題名:どうしてそんなに沢山の山に

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日付:2001/2/11


素敵なメールが入りました。

今年から社会人になるというKさんからです。

私のページを見て下さって「会社勤めをしながら、どうしてこんなに沢山の山へ登れたのですか」というご質問なのです。

これから先に、長い人生を持っている人から、こんな質問を頂き、それに返事が出来るなんて、老人の喜びとして、これ以上のものはありません。

 

K 様

拙文、お読みいただき有り難うございます。

会社に勤めていながら、どうしてそんなに沢山、山に登れたのかとのお問い合わせを頂き、私も自分で、始めてそのことを考えて見ました。

小生、1953年に、中部電力に入社しました。

そして1991年から、6年間、愛知電機で働きました。

山歩きが趣味に入ったのは、子供たちが、親よりも友達と遊ぶようになった頃、つまり40才ぐらいの時からです。

日本百名山も、その時は、学生時代に登った磐梯山、たったひとつでした。

 

山屋になったキッカケは、やはり友人です。

考古学の好きな友人と、今でも年4回ほど、連休を利用した国内の史跡めぐりと登山の旅をしています。

また、それとは別に、謡曲の友達から会社の山岳部に入れて貰い、そちらで随分沢山登らせてもらいました。

山屋さんは、仕事熱心な人も多いですし、多趣味な人も多いのです。

 

そのうちに、新ハイキング、深田クラブ、日本山岳会などにも、誘われて入会しました。

 

筑波山、丹沢の大山などは、東京に出張の時、前夜、近くに泊まり、夜明け前から登って、都心で午前10時半から始まる会議に出たこともありました。

 

国内の大きな山は、殆どお盆を使いましたから、死ぬほど混んで、死ぬほど熱かった記憶が多いのです。

適当な時期でないことは分かっていましたが、やむを得なかったのです。

 

海外では、玉山は勤続30年の特別休暇でしたが、ほかのキナバルなどはゴールデンウイークが殆どです。

何度も、もう1日余分に休めたら、どんなに良いかと思いました。

 

仕事のポジションによって、月に1日だけ、休日に日帰りでしか山に行けない期間も、何年間かありました。

職のある間は、どうしても遠くの山へは行き難くて、百名山の最後の4山は、退職した次の月に纏めて片つけたのでした。

 

仕事を退き、時間ができると、体力が急激に衰えてきます。

目下、体力と資金と、どちらが先に限界がくるかと思って登っているのです。

両方とも、心細い限りですが。

 

所詮、一に根性、二に体力ということでしょう。

長生きすれば、山の数と楽しい想い出は、少しずつでも増えてゆきます。

焦らずに、出来ることだけやって、人生を楽しんで下さい。

大坪 重遠 拝

 

 

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