日付:2004/5/24
私にはどうしても俳句は作られません、とおっしゃる人がいます。
どんな人が俳句を作ることができて、どんな人は作ることができないのでしょうか。ちょっと考えてみました。
以下に、高名な俳人お3人と、その方がお作りになった文章、俳句を並べてみました。
3氏の立派なご本から、断片的に引用させていただきました。
私の論点にマッチするように選びましたので、あるいはご不満もあろうかと思いますが、曲げて伝える意図はありませんので、お許し願いたいと思っています。
・最初の方は、ご自分のことをこんなように書いてお られます。
・三年前の秋、二十二年間、勤めてきた新聞社を辞めた。かなり前からいつかは 俳句に専念したいと考えていたが、実際、会社を辞めるとなるとさまざまな問題が目の前に壁のように、立ちふさがってきた。いちばん大きな問題は会社を辞めたあと、どうして生活してゆくか、食べていくかということである。 莫大な財産があるのでもなく、妻は専業主婦であるから別に収入があるわけでもない。二人の子供はまだ高校生と中学生で、いよいよこれからがお金のかかる時期である。さらに困ったことに数年前、あまり考えもせず銀行から借金をして買った マンションのローン返済もまだ大半が片づいていない。これでは辞められるはずがない。無理して辞めれば、退職金を使い果たしてしまったあとは一家四人、飢え死にするしかない。あーあ。思考停止。しかし数日 後、会社に辞表を出していた。
そのとき俳句の切れのことが心の中にあった。切れは俳句の命である。自分はその俳句に専念したいと思っている。それなのに、自分の人生さえさっと切れないようでは俳句に専念する資格などもともとない。
・料理屋のカウンター越しに見える、拭き清められた柾目の俎板の端に青い氷の 塊のような本物の菖蒲刃包丁が置かれているのをみてひそかに賛嘆の声をあげるのは私だけではないだろう。あのようなところでみる包丁は手元から切っ先の一点にいたるまですっと一本の気が通っていてさながら精悍な生きもののようである。
昔、刀は武士の魂といったのにならって包丁は料理人の魂といっても決して大袈裟ではない。
食材を切ることは西洋料理では下ごしらえの一つにすぎないけれども日本料理で は料理の命である。
・国立能楽堂、能「忠度」。
六弥太には今、自分に討たれて波打ち際に横たわる平家の公達が誰であるかまだわからない。と、公達が背に負った箙に短冊が結んであり、「見れば旅宿の題をす ゑ、行き暮れて、木の下陰を宿とせば、花や今宵の、主ならまし。忠度と書かれたり」。
これでこの歌は「忠度」一曲のなかですでに三度唱えられたことになる。一度目 の潮汲みの翁、二度目は潮汲みの翁に唱和して旅の僧が唱え、三度目は六弥太。そして、この曲の終わりにもう一度、地謡によって唱えられることになるが、六弥太がこの歌を唱えはじめたとき、私は不思議な感覚に襲われた。
能楽堂内のくまぐまの暗がりに、ひそかに花の咲き満ちる気配が生じている。花は謡や囃子や舞に感応して花びらを震わせるかにさゆらぎ、かすかな香りさえ流れてくるかのようである。
断っておかねばならないが、舞台の上には一枝一輪の花もなく、ほかの曲でしばしば使われる作り物の花さえない。
・この「五車」にはいわれがあって、古代中国の恵施という人の逸話にもとづ く。恵施は紀元前四世紀、戦国時代に活躍した諸子百家の一人であるが、論理と弁舌にすぐれ、魏の国の宰相も務めた。荘子と同じ時代の人であり、「荘子」に恵施についての記述がある。それによると、恵施は空間の無窮、時間の永遠を説いたのはよかったが、「天は地とともにならび、山は沢とともに平らかなり」など耳目を驚かすようなことをいった。なぜならば、天と地、山と沢の差など無窮の空間に比べれば微々たるものにすぎないから。「日はまさに中すればまさに傾く。ものはま さに生ずればまさに死す」。なぜならば太陽の南中と日没、物の誕生と死は永遠の時間と比べれば一瞬のできごとだからである。
これからすると、恵施は古代ギリシャのソフィスト同様、論理家というよりは詭 弁を弄する人であったようである。
・ニューヨーク・グランド・ゼロ
しかし、私にはまっとうに思えても、この意見を受け入れるだけの余裕と冷静さが今のアメリカに残されているかどうか。残念ながらないだろう。アメリカが無邪 気に追求する、世界中にアメリカの流儀を押し通そうとするグローバリズムとは詰まるところアメリカの価値観に対する異議は認めないということだからである。
安藤氏は「鎮魂の墳墓」計画案についてカタログの解説と同じ内容を南部マン ハッタン再開発公社に対してしたに違いない。しかし、テロはアメリカに追い詰められた人々の精一杯の抵抗であったという見方をアメリカは受け入れないだろうということを安藤氏はよく見通していたはずである。
この方が、まれに見る研ぎすまされた感性に恵まれた俳人であることを、読み 取っていただけましたでしょうか。
実は、だれあろう、いま売れっ子の長谷川櫂先生なのです。 先生は、こんな句を作られるのです。
・包丁や氷のごとく俎板に 櫂
・月光の固まりならん冷しもの 櫂
・天地をわが宿として桜かな 櫂
・うねりくる卯波に命ゆだねたる 櫂
・さて、二人目の方は、ご自分をこんなように書いて おられます。
・あけ放った窓から、オゾンを含んだ薫風が、ばふ、ばふ、と塊になって入って くる。新緑でシートが青く染まるようである。スピードメーターの針は60キロを指したまま、さっきから、ビクとも動かない。アスファルトにぴたりと吸いついて、大地と一体になったような安定感が快い。「うん、いい運転だ」
「そうですか、どうも。実はぼく、B級ライセンスを持っているんです」
「B級って?」
「国内のラリーと、ジムカーナというレースに出られるんです」
「ほう、たいしたもんだ」
「学生時代に自動車部に入っていたんです。あのころは、さんざんぶっとばしま した」
「なんだ、暴走族のはしりじゃないか」
「ええ、まあそんなところです。何度か死に損なったりして・・・」
「死ねばよかったのに」
「え、なんてことを」
「暴走族は一人残らず死ねばいいと思っているから」
「でもね、暴走族を突き抜けると、こういう走り方ができるようになるんです。これは、枯れた運転なんです」
自負するだけのことはある。飛ばさず、追い越さず、車線をかえず、急発進も急 停車もしない。私のもっとも好む走り方である。おかかえ運転手にしたいぐらいだ。
・恥を忍んで書く。私は自然に興味がない。嫌い、とまではいわないが、どちら かというと好きではない。
こんなこと、自慢にもなんにもならない話だけれども、俳句に打込むこと十五年、それも孜々営々と取り組んで、いまだに植物の名前と姿が一致しない。名前を 聞いて、すっ、とイメージを結ぶ植物といったら、松、竹、梅、桜、菊、百合、朝顔、向日葵、カーネーション、チューリップぐらいのもので、椎の木と樫の木の区別がつかない。つつじとさつきがわからない。菖蒲とあやめがわからない。(略)
草花はまだいい、同じ自然でも、これが大自然というぐあいに「大」の字がつくと、さらにお手上げである。
山がこわい。好きだ嫌いだのという以前に、とにかくこわい。だから遭難シーズ ンのたびにテレビ画面に写し出される毛布に包まれた死体を目にするたびに、腹が立つ。この親不孝めッ。
結局のところ、私は「自然ダメ人間」なのですね。恥になりこそすれ、自慢にもならない話をくだくだ書きつらねて、ようするに何をいいたいのかというと、これほどの「自然ダメ人間」でも俳句は作れるのだ、という一事をお伝えしたかっただ けである。
・おもしろうてやがてかなしき鵜船かな
書き写すのも気恥ずかしいような、知らぬものなき句だけれど、これがそんなに 名句かしらん。試みに、いま手許にある何冊かの歳時記を繰ってみたら、ぜんぶにこの句が載っていた。ほかにもこんな句が採録されている。
風吹きて鵜篝の火のさかだてる 青畝
疲れ鵜のせうことなしの羽ひろげ 狩行
このほうが、句としての出来がいい、と私は考える。何匹もの鵜が、鮎をくわえてけなげに胸を張る光景が、はじめのうちこそおもしろかったものの、せっかく捕えた獲物を吐き出すべく人工改良されている鵜のあわれさを思うと、やがてかなし い気持に襲われてくるものであるなあ、という着眼点は、万人共通の心理にちがいないが、それをそのまま、おもしろいだの、かなしいだの、ナマの言葉を用いて説明するなぞ、俳聖の句とも思えない。
「まァまァ滋酔郎先生、どうか気持ちをお平に」
わが光石宗匠が、喧嘩の仲裁みたいな手つきをして、にこにこ笑いながら、あたしに免じて許してやって下さい、といった。ーよし、許そう、芭蕉を。
このかたは、まあ、なんと自信満々、才気にあふれ、豪快なご性格に見受けられ るではありませんか。
実は、「おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒」と闘病記をお書きになった故江國滋先生なのです。
先生は、こんな句を作っておられます。
・そのかみの鵜舟にYAMAHA発動機 滋酔郎
・迎え酒すごせばすなはち三日酔 滋酔郎
・おばはんになりたる歌手や去年今年 滋酔郎
・3人目には、こんなように書いておられる方も、取 り上げさせていただきました。
・友釣りのおとりには、おすよりめすが勝るとされていて、そこに性の誘引や反 発の差を推測する釣り人もなくはないが、めすのほうがおとりとしての持久力がつよく、よく動きまわるためらしい。なわばりアユはおす・めすおかまいなしに、侵入者に敵意をむき出しにする。
・箱眼鏡形相かえてあゆの追う
生態学をやっていると、一つの句の中にも、そこで展開される情景のもつ意味と 内容をなるべく完全に示したくなる。
・守り食む方三尺やあゆ忙し
なわばりはアユ一尾にとっての食物自給圏であって、仲間の侵入を防ぐのは、そこが守るに値するからである。アユは身をひるがえしながら、食みかつ追う。それがなわばり行動である。アユのなわばりが、このように、一尾ごとの生活が成り 立って定住しうる基本面積だとわかると、そうした単位生活圏が、河床ごとにいくつとれるか積算すれば、河川におけるアユの収容可能数が推測できる。
俳句は科学的説明の充実を求めるものではないので、行動学的の内容をより多く 表現したから、それだけよい出来だということにはならない。
しかし・・・
・京都を訪ねて来る外国の陸水学者には、このジョルダンさんの言葉(自分は世 界中の著名な食用魚を試食したが、日本のアユは、その中で第二番めにおいしい)を知っているのもいて、アユを食べたいと私に注文することもしばしばあった。貴船神社に連れて行って、護摩木に願い事を書かせた後、貴船川の流れの上に設けた 床の上で、塩焼きアユの背骨を抜いて食べる技法を見せると、ひどく感心はするが、口でほめるほどには、味の評価は高くない、と私は推測している。味を決めるのは文化であって、焼き魚やなます料理になじんでいない外国人を含めてのアユの 国際評価に、高得点は保証しかねる。
ところで、アユは真実うまいのか。われわれはアユの情報を食わされている、というのは京大瀬戸臨海実験所長、原田英司教授の語録である。たしかにアユは美味な魚と決められていて、市価も高い、純白の塩をまとって身を反らせ、紅で染まっ た芽しょうがと緑の蓼酢を添えた若アユを、青磁皿にのせて運んで来られると、不味などとは言い出し難い格式さえ感じさせる。
・タニシの鳴くのは野外には限らない。採ってきて台所においたタニシも鳴く。
よく聞けば桶に音を鳴く田にし哉 蕪村
夕月や鍋の中にて鳴く田螺 一茶
私の手許には、ここにあげた以外にも、さらにいくつかの句例がある。タニシの発声装置はどこにあるのか。私には見当がつかないし、その声を聞いた記憶もない。
自然科学とちがって文学の領域では、虚構を楽しむ自由がある。誰かがタニシが鳴くというと、それはおもしろいと、誰かれとなくタニシを鳴かせておもしろがることになりかねない。「一犬吠ゆれば、万犬実を伝う」といわれる付和雷同の一例 ではないのか。いったい、いつ、誰が、はじめてタニシを鳴かせたのか。
なお、鳴くからには、それはおそらく交信の意味をもつだろうが、もしそうなら、タニシにも聴覚があってしかるべきである。
かたむきて田螺も聞くや初かわづ 巣兆
何事を田螺にいうてかへる雁 子英
初蛙のころには、タニシは泥の中で冬眠中と思うのだが、俳諧師たちの空想のつばさは限りなくはためく。
このように書いておられるのは、動物生態学者であり、京都大学教授、モンキー センター初代所長をつとめられた、かの宮地伝三郎先生なのです。
俳号を、非泥、「ひでぇ」と称されるところなど、まさに俳諧味を感じさせるご性格に見受けられます。
されば、こんな句をお詠みになるのです。
・あゆ落ちて川瀬は雑魚の天下なり 非泥
すでに、文中で引用させていただいた
・箱眼鏡形相かえてあゆの追う
・守り食む方三尺やあゆ忙し
この両句も非泥先生の作なのです。
ここまでお読み願ったのも、最初の方のように、ひたすらに自分の才能に自信を 持ち自分を大事になさる方、2番目の方のように、繊細な神経を持ちながら、笑はば笑えと我が道を行かれる方、3番目の方のように、事実を正視されながらなお虚構の俳風も取り入れておられる方、みなさまそれぞれに、自分の俳句を作ってい らっしゃるところを、お見せしたかったからなのです。
なにも事新しく言い出さなくても、下記のように、昔から芭蕉は芭蕉の、そして 一茶は一茶の句を作っていたのです。
此道や行人なしに秋の暮 芭蕉
雀子やこのけそこのけ御馬が通る 一茶
たしかに5・7・5とか、季語とかは大切です。先生に送り仮名を一字を直して もらうと句が俄に光を増します。テクニックは大事です。
しかし、最後はその人の感性、人格だと思うのです。
あなたはあなたの句を作ればよいのです。そして、所詮、あなたにはあなたの句しか作れないのです。
芭蕉だって同じことでした。自分の句しか作れなかったのです。
いわゆる名句というものは、沢山の人が良いと感ずる句のことでしよう。古くは巨人、大鵬、卵焼き、近くはグッチ、エルメス、ニナ・リッチの類です。なにごとも、判断は人によって違うのです。あなたの句だって、ひょっとすると 名句なのかもしれないのですよ。
わたしが出ている俳句の会のリーダーは、選句の前に「わたしの主観と偏見で選んだ、わたしが好きな句を発表させていただきます」と前置きされるのです。じつ に正確な表現だと思います。
ともかく、みんなが褒めてくれる句、句会で高得点をとれる句を作ろうとする努 力は、美人になりたい、賢くなりたいという願いと同じような、いささか成功が約束できない努力というべきです。
それは良くも悪くも、親やご先祖様の功績か責任かに関することなのです。 ここまでリキむと、だれだって作る気さえあれば俳句は作れることになります。それはそのとおりなのですが・・・・。
ところで、わたしは絵を描けません。描く気にならないのです。それは、自分 で、上手に描けないと信じているからです。他人からひょっとすると名画かもしれないとおだてられても、絶対に描く価値があるとは思えません。このあたりの事情は、俳句だって同じことなのかもしれません。
さてこのように偉そうに、もの申している小生の句も見てみてください。
・春の風邪一日犬に舐められる 重猿
窓から差し込む日も明るさを増し、ようやく寒さも緩んできたのに風邪を引いてしまった。寝ていると、大好きなご主人様が一日中家にいてくれるのが嬉しくて、犬が尾を振りながら顔を舐めにくる、じつに長閑な心温まる句ではありませんか。
でも、このテーマで、とっかえひっかえ句を作り、あちこちの句会に出しましたが点数が入ったためしがないのです。
間違いなく、わたしの資質に問題があるのでしょう。
唐突ですが、さっき角の酒屋に宅急便を出しにゆきました。愛想のよい店の奥さんが「すみませんね。いくら軽くても、最低料金が610円なものですから」と言い訳しました。
そのときわたしは、自分の頭の中身の軽さを見透かされたような気がしたのです。
引用文献
俳句的生活 長谷川 櫂著
旅ゆけば俳句 江國 滋著
俳風動物記 宮地伝三郎著