題名:俳句の季語

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日付:2001/5/3


・句会にて

先日の句会でのことです。会がひとまず終わった後、みんなで、がやがや感想を言い合っていました。

ある人がこう言いました。

「今日の会の中で、メジロの句を良いと思ったのですが、私の持っている歳時記では目白は10月の季語になっています。今は2月ですから、残念でしたが採れませんでした」。

それがきっかけになって、季語について、いろいろの意見が飛び交いました。

「メジロなんて年中いるよ。今日だって、わが家の庭に来ていた」と言った人がありました。

ここでまず、季語について一言言わせて下さい。

俳句の入門書などには、俳句の条件として、5,7,5の『調子』になっていること、『季語』が入っていること、「や」「けり」などのような『切れ字』を入れると良い、などのことが挙げられていることが多いのです。

季語とは、雪=冬、月=秋、花=春のように、季節を端的に感じさせる言葉といってよいでしょう。

また歳時記というのは、時期ごとに分けて、季語についての解説、例句をならべた本で、季語の字引のようなものであります。

さて、先ほどの議論に戻りましょう。

あるメンバーは「季語を時期に当てはめるのに、四季に分けるのなら分かるが、月単位にまで細かく分けて決めつけては、窮屈過ぎやしないか」と発言されました。

さらに「昔、旧暦の時代に決めた季語が、今の新暦では合わなくなっているのもある。たとえば朝顔は、歳時記では秋の季語になっているが、現実には、今では朝顔の花は夏だものね」。

これに関連して思い返してみれば、最近では秋桜、つまりコスモスだって、遺伝子操作の作品なのでしょうか、初夏から秋まで、ずっと咲き続けて人々の目を楽しませるようになっている種類も多いのです。

「九月の季語、10月の季語と分けてみても、9月30日と10月1日と、実態がどう違うのかね」、これは私が言ったのでした。

借金から逃げ回っている人にとっては、約束の日の区切りの両側には、天國と地獄の差があるのでしょうが。

ある人からは、こんな話も出ました。

先ほどの俳句界のお偉方たちの会議で、句のなかに無季俳句を入れるか入れないかの論争があって、さる女性の権威が「無季を入れるならば、私は抜けます」と固執し、押し切られたのだそうです。

また、今夜の句会の長老は、これに関連してこんな意見を仰いました。

「私は絵も描くのだけれども、書き終わったときには大した出来でもないと思った絵でも、一旦、額縁に入れると、見違えるように良く見えることは、たびたび経験するよ。一定の枠にはめ、形を整えることは大事なことだよ」。

これは、無季俳句だけでなくて、5,7,5によらない自由律俳句にたいする批判でもあります。

 

・愚考

俳句に関する私の愚考妄語の最初は、季語の件です。

 

最近のように、海外旅行が日常茶飯事になってくると、あくまで季にこだわろうとしても、日本での正月の時期に南半球へ旅すれば、そこは暑さの盛りなのであります。また、土地によっては、日本の四季の区別とは別に、乾季とか雨季とかの季節に分かれているのです。

そんな土地をどう扱うかの問題があるように思います。

・常夏の夏も季題の内なるや

というのは、私が1999年9月に、インドネシアのバリ島で作った俳句モドキであります。

まともな議論を展開しようとするのならば、高名な俳人の句を引いて論ずるべきと思います。それを、あえて自作を持ち出しましたのは、いかに私が愚か者であるかを証明するためであります。

それを認めて下さったら、もうこのあたりで読み続けるのを止めていただいても、一向にかまいませんし、私は、むしろその方がよろしかろうかと、愚考し提案申し上げているのです。

俳句が生まれた国、つまり日本以外の事情は無視し、四季の季語にこだわるというのも、日本人としての一つの立場でありましょう。

極端に言えば、外国では俳句は作れない、あるいは外国で作ったものは俳句の形をしていても俳句ではないとする立場であります。

しかし地球上に、常夏の國、つまり南と北の回帰線のあいだに入っている面積や住んでいる人の数は、日本の何十倍もあることでしょう。

そういえば日本でも、最近、気象学の分野で、従来からの春夏秋冬の四季に梅雨を加え、五季とするべきだと主張する人も出てきているようです。それは、梅雨の時期は、明らかにほかの季節とは様子が違い、しかも50日程と、結構長期間にわたるからだということであります。

また従来の句の世界でも、季語帳として、春夏秋冬の各1冊とは別に ”新年”としてもう1冊を分け、5冊にしているものだってあるのです。(本文の議論は、私の手元にある平凡社の俳句歳時記に拠るものであります)

そもそも、俳句の季語というものは、いったい、どれほど沢山あるものなのでしょうか。

手元の句帳を眺めると、季題の数は1万余というところのように思われます。

そんな沢山の季語の中には、だれが選んでも、当然、入るべき季語もあれば、それに反して、採用するかどうか、またどの季にするのかについて、かなり悩ましいものもありそうです。

たとえば、宗太郎漬、髪洗う、蘭、鱒のそれぞれは、どの季節に対応するのか、当ててみて下さい。自信を持って言えるでしょうか。

このようにして歳時記で認められている季語が、実際に、どのように使われ、また使われていないかの例を挙げてみましょう。

代表的な季語のひとつである花(春)には、約200の例句があげられています。同様に、桜(春)が約90句あります。

ついでながら、俳句の世界では単に「花」とあれば、これは桜の花を指すことになっています。

桜が「春」の季語になっているのは、単に「桜」と言ったときも「桜の花」を意味しているからであります。

桜は春以外の季節にも、秋には「桜紅葉」、冬には「桜落葉」として、辛うじて歳時記に残ってはいます。ところが、夏には桜は、句の世界では完全に無視されているのです。

花と並び季語の一方の雄である月(秋)は、約250句もの例句が引かれています。

その一方滅多に出番がないものとして、花輪菊(春)、二月菜(春)、落鯛(秋)などのように、季語として採用されていても、それを使った例句が歳時記の中に一つも挙げられていないものもあります。

こうして挙げてみれば、一体誰が、どのようにして季語を決めたのか、知りたくなってくるではありませんか。

そのことについて、私が持っている歳時記には「編集部が各種の歳時記を参照して広く新旧にわたって募集し、採否は委員会にはかって決定した」とあります。してみれば、かなり恣意的なものであり、委員が誰であるかによって変わり得るのでありましょう。

お馴染みのところで松、竹、梅を見てみましょう。

松の緑(春)、松手入れ(秋)などはありますが、松、単独では季語になっていないのです。

松は、年中変わりない目出度い常磐木とされているのですから、当然でありましょう。

竹は、竹の秋(春)、竹の実(秋)などはありますが、竹、単体はありません。

梅は、梅酒(夏)、探梅(冬)などもあります。そして松、竹と違って、「梅」単体でも春の季語として認められています。梅と聞けば、まず梅の花を連想することになっていると、選者が思ったからなのでしょう。

先日、ニューギニアの山に登りに行ったときのことです。

ポーターに雇った一団の中に、母親と、その子供2人がいました。

子供たちは、まだ幼いのに、それぞれ一生懸命荷物を担ぎ、母親について泥道を登っています。それが、いかにも健気でした。

そこで思わず「母は子が子は母が好き母子草」という俳句モドキを得ました。

実際、山道のほとりには、日本の母子草とも、ヨーロッパやモンゴルのエーデルワイスとも多少違いますが、明らかに母子草と見える草が、沢山、目についていたのでした。

一応、句会に出ている私としては、たとい本心は、句会が終わった後の酒盛りに参加するのが目的であっても、可能ならば季語を入れて、句らしく見せたいと思ったのです。

そこで、歳時記のページを繰りました。

やっと、母子草を(春)のところで発見し、ホットしたのでした。

でも母子草が、なんで春なんでしょうね。

歳時記に拠れば、母子草は春の七草に「おぎょう」の名で入っていて、昔は餅や団子に搗き入れて食べたのだそうです。

私のニューギニアの場合には、2001年1月4日、ところは南緯5度、熱帯のニューギニア、標高約3500m、冷涼な山中でありました。

母子草を食べる習慣が忘れられてしまった21世紀では、冬には「枯れ母子」、そして春、夏、秋には「母子草」、こんな季跨りの季語の使い方などいかがでしょうか。

大変、季節感が希薄ではありますが、まだ痕跡は残っていると思うのですが。

(注 もっともこのように、無理して季語をとってつけるのは、母子草の代わりにパイナップルや夏ミカンをつけても、それらしく見えるわけで、邪道であります。こんな駄文を読み続けて頂くことには問題があると、最初にご警告申し上げたのは、こういう愚かな事態になるのを予見していたからであります。)

季語論議はここまでにして、今度は5,7,5と「や」「かな」などの「切れ字」の件を突っつきましょう。

芭蕉の「古池や蛙飛こむ水のをと」を、「古池に蛙が 飛び込んだとき水の音がした」としたのでは、全然しまりがありません。

たしかに、詩を、5,7,5とか、切れ字、季語などのルールに従って定型にまとめると、額縁効果を発揮して、日本人の感性にぴったりと訴えるようになってくるのです。

もっとも、額縁に入っていない自由律俳句でも、種田山頭火の「分け入っても分け入っても青い山」のように、沢山の人から好感を持たれているものもあります。

かといって、額縁に入れお化粧しなくても、つまり定型になっていなくて好まれる山頭火の作品が、定型派であった芭蕉のものよりも優れているというわけにもいかないでしょう。

 

・俳句は詠めずに、理屈をこねる

さて、それでお前はどんな態度で俳句に向かっているのかと、お訊ねでしょうか。

20年ほど前に起こったイラン革命の頃から、イスラム教のスンニ派、シーア派の名を聞くようになりました。

スンニ派とは、慣習を固く守る人という意味だそうであります。

イスラム教徒には、ジハード,つまり聖戦のために命を捨てれば、天国へ行けると信じて、自爆テロを行う人ががいるそうです。

また、アフガニスタンのタリバンは、対人地雷から子供たちを守るために作ったポスターの掲示を拒み、被害を出し続けているという話を聞いたことがありました。ポスターに地雷を誤って踏んで怪我をする子供の姿が描いてあるのを、偶像を画いてはいけないというイスラム教の教えに反するとする立場から排斥していたのだそうであります。

最近でもタリバンたちは、世界遺産として認められた史跡を、やはり偶像であるがゆえに破壊すると主張し、話題を振りまいています。

一神教では、自分が信じている宗教以外の宗教は、邪教になるのだそうです。

そのような國で政治と宗教が分離されていないと、他国を自分の宗教に改宗させるのが、神の意志であり、また國の方針であることになります。

そのような思考を絶対視する原理主義者が、13億といわれるイスラム教徒の中で、ほんの一握りに過ぎないことは、周りにとって、まだ幸せなことであります。

俳句を含め、文学の世界は、そんな深刻な話とは違うと思うのです。

もしもある人が、狭い、狭い世界に閉じこもって、自分だけでなく他人にまで句を作るルールを押しつけても、別に世の中がどうなることもないのです。

こういう、あまりに一途な人は、近くにいて生活を共にするのには、楽しい相手ではありません。しかし後世になって見ると、こういう人の方が、物分かりの良い人格者より、結構、業績を残していることが多いものなのです。

また生まれつき蒸留水ッポイ性格で、無季にしてみたり、古色蒼然たる内容の句には旧仮名遣いを、そしてモダンな句では新仮名遣いに変えてみたり、自由律にしたり、その時々で好きなことをしていても、別に他人の迷惑になるわけでもありません。

ただ、どちらの場合でも、他人から同感が得られるかどうかは、まったく別の問題であります。

ともかく、選択の自由のあるところでは、いかに苦しくても、それは本人が好きでする苦労であります。

世の中には、もっとシビアで、選択の自由のない不幸せだって、沢山、沢山あるのです。

望まずして貧しい國に生まれ、望まずして内戦に巻き込まれている人だって一杯いるのです。

また、自分から選んだわけではないのに、病気で苦しんでいる人は多いのです。

好きになってほしい人から嫌われるのも、大変な苦痛であります。しかしそんなときに、本人の側に、どこまで選択の余地があるでしょうか。

好きな人に捨てられても、「そんな冷たい相手に、好きになってもらいたいと思うこと」が間違っていると片つけるのには、人生には、もうちょっと運命的な、深いものがあるように思います。

もっとも、このレベルの苦労になると、あるパターンの俳句や主催者に執着することと、やや似たところが出てきているのかもしれません。

いずれにせよ、素人の俳句は道楽なのですから、形を尊重することに価値があると思うならば、そうすればよいし、それが嫌になったら止めれば良かろうと私は思っているのです。

こんないい加減な性格の私なものですから、いつになってもまともな俳句は作れないで、俳句モドキばかり吐きだし恥をさらしているのです。

議論は、とうとう終わりにきました。

ここまで読んで下さった方には、貴重な時間を無駄にさせてしまいました。お詫び申し上げます。

でも、読むのは無駄だということは、以前に申し上げたはずですが。

 

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