日付:1998/2/5
▲我々が日常,お客様の快適な生活のためにと家庭電気製品をお勧めしていて,欧米の家庭では気軽に電熱を使っていると聞くのにわが国では理屈抜きで電気は高いと思い込んでいらっしゃるなあと感ずることがある。考えてみれば,私たち世代は子供らに「電気を消しなさい」と叫んでいたものだと,思わず苦笑してしまう。
▲将来,お客様に本当に喜んでいただける新しい電気器具を育成するには,やはり新しいライフスタイルと価値感ををもった若い人達に頑張って貰はなくてはと思う。われわれの仕事は,若い人達のやる気を育て,力を発揮する条件を整備してやるのが大事だと思ったことである。六月末,誠に残念なことに請負作業での死亡災害が三件も発生してしまった。その中の一件は,亡くなられた作業者が自分が登っている柱を支えているワイヤを誤って外し,倒れた柱に挟まれたものである。その時注意するべき立場の監督者は被害者の義理のお兄さんで,魔がさしたというのか,ふと次の仕事の段取りに気をとられ目を離した間の出来事だった。どの災害でも,亡くなられた方や御遺族の方のことを思うと,まさに痛恨の極みとしか言いようがない
▼このところ,関係者の災害防止にかける熱意は誠に真剣そのものである。その甲斐あって,送電線業界を例にとれば昭和五三年には全国で二四人の犠牲者があったものが昭和六一年には四人に減少している。人道的な立場はもとより,一旦死亡災害を出すと,あと暫くは工事受注が出来ない状態になるので,現場の人達には無災害が何よりも大事だとの認識がゆきわたっている。ましてや,先程の例の被災者は送電線工事に長年従事し各種の資格を持った大ベテランである。このような状態でなお災害が起こる現実には頭を抱えこまざるを得ない
▼かって,人身災害が独身者,なかでもとくに中高年者に多いという統計を見た。人間のきずなが作業者の責任感をかきたて,慎重な行動をとらせるとも考えられる。大変失礼な言い方かもしれないが,先の三件の内,独身の方がお二人であった。現場で体を使って働いてくれる人が居なくては電気事業は成り立たない。その大事な人達の上に,悲しい災害が降りかかることのないよう私は祈る。
・蛸壷やはかなき夢を夏の月 芭蕉
・秋たつや川瀬にまじる風の音 蛇笏
先日,日進町にあるマスプロ電工の社長,端山さんの錦絵のコレクションを見せていただいた。明治初期の東京や横浜の様子が判る貴重な資料である。私にとってとくに興味深かったのは,明治4年に書かれた岡蒸気,つまり東京,横浜間の汽車の絵である。説明によれば,実際に汽車が走ったのは明治5年のことで,ここに掲げてある絵は,実物を見て書いたのではなく,聞いた話をもとにして描いたそれぞれの書家の想像の所産なのだそうである。6点あるのがそれぞれ変わっていて面白い。あるものには風呂桶に蓋をしたような釜が積まれていたりする。中でも比較的正確な絵は,英字新聞のパナマ鉄道の機関車の写真を下敷きに描かれたもので,在日外人に見せてもらったのではなかろうかとのことであった
▲高度かつ巨大な技術で成り立っている原子力発電システムは,よほど勉強しないと理解が難しい。おまけに,車に例えればルームライトが切れたくらいの軽微な故障でも,原子力発電所のこととなると,事故,事故と大仰に騒がれる。このような話に囲まれながら一般の人々は原子力発電についての認識を頭に描くことになる。その結果,放射能という普段から身近にある現象でさえ,目に見えぬために,さも恐ろしい特殊のものでもあるように伝えられ信じられてしまうこともある。そんな中で原子力の正確な姿,つまり原子力なしにはエネルギー確保が成り立たぬことと,外部に悪影響を与えないように万全の安全対策をとっていることを信じて貰わなければならない。勉強と熱意と日頃の信用とが不可欠な所以である。
先日,本紙の「私の宝物」の欄に,長谷川先輩が四十七年前に受け取られた会社への採用試験の合格証を宝物として大事にしておられ,また,そのときの喜びを一日も忘れないでおられるとの記事を見て,感激すると同時に働けることの喜びについて深く考えさせられた。十五才で入社された時の喜びを六十歳を越える今まで持ち続けられるとは,ほんとに素晴らしい人生だと思う。自分の事を省みると内心忸怩たるを得ない。
▲人間の欲望には限りがない。サラリーマンならば,もっと給料が欲しい,休日を欲しい,そして出世もしたいと誰しも願う。そうであれば,辛いことも,苦しいことも,報いられないと感ずることもあるのが普通であろう。無限の欲望という地獄を離れて,満ち足りることを知ることが幸せにつながる。
▲わが社が公益事業であることは,お客様,社会のために一生懸命尽くすことが即ち会社のためであり,これは幸せのひとつである。そして部下を持つ立場になれば,こんなにも有能で真面目で素直な人達を使って仕事をすることが,どれだけの金を積んだら可能かと考えればこんな幸せなことはない。働かせて貰える幸せを知って暮らした方が人生は良いに決まっている。
▲さらに言えば,人間は一生の間で目を開いている時間の内,かなりの部分を職場で過ごす。それが良い人生であるためには,良い職場でなくてはならない。そして信頼で結ばれた,働きよい職場を作っているのは,わたしたち社員一人ひとりの心掛けや態度なのである。(坪)
・春めくと思ひつつ執る事務多忙 虚子
有馬の温泉につかりながらこう考えた。情に竿させば角が立つ云々
▲どやどやと湯殿へ入ってきたさる団体のリーダーが,関西弁でまくしたてた。「この茶色いお湯にタオル入れたらあかんで。すぐに染まってしもてどない洗ろてもちょっともとれへん。次の日ぃ,気持ち悪うて顔も拭かれしまへんで」
▲御承知のとおり,有馬温泉の湯には金,銀二種あり,金泉は含食塩酸化鉄の真っ茶色の泉質なのである。タオルなどたちまち茶色に染まってしまう。昔は,このお湯に入る客には宿屋が専用の手拭いを貸していたのだという。もっとも,地元ではこの事を風流に,有馬のもみじ染と呼んではいるが
▲理屈で考えれば,見た目には白くなくても,洗っても落ちないほど色素がしっかりくっついてしまっているのものなら,顔を拭いたって何かが出てきて着く訳でもない。始めから綺麗な黄色に染めたタオルや,店の名を染ぬいた手拭で顔を拭くのと何ら変りあるまい。しかし感情としては,白かったものが目の前で土色に染まってしまったのだから,汚くなったと感ずるのが普通と言うものであろう。理屈と感情というものはこの例のようなものではなかろうか
▲原子力発電に関する我々の説明は全く正しい理屈であるが,現下の情勢では時として情に竿さす結果になっているのではないかと感ずることがある。情に流されていたほうが楽にちがいない。しかし,私達エネルギー事業に従事するものは,お客様に対する責任がある。だからお客様のために,難しいことを承知のうえでうまく理屈を説明しなくてはならない。
第二次世界大戦が終わって既に四十年,そして年毎に遠くなってゆく。疎開といっても何のことか分からない人達が多くなってきた。疎開というのは,都市部の婦女子を田舎に移り住ませたことで,空襲時の無用の混乱と被害を防ぎ,かつ最悪の事態を迎えつつあった都市での食料事情を少しでも緩和することを目的とした。その頃三河の片田舎に疎開したある電力会社(その頃は配電会社)の家族があった。その一家は見慣れない電気器具を持っていた。村の人達は誰もそれが何なのかを知らなかった。たまたま岡崎から八丁味噌の早川さんがお立寄りになり「おっ,電気冷蔵庫があるじゃないか」と叫ばれたという。それほど,当時,電気冷蔵庫はまったく珍しいものであった。生産量はごく僅かなものであったに違いないし,どんなに高価で,しかも故障が多かったことかと想像される。その持ち主がどんな気持ちで使っていたのかと思う一方,新しい器具の普及を進める場合には,ペレストロイカ的発想と絶え間無い努力,そして時間とが必要ではないかと思われるのである。
一時は敗戦のどん底を経験した昭和も,かってない繁栄のうちに平成へと移った
▲天皇陛下のご病気が重くなられた頃の話である。身近な女性がこう言った「今年生まれてくる子は得ね。両方の元号を勝手に使い分けられるんでしょ。若く見せたいときは新しい元号で言えばいいし」。ところがもっとすごい女性がいて「新しい元号になった日から1月1日になるのかしら」と言って驚かせてくれた
▲正直な話,こういう人達に原子力発電の必要性や安全性を説明するのにどうすればいいのかなと思った。女性蔑視だと非難されては話が先に進まないので,恥を忍んで名を明かすとその一人は私の妻なのである。会社の作ったパンフレットは必ず持ち帰っているが,さりとて改まって原子力の話をしたことはない。正直の話,妻も心配派の一人であろう。しかし安全さの程度については,世間一般の心配派よりはずっとはっきりした認識があるように思われる▲それは説明によって出来た認識ではなく,私や発電所の社宅で知合った近所のお父さん達が原子力を本心でどう思っているかを知っているのが理由だと私は考える。専門家でない人への説明で必要なものは最後は信頼感に尽きるのではないか。
・春寒く不思議と妻を眺めおり 野兎
先日,外国のある有名な珈琲セットを頂戴した。ところが,テーブルに置いてみると大変にガタガタする。気になって仕方ないのでデパートに取替えにいった。すると「日本製のものみたいに正確に出来ていないので,ひどいのは撥ねているのですが」そう言いながら代わりに幾つか持ってきて呉れた。ところが試してみるとどれもこれも少しずつガタガタするのである。「外国人はこんなことは苦にしないんでしょうかね」と聞いてみると,「気にしないで使っているみたいですね,たまには生地にシミがあるという苦情もあって,日本人ってどうしてこうもうるさく言うのかと製造元じゃ不思議がってるようです」と返事が戻ってきた
▲考えてみると,かの珍重される大名物の井戸茶碗など国宝クラスのものでも,こんな厳しい目で見れば結構ガタガタしているんじゃないかなとも思った。芸術品はそうであるのが当たり前なのかもしれないし,また茶碗の底のほうが完全に真っ平らだったら今度はテーブルの表面の凸凹が気になって来るのじゃないかしらなどとも考えた
▲ともあれ,ずぼらで,日頃物事をあまり気にしないこの私めまでが,こんな事に目くじらをたてて取り替えに行くまでに毒されていたとはと,現今の日本社会の潔癖さに今更のように感心させられたのであった。そして私たちの仕事,とくに電気の質に関する世間からの御要求も間違っても甘くなることなどあるまい,そんな覚悟も併せてさせられたのであった。
この頃や雷くせのつきし日々 虚子