五
郎の
入り口に戻る
というわけで私は新花巻駅に降り立ち呆然としている。何故ここにいるか聞かないで欲しい。とにかく来てしまったのだ。
目標とする場所はここから2kmのところにある。平地ならば30分弱。問題はそれがどちらにあるかだ。新花巻駅に行けばなんとかなるの だろうと思っ ていたが観 光案内図は見つからないし、駅の地図を見てもよくわからん。観光案内所のお姉さんに聞く事にする。
宮沢賢治の記念館はどちらですか、と聞くとぺらぺらと説明してくれる。地図を出し、ここです。高台の上にあります。タクシーで行けば3 分。(私が関 心を示していないことを見て取って)歩くと20分くらいです。ここからさらに坂を上ると宮沢賢治記念館があり、、と説明してくれる。
礼をいうとその場を後にする。えーっとここをとりあえずこちらに進んで、、と歩いて行く。駅を少し離れると建物が少なくなり田んぼばか りになる。考 えてみればこうした道を歩くのも久しぶりだ。教えられた交差点を曲がる。こんなものがあるから、きっと方向は合っているのだ。
その先少し上り坂になる。時々道に毛虫がおり、血が凍るような思いをするが、ここで引き返す訳にはいかない。見なかったことにして進み 続ける。坂は だ んだんきつくなり足がだるくなってくる。いや、これくらい珍スポット巡りにはつきものではないか。とかなんとか自分に言い聞かせているう ち目的地が見え てきた。
やれうれしや、と思うが万々歳とはならない。最初調べた時
「このエリアにはいくつかの建物が”隣接”しているのか。じゃあ全部見回れ ばいいな」
と思っていた。確かに建物間の直線距離は短い。しかしその間はかなり急な坂でつながっているようなのだ。おまけに入場無料のものと入場 料金が必要な もの がまざっている。そして最も肝心なことだが、目的の建物がその中のどれかわからない。
さて問題です。この制約条件下で、最も出費を押さえてかつ目的を達成するためにはどうすればいいでしょう。ここで私は(いつものことだ が)最も効率 の悪いルートをたどることになる。まず無料の「イーハトーブ館」に向かう。金を払わず目標を達成できるならそれが一番ではないか。メイン の道からはいって 坂を上ったり降りたりする。すると妙にしゃれた建物があ る事に気がつく。
不幸にしてこの建物のクライマックス(私にとっての)は入り口にあった。どちらもガラス扉にあったものだが大きく書かれた猫の絵と「猫 をいれないで ください」という張り紙。この張り 紙は額面通り受け取ればいいのかあるいは高度なジョークだったのだろうか。
中では真面目な展示会などやっているようだが、私のような罰当たりの興味を引く者ではない。そもそもなぜここだけ入場が無料かというこ とについて もっと考えるべきだったのだ。早々にそこを立ち去ると目の前にかなりの坂が立ちふさがる。しかしここを上らなければ次の目的地宮沢賢治記 念館にはたどり着 けぬ。地図を確認し最短経路と思しき坂をひたすらのぼる。肩には背中に背負っている 荷物が重くのしかかる。はあはあぜいぜい。ほぼ上りきったところでふと振り返ってみる。
新緑が奇麗だ。風が木々の間をざわざわと音をたてながら通って行く。ふとこのような音を聞くのがずいぶん久しぶりである事に気がつく。
頂上が見えてくればきつい上り坂もなんとか耐えられる。ようやく目的地が見えてきた。向こうからはタクシーの運転手さんに案内されてい ると 思しき人達が歩いてくる。なぜこんな坂の多いところに建物が点在しているのだ。花巻市タクシー協会との癒着があるのではないか、などと考 えるのは足が弱っ ている証拠だな。
とかなんとか考えているうち宮沢賢治記念館にたどり着く。入り口にはこんなのがいる。
中にはいると様々な展示を見る。宮沢賢治という名前をなぜ知っているかと言えばその書いたものが有名だからだ。しかし最晩年はサラリー マンとし て肥料の売り込みに奔走していた、とTVでみたことがある。それだけではなく、教師としての顔などいろいろな顔を持っていたとのこと。
MITの石井教授がよくプレゼンで使う「書き直しの跡が残った原稿」もいくつも展示されている。銀河鉄道の夜、という作品は結局未完の まま終わった との事。他にいくつも未完の作品があったことを知る。
私の祖父は宮沢賢治の同級生で、彼が大嫌いだったと父から聞いた。なんでも「あんなのはろくなもんじゃない」とか言っていたのだそう な。祖父から直 接その ことについて聞く事ができなかったのは残念だ。ここに展示されているのは私の祖父が暮らした時代でもある。
ふと外につながった扉に気がつく。出ると風が気持ちよい。
というわけで思った以上に楽しく意義深い時間を過ごしたのだがまだ本来の目標は達成されていない。となると一番最初に目に入った「宮沢 賢治童話村」 が目的地だったのか。もし行ったあげくそこがはずれだったらどうするのだろう。ここまできて無駄足ということになるのだろうか。いや、ひ るんでいる 場合ではない。「こちら」と思しき方向に進む。それと共にせっかく得た高度を失う。つまり坂を降りる。そこに何軒か店が並んでいる。そば 屋は開いているよ うだが他の何軒かは営業しているかどうかもわからない。その先にあるだだっ広い駐車場を横切り(疲れた身にはこの距離はつらい)入り口に 向かう。
ゲートの中にあるきらきらした絵の前を通り抜けるとだだっぴろい空間が広がっている。「入場券はこちらでお買い求めを」と書いてあった 建物を目指 す。なんと もいえぬ外観だ。
入り口を目指して回って行こうとするとこのような「階段」を通る事になる。視覚的には下っているように見えるが、実際には緩やかに上っ ているのだと 思う。
その先に入り口がある。係のおじさんがとても丁寧に相手をしてくれる。ここで内心一番恐れていたのは「撮影禁止」の張り紙であった。 (ちなみに宮沢 賢治博 物館は撮影禁止)ここまできてそれでは浮かばれない。しかしおじさんは
「ここは何をどう撮ってもいいですから」
とうれしいことを言ってくれる。ではと入場券を購入する。
「ここだけでよろしいですか?他を見られるのでしたら共通券がお得ですが」
と教えてくれる。ああ、もしこうなると知っていれば先ほど共通券を買っていたのに、と思ったところでもう遅い。にっこり笑って
「ここだけで結構です」
と答える。最初の部屋ではしばらく映像が出ませんが、音はちゃんとでますから、と教えてくれる。とにかく親切だ。
礼を言って最初の部屋に向かう。
椅子がいくつか置いてあり、壁にある本棚にはTVが3台埋め込まれている。まもなく映像(本来なら)と音が始まる。椅子に座って足下を 見ると、それ ぞれの椅子の前に宮沢賢治の作品から引用された言葉が張ってある。
しばしその部屋で音と映像を見る(後半になるとTV画面に映像が流れるのだ)次の部屋に向かうとそこは銀河だった。
写真では解りづらいが、通路の上下左右に星が、星座が光っている。流れている言葉は銀河鉄道の夜からの一節だろうか。その言葉を聞いて いると、確 かに星空というのは大変にぎやなかんものであると感じる。
次の部屋は風の部屋。壁には雲が流れ床には映像が流されている。
その床に時々文字が映し出されているようだが、ガラスにあたる部分は読む事ができない。何度か読もうと試みてあきらめる。次の部屋は大 物である。 まず通路にこんな張り紙がある
「大地の部屋の虫や植物をひっぱったりその上にのぼったりしないでください」
その理由は入ってみてわかる。
いきなり目に入ってくるのはぬいぐるみのようなものでできた巨大な草である。気がつけばとなりに巨大蟷螂がいる。照明がついたり消えた りしているよ うだと思っていると不意に天井から「ニャー」という声がする。
気がつかなかったが巨大液晶TVが存在している。そこから猫がこちらを向いている。猫が跳び去った後、蟻がでてきたりいろいろする。室 内には他に蟻 やカタツムリがい る。
子供をここにつれてきたら驚喜するだろうが、上ろうとするのを押しとどめるのは大変だろう。ジブリの映画でこのように巨大化した風景に はいれる展示 があったが撮影禁止だった。それゆえ行くのを思いとどまったのだが、ここの太っ腹ぶりはうれしくなるではないか。
そこをでるともう一つ部屋がある。「水-うつろう青い魔力の世界」とのこと。
こうして静止画で見るとあまり「水」というイメージはないが、実際には光が動き続けており「流れ」を実感する事ができる。
その先には宮沢賢治の童話を元にした展示がある。
セロ弾きのゴーシュはいいとして、注文の多い料理店はちょっとホラーではなかろうか。
二人はあんまり心を痛めたために、顔がまるでくしゃくしゃの紙屑のようになり、お互にその顔を見合わせ、ぶるぶるふるえ、声も なく泣きました。
(中略)
しかし、さっき一ぺん紙くずのようになった二人の顔だけは、東京に帰っても、お湯にはいっても、もうもとのとおりになおりませんで した。
という下りは、どう表現するのか。顔が二次元の紙になったら怖いではないか。そう思い最後の人形を見ると、普通の顔で表面だけがしわし わしている。 ううむ。そうだったか。私は長い間
「顔が2次元にまで縮退し、しわしわになる」
と思っていたのだが。
反対側の壁にはオツベルと象が漫画になっている。しかし最後の一節-「おや、(一字不明)は川へはいっちゃいけないったら」-がないの はいかなるこ とか、など と言うのはいいがかり。そこをくぐると入り口のホールに戻る。これだけ凝っていて350円は安い、と満足して外に出る。まだいくつも建物 がある。
その一つにはいってみる。
こうした建物はいくつもあり、それぞれテーマが決まっている。ここは鉱物の展示。それもただの展示ではなく「鉱石ラジオ」などあるのが うれしいでは ないか。その昔ダイオードといえばゲルマニウムであり、熱に弱い故ハンダ付けには特別の配慮が必要だったのだ。電波の強いところなら電池 なしで部品が壊れ るまで永遠に聞く事ができる、ってのは防災用にもってこいの性質だが電波が弱ければそれまで、とかなんとか懐かしい知識がよみがえる。
他の建物には星や動物などについて展示されている。それらの気合いの入り方に感銘を受ける。もっと人が来てほしいだ。ここがつぶれてし まうのはもっ たいない。
さらに隣には真面目な博物館があるがそろそろ行かねば成らぬ。満足感とともにその場を後にする。いつものことだが帰り道は行きより短 い。それは下り 坂というだけの理由ではないと思う。
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本稿は故荒 川聡子氏に捧げる。直接お会いした事はなかったが、メールを頂いた事がある。そもそも私がこのような珍スポット巡りを始めた 理由の半分は荒川氏の サイトに出会ったからだ。
Wikipediaの記述でおそらくは同じ学年であった事を知った。いつこのような運命が訪れるかは誰にもわからない。であれば生きて
いるうちにし
たい事をしよう。