福島県川内村訪問記

(2012/06/11~13)

重遠の部に戻る


福島県川内村は、福島第一原発の20〜30キロ圏内に位置します。事故後、全村退避になりました。線量が比較的低かったので、2012 年3月下旬から一部の帰村が始まりました。私は、長年、電気事業に従事していた者として気になっていましたので、今回、友人と二人で現地 を見せていただいたのです。


「おい」と声を掛けたが返事がない。

たしか夏目漱石の小説「草枕」に、こんな文句が茶店を舞台にして書かれていた記憶があります。

今度の旅で、郡山でレンタカーを借り、私たちが到着した福島県川内村の昼下がりも、 そんな事態だったのです。旅館の玄関は鍵が掛かっていません。戸を開けていくら呼んでも、さらに人の気配はありません。

仕方がありませんから、まず村内の除染作業状況を見に出かけました。

そして、夕方、宿に入った私たちは、そのことを話題にしたのでした。

「食材の仕入れに遠くの町まで行っていたんですよ。この近くじゃできませんから」と、宿の女将さん。

少人数の集団で、医療、交通、買い物など地域社会コミュニティーを維持することの難しさを改めて思ったのです。


福島県川内村の面積は、名古屋市名東区の約10倍と広大です。一方、人口はといえば震災前でも3000人弱、名東区のたった2%しかな かったのです。役場や学校のある中心部のほかは、広い村内のあちこちに15戸、20戸と分散して集落があります。

川内村で、福島第一原発からもっとも近い地点は、発電所の西南西12kmほどの山林です。村自身の広さは、そこから西へ約15km,南 へは13kmほどあります。

福島原発事故で全村退避、そして今年3月下旬に一部復帰が始まったのです。現在の人口は約650人と言われています。


川内村見学

役場の窓口で二つの質問をしました。

居住制限区域(仕事で立ち入りは可能、居住は不可)と解除準備区域(居住可能)とを示す図面はありますでしょうかと尋ねました。そのよ うな図面はないとのことで、地図を指さし、東へ行くと道路際にに赤いランプがあり、そこが境だと教えられました。

なるほど、東へ、原発に向かう道を走ってゆくと、赤い電光表示板に「福島県警 厳重警戒中」とテロップが流れていました。

その近くに放射線モニタリングポストがあり、0.186μg/h(1時間あたりのマイクロ・グレイ)の表示が点灯していました。

これから先は居住制限区域になります。ぽつぽつと人家があり、車が停まったりして、多少、人の気配はあります。畳屋さんと、自動車修理 屋さんは大忙しの様子でした。

部落を抜けると何ということはない、東北地方の森林の中の道です。小さな峠にかかると道は急に細くなりました。川内村は標高400mほ どの高原なのです。原発のある海岸の富岡町に下ってゆく道路は、トンネルと橋梁を使った新しい道でつなぐ改修工事中だったのでしょう。 しっかりしたコンクリートの橋脚が、工事中の姿のまま打ち捨てられていました。そして間もなく道路はバリケードで遮断され、警察の方が警 備しておられました。


放射線量のモニタリングポストは、このほかにも何箇所かありました。除染の終わった小運動場に置かれたモニタリングポストでは、低い値を 示しているのが分かりました。

住民にとっては、現実には自分がいる場所、つまり道路と住居の線量が問題になるわけです。まだ作付けされていない田畑や、村の面積の 95%を占める林野の処置は将来の問題であります。

役場での、もうひとつの質問として、避難先から戻ってくる人たちの増加の傾向を聞いてみました。この質問については「あまり、はかばか しくないんです」という返事で、少しでも早く元の状態に戻ってほしいと願う気持ちと、難しさが伝わって来ました。


小学校と中学校へも行って、どんな様子か聞いてみました。どちらでも、とても親切に教えてくださいました。

小学校では、玄関に備え付けられた下駄箱が学年別になっていました。このため6年生が7名、1年生が5名、2年生はひとりもいないこと などがすぐに分かり、胸が痛みました。全校生徒37名とかで、通常でしたら、こんな少ない生徒数の場合は複数学年をまとめて授業をする複 式授業の対象なのですが、ここでは現在、特例として学年別の授業を行なっていました。

近年建設された校舎は広々としているうえ、IT利用の教育設備が完備し、言ってみれば日本離れした 素晴らしい 環境の中で、少ない児童たちが互いに寄り添って、熱心に授業を受けていました。


中学校では校長先生が、いろいろお話を聞かせてくださいました。

中学校の生徒数は、現在14名なのだそうです。

20年前、新校舎が出来たときの生徒数は約300名、それが昨年3・11時点には60名だったのだそうです。

全村退避の時期に川内中学校は、郡山市の中学の空いている教室を使って授業を続けたのです。その時、生徒数は半分の30名に減っていま した。ほかの生徒たちは,よその地方に移ったのです。

そして、現在、川内村の校舎に戻ってきたのは、さらにその半分の14名ということでした。

事故発生後、村には線量が比較的高いところもあったけれども、この学校の辺りは始めからそんなに高くなかったとのことです。 校庭の除染は、 土の表面10cmをはぎ取り砂で覆う作業は終わっていて、平常値に戻っているそうです。

先生はネットのホームページに、川内中日記をアップしておられます。給食、体力テスト、校内放送など毎日毎日変わったテーマの様子を見 ることができます。まだ帰ってこない生徒たちが学校の様子を知り、今年の2学期には少しでも沢山戻ってくれて、川内村の再起が進むのを 願っておられるのです。

先生は必要なことだけを、漏れなく、淡々と話してくださったので、私としてはかえって、事態についてのいろいろのことを考えさせられま した。


川内村では、事故前から過疎化が進行中だったのです。人口の大都市集中、農村の過疎化は大きな時の流れです。日本で、この流れに逆流が起 こったのは70年前に起こった敗戦、日本の飢餓列島化の時代だけです。

目を世界に向けても、大都市への人口流入と農村の過疎化の流れは、とうとうと進んでいます。この社会現象は、肌の色など越えた、人類共 通の本質なのです。

生活が不便で仕事も少なく若者に魅力が感じられない地域の、過疎化対策として考えられる現実的な手段のひとつは、財政的な支援や企業誘 致でありましょう。福島県では過去何十年も、原子力発電所や火力発電所が、その役目を担ってきたのは疑いのない事実であります。

昨今、落ち目の日本にとって,それに代わる存在があるようには思えません。川内村は、これからどうなってゆくのでしょうか。


現在、川内村にいる人達とお話ししていて、皆さんは「汚染」を、線量を基準にして話しておられることを改めて痛感しました。むしろ汚染と いう言葉を抜きにして、どこそこの線量は幾つというような会話をしているのです。その様子はまるで、家の前では雪が50センチあったが、 学校ではたった5センチだった、と話しているようです。実際、汚染物質が風向きや障害物によって、場所場所で違った量だけ落ちているのが 目に見えるよう感じました。

居住可能地区では住居の回りの表土を剥ぎ取り、近くの立木の下枝を払い、あとに砂を入れてカバーし、線量を下げる作業が続いています。 作業をしているおばさんたちの態度には、こうすれば居住空間の線量が下がるということを、まるで目で見ているようだと感じさせられまし た。


はぎ取った土は、直径1m,高さ1mほどの大きな空色のプラスチックの袋に詰められます。伐採した木の枝は、まずチッパーで細かくして、 同様に詰めていました。

「よそへ持って行くと叱られるから、向こうの山の奥に置いている。プラスチックの袋は3〜4年は大丈夫だそうだ」と作業している監督さ んが、控えめな口調で教えてくれました。

こうして線量を下げ、村の生活空間を広げておられるのです。

除染作業に従事していた人たちは、すべて線量を物差しにして、正しく恐れながら納得の範囲内で、村の復活、存続のために働いておられま した。どんな分野でも、第一線で働いている人たちは、ここの人たちと同様に、物事を現実的に認識し対処しているのだろうと感じました。


2日目の昼飯のことですが、川内村には現在、食堂はありません。西にあたる小野町へゆくのが一番近いと聞きました。「なに、30分もあれ ば」と聞かされましたが、私たち二人とも、細い曲がりくねった道路の運転には慣れていませんので、片道1時間もかかってしまいました。

行き着いた福島県小野町だって、線量は毎時約0.1マイクロシーベルトあります。でも、この町では人や車が溢れ、すべての営みは通常と 変わりません。だって世界平均放射線量は0.23マイクロシーベルトなのですから。


ここまでに書いてきたことは、私が今回の旅で見聞したことと、それについての多少の感想でした。これからは、それに関連した私の愚考を、 披露させていただくことをお許しください。


川内村はどうなってゆくのでしょうか

川内村再興の道が厳しいことは、地元の方々は疾くに認識しておられます。

村への帰還に際して、村長さんは次のような感想を漏らしておられます。

「一年におよぶ避難で、買い物や通院に便利な都会生活に慣れ、新たな人間関係もできる。こうした村民の心が村から離れつつあり、避難が 長期化するほど帰る人が少なくなるというわけである。また、補償や賠償のあり方もネックになる。生活不安を抱えながら村に戻った人が打ち 切られ、避難を続ける人だけがもらい続けるのでは、誰も帰還したがらない」

責任者として、率直に問題点を認識、表明されています。


当然のことながら、村当局は帰村宣言後の本年2月3日~3月2日、村民の意向調査を行なっています。 調査は、全村民2894人を対象に実施。1817人から回答を得ました。その結果では、593人(33%)が「帰村する」と回答、512人(28%)が 「帰村しない」と答えています。そのほか「分からない」と答えた人がが618人(34%)と最も多 く、「帰村済み」が94人(5%)でした。「帰村する」と答えた人に時期を聞いたところ「4月までに帰る」が250人。「1年以内」が209人、「2年以 内」が64人でした。

 「帰村しない」と回答した512人に、その理由をたずねたところ(複数回答)「放射能被害がこわい」が201人(39%)で最も多く なっています。(筆者注 本当の理由が何であれ、この際「放射能被害がこわい」と答えておけば無難ではあります)

おおまかには、帰村する、帰村しない、分からない、が、ほぼ3分の1ずつといえましょう。現実には6月時点で650人が帰村しておられ るとのことで、これは村民の約22%ですから、アンケートというものの性格上,ほぼ妥当であることがうなずけます。

アンケートに現れているように、世の中には、色々の考えを持った人がいます。一人の人でも時によって考えは変わりますし、一人の人が同 時に幾つかの考えを持つことだってよくあることです。その人の置かれた環境も様々です。


以下に、今回、川内村を訪ねたことをきっかけにして、私の頭に浮かんだことを羅列させていただきます。これらの項目について、あなたな ら、どうお考えでしょうか。「えっ、なんと下らないことをごちゃごちゃ並べたもんだ! どっちでもいいじゃないか」、ですか。恐れ入りま した。


汚染の尺度

先の文中に、川内村に実際に住んでおられる方々が、現場の状態を線量という物差しで把握しておられると述べました。ところが世の中に は、線量ではない物差しもあります。


そのひとつは〈地名〉による判断で、これは線量に関係ない物差しであろうかと思います。

〈福島〉ナンバーの車お断り、との噂がありました。また「このお鍋、〈福島〉の会社が作ったんじゃないでしょうね」れっきとした老婦人 にそう言われたという店員さんを知っています。

同じ〈地名〉という物差しで選ぶ傾向は、〈福島〉をもっと広い〈東北地方〉へと広げます。仙台よりもずっと北の、気仙沼や陸前高田など 〈東北地方〉の瓦礫の焼却についても「日本列島を汚染列島にするつもりか!」など声を張り上げる人たちがいると聞きます。

さらに、〈東北地方〉は〈日本〉にまで広がります。

汚染された〈日本〉への観光中止、〈日本〉産の食品輸入禁止、〈日本〉からの留学生帰国勧奨、外国にそういった動きがあると報道された ことはご記憶でしょう。


放射性物質の量や影響の大小は不問にして、あるか、ないか、というのも物差しのひとつです。もっとも、ないほうの側が単独で報道されるこ とはありません。

「原発の事故で大気中に放出された放射性物質が日本全土に降り注いだことが、25日に発表された文部科学省の調査で裏づけられた。第一 原発から約1700キロも離れた沖縄県を含む45都道府県でセシウムが観測された」(朝日新聞)。

「原発の事故で放出されたストロンチウムとプルトニウムについて、文部科学省は30日、周辺の土壌の汚染マップを初めて公表した。スト ロンチウムの沈着量は 原発の20キロ圏内と北西で高い傾向だった。過去の大気圏内核実験で国内に降りそそいだ放射性物質の測定の最大値の6倍のところもあった」(朝日新聞)

 のように使われます。

文部省発表文の中にある「プルトニウムやストロンチウムの沈着量はセシウムに比べ非常に小さい。今後の被曝の影響評価や除染対策はセシ ウムに着目するのが適切」の文言も紹介していますが、問題とならない微量のストロンチウムを6倍と強調するところにメディアの特性が読み 取れます。


放射線の人体への影響

放射線の人体への影響については、日本人にとっては、広島で出会った不幸な経験が論より証拠として、説得力を持つはずだと素直に考えら れます。


今年も原爆記念日が近づいてきます。先日、こんな新聞記事を見かけました。

「8月6日の平和記念式典で、原爆慰霊碑に奉納される原爆死没者名簿の記帳が、11日始まった。ともに3歳で被爆した元広島市職員の女 性2人が、死没者の名を丁寧に記帳していった。原爆の日前日の8月5日まで続けられる。
 昨年8月6日以降に、遺族から申請があった人 や、被爆者健康手帳所持者で死亡が確認された人が書き加えられる。昨年8月5日現在で27万5230人が記載され、今年の記載分は11日 までに3155人を同市が把握した。 会場の広島市役所(中区)で、記帳者の中本信子さん(69)=南区=は、東京電力福島第1原発事故による避難者に思いをはせ、「被爆者として、同じ思い で書きたい」。もう1人の記帳者の池亀和子さん(70)=同=は「亡くなられた方のご冥福を祈りながら、丁寧に書きたい」と話した。(毎 日新聞)

国が被爆者として認定した被爆者健康手帳を所持しておられる方は、平成22年時点で219,410人という数字があります。子供を放射 線の被害者にしたくないという気持ちは、母親ならずとも万人共通の願いでありましょう。私はこの新聞記事から、子供の被曝について強い不 安を抱いている人たちが、3歳の幼児の時に広島で被曝なさったお二人が、古希までお元気で働いていらっしゃる現実を知って、不安を少しで も和らげられればよいと願うのです。

ところが、某新聞は「広島で原爆死没者の記帳始まる 新たに3155人」と見出しを付けています。これは、被爆後67年たっても、まだ 被曝によって死ぬ人がふえているのだと不安感を煽り、目を引こうとするもので、マスメディアの習癖の一例と言えましょう。


放射能汚染による被害についての諸見解

福島原発事故の放射能汚染による被害についての情報は、出尽くした感があります。改めて、そのいくつかをここに羅列し、眺めてみましょ う。


作家 豊田有恒氏

放射線量は、セシウム134(半減期2年)が4分の3を占めているので、セシウム137(半減期30年)との合計で考えると、2年で半 分ぐらいになる。また、距離が2倍離れれば線量は4分の1になる。適切に管理すればまず問題はない。


日本アイソトープ協会常務理事 佐々木康人氏

100ミリシーベルト以下になりますと、影響はあるかもしれないが、原爆被爆者十数万人の疫学調査では統計学的に明確に出てこないので す。そのため、わからないということになっています。日本人の場合、いま3人に一人はがんで死んでいますし、2人に一人くらいはがんに 罹っています。その割合が僅かに高まるかもしれない、そういう線量が100ミリシーベルト以下です。

放射線の影響は、胎児と子供とでは殆ど変わらず、大人の3倍ぐらい感受性が高い。 


京都大学原子炉実験所助教 小出裕章氏

 放射線は生命体にとって圧倒的に有害です。100ミリシーベルト以下は安全だという学者もいますが、そんなことはありませ ん。100ミリシーベルト以下は、疫学的に確定できないだけです。国際放射線防護委員会ですら、100ミリシーベルト以下の被曝であって もがんのリスクがあると認めています。  


京都医療科学大学学長 遠藤啓吾氏

 ふだんでも放射性カリウム40は体の中に4000ベクレルありますから、プラス数十ベクレル、何百ベクレル入ったところで 4000ベクレルに比べれば少ないですから、そんなに心配する量ではないのです。  

病気の治療には、はるかに莫大な量を使っています。バセドウ氏病では3億ベクレル程度です。アメリカのブッシュ元大統領もバセドウ氏病 になり,ヨウ素131治療を受けたと聞いています。

放射性セシウムの場合、排泄により体内にある量が半分になる時間、つまり生物学的半減期が成人で100日ぐらいで、赤ちゃんだと10日 ぐらいです。

自分で測定するのがいいのじゃないでしょうか。年間20ミリシーベルトを超えている方はほとんどいませんし、ましてや一般住民で100 ミリシーベルトを超えている方は一人もいないんじゃないでしょうか。

新聞を見ましたら、福島医大の精神科の患者さんの2割は「放射線被曝が心配だ」という患者さんだと出ていました。ですから、放射線より も精神的なストレスのほうがよっぽど害が大きいと思います。


アメリカのエネルギー・コンサルタント会社の上級技師ガンダーセン氏は

「福島の原発事故は、1986年に発生したチェルノブイリの原発事故よりもはるかに深刻なものだ」としています。

さらに、「チェルノブイリでは、事故発生時、およそ7%の能力を占める原子炉1基のみが稼動していたが、福島の事故では、100%の能 力を占める3基を含む原子炉が損害を受けた」と語りました。

また、「チェルノブイリの事故から2週間後には放射能漏れは停止したが、福島では1年がたった今も依然として放射能漏れが続いている」 と述べました。

この専門家はさらに、「福島原発の周囲の樹木から、大量のセシウム137が検出されたことは、この事故後に出された懸念すべき報道だっ た。これに加えて、セシウムが河川や太平洋に流れ込み、海洋生物の命を深刻な危険にさらした」としました。

また、「福島の事故については、現在まで何の健康被害も報告されていないが、

今後20年以内に、100万人が各種の癌やこの事故を原因とする病気にかかるだろう」と述べました。

この専門家は最後に、「東京の多くの住民は、原発事故は停止し、自分たちは無事だったと考えているが、20年後、東京の住民にこの事故 の影響が及ぶだろう」としています。


東京大学

学内の放射線を計測して公式サイトで公表している東京大学が、測定結果に「健康にはなんら問題はない」と付記してきた一文を、全面的に 削除して書き換えた。市民からの問い合わせが相次ぎ「より厳密な記述に改めた」という。学内教員有志からも「安易に断定するべきではな い」と批判が寄せられていた。

測定値は東京・本郷と駒場、千葉県柏市の各キャンパスの、3月15日以降、毎日1時間ごとの値を掲載している。柏キャンパスは現在、毎 時0.25マイクロシーベルト前後だが、平時は0.05~0.10程度。サイトでは「(原発の)事故前より少々高めの線量率であることは 事実ですが、人体に影響を与えるレベルではなく、健康にはなんら問題はないと考えています」とのコメントを載せていた。

 これに対し、学内の教員有志45人が今月13日、断定的な表現を避けるべきだなどとして、記載を改めるよう浜田純一総長に要請書を提 出した。ごく微量でも放射線量に比例して発がんリスクがあるというのが世界的に標準的な考え方だと指摘。「(安全だと)強い断定をするの なら、悲観的学説をなぜ排除したか説明が必要だ」と主張した。


 

中部大学教授  武田邦彦氏 

あと3年・・・日本に住めなくなる日 2015年3月31日

ある読者の方が線量計を持っておられて、それを使って毎日、定点観測を続け、その結果をお送りいただいた。測定は毎日、朝は職場、夕は ご自宅玄関前、夜は自宅居間就寝前 の3回の測定を標準として、その平均値を整理しておられます。

場所は三重県です。それをグラフにプロットしてご自宅付近の放射線量の変化を見ておられます。科学的に正確でデータもシッカリして、こ れこそ「被曝の問題を日本人一人一人で取り組み、より安全な生活を目指そう」という活動のなかですばらしいものと思います。

データの詳細は別にして、昨年の9月頃より三重県の放射線量はわずかならが上がっていて、一次方程式(y=ax+b)で書けば、今年の 1月から3月までの平均がb(つまりおおよその最初の状態)が毎時0.10マイクルシーベルト、a(変化)が0.0004((マイクロ シーベルト/時)/日)です。もちろんデータは個人が測定したもので、ある場所に限定されますし、また最小自乗法でaやbをだされていま すが、それも科学的には問題はありません。

これから計算しますと、若干の内部被曝なども加味して、三重県の外部からの被曝が1年5ミリになるのは、2012年1月から3年4ヶ月 後となります。つまり、2015年4月1日になると、三重県には住めなくなるという計算結果です。

 

日本国前首相 菅直人氏

「1億分の1でも1回で地球が崩壊するようなリスクは取れない」とも指摘。

保安院による原子力に関するやらせ問題にも触れ「私が厚相のときに体験した薬害エイズの構造とそっくりだ」と指摘。


福島県立医科大学副学長 山下俊一氏

100ミリシーベルト以下の被曝では人体に影響は見られなかった。

ニコニコ笑っている人には放射能はきません。福島のいまのレベルで身体に影響をおよぼすことはまず考えられません。


情報の羅列はここまでにして、これらの情報について、あなたはどう考えますかと問いかけるつもりでした。

でも、その前に、まだ1点申し上げておきたいことがあるのです。


傷は深いのか、浅いのか

私が子供の頃は、社会通念として、怪我をした人には「傷は浅いぞ、しっかりせよ」と声をかけて励ますことになっていました。その裏返し に、小学校の運動会で転び、わずかに擦りむいた友達には「傷は重いぞ、がっかりせよ」など、冗談で囃したものです。精神的なストレスや自 律神経の緊張状態が 長期間継続することは、 健康に害があることは広く認められているのです。

不測の事態に巻き込まれて動転している人に、まずは気持ちを鎮めさせ、希望を持たせることは、今の世だって大事なことではないでしょう か。それなのに今回の福島原発のケースでは、次から次へと「傷は重いぞ、いまは良くてもこれからもっとひどいことになるぞ」という表現の 情報が飛び交ったのです。

今回の事態で、多くの不幸な人たちを際限のない不安の暗闇に引き込んでいった問題のひとつは、マスメディアが「政府、学者、電力会社な ど当事者」は、信用できないと報道し、国民がそう思い込んだことであろうと思います。殆どの国民が、何を信用したらよいか、わからなく なってしまったのです。

そのことによって、多くの人々が嘘ではない情報はないかと、不安を煽るような情報を追い求め、不正確な情報により不必要な不安に追い込 まれ、健康を害し、極端な場合は命を縮めてしまったと思われます。


今回の地震や津波は数千年に一回起こる規模のもので、行政、企業、教育機関、住民など国民全体にとって想定外のものでした。事前の訓練な ど役に立つような被害程度ではなく、誰も彼も、不意を突かれて右往左往するなかで、それなりに最善を尽くしていたのです。じゃんけんの後 出しのように、あとから非難してみても仕方ないことは多かったのです。そんななかでマスメディアは、当事者の言うことは当てにならない と、報道し続けていました。

一時は、死者、行方不明者の数が4〜5万人に上るような数字が出ていました。現実に2万人弱に落ち着いたのは後日のことです。そのこと は、仕方ないこととして不問に付す一方、国と電力の発表については、神様との比較において、以前に発表した数字と違うなどと口を極めて悪 口雑言を浴びせたのでした。

どう報道すれば国民のためなるかという視点からではなく、どう報道すれば大衆の喝采が得られるかという観点に立っていたといえます。ど ういうわけか大衆が、傷は浅いぞしっかりせよと説く人は悪人、傷は重いぞがっかりせよと深刻ぶる人は聖人と思い込んでいたことが、そのよ うに報道させていたともいえます。

例を上げればきりがありませんが、震災の9ヶ月後、政府が冷温停止を宣言したときの報道を思い出してください。政府は「冷温停止」状態 になったと発表しただけなのに、マスメディアは勝手に収束という言葉を使い、まだ炉の中に壊れた燃料があるのに政府は収束したと嘘をつい ていると、しつこく言い立てていました。メディアに反省という言葉はありません。自分らに具合が悪くなると、スルーを決めこみ口を拭って いるのです。


安心とは

さて、とうとう川内村の帰村にあたって、先に上げた放射線に関する諸情報を、あなたがどう考えるかと問いかける段階に達したと思いま す。

より具体的にいえば、放射能汚染の評価について、「安全」と「安心」を問うことになります。

安全の方は、事実の追求ですから、勉強につながります。情報の根拠や、その発信者がどういう人物なのかも含めての探求になります。

安心の方は簡単なものです。どう思うかだけなのですから。

安全であると説かれても安心だとは納得できない人は、なにも自分が不勉強であるなどと引け目に感ずることはありません。

地球上に住む70億人のことを考えてみましょう。70億人のうち99.99・・%までの人は、日本の福島県川内村の問題について突き詰 めて勉強することは考えられません。したがって気楽に、放射能などあるよりないほうがいいに決まってる、つまり強いて言えば不安があると 言っておけばよい立場なのです。そして、地震や津波が来る可能性がある日本で、原子力発電などやらないほうがよい、と思うのは当然です。 なにせ、日本が採った行為の結果がどうなろうとも、まったく自分たちには関係のないことなのですから。

それにつけても、私には広島市のことが頭から離れないのです。

原爆を投下された広島市、長崎市は、相当の期間、かなりの放射能汚染が続いていたに違いありません。当時、私は15歳でした。「広島は 放射能が強く、今後60年は人が住めない」と新聞が大見出しで報道したことを覚えています。その汚染状態や人口が、経年的にどう推移した かの実態は、数字を持ち合わせませんので議論できませんが、かなりの線量がまだ残っていた地域に、多数の人が住んできたことは確かでしょ う。分かる限りの実態を数字で示すことは、多くの人々が安心を得る、強い助けになると思うのです。

少なくとも、現時点の汚染状況はわかるはずです。一体どれほどなのでしょうか。プルトニウムの半減期2万4千年などと聞くと、もし検出 されないのだったら、その理由はなになのかと聞きたくなります。

願望としては、福島原発被災者の人たちにとって、かっての広島の状況と比べ、「傷は浅いぞ、しっかりせよ」と、励ましに役立つような データがあれば嬉しいと思うのです。

両市への市民の復帰の最初の時期は、原爆投下から日のたたない、かなりの汚染状態だった土地に、専門家の意見を聴き勉強して自分なりに 納得した人ばかりではなく、食ってゆく手段として、あるいはなんとなく住みついた人があったのでしょう。そして現実にはとくに大きな問題 も起こらず、だんだんに人口が増えていったのでしょう。そして、いつの間にか汚染や線量のことなど脳裏から消え、無事・無関心の現状に なってきているのだと思います。

繰り返しになるかもしれませんが、地域社会復活のスタートは、実際に安全が確保されただけでは駄目で、まず少しでも沢山の人が住むこと が先決です。住む人の数が増えてきさえすれば、普通の人々も安心するのです。


人が住むには仕事が

人が定住するためには、仕事先が要ります。

広島市は広島県の中核都市として、1970年から2010年までの40年間で人口80万人から117万人へと1.46倍に増えていま す。

それに対して、川内村では同じ期間に4709人から2821人へと40%も人口が減少しています。

川内村の過去を振り返ると、昭和2年、村有林からの利益が増大し、全国にも希な村税の廃止を行い、「無税川内村」の名が広く知られたの でした。一寒村である川内村が、五十万俵という大量の木炭を生産、日本一の生産地となったのです。

昭和20年の戦後の時代には、食糧、燃料等が全国的に不足し、木炭・薪の生産地である川内村は大いに潤ったのでした。しかしその後は御 多分にもれず、人口の都市集中の波の中で過疎化の運命を辿っていたのです。

いま現在、すでに村の生活空間の安全面はクリアされているといえます。しかし働く先がないので、定住できる人の数が増えるのは難しいと 考えるよりしかたありません。

この認識に立てば、いつかは訪れる運命だった廃村の時期を、 福島の事故が 早めたのだと考えられます。


何が可能か

この訪問記を書きながら、ネットで川内村のことをいろいろ勉強させてもらいました。行政や住民の皆さんが現実を直視され、将来の展望を 描いておられるのがよくわかりました。

私など、やはり、ちょっと見の旅人のひとりに過ぎないことを思い知らされています。いまさら、なにひとつお役に立つことなど申し上げる ことができるとは思いません。

ただ一件、元電力技術者として気がついたことを書き留めておくことは許されるかもしれないと思うのです。


村全体の様子を見ておきたいと思い、国道399号線をいわき市に向かって車を走らせました。国道といっても、山の中の曲がりくねった細い 道です。村界とおぼしき峠のあたりで、巨大な送電線があるのに気が付きました。日本では東京電力にしかない100万ボルト設計の送電線な のです。

もしも川内村を高速道路が通り、村内にインターチェンジがあったとしたら、村の将来像を描くのに、どんなに大きな武器になることでしょ う。

この100万ボルト送電線は、道路に例えれば極め付きの大容量高速道路といってよろしいでしょう。このほかにも、50万ボルト送電線な ど、この地域には電力の流通設備には膨大な投資が行われています。大送電網というインフラストラクチャを活かし、日本中枢の地、首都東京 圏を支える電源地帯となることが、この地域の必然的な生きる道でありましょう。

やはり土地固有の条件というものはあるのです。過去半世紀以上、迷惑施設の撤廃を求め国民の共感を得ながら、繁栄を続けている沖縄県の ゆきかたは参考になるでしょう。

チェリノブイリの場合、事故を起こした4号機に隣接した1~3号機は事故後も運転され、最長の3号機は14年間も運転されていたのでし た。 福島県海岸地域に現存する運転可能な原子力発電所、火力発電所を稼働させることは、物理的な安全面では解決可能です。安心さえ得られれば運転を再開し、東 日本全体のみならず、地域の活性化、働き先の提供に資することはいうまでもありません。発電所群の後背地高原にあたる川内村は、太平洋岸 の働き場所まで無理のない通勤圏内であります。また、3・11以前に操業していた、「かわうちの湯」「いわなの里」などの観光施設を、地 域の軽井沢的機能として提供できることになりましょう。

ところで、人々の安心が得られるのは何時のことになるのでしょうか。それは社会のあらゆる部門の責任にかかっています。その中でもメ ディアが最重要であることは、いうまでもありません。多くの人たちが安全を納得するようになる時期を、私は広島を念頭にして「60年も経 てば」と申しました。 ところが、ある友人はそんなにはかかるまい、10年もあればと言います。もうひとりの友人は、人間ってすぐ忘れるものよ、そんなにかかるものですかと口を 挟みました。 なにせ老い先の短い私です。たとえこの世で見られなくてもあの世から、いろいろの人間が織りなす社会の移り変わりを、興味深く見続けるつもりです。


まともな議論の必要性

ここまでに私が申したのは、この地方が希望を持てるとしたら、大規模な発電基地になることだろうということです。

しかしそれに対して今の世のなかでは、これからは消費地近在の分散型電源の時代だ。それも風力・太陽光の自然エネルギーの時代だ。大規 模電源、大規模送電の時代ではない。そんな意見がでてくることは容易に想像されます。電気のことを知らない人たちが、そのような教条的な 誤った認識をベースにして議論している現状が、深く危惧されるのです。

電気のことを知らない人たちのあいだでは、太陽光発電の合計が100万キロワットになれば、それは原発一基分にあたるというような表現 が使はれています。これは間違っています。

ヨーロッパ、とくにドイツで風力や太陽光発電が物凄い勢いで増加しました。これは再生エネルギーの導入を進めるための立法措置による優 遇措置の成果であります。この法律の目的が「地球温暖化防止、環境保全及び持続可能な社会の発展のため」とされていることは、しっかり認 識する必要があります。ヨーロッパでは、使う人に不便をかけないように十分な発電設備があるところで、「温暖化ガスの発生を減らすため」 に風力や太陽光発電を導入しているのです。

ところが、いま日本で流されているのは、風力、太陽光、原子力と、どれも炭酸ガス発生とは縁の遠い発電方式なかで、原子力発電を全廃し 足りなくなった供給力を再生可能エネルギーで賄おうという考えです。

どこか地域を選び、太陽光発電装置だけでやってみれば、それがどんなに不安定で高価につくか実際の数字が得られます。そのデータを修飾 なしに全国民の目に曝し、その実態認識を踏まえて議論されなければなりません。


喩え話をしましょう。

Aさんのお宅の電気は、20アンペアの契約だったとします。100ボルトですと2キロワットになります。お隣のBさんが2キロワットの 太陽光発電装置を作って、Aさんに全量売る契約をしたとします。

Aさんは日が暮れてから、電灯を点けようとしても、Bさんは今電気はありませんと言うだけです。テレビも見られませんし冷蔵庫だって冷 やせません。

翌日、家人が留守にしているあいだ電気はほとんど使いません。でも、契約ですから出てくる電気は引き取ってほしい、もしどうしても引き 取れないのならば、太陽電池など発電装置を買うのに銀行から借金しているので、その利子や、メンテナンス費用は、料金として頂戴しますと 言われます。

つまり、風力も、太陽光もお客さんが必要とする電気は作れないのです。売る側のBさんが貯蔵装置を付けて、Aさんが求めている、いつで も使える電気に変え、その貯蔵に要する費用も料金として含めて請求するか、あるいは買う側のAさんが貯蔵装置を用意し、気まぐれに送られ てくる電気を貯めておき、好きなときに使えるようにするかです。梅雨時のことを考えれば、そんな小さな貯蔵装置では済みません。おまけ に、2キロワットの電気を使いながら、貯蔵に回す電気も発電せねばなりませんから、余分の発電装置も必要になります。

もともと、2キロワットの太陽光発電装置で、2キロワット発電できるのは、とくに空気が澄んでいる日の正午前後だけで、一年のうち10 日もあればよいほうです。今日はいいお天気だという日の日中でも、まあ80%も発電できれば上等なのです。

社会としては、どうしても安定した電気を出せる電源が必要なのです。いわゆる自然エネルギー発電は、炭酸ガスの発生を減らすためのもの で、社会が必要とする電気を供給できるものではないのです。どうしてもそれでやってみたいというのでしたら、一度、必要とされる貯蔵装置 などスマートグリッドの見積りをとってみることをお勧めします。


教条的に「脱原発、自然エネルギー」を唱える人は、まず、どこか電気的に隔離された小島などで実行してみることです。その使いにくさと電 気代の高さに驚かされ、目が醒めることでしょう。

あえていえば、過去に確か、似たような実験をしたはずです。この時は、ひとり前の使える電気にするために、ディーゼル発電機で助けたは ずです。どうせ自然エネルギー派にとって好ましくない結果が出ているので、話題にしていないのだろうと勘ぐるのです。


蛇足

福島第一原発の事故で一時は全村退避となり、最近、帰村が始まった福島県川内村を訪ね考えさせられた事どもについて、いろいろと文字を 連ねてきました。

その結果を、かいつまんで言えば、過疎化の道を歩んでいた川内村が、原発事故でその時期が早められたこと、そしてそれを食い止め、希望 をつなぐ手段としては、この地域が大規模電源基地になることしか考えられないということです。

そんな、現下の世論を逆なでし、実現困難な希望的観測しか提案できない私に、失礼、かつ冷酷な性格であると世間から指弾を浴びるような 予感がします。村でお会いした、真剣に将来を心配していらっしゃった方たちのお顔を思い浮かべると、だんだんと気持ちが落ち込んでくるの です。その結果、私の考えなど、誰にも言わず、封印しておこうかと思ったこともありました。 ところが、ネットを見ているうちに、下記のような記事を見つけ、ふと、気が変わったのです。


〈福島県川内村村議会議員 西山千嘉子氏ブログ

東電マジ怖い。私は今日、この話を福島の人間から聞くまで、自分でゆーのもなんやけど、結構広い人脈があるので、まーまー色んな話は把 握できてるかと思ってた。でも私の希望的観測に基づいた妄想は、凄く甘いことを今日、思い知った。

 今日、ある内部関係者の方とお話した。『原発作業員が百数名、亡くなっていて、遺体は福島県立医科大学に『放射線障害研究用検体』と して管理されている話。 福島第一原発で作業員百数名が行方不明は嘘。

 瀬戸教授の精一杯の内部告発。だけど現実は、もっと酷かった。

 作業員死亡者数 約4300人 、一遺族への口止め料 3億円、 口外したら全額没収

 3億以上、払う約束をされた人もいるらしい。これまでに福一原発で作業した作業員人数、のべ10万人。その4パーセントが現時点で死 亡。そのほとんどが現場で死亡するのではなく、作業が終わった人が家で亡くなる場合がほとんど。死因は心筋梗塞、とか。遺族も口止め料を 貰っているので、葬式も出せない。

 これだけネットやメディアにも告発が出てこないのは口止め料を没収されるのが怖いのだと思う。三ヶ月間、原発で働いてた人は普段の意 識が 飛んだり、体に黒いアザが多数できたり、もう、体調が尋常じゃないんだそうだ。〉


 このブログの主である西山ちかこ氏は、川内村全村での西日本への移転を提案している村長立候補予定者と書かれています。

先日、ある集まりで、このブログの話を出しました。すると、そういう根も葉もない情報を流して人を惑わすなんて犯罪ではないかという意 見のほか、そんな話が世間では相手にされない現実を、健全な社会と受け取るべきだという意見も出ました。

西山さんは村議会議員とありますから、 彼女に投票した人もいるはずです。

世の中って、色々の人がいるものだ、今後、どんな展開になるのだろうかと、川内村の人と共有しているつもりでいた沈んだ気持ちの一隅 に、興味の灯がともったのです。


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