵の「地獄・極楽再現」では地獄に力がはいり、極楽はおざなりな事が多い。ここは珍しく地獄より極楽に力が入っているように思う。雰囲気は高崎の洞窟観音に似ているが、こちらは実際の水が流れているだけ気分的に楽だ。最後のエリアには、珍寺大道場命名の「仏像3段ケーキ」がある。
左:下の2段 右:上の一段と半分
そこを過ぎると先が明るくなってくる。出口なのだが、地下なのにこんな物がある。
はて、これはなんなのかと首をひねりながら更に階段を上ると、いきなり正面にさっきの観音が現れる。
ううむ。ここはあくまでも正面衝突を目指すのか、などとつぶやきながら外に出ると快適だった洞窟の空気は薄れ暑さと湿気が迫ってくる。いきなり眼鏡が曇りしばらくは視界不良のまま歩くことになる。
さ て、その先は「未来心の丘」ということになっている。前方になにやら白い大理石でつくったものが見えてくるのだが、そこはかなり上方にある。そろそろ疲れ てきたから階段はいやだな、と思っているとちゃんとエレベーターがある。やれ、うれしや、と思うのだが、やはりそこにも仏像がおわすのであった。
ちなみにエレベーターの前で上を見上げるとこのような方々がいらっしゃるのだった。
そこから先はひたすらこんな光景が続く。
なんだかイタリアーノ、だかエーゲ海、だかギリーシャといいたくなるのだが(本当はどうだか知らんよ)ここはあくまでも日本の瀬戸内海なのであった。イタリアーノの大理石と純和風の背景が並ぶところはなかなかシュールである。
登っ ていった先にはずいぶんとしゃれた喫茶店があるが、まだオープンしていない。中では女性が忙しそうに働いている。そこからたらたらと降り始める。回りが白 一色だから微妙な段差を見落としやすい。何度かけっつまずきそうになったのは、私が疲れてきたせいだけではないと思う。
そこから今度は出口に向かって下り出す。途中にこういうものがあったのだが、何だかよくわからない。入り口でもらった地図にも場所は描かれているが、名前がない。
トタンの屋根を被った何かがあるのだが、その下に何があるのかわからない。さらに先に進むとさっき外から見えたお城が見える。どうもここは迎賓館らしいのだが、入り口にはこんなものがいるのだった。
耕 三寺は全般的に綺麗に整備されているのだが、何故かここだけは荒れ始めている。隣には潮聲閣という建物があり、ここを作った耕三寺耕三氏が、母親の為に 作ったとのこと。玄関をはいるとそれまで掃除か何かをしていた女性が案内をしてくれる。そこの板がどうだとか材質についてあれこれ説明してくれるのだが、 私にはそのありがたみがよくわからない。それでもなにやらとても豪華な造りだということくらいはわかる。説明看板に曰く
「どのようにして御母堂をおなぐさめしようかと苦心されたあとがうかがえます」
とのことでどこか優しさとか心が落ち着く感じがする。手の込んだ鳥の彫り物と天井に描かれた絵だけをここで挙げておく。
先ほど外から見えた洋館はここの洋間だった。洋間と言いながらおかれている家具類は清朝のものなのだそうな。部屋の角にはこれまた顔色の悪い仏様が。
道を挟んだところにある金剛館という美術館をさらりと観て耕三寺観光はおしまい。港に戻ったら今まさに船が出発するところだった。これを逃したら2時間近くここで過ごさなくてはならないところだった、、が後で考えてみればそれも悪くなかったかと思う。