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レトロ博物館-秋乃宮博物館・松島 及び廃ホテル:宮城県(2011/9/17)
さて、まずは先ほど見えた「城」のほうに向かう。
ここはかつてホテルだったとの事。お城に泊まる。しかも西洋のそれではなく、日本の城だ。すばらしいではないか。日本男児の夢ではなか ろう か。しかし残念なことに2003年閉店してしまったとのこと。(復刻ホームページ)(あやしい城) か つての姿を見ると、今とは大分様子が変わってしまったようだ。天守閣だけは、展望台として使われていた形跡がある。入場料が記載されてい るのだが、そこに通じる道はゲートで塞がれてしまっている。
近くにはこんな建物がある。
裏から見ると、「千と千尋の神隠し」にでてくる湯殿のようだ。伝統的な屋根とモダンな部分が微妙に混じっている。人が住んでいる気配が あるが、 もちろんホテルとしては営業していない。
しばらくかつての松島城観光ホテルを堪能した後、さらに隣にあるエリアに向かう。駐車場に何かが設置されている。どうやら移動式の映画 館のようにも見えるのだが、何が行われるかを示すポスター等は見つけられない。ふと見上げれば隣の建物にこんなものが貼ってある。
フランキー堺主演「日本列島震度0」。あの震災を思えばこれは高度のジョークととるべきか。ここにはレトロ博物館が あるとのこと。そういえば、ちゃんと調べておいたのだった。忘れるところであった。 土産物屋の一階には笠をかぶったウルトラマンらしき後ろ姿も見えている。
というわけでさっそくそちらに向かう。レトロ館は2階との事。私は階段を上るところで既に泣きそうである。
ピンクレディーですよ。ピンクレディー。未だに二人とも時々お顔を拝見するがさすがに昔は若い。わーいわーいと心の中でスキップしなが ら上に上がる。受付のようなものがあり、お姉さんが居る。350円払う。その時伊達政宗歴史館の割引券が目に入る。ここでもらって行け ば、100円引きになったわけだが見なかった事にする。お姉さんは親切に
「何でも手に取ってみてもらってもいいですから」
と言ってくれる。
まず並んでいるのは教科書、雑誌の類い。昭和ということでひとまとめにされているが、昭和は64年もあったのだ。であるから私にとって
「これ最近のじゃない」
というのと
「こんなのあったの?」
という古い物がごった混ぜである。そのうちの一冊「私大入試」という本を手に取る。中を読むと今年は早稲田がどうだとか、東京理
科大がどうだとか書いてある。そのうち昔雑誌を読んでいた時の感覚を思い出した。今や情報はインターネットで簡単に触れることができる。
しかしかつて雑誌に乗せられた情報というのは、もっと重みをもって受け取
られていた気がする。それが錯覚なのかそうでないのかはわからないが。
実際に購入できるものもいくつか置いてある。というか「紙石けん」って確かにあったけど、あれいったいなんだったんだろう。
そこから順に見て行く。
キャンディーズである。この中の一人、田中好子さんは先日亡くなってしまった。「ママドル」などという名前のもと再び芸能の世界で生き ている人、結婚したと聞いたがその後顔を拝見しない人等その後の命運はいろいろに別れる。皇帝の言葉を借りれば、そうした人も、そうした 人を覚え居てる人達もいつしか死滅してしまう、ということなのだが。
思ったよりも中は広い、というか私がそう感じるのか。例えば子供をここにつれてきても
「なんかたいくつー」
といってあっというまに走り去ってしまうだろう。扇風機が回っているが、これは平成生まれと思う。
家電製品もいくつかおかれている。カセットテープレコーダーは既にレトロ品になっているのだな。そういえば中学の時に
「ラジカセ」
を買ってもらったなあ。当時はラジオの深夜放送を聞くのがはやっていたが、当時から朝型で夜更かしができなかった私は
「ビバーヤング。パヤパヤー タタタタンタ ビバヤング」
と聞いたところで寝てしまった。
テレビですよテレビ。どうですこの存在感。これを見ていると当時の真空管TVというのは、今の液晶TVとは全然別の存在だったのではな いかと思えてくる。巨大な直方体の前面に映し出されていた映像にはどれほど重みがあったのだろう。
その先には少年漫画、少女漫画がならんでいる。
今見れば当時の少女漫画の目は異常だと思うが、当時は「こういうもの」で通っていたのだろう。その中の一冊、少年チャン ピョンを手に取る。「ドカベン」こと山田太郎が高校に入学するエピソードが掲載されている。ドカベンの絵柄は昔も今も大して変わらない が、他の漫画は今と昔で雲泥の差がある。別の雑誌の表紙には、「多田かおる」という名前も見える。たしか自宅での不慮の事故により亡く なった はずだ。
といったところでレトロ館の見物はおしまい。受付に座っているお姉さんに「ありがとうございましたー」といってその場を後にする。書い ていて思ったのだが、プロダクトデザインなどやっている人達がここに来るときっといろいろ考えることがあるのではないかな。訪れた人がコ メントを残せるノートも設置されていた。一番心に残ったのはこのコメント。
表にでる。海岸には何かがあるらしく、団体客の姿が見える。しかしそちらにいくのはまあ引退してからだ。私はさっき見 えたところを目指す。
これである。一瞬まだ営業しているかと思ったが、近づいてみれば避難器具が壊れ、窓ガラスが割れていることに気がつく。
小高い丘の上にあるのでどこからもよく見えるのだが、接近の仕方がわからない。何度か住宅の軒先に御邪魔してしまった。すいません。で も道がわからないんです。何度か回ってようやく接近路らしきものが見つかる。
これがかつての入り口だろう。そこからは坂が続いている。草がおいしげっており、私のような根性無しの接近を阻む。草の先につい ている実のようなものが、芋虫に見える。そういや、昨日道の上を立派なのがわしゃわしゃ歩いていたな。いや、そんな筈は無い、と自分に言 い聞かせ先に進む。
これが入り口である。この先に進むのは廃墟探訪を趣味とする人にまかせよう。上から毛虫が落ちてきたらどうするのだ。というわけでそこ を離れる。最後に行くのはベルギー オルゲール ミュージアムだ。
建物は奇麗だが、入り口にはこんな張り紙がある。
そこから別の入り口を覗く。
おそらくここは震災の後の津波で、浸水したのだろう。青いホースが見えるということは、その復旧に努力したということ。しかし誰かが
「費用をかけここを再オープンする価値はない」
と判断したのだ。(帰ってから調べれば、オル ゴールの被害は少なく、ボランティアの協力もあり、再オープンに向け努力していたとのこと)
写真を撮るとその場所を離れ松島駅に戻る。途中こんな建物を見つける。
スナック等がはいった雑居ビルかと思えば、ちゃんとしたマンションである。家庭訪問の時、先生に
「ピカピカのマンション」
といえばすぐ解ってもらえるのだろうか。荷物はまたずっしりと肩に食い込んでいるが我慢して歩き続ける。彼岸まであと一週間というの
に、仙台というのにこの暑さはなんだ。松島駅にたどり着くと今度はPASMOで改札をくぐり抜ける。停車している列車に乗りこむとほっと
一息。