題名:巡り巡って

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日付:2009/1/28


幸田町郷土資料館: 愛知県(2009/1/2)

この”巡り巡って”を更新するのも半年ぶりである。その間何度

”巡り巡ってが更新されないではないか”

と 言われたかわからない。もちろん珍スポットを巡る情熱を失ったわけではない。巡りたいのだ。しかし世の中には事情というものがある。今の私には珍スポット を巡るなどという贅沢は許されない。そんなことをするくらいなら、洗濯物を干したり、家を掃除する間子供を連れ出したりとかとにかくすることはいっぱいある。

珍スポットに対する熱意だけではその状況は動かしがたい。もうこの”五郎の部”は映画評のサイトにしてしまおうか。そうだよジャック。 あちこち巡るなんてのは夢だったのさ。希望がなければ絶望もない。レッツ・コール・イット

と いった状態で2008-2009の年末年始を迎えた。体調は今ひとつ思わしくない。休み前の最終日に焼き肉屋に連れて行かれたのだが、食べ過ぎた。 ビール一杯しか飲まなかったがぎょえんとなった。一日の食べ過ぎによるダメージがこんなに長引くとは妙だが、サラリーマン生活の疲労もたまっているのかも しれぬ。少し寝 ていればなおるかと思いきやそうい うわけでもない。なのに年末年始にはたくさん食べなくてはならない。消化器の調子は悪くなるばかりである。

しかしその中にも一つだけ希望が あった。1月2日。この日は自由にしてよさそうなのだ。このチャンスを逃したら本当に

”趣味は珍スポット巡り”

の看板を下ろさなくてはならないかもしれない。腹の調 子が悪かろうが、寝違えていようが、とにかく行くしかない。PCで検索して行く先を探す。自由になるのは朝ご飯から夕ご飯の間。遠出ができる状況ではな い。であれば愛知県内でまだ巡っていないスポットは、と探してみればまだ行くべき場所があることに気づくのだった。

というわけで1月2日。 朝ご飯を食べ、身支度を整え最寄りの停留所からバスに乗る。金山という駅でJRに乗り換え。今日行くところまでの電車賃をみてちょっと驚く。こんな に遠かったのか。いや、ここでひるんでどうする。電車に乗り、ことこと揺られ続ける。大きな寺やら神社がある駅では人がたくさん降りる。考えてみれば正月 で あった。最後まで同じ電車に 乗っていたのは、賭け事専門新聞をにぎりしめた老人ばかりである。

三ケ根という駅でおり、東口に出る。ここからの道は航空写真で確認しておいたか ら間違えようはない。まず地下通路を通る。通路の壁には(特に説明はないが)地元の小学生が書いたとおぼしき”未来の幸田”の絵が並んでいる。昔からこうした絵には何かが飛んでいるが、地球の輪切りが飛んでいる絵があったのが斬新。輪切りの切り口 からは木が生えていたからエコだか何かを言いたかったのだろう。

そこをすぎるとあまり何もなくなる。てくてく歩き4つめの角を左に曲がると少し上り坂になる。風が強くとても寒い。思わず

”さむいよー。さむいよー”

とつぶやきだすが、そうしたところで状況が改善するわけでもない。そのうち前方に目的地とおぼしき看板が見えてくる。

入り口の看板

ここは基本的にあちこちに存在している”あれこれ並べた郷土資料館”のはずである。なのだが、後ろに見えている飛行機は何であろう。 もっともそれがなければ私のように根性が曲がった人間がこの日にここを訪れることもないはずなのだ。

というわけでまずは右手に見えている建物に向かう。しかし予想通りの看板が私を迎えるのであった。

建物

本日休館

インターネットで調べれば、ここはちゃんとした郷土資料館とのこと。(内部の様子はこ ちらのページを参照)本来であればそこに展示され ている物を眺めたかったのだが、いかんともしがたい。正月二日から営業しているはずはない、というくらいの常識は私にもある。しかし今日を逃したらいつ来られるかわからないのだ。とはいいつつも、建物の外にもいくつか展示があることに気がつく。

荒れた展示

こ のように展示は少し荒れている。一番上にある看板を読めば、戦後新制中学が創設されて第一回の卒業生の記念だとか。その卒業生はこれを見てなんと思うのだ ろう。”いか がなものか”と思うに人間もいれば、”そんなこと今更どうでもよい”と思う人もいるだろう。しかし今は見も知らぬ人たちの気持ちに思いを馳せている場合で はない。私にとっての”見所”は屋外に展示されているのだ。まずは先ほど見えた小型機の方に行く。

説明を読めば”KM-2型航空機 海上自衛隊において初級訓練に使われていた”とのこと。なるほど結構なことだが、そもそも何故ここに あるのだ。隣にはなにやら小屋がある。

隣の小屋

覗いてみると中はこんな様子である。

ヘリコプター

こ ちらもかなり荒れている。しかしまごうことなきヘリコプターである。首をひねりながらも私はある危機に直面していた。お腹の調子が悪くなってきた。緊急にト レイに行かなければならない。先ほど角を曲がったところにお寺の駐車場があり、トイレがあったと記憶している。あそこまで行けば、ということですたこら戻 る。ばたばたと駆け込みほっと一息。事なきを得る。しかしこんな調子で今日の珍スポット巡りを完遂することができるだろうか。

いや、今は根拠のない予感にとらわれている場合ではない。荷物をかかえると先ほどの続きである。ヘリコプター小屋の向こうには堂々 たる機体が姿を見せている。

F-86

1954年、初代のゴジラに攻撃をしかけていた戦闘機だ。私には機体名以外の説明が見つけられなかったが、何故こんなところにこんなものがある。コッ クピットを覗き込むための通路が設置されているが、ロープで通せんぼされており、観る事ができない。その少し奥にはこんな物が並んでいる。

2門の大砲

これらには何の説明もないので、名称すらわからない。しかし大砲の類いであることは間違いないだろう。大砲と幸田町との間に何の関係があるのか。しかし機体の反対側にはさらに謎の物体が存在しているのだった。

謎の階段

何かの台である。上る事ができるが、上には何もなさそうである。階段を観れば、何年も人が上った事がないようでもなく、かといって今日も誰かが上っ た、という感じでもない。ここに上って何をするのか。そう考えていると、やはり今日定休日であることが悔やまれる。ここに人がいれば、理由なりなんなりを 聞く事ができたはずなのだ。さらにはこんなものがある。

りゅう弾砲

無反動砲

一つは105mmりゅう弾砲、もう一つは無反動砲、ではなくその試作品とのこと。なぜ量産品ではなく試作品が。もちろん試作品は試験が終われば用済みだからどこかに行く、と頭では理解できるのだが。さらに手前にはこんなものがある。

スクリュー

戦後初めて建造された潜水艦の碇、スクリューだそうである。そのような歴史的に意味のある潜水艦であれば、自衛隊の博物館にあってもおかしくない。 先ほどの大砲の試作品もそうだ。それがなぜ”郷土資料館”に存在しているのだ。謎は深まるばかりでございます。

と いったところでここの見学はおしまい。お腹の調子が悪いながらもまだ帰る訳にはいかない。とりあえずその先の蒲郡というところまで行く。そこで昼飯を 食べるつもりだったが、調子が悪く食欲がない。コンビニでパンを食べおしまいとする。とはいえ風は強く、お腹の調子は悪い。またトイレの発作に襲われた時 近くにトイレは見つかるだろうか。

そうだよ、ベティ。もういいじゃないか。さっきの郷土資料館はすごかったよ。もう十分だ。トイレつきの東海道線にのって家にかえろう。 そして体をいとえよう。明日は新幹線だ。その体で荷物をかかえ新幹線にのるつもりなのかい?

な どとしばらく自分にいい聞かせてみたが、次のチャンスがいつくるかわからないぞ、という声は頭の中から消えない。もうここは進 むしかない。珍スポット巡りの道は修羅の道。進め進め進め、とはどっかの標語だったと思うが今私の頭の中にはその言葉が鳴り響いている。正直もう一つのス ポットにはあまり期待していないのだが、今いけるのはそこしかないのだ。

追記:

この場所を訪れ、郷土資料館の人に”あの飛行機はなんなのですか”と聞いた人のサイトを見つけた。答えは

”自衛隊で不要になったものを借りて置いてあるだけで、特に意味はない”

だったそうだが。

父にこの場所の話をしたところ、向の三ケ根山にある殉国七士碑と関係があるのではないかと言った。何の根拠もないが、確かに関係があっ てもおかしくはない。

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注釈

レッツ・コール・イット:この表現は”それだけは聞かんとってくれ”第266回のパクリである。しかし用法として正しいか否かは私にはわからない。本文に戻る