題名:青山高原ウインドファーム風力発電所見学記

(2003/05/28)

重遠の入り口に戻る

日付:2003/6/14


この風力発電設備は、三重県久居市と大山田村にまたがる、標高約800mの青山高原の稜線上にあります。
ここは布引山地の一部で、北にあたる鈴鹿山脈と、南にそびえる高見山地のあいだで、やや低い部分になっています。そして西北は日本海、琵琶湖から連なる平らな地形であり、また東は伊勢湾、太平洋に抜けています。そんなことで、本州中央部の風の通り道のひとつになっています。
私たちが訪ねた日も、平地では殆ど風が感じられませんでしたが、稜線では結構、霧が横殴りに流れていました。

風力発電には、適当な強さの風が、一年中一定して吹いていることが望ましいのです。
そのような理由から、青森県の竜飛岬や、沖縄県の宮古島などが、早くから着目され開発されました。
今年4月、法律により、自然エネルギー利用が、電力会社に義務づけされましたので、今後、建設は盛んになることでしょう。
現時点では、750キロワット機が24台集まった、この青山高原の風力発電設備が、日本一の大きさになっているのだそうです。

さて、ここで人類の風力利用の歴史を振り返ってみましょう。

海面よりも低い土地が広いオランダでは、周りにめぐらされた海岸堤防の中に留まった水を汲み出すため、ドンキホーテの昔から風車の力を借りていました。そしてその風車が、オランダの風物詩になっていたのです。

しかし、人類が風の持つ能力を、最初に広く有効に利用したのは、船を動かすこと、つまり帆船で航海することだったでしょう。
たしかに、船を動かすには、棹をさしたり、櫓を漕いだりする方法もあります。しかし、人間の力は知れたものであります。ましてや、持久力まで考えれば、とても風を使って動く帆船には敵いません。
コロンブスによるアメリカ大陸発見も、マジェランの世界一周航海も、帆船なしでは、なし遂げられなかったに違いありません。
船体に比べて帆の面積が多い商船学校の練習船日本丸や、アメリカンカップに出場するヨットなどは、ロマンチックな帆船中の帆船といえましょう。

風で船が動くのだから、帆船ならぬ帆車で走ろうというアイデアが湧くのは当然です。
何時だったかテレビで、アメリカの砂漠で行われている、帆車レースを見たことがあります。簡単、軽量な車体に、ディンギークラスの帆を張った帆車が何台も、もうもうと砂塵を巻き上げて走り回っていました。

風の持つエネルギーを使って走れば、ガソリンなど貴重な石油エネルギーを使わないですみます。また、走っているときだけのことを言えば、地球温暖化の原因といわれる炭酸ガスを排出するわけではありません。
まさに、無尽蔵でクリーンな自然エネルギーを使う乗り物となります。

風の持つエネルギーを使って発電すれば、ガソリンなど貴重な石油エネルギーを使わないですみます。また、発電しているときだけのことを言えば、地球温暖化の原因といわれる炭酸ガスを排出するわけではありません。
まさに、無尽蔵でクリーンな自然エネルギーを使う発電所となります。

風力自動車は風がなければ動きません。
月曜日の朝は会社に行かなくてはならないから、日曜日の夜までに家に帰らなくてはならないといっても、それは保証できる話ではありません。
また、いま病人が出て、病院に搬送しなくては命が救えないとしても、風が吹かなければなんともなりません。
日本ではどうしても、必要なときに必ず使える車が別に要ります。
つまり、条件が整ったときにだけ使える帆車のほかに、必要な時いつでも使える車と、合計2台要ることになります。

風力発電所は風がなければ動きません。
冷蔵庫に食べ物が入っているから、腐らないように冷やさなくてはならないといっても、それは保証できる話ではありません。
また、いま電灯の点かない真っ暗な部屋で、明日の天気予報をテレビで見なくてはスケジュールが立てられないと思っても、風が吹かなければなんともなりません。
日本ではどうしても、必要なときに必ず使える発電所が別に要ります。
つまり、条件が整ったときにだけ使える風力発電所のほかに、必要な時いつでも使える発電所と、合計2台要ることになります。

広い地球には、いつも程良い風が吹いていて、安定した頼りになる風力発電が可能な場所もあるのだそうです。
そんな地方でしたら、当然、帆掛け車も使えると思います。
そんな地方で、遅刻した社員が上司の前で「今日は風の具合が悪かったので・・・」と、言い訳しているシーンを想像すると、唇がほころんできます。

さて、ここ青山高原の発電設備で発電する電力は、年間4、800万キロワットアワーで、これは一般家庭の14,400戸の年間使用量に相当すると説明されます。
しかし、すでに見てきましたように、風力発電所からは、一般家庭でそのまま使えるような電気は出てきません。複雑、高価な電力貯蔵設備を合わせて造れば、家庭の使用状況に応じた役に立つ電力として加工することができます。でもそれでは、経済的に受け入れる人はないでしょう。
あくまで風力発電は、石油や石炭の使用量を抑えて、炭酸ガスの排出を減らすのが目的だと考えるべきでしょう。

石油や石炭の使用量を抑え、炭酸ガスを減らす手段としては、ウランからエネルギーを取り出す原子力発電があります。
ここ青山高原の風力発電所で、1年間に石油や炭酸ガスを抑える効果は、浜岡原子力発電所ならば、たった半日運転することで得られるのです。

いかに自然エネルギーを利用し、かつ環境に優しいからといっても、個人が車や発電設備を2重に持つことは考えられませんし、また、持つように強要することもできないでしょう。
何百台と車を持っているタクシー会社に、総台数の何パーセントかを帆掛けタクシーにするように指導することならば、あるいは可能かも知れません。

最近「電気事業者による新エネルギー等の利用に関する特別措置法」という法律ができました。国際紛争や資源の限界に制約されない安定したエネルギー源を取り入れること、環境問題に寄与することをうたい文句にしています。
沢山の発電所を持っている電力会社にたいして、総発電量の一定割合を、風力発電などいわゆる自然エネルギーにするように、現実に法律で強制しているのです。

タクシー会社の場合でしたら、お客さんを帆掛けタクシーにお乗せしたとき、風が弱くなったり無くなったときのことを考えて、もう一台普通のタクシーを空荷で、常時、伴走させていなくてはなりません。
電気の場合も同じで、風が無くなったとき救援できるように、よその発電機を空荷で伴走させているのです。
しかし電気の場合は、送電線という便利なもので結ばれています。
それで、タクシーの場合には、お客さんの都合で風があるところばかりは走っていられないのと違って、発電機を風の強いところに置けばよいのです。また、いざという時には、遠くにある沢山の発電機が送電線を通して、少しずつ応援しても役に立つのです。
でも、風の力だけでは、使う人の要求に応えられないことと、そのために二重設備が必要になることは、基本的には同じなのです。

帆掛けタクシーや、風力発電所を製造するメーカーは、その分だけ仕事が2倍になるわけですから、ハッピーです。
工事業者も、原料の鉄鋼会社、採掘会社、加工、製造するエネルギー源を供給する石油会社、そんな会社が所在する地元の飲み屋さんにいたるまで潤うのです。
そのお金の流れの源泉は、利用料金を負担する人、自然エネルギー利用に対する国からの補助金を負担する納税者であります。
ゲニゲニ、世の中のお金は廻りものなのであります。

私のこのような見方は、自然エネルギーの利用ににケチをつける、怪しからん意見だとお叱りを蒙るかも知れません。
大事な環境のために、折角良いことをしようとしているのに、意に反する発言だとお叱りを蒙ったのだとしたら、それは甘受しましょう。

長年、私は社会に豊富、低廉、良質な電気を供給することを目的として働いてきました。
その最終目的を達成するためには、責任ある当事者の立場として、随分、自分の意見を曲げてもきたのです。
たとえば、原子力発電所の代わりに風力発電所を作ればよいと主張する人に対しては「風力発電、自然エネルギー、結構ですね。私たちも一生懸命やってますよ」と申し上げるようにしていました。
事実と論理に拠るのではなくて、感情と声の大きさを武器とする主張、報道に巻き込まれ反対運動に火をつけてしまったら、実際にお客様に低廉、良質な電気をお届けできなくなってしまうからです。
でもいまはもう世間の片隅で息をしているだけで、責任はありません。
ただひたすらに、本当のことを言ってもよいのだと思っているのです。

怪しからんというお叱りは甘受いたしましょう。でも、私の論理に間違っている点がありましたら、ぜひ指摘していただきたいと思います。

2003年5月27日午前、青山高原の稜線では、高さ50mの塔に取り付けられた、直径50mのプロペラがぐるぐる回っていました。風速は6m前後、750kw出す能力のある発電機が、実際に発電している出力を示す電光板の赤色の数字は、100kwを上がったり下がったりしていました。

裸の王様の寓話では、バカと子供が本当のことを言うことになっています。
青山高原の発電機は、そんなバカな私が見に来たことを感じたのでしょう。
直径50m、3枚羽根の風車は姿を現さず、ただ霧の中でごうごうと音を響かせていたのでした。

 

重遠の入り口に戻る