題名:巡り巡って
五郎の入り口に戻る
外は明るくなってきた。昨日はよく眠れなかったからまだ眠い。しかしお前は何をしにここに来たのだ。いや、もちろん仕事できたのだがそれだけでいいのか。
というわけで、寝ぼけ眼でカメラを持ち歩き出す。昨日は途中から山にはいり南部砲台に行ったが、今日は海沿いの道を進み続ける。昨日到着した桟橋を通り過ぎ、もうしばらく行くとかつて使われていた桟橋がある。
この写真にあるように、空は薄曇りで波は静かである。そこから少し内陸にはいるとこんなものがある。
島に電力を供給していた発電所である。気球爆弾をつくっていたときには、この建物の中で気球を作っていたのだそうな。内部を望遠レンズで撮影してみるとこんなである。
せっかく廃墟の中にはいったのだから、もう少し気が利いたことを書けばいいと思うのだが、人間はいざ「何かかけ」となると自分の名前とせいぜい相合傘しか書けないのだろうか。しかし高いところにはどうやって書いたんだろうね。ハシゴでも持ち込んだか。
内部の能天気な落書きとは関係なく、この建物は朽ち果てている。
そこから山の中のくねくねした道を辿る。不思議なことにどこにいってもウサギがいる。ここには滅多に来ないはず。なのに人間を見ると
「食いものくれよ」
とばかりに寄ってくる。今になって餌をもってくればよかったと後悔するがなんともならない。
「すまんね。何も持ってないんだよ」
と言い訳をしながら進む。なぜウサギは島の人間居住エリアに密集せずこんなところに生息しているのだろう。あとで聞いたのだが、ウサギには縄張りという概念が存在するとのこと。それならうなづける。何かの基準で「強いもの」が人間居住エリアにおり、弱いものはこうして山の中に済まざるを得ない、とかそういうことか。もうひとつの疑問は、ここのウサギの数は人間が制御しているのか否か、という点である。餌は人間が豊富に(すくなくとも居住地域の近くでは)供給してくれる。天敵もいない。ならば無限にウサギが増殖するのでは無いか。それを人間が人為的に防いでいるのか、自然に調節されるのか。
そんなことを考えながら歩いていると、2−3組の人が同じ方向に歩いていることを知る。とはいえ、皆男女のペアで仲良く散歩をしているようであり、私のようにカメラをつかみ「次の目的地はどこだ」と血眼で歩いてはいない。結果として私が追い抜かすことになる。先頭を歩いているとうさぎがわらわらよってくる。そのうちこんな建物が見えてくる。
説明を読むと、火薬庫とのこと。映画だと忍び込んだ工作員が爆弾をしかけて吹っ飛ばすところだ。超戦争中には米軍が使ったとかいてあり、米軍の文字も書かれている。人工的に盛り土がされているそうで、周りからは見えにくくなっている。そこからさらに進むとこんなものが見えてくる。
北部砲台跡地とのこと。南部砲台よりいろいろな施設の跡が残っている。ここに見えている階段は異様に急であり、年取った要塞司令官とか登るのに難儀したことであろう。もちろんここもかつては写真などとれば投獄される場所だっただろうが、今はなんでもありである。
一部の砲台跡はこのようになっている。大砲を撤去し毒ガスをつめこんだタンクを設置していたらしい。もはや瀬戸内海に敵の軍艦が来るとかより毒ガスの増産、となったんだろう。
北部砲台から先に進むと、海岸にでる。
ここが軍事施設であったときからこの風景は変わってはいないだろう。静かな朝であり、静かな1日になるはずだ。海岸沿いに少し歩くとこんなものがある。
かつての毒ガス貯蔵庫。内側が黒くなっているのは終戦後にここで毒ガスを焼却処分したからだということ。
ここらへんから雨がぽつぽつ降り出した。私が持っているのはカメラだけであり、雨には全く手が出ない。先を急ぐ。テニスコートがあり、その奥に「日本庭園跡」とか書いてあったように思うのだが、草も深いし雨も降ってきたしで見送る。写真をとったが、何がどう日本庭園なのかさっぱりわからない。
そこからだんだん元の宿舎に近づいてくる。ウサギもぴょこぴょこ飛んでくる。中にはこうやってお乳をすっているものもいる。
こうやってウサギの授乳姿など撮影していられるのはありがたいことだ。宿舎の近くにもう一つ貯蔵庫とおぼしき場所がある。このような場所が整備され、厳重に警備されているより、こうして落書きの巣となっているほうが平和でよいことなのだろう。
といったところで、大久野島の見物はおしまい。仕事が始まるまで時間があるので、会議室に置いてある大根の葉っぱを掴んで日本庭園の方に戻る。さっき「すまん。すまん」といって通ってきたあたりのウサギにたんまり葉っぱを振る舞う。ウサギは別に恨みがましく思うわけでもなく、感謝するわけでもなくただ葉っぱをかじっている。
このあと心穏やかに仕事を行い、静かにこの島を離れるはずだった。
しかし朝食時に感じた揺れがすべての予定をひっくり返した。大阪で発生した地震により交通機関がマヒしたのだ。明日には東京で仕事があるというのにどうやって大阪を回避して東京に戻ればいいのか。広島にいって飛行機で飛ぶか、あるいは三原から夜行バスか。いろいろ考えたり、這うように進む新幹線に乗ったりした末、元の計画から1時間遅れただけで家にたどり着いた。やれありがたや。