題名:YDの逆襲-Part2

五郎の入り口に戻る

日付:1999/10/24


後編

さて、自己紹介の後会話はだいたいそれぞれのテーブルごとに別れて進んでいった。それぞれ「どこに住んでいるの?」という会話が行われた瞬間、私を除いた3人が某郡に住んでいることが判明した。古来合コンでこうした状況には時々でくわしている。よくあるのは、いきなり会話がローカルなほうにかたより「どこどこに喫茶店があり、そこのランチがどうだ」とか「どこにスーパーがある」とかいう話になり、一人別の場所に住んでいる私は会話からぽつんと取り残される、という状態だ。しかしこの日はあまりにも彼らが接近して住んでいることが判明し、かえって「あまり話を進めて共通の知り合いがいることが判明するのではないか」とかいうおそれからそれ以上某郡に関する話題が語られることもなかった。

ここで他の会話の内容についていくらか書こうと思ったのだが、如何せんこの日はご機嫌のあまりビールを飲み過ぎ、あれこれわめきらしていた記憶だけがあり、内容についてはさっぱりだ。しかし不思議なことに時間はいつの間にか過ぎていったのだから(少なくとも)私はご機嫌であったのだろう。しかし胸に手をあてて考えればあまり彼女たちの事を聞いていなかった気もする。ご機嫌なのはいいが、当日私はあまりに自分のことばかりわめきちらしていたのではなかろうか、という疑念がよぎり反省をすることもしきりである。自己紹介の最中に女性達に対して「好きな男優は?」とか「好きな映画は?」とかいう質問もあった気がするのだが、その答えとなるとさっぱり覚え居ていない。

さて、そうこうしている間に定番の話題「世の中に男と女は偏在している」になった。別のところでつきあいのある音楽教室の先生がたに話を聞くと、同じ教室にギターの部などもあり、そこには男性がけっこう来ているという。実際その人達と一緒に飲んだこともある。そうしたおつきあいはないの?と彼女たちに聞いてみると「そんなのは全然ない」という。どうにも生徒さん達というのは子供と既婚者ばかりという。ちなみに前に座っている腰痛仲間に「合コンとかよくやるの?」と聞いたところ、今日はおよそ2年ぶり、その前は数年間隔が開いているという。逆に私が勤めていた工場は男性数十に女性一人の環境であり、前途有望な独身男性がつみかさなりそして下の方にある男は発酵してしまうような場所だ。私は「bunとお知り合いになっておけば合コンが山のようにできますよ」と宣伝をはじめた。

さてそんなことをわめいていて、ふと気がつけば私の左に座っているNo4とbunが両方とも携帯を取り出し、お互い電話番号の交換をしている。うむ。なんというすばやい攻撃。私は酔っぱらいながらも感心していた。昔であれば「何か書くものある?」とかなんとか聞いて名刺か何かに書いた物だが。

実際そうした攻撃によって名前をはせた人間もいるのである。昔一緒の職場にいた男などは「どこでもコースターに電話番号を書いて渡す」という伝説を持っていた。それだけであれば普通だと思われるかもしれないが、その行為が伝説にまで昇華したのにはちゃんとわけがある。普通の飲み屋でコースターに電話番号を書くのはあたりまえだが、彼は屋外でBBQをやったときであっても、どこからかコースターを取り出しそれに電話番号を書いて渡したと言われているのである。

しかし時代は変わりそうした交流も様変わりを見せた。書く物も不要、コースターも不要。電話番号を聞いて後でどきどきしながらかけてみれば「あたしリカちゃん。お電話ありがとう」などという録音されたメッセージを聞き涙を流すこともない。疑念があればその場でインプットしてもらった番号にかけてみればいいのだ。もっとも未だに携帯をもっていない私にとってはそうした交流は未だに遠いところに存在しているが。私はと言えば、この日一枚だけ持っていたプライベートの名刺-インターネット上のサイトで作ってもらったやつで、名前とメールアドレス、それにWeb SiteのURLしか書いていない-を誰かに配ったところまでは覚えているのだが、どうもそれが有効に渡ったかどうかについて自信がない。記憶の糸をたどるとどうもbunに渡してしまったような気がするのだ。と書いていたら、そのbunからメールが届いた。「大坪さん、ちゃんと腰痛仲間に渡してましたよ」そんなことも覚えていないとは。

 

さて、今日は待ち合わせ場所から宴会場に向かう途中でYDから次のように聞いていた「一人門限が厳しい子がいるから、2次会はどうかわかりません」と。ふと気がつけばNo4と紀香2号がしきりにお互い顔を見合わせながら時計を気にしている。どうやら紀香2号の門限がせまってきているようだ。そろそろここを出る時間のようだ。

それでは、ということでその場所を後にした。表に出るとNo4と紀香2号は仲良く並んで「では失礼します」と挨拶をする。それに腰痛仲間もひっつこうとするが、日本シリーズがそれを止めて2次会に向かう仲間に引き戻す。(実際そこで腰痛仲間がひっつけばこの会はお開きになっていただろう)何度かそういう攻防が行われた末に残った6人は2次会の場所に向かうこととなった。

外は暑くなく寒くなく、外をたらたら歩くのになかなかよい気候である。空を仰げば満月がかがやいている。そして私はご機嫌で男子達とあれこれ話しながら歩いていた。bunはここ数ヶ月ひどい目にあっていたので、その話などをあれこれ聞きながら自分の境遇についても少し考えた。bunに「大坪さん。肌のつやがいいですね」と言われたが確かに彼に比べればそうだ。企業内失業者の環境もあまり続くと鬱病ぎみになるが彼のようにひどくこき使われることを思えばあまり文句を言える立場ではないに違いない。

途中で腰痛仲間がゲームが好きだ、というのでゲームセンターにはいることになった。今日は或バンドのギタリストとベーシストがそろっているわけだから、やるのはギターを弾くゲームである。我々がお目当てのゲームマシンを探し当ててみれば、前でカップルがやろうかやるまいか迷っている風情である。そこをぐるりと6人に囲まれて彼女たちは逃げ出した。さっそくYDとSG−2がゲームを始めたが、さすがに人前でしょっちゅうギターを弾いている人はノリが違う。SG−2などしっかりと左足でリズムを取り、まるで本当にライブでギターを弾いているかのようだ。素直にそうした姿をみて感動していればいいのに、私はふと気がつくとバックに流れる音楽に合わせて声を張り上げていた気もする。まあうるさいゲームセンターの中であるからあまり誰にも聞こえなかったとは思うが。

さてそのうち2次会の場所であるところの喫茶店についた。ごてごてと中に入って座れば、座席の配置は以下の通りである。

この時点では全く男女比がくずれているから、合コンの基本である(と私が勝手に信じている)男女変わりばんこなどは望むべくもない。日本シリーズのとなりに小さなスタンドがあって、「熱い」と消そうとしたら店の人に「つけておいてください」と言われてしまった。

さて、この喫茶店での会話はずいぶんと妙な具合に進んでいった。1次会では妙な具合にわめきちらしていた私は多少おとなしくなり、あれこれの人の話が耳に入ってきた。

ここで初対面のSG−2についてだけちょっと書いておこう。彼はYDが所属しているバンドのギタリストである。声はそんなに大きいわけではないが、ぼそっと愉快な事を言う。たとえばこうだ。女性が頼んだ飲み物に何か変わった物がきたところから「おしるこに、塩をちょっと入れると甘さが引き立つ」という話になった。そこでSG−2はぼそっと

「恋もそういうものじゃない」

と言う。場内大受けである。

いや、正確に言うと一人を除いて大受けだ。腰痛仲間というのは基本的に一つの事に大変興味が集中する人のようである。このちょっと前にYDと私の間で何かが語られていたところ、腰痛仲間が口を開いた。何か意見を言うのかなと思ったら口からでてきたのは「そのケーキおいしそう」であった。考えるに彼女の会話の基本にはどうもこの場ではケーキが据えられていたような気がする。SG−2がこの見事なセリフを吐いたときも彼女は(たぶんケーキに)気を取られていて「えっつ?何が何が?」と後で聞き返していた。

さて、その後しばらく「看護婦ネタ」が語られた。内容についてはこの日にしては珍しく私は覚えているのだが、このホームページの品位を保つために省略しておこう。ちなみにbunは「私は看護婦ネタには強いですよ」と言った。何故だ?彼女に看護婦でもいるのか?と聞いたら彼の家は看護婦一家で、母と姉が看護婦さんなのだという。

さてそんなことを言いながらもこの日の出席者の多くを占める中日ドラゴンズファンは、やはり今日からスタートの日本シリーズの結果がきになるようである。さっそく腰痛仲間があれこれと携帯を操作し出した。私は自分が携帯を持っていないからしらなかったが、あれやれこれやのサービスでそうした情報もとれるらしい。もっともこれはそのやり方を知っていればの話だ。彼女が最初にたどり着いたのは「星座別、今週の運勢」であった。それから数分間彼女は携帯と格闘していたが、とうとう日本シリーズの結果にはたどりつけなかった。

そこでYDが「では」といって自宅に電話をかけ始めた。どうやら皆が愛する中日ドラゴンズは完封負けを食ったようである。一同げんなりしたが、一人広島出身のSG−2は別にショックを受けた様子でもない。YDが話したのは彼の祖母であった。そこからしばらく「名古屋弁」についての話題が語られた。何でも彼の祖母が語る名古屋弁は半端ではないそうだ。実際ここでいくつかの言葉を彼が発音して、その意味を皆で推察したのだが、誰一人正解をだすことができなかった。それどころかその言葉はあまりに現在「標準語」なる言葉で呼ばれている言語とは異なっており、彼が何を言っていたのか記憶から掘り起こすことも困難な程だ。こうした言葉のやりとりは根が広島弁のSG−2にとっては宇宙語のやりとりのようにも聞こえたかもしれない。

さて、話はいつしかYD達のバンドの話になった。なんでも彼らが最近やったライブではYDのチューニングが狂っていたとの事である。彼が言うには、最初はちょっとおかしかったのを、やりながら直そうとしたらもっとはまってしまったそうである。彼はそのライブの途中でギャグを飛ばそうかと考えた、といった。

光景を想像してみよう。チューニングというのは結構時間を要する作業である。静まりかえった会場に「ちゅいーん、ちゅいいん」という音が響く。ここで彼が言おうとしたことは

「ここで中国の古の音楽をやりたいと思います。チョウ・ゲン(調弦)」

その瞬間場は氷ついた。彼はこのギャグをライブの本番で言わなくて正解だったのだ。

さて、楽しい時間もいつしか過ぎ、皆が家路につくことになった。まず最初に別れたのが車で来ていたbunである。(彼はいつも飲んでいない)次に地下鉄の別の線でかえるSG−2が階段を下りて消えていった。私は残ったYD及び日本シリーズとにこやかに談笑していたが、同時にかなりの頭痛を覚えはじめていたのである。

私は飲む量がそのときの機嫌にきわめて依存する人間だ。そしてこの日は大変ご機嫌だったのである。昨日までのわけのわからない仕事も一区切り。会社の上役と飲むなどと言えば一滴も飲めないだろうが、今日は友達と、愉快な女性達と飲めるとあればご機嫌にならないほうがおかしい。そして実際がばがば飲んでいたのである。1次会では途中から「あやしげなNot-native speaker of Japaneseの日本語」のような調子でしゃべっていた。これは滅多にやらないことなのだが、要するに私はべろべろによっぱらっていたのだ。

しかし2次会になり、酔いが醒めるにつれ、この日はちょっと風邪気味であり、かつ疲労もたまっていたことに気がついた。普段、機嫌がいいときは全く酔わないのだが、どうも風邪のせいだか、アセトアルデヒドのせいだか知らないが先ほどから頭痛が頭のなかでぐわんぐわんと鳴っている。

地下鉄を降りると私は長い長い家路についた。痛む頭を抱えながら。そしてこの頭痛は翌日一杯続いたのである。こうしてこの文章を書いているのは合コンから24時間以上立った後のことだ。

 

しらふになり、頭痛からもようやく立ち直ってこうして合コンを文章にしてみると、あらためて「自分が騒ぎすぎたのではないか」という嫌悪感に襲われる。実のところ最近合コンで騒ぎすぎることは滅多にないのであるが、、一時はこの合コンに関しては文章にしないことも考えたが、自戒も込めてここに書いておくことにした。


注釈

飲む量がそのときの機嫌にきわめて依存する:(トピック一覧)だから会社の宴会では飲まない。本文に戻る