題名:ひと味違う山旅

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日付:1998/2/5

鳥帽子岳

五蛇池山

湯ケ峰

離山

前山


鳥帽子岳

かっては平野は,それを造る大河が人間のコントロールの外にあった。人は平野の中を避けて,谷が平野に出たばかりの,扇状地の最も山寄りの位置を縫って歩いた。

初の国道一号線は,東山道だった。次いで中仙道に変わった。ここまでは,自然の前に,なす所なく逃げ廻っていた人間が,やがて人間らしく自然を痛めつける力を増して来て,川に堤を築き,堅固な橋を掛けられるようになった。その結果,主要な米の生産地を縫って通る東海道を通ることが出来るようになった。むしろ,幕府は大井川に橋を掛けず,自然の障壁として利用したのであった。

東と西の日本をつなぐ道は,必ず関が原を通った。

いまでも,新幹線も,高速道路もここを通っている。

室町時代に世阿弥などによって作られた謡曲には,青墓,赤坂,野上など,この辺りの地名が,しばしば出てくる。

これら宿場の南に鳥帽子岳と呼ぶ姿の良い山がある。

謡曲「熊坂」のストーリィは,こうなっいる。

熊坂長範という大泥棒がいた。旅人の通るのを待ち受けていた。

陸奥の富豪,藤原氏の手代,金売吉次が青墓の宿に泊まった。

日の高い内に着き,ホステスを呼んで,宴会を始め,寝てしまった。

目の鋭い若者がいたのを見落とした。彼こそ,義経であった。熊坂長範が盗みを始めると,がしゃしゃり出てきた。例の,前と思えば,また後ろ,の身軽さで,熊坂長範を翻弄する。

坂長範見張りの松というのがある。これはまた中仙道から近すぎる。官軍に征伐されてしまいそう。

むしろ,熊坂谷がどうしてその名になったかの詮索の方が意味がありそう。

 

背丈は低いがしたたかな 烏帽子岳  健脚向

         865m えぼしだけ

山のポイント

 わが国の東西の交通の大動脈は,すべて関が原を通る。7世紀,防人たちが集められた。そのとき最初の国道1号線である東山道もここを通った。その後,中仙道も新幹線も名神高速道路も,みんなここを通過している。

 大海士人皇子も義経も家康もみんなここを通り,それらをこの烏帽子岳は眺めていた。

 義経の頃,熊坂長範という大盗賊がこの烏帽子岳に潜み,旅商人を襲っていたという伝説がある。

 この山は標高も低く,登高時間もたいしてかからないが,斜度が強いのと,人があまり入っていないため,安易に考えないほうがいい。

 実際は主要街道から十数�離れており,街道の盗賊が機動力を発揮するには遠すぎる。一方,近くの垂井に長範見張りの松というのがあるが,これはまた町中で,潜むには不適当である。所詮,伝説なのであろう。

P2

 烏帽子岳には2度登った。前回は1982年12月末,熊坂谷を最後まで詰め,稜線を東に向かい山頂に達した。このときは,人数も多く,とくにその中の一人は,道が二つに別れていれば必ず怪しげな方へ踏み込むという旦那であった。途中,滝があったが,あんまり苦にもせずワイワイと登ってしまった。

 今回は4月上旬である。今回も東麓の細野の部落から熊坂谷に入った。名古屋から名岐バイパス,岐大バイパスで関が原まで行き,あと国道365号線を南下し,約2時間要した。名古屋高速,東名阪で桑名から北上すれば1時間30分で行けよう。林道終点は車2台程度は駐車できる。

 しばらく林道を行く。この辺りはどこでも冬苺が多く,年末ならつまみながらゆける。前回は,そんなに食べると,熊が見ていて怒って来ますよなど冗談を言われたことを思い出す。

 間もなく,川を渡ると,いよいよ山道になる。「登山路荒廃 初心者危険」など書いた紙が木の幹に巻いてある。当分,道はいいし,荷作り紐のマークが続いているので気が楽だ。アブラチャンの黄色い花が早春らしい。

 多少杉林の中を高巻きするところはあるが,沢の右に左にと道がある。やがて沢自身を登るようになる。

 登り始めから約一時間,標高540mあたりで,マークは右の涸れた沢へ向かう。そして土の急な斜面にかかる。滑ったらどうにもならないので,木の生えた所を選んで確保しながら攀じ登る。丁度,カタクリが咲き始めていて,難行苦行を慰めてくれた。

 右にトラバースするようになると,やがて支稜を登ことになる。かなりの急な傾斜なので,階段を登る要領でこなしてゆく。登り始めは暗い色の砂岩,泥岩であったが,このあたりでは赤石岳や山上岳と同じ赤いラジオラリアが見られる。

 最後にちょっといやらしいトラバースをすると,しっかりした稜線に飛び出す。あとは多少藪っぽいのが欠点だが,気象条件さえ良ければ,鼻唄まじりで三等三角点のある頂上に達することができる。

 頂上北側にはまだ雪が残っていた。そして,それなりに養老の山や,麓の景色を楽しむことはできた。しかし,この山の別名,熊坂岳の名の起こりである熊坂長範が旅人を餌食にしていたという関が原などの街道筋はよく見えない。

 室町時代に作られた謡曲「熊坂」では,陸奥の富豪藤原家の手代,金売吉次が青墓(現在の垂井の北)の宿に到着し,ホステスを呼んでドンチャン騒ぎをして寝てしまった。その夜,大盗賊の熊坂長範が襲う。ところが計らざりき,一行の中に義経がいて,前と思えばまた後ろと,長範を翻弄し打ち取ってしまったとされている。その熊坂長範が,この山のあたりに潜んでいたのだと伝えられるのである。どうも眉唾と思われるが,細かい詮索などしないで,ただ言い伝えと言っておこう。

早春の風吹き抜くる峠かな                 

 ●データ

 交通

 名古屋・一宮・大垣・関が原(国道365)

 または名古屋・桑名・員弁約二時間登山口

 問い合わせ先

 上石津町役場観光課�

 地図五万分の一「彦根東部」

 踏査年月日

 平成6年4月9日

●コースタイム

 車道終点 10分 林道終点 60分 支尾根への分岐 60分 頂上


五蛇池山

いび川地域 多雪地帯 湿雪 スリートジャンプ ギャロッピンク

相間タイで混触防止

精神力がいるとは言わない。しかし,精神力のようなものは要る。

時間と天気に恵まれなければ,トライしないようお勧めする。

悪天候と時間に追われると,ひょんとして,ひょっとするかも知れない。

いび川を遡り,横山ダムを西へ渡る。

坂内村役場をこえてすぐ北へ。左にスキー場を見て,山道を車で登る何台か駐車できる広場に車を置く。車高が高ければ林道歩き一時間を節約できそうだ。

大谷川を遡る。林道が終わる。◯分,二股に別れた谷の間の尾根をこじる。

時々道は消えるが,大体は判る。

頂上は看板,展望は余り無い。

帰路は,西,姿の良い蕎麦粒に向けて下る。こちらの道は良い。

とくに,池のようなものがあるとも見えない。

鼻唄の一つも出てくると言うものだ。

谷,内至は谷添いの道を下ることになる。このためには3ルートほどありそうだ。

多分,どのルートが良いと言う訳では無いだろうと思う。

上流では,ほぼ谷そのものを下る。やや急な小滝を巻いた道がある程度。どちらを採るかは全く個人の判断だ。要は安全に高度を下げることにある。

勾配が緩くなってくると,道もはっきりして来るし,かつ探す時間を入れても,道を辿った方が楽になる。

 

奥美濃の寂峰     五蛇池山   健脚向

     1148m ごじゃいけやま

〔山のポイント〕

 伊吹山,御在所岳などのことを思えば,奥美濃の山はいずれも寂峰に違いない。しかし,そのなかでも能郷白山や冠山などはまだしも人が多いといえる。この五蛇池山などは,たまに人が登るだけで,これ以下になると,まず人は登らないという表現になろう。

 この山は,道が判然としない所もあり,また,いやらしい岩の所を登ったりもする。

 強い精神力が要るとまでは言わないが,少々精神力みたいなものは必要だろう。安易には考えないことだ。

 天気と時間に余裕があれば,とくになんと言うこともないが,条件が悪くて焦ったりすると,ひょっとするとひょっとしたりするような山である。

 それだけに下山後の充実感はある。           

 名古屋から車で行く場合は,岐大バイパスから揖斐川の右岸堤防を北進する。揖斐川町から山に入る。この辺りには,鉄塔と鉄塔の中間の高圧送電線に,棒のような絶縁スペーサーが取りつけてあるのが見える。

 この地域は雨が多い。太平洋からの湿分を含んだ南風が山にぶつかり,雨となるのである。春先に気温が低いと,これが湿雪となる。べとべとした雪は送電線にくつっき,ある程度たまると,どさっと落ちる。その時に下の送電線が撥ね上がり,上の線との間でショートすることがある。先のスペーサーは跳ね上がりを防止するためのものなのである。

 横山ダムの堤体上を西に向かうと,広瀬に出る。坂内村の役場のあるところだ。このように川が合流し,その下流に両岸から山が迫って谷を狭めているところは,洪水の常習地である。水が滞留し,上流から運ばれた土砂が堆積して,文字通り広瀬となるのである。

 ここから北へ道をとる。左手に冬はスキー,それ以外はパラグライダーと村の期待をこめたレジャーランドを見て山道に入ると,間もなくかなりの台数の車を置ける広場がある。ここで車を置く。これから林道終点まで歩いて約一時間。車高の高い車ならば,この歩行は節約できる。

 なおも大谷川に沿って河岸の山道を約15分も歩き,川を渡ると左に蕎麦粒山への登り口を分ける。ここで川の上を見ると二股になっている。五蛇池山に行くには,この二つの谷に挟まれた尾根を登るのである。

 赤いプラスチックの杭の所から左上に,岩壁に細いステップがある。後はルートはよく分からない。適当に落葉の積もった岩を攀じて行く。岩場を突破すると微かな踏跡があり,ほっとする。その後で,もう一か所,道がはっきりしない所があるが,大体はルートを通じて薄い踏跡が続いている。西に蕎麦粒山がそそり立つのが見える。ブナの木が美しく,笹が現れれば頂上は近い。

 頂上には看板があり,東に揖斐川を隔て,小津権現,花房,雷倉がよくみえる。 帰路は西の踏み跡に入り,五蛇池峠経由で下った。こちらの方が,道はしっかりしているようだ。始めのうちは傾斜がゆるく,雨乞いをしたとの伝説のある池は,この辺りだったのかと想像された。

 間もなく峠のような所へでる。この辺りからの下り道は,どうも3本あるようである。どれが優れているとも言えないように思う。ともかく,私は途中の左への踏跡は総て見送り,一番西のどんずまりまで行き,そこから谷沿いに南へ下った。始めは谷自身を下るより仕方がないが,段々に高度を下げると,急な所には巻道がある。しかし,所詮,どちらを採るかは,本人の好き嫌いで選べはいい。

 スケールはともかく,ルート探し,岩登り,藪漕ぎなどワンセット揃った,面白い山である。

・下山路に紅葉の様を尋ねらる                

 ●コースタイム

 名古屋 車 2時間 登山口 1時間 林道終点 20分 尾根取付き点

   1時間40分 頂上 30分 五蛇池峠 1時間30分 登山口

 ●データ

 交通 車

 問い合わせ先 坂内村役場

 地図 5万分の1 横山

 踏査年月日 1993年11月3日


名泉下呂の,かっての泉源  湯ケ峰   一般向

       1067m   ゆがみね

 草津,有馬と並んで日本3名泉のひとつである下呂温泉は,かってはこの湯ケ峰の肩にある湯壺地点が泉源だったとのことである。いまから約1000年前に温泉が見付かり,300年後には涸れて,今の川原に移ったと案内の立札に書いてある。

 それからもう700年,まさに諸行無常,今の川原の泉源も,戦後の一時期,乱掘で湯温の低下が懸念されたこともあった。

 いま日本人は台所のポットから家庭のボイラーまでエネルギーをふんだんに使い,お湯の有難さを充分に享受している。

 この山頂から下呂の歓楽街を見下ろしながら,人間という生物に思いを馳せるのも一興であろう。

 前回登ったときは,仲間と大勢,がやがやと行った。登山口の大林の部落に辿り着くまでに迷って,尋ね尋ね行った。こういう山行はどうしても印象が薄い。

 帰りには次回訪問のことを思い,注意して国道に出てきたのだが,出るほうはどうしても出るわけで,はっきりした道順の記憶は残っていなかった。

 案の定,今回も大分迷った。なにせ立派な道をゆくと,観光会館とか合掌村だとか,とかく観光施設に行ってしまうのである。

 登山口は大林の部落の直上と,南西に下がったところと2か所ある。

 前回は車の置きやすい上の登山口を起点にして,時計方向に廻った。その時の印象から,あらわれる景色の順序や,里に下りてからの登りを避ける意味で,今回は反時計方向のコースをとってみた。

 可憐な稚児百合など咲く,しっとりした山道を10分も登ると,こは如何に林道が建設中である。崖に垂れ下げてあるロープをつたって登ったが,山道の続きが分からない。うろうろしていると工事の車が通りかかったので道を聞いてみた。

 自然愛好家とおぼしき私の登山姿に,当節,やばいことになったと思ったのだろう,大変低姿勢で工事が完成したらちゃんと付け直しますと謝るのであった。

 大体の見当はついたので,崖の低い所を登り,植林の中を突っ切って再び山道の続きに入った。

 湯ケ峰の西南面の大崩れの眺めも,折からの新緑と5月の薫風,そして700年前の泉源と言われる湯壺もまことに結構であった。

 やがて着いた頂上からは,東に寺田小屋山,白草山と眺がよい。西の眼下には,下呂の街が広がり,高山線の鉄橋を列車が渡るガタンゴトンという懐かしい音が聞こえてくる。安っぽいプレハブで落書きだらけの,湯ケ峰小屋がファインダーに入らぬように苦心して写真をとった。尾根の東側が伐採されていた。眺めはいいのだが,その先に起こりそうな事態を読むのを密かに恐れたのであった。

 山頂から北に下り始めて10分,なんとそのすぐ近くまで重機が入り,林道が建設中であった。

 それからの長い林道歩きの途中,遅い蕨とあせびの蔓を摘み,車に戻り今日の結構な山行を終わった。

 人間と言うものは,なんと環境保護を叫ぶのが好きな生き物なのであろうか。

 そして,実は四六時中,営々として自然破壊に励む生き物なのである。

 熱帯の密林で樹を切っているおじさんこそが自然の破壊者で,自然の香りなど悦に入って,木造住宅を建て住んでいる自分は,本当の意味の自然破壊の第一原因者だとは思いもしない,そういう幸せな生物なのであろう。

 部落の上からのピストンが並のコース,私のとったコースが健脚者用という。そして今,さらに上まで林道が伸びつつある。湯の町のハイキングコースなのだ。

・白蝶と黄蝶が風にもつれあう

 ●コースタイム

 大林部落登山口(山の神様)1時間 湯の平 20分 頂上 20分 林道

   10分 上部登山口 20分 山の神様登山口

 ●データ

 交通 車 名古屋IC 東名高速 中央自動車道 50分 中津川IC

       国道257,国道41 1時間 下呂 10分 登山口

 問い合わせ先  下呂町役場 �05762━5━3151

 地図      5万分の1 加子母

 踏査年月日   1994年5月13日

          


登って嬉しい寂峰  離山 ベテラン向

          はなれやま 917M

 この山の東は水量豊かな天竜川が山に狭められ,ダム建設に絶好の地である。そのことは,古くから知られていたが,従前の日本の人海作戦による河川工事では,この暴れ天竜に手を付けるのは不可能だった。敗戦後,電力不足で復興もままならぬ日本が,アメリカからの資金と技術の援助を受け,やっと建設可能となった佐久間発電所35万キロワットは,わが国の水力発電所建設史上に大きなエポックを画したのである。

 また西2�に位置する大入川は,この辺りで約10�流下する間に200mも標高を下げる。その間に深く谷を刻み,断崖絶壁と新緑,紅葉の名勝,大入渓谷となっている。

,離山によって隔てられたこの二つの川の佐久間湖とみどり湖が,新豊根発電所の地下水圧管路で結合されているのも面白い。

 

登山路のない山の攻め方

 山へ登る人は,一般的に自然林を賛美し植林を敵のように言う。しかしそれはちょっと身勝手ではなかろうか。なぜならばその人だって,植林で育った木材を使った家で生活し,なんとかかんとか言いながらも,割り箸で食べ物を口に運んでいるにちがいないからである。豊根村は標高もさほど高くなく,降水量が多いので,杉,檜の成育に適している。林業が盛んで,人工造営林率は80%にものぼる。

 登山路のない山に登る場合に,基本ルートとして沢をとるか尾根をとるかをまず選択することになる。そのうえで送電線の巡視路とか植林の作業路を最大限に使うべきである。実際に歩きだせば,獣道も極力利用するのがよい。

 この山域を見た限りでは沢は大体滝になっている模様である。したがって基本ルートとしては,一番斜度のゆるい尾根に道を求めることとした。今回紹介するルートは,始めと終わりに植林の作業道を使い,中間は藪漕ぎで突破する最もオーソドックスなルートだと考えている。

 離山を大入川に沿った道から眺めると,この辺りには珍しい自然林におおわれた立派な山容であるが,それは斜度の強い北面のことで,西面には結構植林もある。僅か200mほどの間に上への植林作業道が3本もあり途中で一緒になっている。また標高600m辺りにはトラバース道もある。言い方によっては,蜘蛛の巣のように道はある。ただし,それらの目的はあくまで作業用であるから,枯枝におおわれ,使われなければ消えてしまっている。常に変化し続けているのだから,決め手はその事態に直面している登山者の技量と判断とである。

  名古屋から国道153号線で稲武までゆき,ここから南東へ面の木峠,津具を経由し、みどり湖の左岸を走る。新豊根発電所の水の取り入れ口の巨大な水門を過ぎると,大入川を堰き止めているダムが見える。ダムの左のトンネルを抜けると,狭く急な下りの道になる。

 道はずっと左岸についている。トンネル北口から2,2キロほど行くと庚申沢がある。そこからさらに600�先に小さな沢があり,橋のガードレールに7と書かれている。ここに車一台なら置ける。

 沢に向かって左の急な斜面をこじ上がる。ここの竹林の中に半分つぶれた小屋がある。ひとつのポイントである。この小沢の左岸の微かな道は植林の作業道であり,登山ルートに使える。

 ダムから3,9キロ地点に沢があり,橋のすぐ先にすれ違いに使う道の膨らみがある。この小沢の右岸が今回の登山のスタートポイントである。高度計の指示は280�,ここには「告狩猟者と云へども立ち入りを禁ずる」という白塗り黒字の杭が立っているし,豊根村と東栄町の境の立て札がある。地図で見ると,このあたりは大入川が町村境になっている。白塗りの杭は他の場所にもあるし,人工物はいつ変わるかも知れないので,くどく記述してみた。

山仕事の人の心を読みながら

 かなりの急斜面につけられた植林の作業道をジグザクに登ってゆく。大変に良く手入れされた杉の林である。枝打ちで落ちた枯枝が厚く積もり靴の底に快い。

 先程の杭に書かれた警告も,このおびただしい枯枝が,入山者の不注意で火を出すことを恐れてのことなのだなとうなずける。

 作業道であるから,枝道が無数にある。枝道に入らないように注意が必要だ。しかし,登山路の道標があるわけでもなし,枝道と札があるわけでもないから,そこは勘に頼るしかない。道自体は決して危なくないのだが,このある意味でのルートファインディングを厳しく要求されるので,あえてベテラン向きとした次第である。

 標高500�ほどで植林を抜ける。ヤブツバキなど咲く気持ちの良いところである。右の谷が段々に迫ってきて前方に大きな岩が見えてくる。谷の上部でまた右へ植林に突っ込む。

 590�あたりで迷い易い地点がある。水平の道が多少立派で,ついこれに引き込まれる。これを行くとやがて道が非常に薄くなり,その先にちょっと平らな所かあって山火注意というホーロー引きの看板が立っている。一週間前にトライしたときは,ここから強引に直登してみたが,岩壁にぶつかってしまい,涙を飲んだ所である。ここまでは,先程述べた上流からの作業道が登ってきている。

 さて,先程の分岐は,左上に行くやや頼りなげな道を辿ってゆく。1時間30分ほどで稜線に出る。

自分の歩くところが道

これを南へとれば,三角点ピークへ,そして北へとれば檜の植林の最高点ピークと北峰である。いずれも植林の中を適当に歩くことになる。

 北峰からは,奥三河の盟主明神から鞍掛,宇連などが望まれる。また,三角点ピークからは佐久間湖が見下ろせる。

 まったく静かな山である。帰路,一声,老鶯を聞いたのみてあった。

 植林の可能な場所はすべて植林となっている。ネパールで段々畑にできるところはすべて畑となっているのと同じである。材木を生産する人達が山火事を恐れるのは当然である。喫煙者が忌避される事情も分からないでもない。

まさに一味違う山

 この離山は爽快な登山てはない。しかし,絶えず心にストレスを感じながら時間を過ごすことになる,チャレンジングとも言うべき山である。

 光源氏があまりにも上流社会の女性にもてるのに飽きて,あばら屋に住む夕顔にスリルをもとめたような気分になったときに登るのに好適である。

 また,エベレストで帰らぬ人となったマロリーのように「そこに山があるからだ」と恰好良くいう人も登るべきである。実際,離山はあるのだし,おまけに今読んでしまったのだから。

交通

名古屋市内(グリーンロード,国道153号約90分)稲武(県道80号,国道151号など90分)みどり湖15分 登山口

問い合わせ先

豊根村役場経済課�〇五三六八 五 一三一一

地図 二万五千図 佐久間

踏査年月日 平成 年 月  日

コースタイム(三時間三〇分)

登山口(九〇分)尾根(一〇分)三角点山頂(二十分)最高点(一〇分)北峰

(八〇分)登山口

登って嬉しい寂峰  離山 ベテラン向

          はなれやま 917M

 山のポイント

 この山の東は水量豊かな天竜川が左右から山に狭められ,ダムの建設に絶好の地である。そのことは,古くから知られていたが,従前の日本の人海作戦による河川工事では,名だたる暴れ天竜に手を付けるのは不可能だった。敗戦後,電力不足で復興もままならぬ日本が,アメリカからの資金と技術の援助を受け,やっと建設した佐久間発電所35万キロワットは,わが国の水力発電所建設史上に大きなエポックを画した。

 また西を流れる大入川は,この辺りで約10�流下する間に200mも標高を下げる。その間に深く谷を刻み,断崖絶壁の新緑,紅葉の名勝,大入渓谷となっている。

,離山によって離されたこの二つの川に造られた佐久間湖とみどり湖が,この山の下を通る新豊根発電所の水圧管路で結ばれているのも面白い。

 

 正規の登山路のない山に登る場合に,ルートとして沢をとるか尾根をとるかをまず選択することになる。そのうえで送電線の巡視路とか植林の作業路を最大限に使うべきで,さらに実際に歩きだせば,獣道も極力利用するのが楽である。

 この離山の山域は,見た限りでは沢は大体どこかで滝になっている模様である。したがって基本ルートとしては,一番斜度のゆるい尾根に道を求めることとした。今回紹介するルートは,始めと終わりに植林の作業道を使い,中間を藪漕ぎで突破する最もオーソドックスなルートだと考えている。

 離山を大入川に沿った道から眺めると,この辺りには珍しい自然林におおわれた立派な山容であるが,それは斜度の強い北面のことで,西面には結構植林もある。僅か200mほどの幅の間に上への植林作業道が3本もあり途中で一緒になっている。また標高600m辺りにはトラバース道もある。言い方によっては,蜘蛛の巣のように道はある。ただし,それらの目的はあくまで作業用であるから,枯枝におおわれ,使われなければ消えてしまっている。常に変化し続けているのだから,決め手は現実に直面し選択できる登山者の技量と判断とにかかっている。

登山口へ

 名古屋から国道一五三号線で稲武までゆき,ここから南東へ面の木峠,津具を経由し、みどり湖の左岸を走る。新豊根発電所の取水口の巨大な水門を過ぎると,大入川を堰き止めているダムが見え,左のトンネルを抜けると狭く急な下りの道になる。

 トンネル北口から二,二キロほど行くと庚申沢がある。さらに六00�先に小さな沢があり,橋のガードレールに7と書かれている。ここに車一台なら置ける。

 この辺りの植林のあちこちには「告狩猟者と云へども立ち入りを禁ず」という白杭が立っている。山へ登る人は,一般的に自然林を賛美し植林を敵のように言う。しかしそれはちょっと身勝手ではなかろうか。なぜならばその人だって,植林で育った木材を使った家で生活し,なんとかかんとか言いながらも,割り箸で食べ物を口に運んでいるにちがいないからである。豊根村は標高もさほど高くなく,降水量が多いので,杉,檜の成育に適している。林業が盛んで,人工造営林率は八0%にものぼる。頂上近くで枝打ち作業をしている人に,ちゃんとした登り道があるかどうかを聞いたが,どうも要領を得ないのみならず,そのうちに私は他所のものだから分からんと言いだした。どうも土地の人には山屋は嫌われているようだ。とくに煙草を吸う人はそうなのだろう。

金網の入口から

 落石止めの金網ネットのところどころに作業道用の扉があるが,いま来た車道を約百�引き返した辺りにある最初の扉から登り始める。杉林の中をジグザグで登っていく。やがて林の右の端の気持ちのよい尾根道になる。白花のイワカガミが可憐だ。再び杉の植林に入る。作業道には枝道が多いので,帰りのために目印をつけておきたい。私はいつも靴で地面を蹴るようにして,帰る方向に矢印をつけている。約一時間登ると再び気持ちのよい尾根に出る。アセビの新芽が赤く,まるで花のように美しい。

 まもなく右下に道が分かれ,また左への分岐に出る。すぐ上で伐採が行われ,倒木が多く直登は困難である。ここから強引に左上の藪に突っ込んで登ることも可能ではあるが,今日はオーソドックスに左へほぼ水平に向かうトラバース道を行くこととしよう。

 この道の途中で傾斜が強い部分は,下に木がないので,落葉に一歩づつステップを食い込ませ慎重に通過したい。

ヤブヘ突っ込む

 約十分で左下に枝道を分けるとすぐ細いヒノキの植林となり道の先が下っている。下る前の最高点が目指すゆるい尾根の取りつきである。ここから尾根を外さないように藪へ突っ込んでゆく。荒れてはいるが植林の中ではあるし,何となく人の通ったような感じの楽な登りである。念のためマークが望ましい。

 約二十分でかなり立派に見える作業道に出っくわす。もっとも右と左はしばらく行くと消える道なので,帰路に使うわけにはいけない。ここから上への踏跡だけが頂上まで続いている。途中相当な痩尾根を通過し,この山は変に無理をするわけにはいけないことがよくわかる。主稜線も植林であり,二つ目のピークの檜の根元に三等三角点がある。西に明神,北西に茶臼,北に日本ガ塚,南に橿山を望むことができる。

 山頂に某女性の名前で,愛知百山完登の札があった。また今どき珍しくコーヒーの瓶に登頂記録の紙が何枚も詰め込まれていた。誰の心にも,この何ということもない山頂によくも苦労して登って来たものだ,そんな感慨が湧きあがるのであろう。

この谷の吐息と辛夷花開く                (大坪重遠)

交通

名古屋市内(グリーンロード,国道一五三号約90分)稲武(県道八0号,国道一五一号など九0分)みどり湖(五分)登山口

問い合わせ先 豊根村役場経済課�〇五三六八 五 一三一一

地図 二万五千図 佐久間

踏査年月日 平成七年四月二十九日

コースタイム(三時間四〇分)

登山口(六〇分)トラバース道分岐(一0分)尾根取り付き(二〇分)作業道(四0分)三角点山頂(九0分)登山口


ひと味違う山の手始めに 前山 健脚向

            まえやま  1351M

山のポイント

 この前山は中津川市から恵那山を望む時,前方に立ちふさがる山である。コンサイスの日本山名辞典には13の前山が収録されている。いずれも文字どおり本峰の前山なのである。

 訪れる人は少なく,標高からいっても深山幽谷の雰囲気にあふれている。道ははっきりしているから,喧騒の山に疲れ本当の自然への回帰を望む人が最初に取り組む山としてお薦めしたい。

 JR中央線からも中央道からもよく見え,すでに恵那山に登ったことのある人もこの山に登っておけば,旅行の楽しみが倍加するというものだ。コンサイスには御前山というのも3つのっている。御の字をつけてもいいと思うこの前山である。

 

 名古屋から中央道で中津川インターまでゆき,そのあと国道19号線中津川バイパスを北上する。中津川の出はずれに松田という歩道橋のある交差点がある。ここを右折,車はぐいぐいと東へ登ってゆく。開拓地らしい真っ直ぐな舗装道を3�ほどゆくと,やがて三叉路になっている。左の上金林道に入る。さらに五百Mほど行くと道の左側に車をおけるような膨らみのあるところがある。またそこで道の右側をよく見ると,植林の樹種がヒノキからスギに変わっている。その変わり目に太さ5センチほどの丸太が2本渡してある。これが登山口である。

 今年の春はどうしてこうも天気が悪いのだろう。とくに週末というと決まって雨である。今日は昼から雨が上がるという天気予報を信じて,まだ小糠雨のそぼ降る車の外に第一歩を踏み出した。

 植林のなかによく踏まれたゆるい登り道が続く。何回か右から踏み跡が入ってくる。帰りにそちらへ入り込まないように,道に印をつけておこう。私はいつも帰り道に靴で矢印をつけておく。

 このクラスの山では,道は荒れているから,道を意図的に止めている止め木とただの倒木との区別が明白ではない。一旦迷うと時間のロスが大きいから,時間をかけて慎重にルートを判断して進んでゆきたい。

痩せ尾根を辿る

 右側にヒノキの植林がつづく気持ちのよい登りである。傾斜はしだいに強くなってくる。この辺りでは霧の中から高速道路を走る車の音が聞こえてくる。

 中央道から恵那山を眺めると,山腹に白い崩壊が目に痛々しい。この山塊を形成する花岡岩は風化に弱く,ともすれば深くまでいわゆるマサ土になってしまっている。それが豪雨に会うと簡単に崩れてしまうのである。この辺りの痩せ尾根を歩いていて足下にポコポコと虚ろな音がするのに気がついた。こんな所は植物の根で固まった表土の下は空洞になっているのであろう。今日通過した道がいつまでもつのだろうか。

 一時間半ほど登ると風化に取り残された大きな花岡岩が道に立ちはだかっている。亀岩など名付けたくなる姿である。

 ここを過ぎると間もなく植林を離れ,栂などの巨木が現れ恵那山周辺によくある深山幽谷の気配となってくる。今日はとくに霧が立ち込めているので,今にも仙人が現れそうな雰囲気である。足下にはピンクのイワウチワが可憐だ。そして春の終わりを告げるように,頭上の辛夷の花には疲れの色が濃く,4月始めの辛夷の頃か,秋の紅葉の時はさぞや見事だろうと思われるのであった。

いよいよ頂上へ

 傾斜はいよいよ急になり岩を巻いて登るようになる。濃い霧の中から筒鳥の鳴き声が聞こえてきた。そしてその筒鳥は,ほんの近くを通っても鳴き続けているのであった。

 登り始めから約二時間半,大木が亭々と聳える急傾斜の裸地を登り終えれば主稜線上の小さなコブにつく。

 ここから標高差のないヤブっぽい道を西へ向かえば約1〇分で三等三角点頂上に達する。ここの三角点の石の上面の十文字は磁石の東西南北と45°づつずれたちょっと珍しいものである。

 頂上の南側は植林,北側は雑木林で,今日の霧がなくても展望はたいして望めそうにない。むしろ,登る途中から北西に南木曾岳から奥三界山にかけての峰々を見渡すことができると聞く。

帰路は下降点に注意

 帰路で注意しなければならないのは,絶対に下降点を見逃さないことである。ヤブっぽい道を歩いていると,ついつい同じようなヤブっぽい道に突っ込み勝ちになる。この帰路はまさに前方にそんな道がつづいているので,常に左下に注意し急な裸地の下りに入らなければならない。よく見れば尾根上の道には細い木を何本も並べ,強烈に止めてあるのだが,そのまま尾根を東へと迷い込む人が多いらしく,まったく同じ調子の道が出来てしまっているのである。

夢のピーク剣先

 私はここから東へ約1�の標高1416mの通称剣先ピークへの偵察のために,あえてその道に踏み入った。予想どおり50mほどで道は全く消えてしまい,あとは背丈を越す笹の猛烈な藪漕ぎだった。

 わが畏友H氏の記録を見ると,この僅か1�に片道約3時間をかけている。ほんのちょっとの偵察で,彼のその苦労が身に染みてよく分かった。正直にいえば,今回のガイドでは前山とともに剣先をも取り上げる計画だった。しかし偵察の結論は,この剣先への道は猛烈な笹と倒木の道,片道3時間,山の勘と体力の勝負と書けばガイドとして充分で,所詮,ひと味どころではなく,ふた味も三味も違った山であると断定せざるを得ないと負け惜しみをもって締めくくることとしたい。

・峠への喘ぎ筒鳥刻みけり             

交通 名古屋市内(東名高速,中央道60分)中津川(国道19号,上金林道三〇分)

         登山口

問い合わせ先 中津川市役所商業観光課 �0573,66,1111

調査年月日 1995年4月30日

コースタイム (4時間三〇分)

       登山口(90分)巨石(50分)主稜線上コブ(10分)前山

       (10分)主稜線上コブ下降点(110分)登山口

           

  

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