題名:お山よ さよなら

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日付:2005/8/24


40山踏破ラリーの総仕上げ、同日登山で、私には伊勢の七洞山が当たりました。
リーダーの近藤さん、春日井から参加の武内さんと、3人で登りました。
地元の近藤リーダーのお陰で、なんの不安もなく登山口に着きました。
しばらく植林の中を登り、尾根に出たあとは、リョウブの滑らかな肌が目立つ自然林を登ることになります。
鈍足の私が先頭に立ち、後の二人を通せんぼして、ゆっくり、ゆっくり登って行きました。「今日は、疲れない山行をさせていただけます」。リーダーは私を傷つけないように、そんなように言って下さるのです。
七洞山は、頂上すぐ手前、巨岩が斜面にせり出し、絶好の展望台になっています。眼下に入り組んだ熊野灘を眺めながら、ふっと昔のことを思い出したのです。
もう何十年も前、鈴鹿セブンマウンテンを終わったあと、だんだん南へ南へと通い始めたのでした。鈴鹿峠を過ぎ、高畑山から油日山、錫杖、三峰、局ほかのピークを経て、七洞山のこの岩の上から、渺々と輝く太平洋を望みました。そしてそのとき、在原業平が詠んだ「唐衣着つつ馴れにし妻しあれば遙々来ぬる旅をしぞ想う」の古歌が、思わず口をついて出たのでした。
40山踏破ラリーが始まったときには、登っていないのは迷岳と高峰山だけでしたから、興味は湧きませんでした。それがなにかの機会に尾上さん の魔法にかけられ、一杯機嫌でお祭りの御神輿でも担ぐような気分になり、なんとなく参加することになったのでした。
現役を退いてからは、外国の山へ登るチャンスができました。外国の山は、わざわざ登りに行くぐらいですから、スケールが大きいのです。長時間歩いていることになります。鈴鹿の1000mクラスの山を、そんなペースに当てはめると1日に2山になります。
こうして40山の最初が、午前に御池岳、午後藤原岳でした。
単独行で1山に1日かけたのは、迷岳、池子屋山、宇蓮山、大台ヶ原だけでした。七洞山、八岳山、日本ケ塚山は集団登山だったので1日1山でした。
さて、竜ヶ岳に登ったときのことです。昔、あんなに何度も登ったこの山に、長い間ご無沙汰していたことに、ハット気がつきました。
この山に最初に登ったのは、長女が生まれた翌日でした。子供が病院で産まれた次の日の若い父親というものは、何もすることがないものです。
それで、職場のハイキングに参加しました。その頃の私には登山は未知の世界でした。砂山を越えたときにもう青息吐息の状態で、まだ先があると聞かされがっくりしたのでした。
あれから竜ヶ岳には、いろいろのシーズンに、コースを変え、何度登ったことでしょう。ひとりできたり、他人を案内したりして。

・梅ほろほろあの頃はみな若かりし

思えば、いつの頃からか、どの山に登っても、もう2度とくることはあるまいと、心の中で別れを告げる習慣になっていたのです。
でもこの竜ヶ岳には、私がそんな年令になってからは、一度も訪ねていなかったのです。しんみり、お別れを言ったことはなかったのです。
もしも、こんどの企画に乗らなかったなら、こんな旧知の山たちに、挨拶もせずにあの世に行ってしまっていたのだと気がついたのです。
東海支部の皆さん、本当に有り難うございました!

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