日付:2002/9/9
今年、正月の5日、私は鈴鹿山脈・仙が岳登山から帰ってきました。
玄関の中で、犬のアイちゃんがワンワン鳴いています。
アイちゃんはいつも、家人が帰ってきて玄関の戸をガチャガチャいわせる音を聞きつけては、こうして歓迎の意を表しにくるのです。
ところがこの午後は、戸を開けると、アイちゃんだけでなく、家内も一緒にいたのです。これは異常なことであります。
不審な顔をする私に、家内はこんな説明をするのでした。
学校の正月休みには、娘が孫3人を連れて、わが家に滞在していました。
彼等は、5日の午後に千葉のマンションに帰っていったのです。
家内はアイちゃんを連れて、見送りに行ったのだそうです。
アイちゃんは自分が置いて行かれると分かったようで、たいそう悲しそうな声で吠えたのだそうです。家内は、あんなに悲しそうな、「僕、置いてゆかないで」と人間にさえ分かるような声は、今までに聞いたことがないと言っていました。
アイちゃんは胴長、短足のミニチュア・ダックスフントです。その短い足をふんばって、家に帰りたくないと主張したのだそうです。
無理に連れて帰ると、玄関の床の上に、今にもみんなが帰ってきてくれるかのように、まるで渋谷駅の忠犬ハチ公の銅像みたいに座って待っていたのだそうです。
そして、ついには玄関の土間まで下りて、待っていました。
そこへ、私が帰ってきたというわけでした。
「あんな冷たい土間に下りてたのよ」と、家内もべそをかかんばかりでありました。
千葉に帰っていった一行も、娘が地下鉄の中で「泣いた人?」と聞くと、真ん中の女の子が「ばれたか」と、まず手を挙げたそうです。彼女は、とても涙もろい子なのです。
常磐線の中では、一番末の男の子が「アイちゃん、可哀想」と泣いたそうです。
一番上の女の子も、あとの二人の観察では、目が赤くなっていたそうです。
彼等の母である私たちの娘は、どうしたことか、生まれつき動物を好きではなくて、ほかの人が可愛がるのを、ことごとに冷やかしていたのですが、今度ばかりは「可哀想!」と言って、以後、すっかりアイちゃんへの当たりが柔らかになりました。
アイちゃんは1才と9ヶ月、うちにきてから1年6ヶ月になります。
この事件以来、家内の甘やかしかたは、一層、度を加えてきました。
自分が食べている物を小さく千切っては、テーブルの縁にのせ、「はい」と許可を与えて食べさせるようになりました。
それからというものは、アイちゃんは、人間の食事のたびに、自分も家内の腰掛けの横に座り込み、アゴをテーブルの縁にかけて、さも幸せそうな顔をして、分けて呉れるのを待っているのでした。
1月も10日を過ぎた頃です。
「そのうちに、アイちゃんに、お友達を買ってきて上げるからね。そうしたら、一人でいて淋しいこともないでしょ」とアイちゃんに語りかけている家内の言葉を聞きつけたのです。
家内はもうずっと以前から「アイちゃんのお家はどこなの? お母さんどうしたの?兄弟はどうしたの? 捨てられて可哀想な子だねえ」とか、「犬屋で見たとき、あんただけが大きかったのよ。売れ残っていたんでしょう」というのを、犬との得意の会話にしていました。
また、「オチッコちに行く?」「どうちゅる」など、赤ちゃん言葉で、可愛がっていたのです。
そんな会話が、とうとう、聞き捨てならぬところまできたようでした。
むかし、犬を飼い始めるときに、図書館から本をいっぱい借りてきて読みました。
その中に、一匹だけ飼っていると犬が退屈するからと思って、親切心から二匹飼う人がいるが、これは間違いである。犬は、ご主人と親密であれば、それだけで幸せなの
である。主人の関心を、もう一匹の相手と競うのは、決して幸せではない、と書かれていたのを憶えていたのです。
「アイちゃんが可哀想だからという理由で、もう一匹飼うのは反対だ」と私は抗議しました。
周囲には、賛成、反対、両論があるようであります。
いわば、家内は、一人遊びが不得意なひとりっ子に、二人目の子を産んでやりたいという気持ちなのであります。
それに対して私は、妻妾同居の地獄を招くまいと警戒しているのであります。
アイちゃんを、家内はまだ幼児だと見なしているのに、私はもう成年だと思っていると言ったら良いのかもしれません。
ミニチュア・ダックスフントという犬は、一般論として、ちょこまかしたチビで、年寄りになっても、赤ん坊のような外見をしているものなのです。
家内も私も、アイちゃんが大事で、幸せにしてやりたいと願っていることは、同じなのですが。
そして、キーになるご本人のアイちゃんは、将来のことを、あれこれ考え患うような性格ではないのです。
ところでここで正直に私の本心を告白しますと、二匹目の犬を飼うことに、そんなに強い反対でもなかったのです。
どんなパーソナリティの犬がきて、アイちゃんや私たちと、どんな関係になってゆくのかという過程に興味がありますし、二匹の比較がいつの日か、次の駄文の種にならないでもないと思ったからであります。
2月に入りました。
家内はまたも、聞き捨てならないことを口走り始めました。
「アイちゃん、ピンチだよ。今日、アイちゃんよりずっと可愛い犬を見付けたんだよ。もう、いつまでも、タルんでられないよ」そう言っているのです。
なんでも、スーパーにアイちゃんを連れていったついでに、犬屋を覗いたのでした。
そしてそこで、それはそれは可愛い犬を見付けたのでした。
売り物の犬たちは、見知らぬアイちゃんがショウウインドーの前に姿を見せると、大騒ぎして、窓際に押し寄せてきたということです。
その中に、赤ん坊の犬が、いったい何が起こっているのか事態が理解できないままに、目の前を通り過ぎる犬たちの尻尾にじゃれていたのでした。
その次第を、電話機の向こうで聞かされた中学1年の孫娘は、今いるアイちゃんがいかに可愛い犬であって、彼に比肩できる犬など世の中にいるわけがないと、肩を持ってくれたそうであります。
しばらくのあいだ、私は家内に「外から帰ってきたときに、二匹同時に喜んで飛びついてきたら、お前はアイちゃんを撫でてやれ。オレは新しい犬を撫でてやる」とか
「アイちゃん!二匹になったら、じーちゃんがアイちゃんを引いて、ばーちゃんが新しい犬を引いて、朝、暗いうちからお散歩にゆくからな」など、家内をからかっておりました。
なにせ家内は、早起きなどとんでもないこと、いつまでも寝ているのを、至福の天国だと思っている女なのですから。
家内を謡の稽古に連れて行くときに、近所のお友達も、ご一緒に車でお送りしていたのです。
ある日、アイちゃんも乗せてその方をお迎えにゆきました。
すると、その方から「お宅、アイちゃんにちょっと過保護じゃない?」と言われてしまいました。まさに、図星であり、図星というものは痛いものであります。
それからというものは、しばらくの間は、「おい、過保護ちゃん、一緒に行くか?」というようなことを喋っていたのですから、真正真明の過保護に違いなかったのです。
春休みになって名古屋にきたら、一緒に犬を買いに行こうねと、家内が孫たちに電話で言っていたのは聞きました。そして、今いる犬の名のアイちゃんは、H , I , J , Kの I だから、今度買う犬はジェーちゃんはおかしいからKちゃんという名前にすると公言しておりました。
でも、そのうちに何があったのでしょうか。いざ、春休みになり孫たちがきても、家内は買いに行こうとは言い出しませんでした。
利口な孫たちというべきか、口から出まかせを言うばーちゃんだと認識しているというか、ともかく孫たちも、それについてなにも言いませんでした。
5月、アイちゃんが満二才になりました。
人間なら20才代中頃です。外から見ていても、すっかり大人っぽくなってきました。
赤ちゃんの時は、朝起きて2階から降りてゆくと、もう嬉しがって、まるでウナギのように身をくねらせて喜んだものです。
それがこの日頃は、ソファの上に寝たままで、カーテンを開けると尾を振り、散歩に出るため首に結ぶリードを籠から取り出すと、やっとそばへ寄ってきます。
家内が「行くよ」と声をかけても、それが本当の行為に結びつくまで、絨毯に伏せたまま、目だけで人の動作を追っているのです。
家内も最初は「省エネルギーしてるのね。悲しいものね、大人になるって」などと言っておりました。
そのうちに「安泰の日は続かないのよ。競争相手を連れてくるからね」という、きつい言葉に変わってきました。
でも、孫たちには電話で、今度、夏休みにきたときに買ってあげる、と言い続けていました。それで、私は家内の例の調子だと本気にはしませんでした。
ところが、6月末、横浜から帰ってきた息子が私に「お母様、もう一匹買いそうだね」といったので、急に今度は本気なのかと思い始めました。
家内は「私がどうして二匹目を買うかというと、姪のクーちゃんの子供たちのことを聞いたからなの。上の子が預けられてるところに、下の子がくると凄く喜ぶんだって。アイちゃんだってお友達、欲しいよねえ」と、言い訳がましく言い始めました。
謡の練習から帰ってくると、犬の檻を組み立てろとの、ご託宣です。
そういわれて、私は裏の軒下からごそごそ持ち出してきました。
「私としたことが、よく捨てないで持ってたわね」と、家内。
本当にその通りです。
アイちゃんが利口になって、排泄の躾ができるようになったときに、檻を仕舞いました。そのときには、まさか、二匹目を買うなんて思いもしなかったのです。そうかといって、アイちゃんが年をとってオムツが要るようになったとき、再度、檻を使うなどと予想したわけでもありません。
まあ、強いて思い出せば、犬を長時間、家に置いて外出するときに閉じこめておくケースを、ぼんやり考えていたような気がするのです。
七夕の前の日のことです。「昼飯を食べたら、犬を見に連れていって」ときました。いよいよアクションが始まったのです。
この日は、犬屋でいろいろと見ただけでした。
でも、次の日「あの小さなダックス・フントおいくらですか」と、家内は犬屋に電話を入れていました。
新参者、ケイちゃんを家内が抱いて家に入りました。
よそ者がきたと、アイちゃんが吠え立てることを予想していました。
アイちゃんは、小型犬のくせに、よその人がくると、一応は吠えて見せて「お前、番犬になれる」と誉めてもらっていたのです。
アイちゃんも当家に2年間一緒にいると、吠え方にいろいろあるのが分かります。
魚屋のご用聞きさんには、なにか優越感を持って吠えています。
あちこちの宅配便や集金には、お付き合い程度に吠えます。
息子には、最初の時に吠えたことを覚えているのでしょうか、今では「自分の家の人」
であることを知っていながら、玄関を跨ぐ最初だけ吠えてみるよといった様子です。
娘と孫たちが最初くるときどう振る舞うかは、大いに関心がありました。なにせ彼等は、学校休みで何日間か、この家に一緒に暮らすことになるからです。
最初はたしか、アイちゃんも車に乗って名古屋駅まで迎えに行ったのです。混雑している駐車場で慌ただしく乗り込んできた娘一家に、呆気にとられたというか、まったく一声も鳴きませんでした。その後は、娘の来宅のしかたに、いろいろのケースがあるのですが、アイちゃんは彼等に対しては、「自分の家の人」として認知しているようで、まったく吠えることはありません。
そんなアイちゃんが、新しいメンバー、ケイちゃんに、よそ者がきたと吠え立て、ひょっとすると攻撃的な態度をとるかと思っていました。
でも、私たちの予想はまったく外れました。
アイちゃんは、ご主人様が大事なものを連れてきた。そして、その大事なものは気味の悪いものだ、と思いこんだようでした。
新入りのケイちゃんは、まだ世の中が分かっていませんから、家中、好き勝手に歩き回ります。自分の5倍も体の大きいアイちゃんにも平気で近寄ります。
そうされるとアイちゃんは、来るな来るなという、ウーウーという低い声を出しながら逃げ回るのです。
こんど二匹目を飼う目的は、アイちゃんにお友達を作ってやりたいということです。
でも、アイちゃんが、もう可愛がってもらえないと悲しむかも知れないと思っていましたから、お前が大事だよというところを見せようと思いアイちゃんを抱いてやりました。
体中の筋肉が、ぶるぶる震えていました。すごく興奮しているのです。
気がつくと、ケイちゃんの背中がベタベタ濡れているのです。アイちゃんが唾をつけているのです。
ケイちゃんを檻に入れ、両者を隔離しましたら、檻の外で眺めているアイちゃんの口から唾が溢れて、ポタポタと絨毯に落ちているのです。こんなことは、空前絶後でした。
その日は、あんな食いしん坊のアイちゃんも、夕食が殆ど喉を通らず、ほとんど残してしまいました。
その夜は、ケイちゃんを檻の外に出すたびに、アイちゃんは「ウーウー」という警戒音を出し、自分がシェルターにしているパソコンの机の下に潜っていました。
犬屋と違って、ケイちゃんは、夜が静なのは始めてなのでしょうか、わが家で過ごした最初の夜は、ヒーヒーと小さな声で鳴いていました。
朝、私が降りてゆくと、アイちゃんがドアのところで待っていました。こんな殊勝な態度は、久しくなかったことです。
2日目は、こんどはケイちゃんが朝、昼と2食、殆ど食べずに心配させました。水も飲まないのです。
パソコンをいじっている私の横に、アイちゃんがきて、なにか「うーうー」と、訴えるのです。私は見当がつかずに「さっぱり分からないから、ひとまずおシッコしに外にでも連れて行こうかな」と言いました。
奥方は、そんなことではないよとおっしゃるのです。そして、先程、オリに入れた小さな猿の人形を取り出しました。
普段アイちゃんは、もっと大きい黒ちゃんと名付けた犬の人形だけを大事にし、外の人形など見向きもしなかったのですが。
でも、この際、猿の人形を出してやると、久しぶり、それを銜えて遊んでいました。
ケイちゃんは、わが家に来てから36時間、たったの1食しか食べません。
3日目の朝には、大部新しい環境に馴れただろうと思いました。
ケイちゃんも夜中、昨夜と違って、とくに鳴きませんでしたし、アイちゃんもソファの上に横になり、出迎えなど来ませんでした。
こんなようにして、2匹の関係は、歯車が滑ったりガタついたりしながら、段々に、お友達になってゆくようなのです。
今度、二匹目の犬を撰ぶとき、あいちゃんと同じミニチュア・ダックスフント以外の種類は、始めから考慮外でした。
犬屋には、ミニチュア・ダックスフントでも、毛色がゴールドというのが二匹いました。でも、家内は、もう殆ど迷わないで、毛色もアイちゃんと同じレッドのロングヘアを撰びました。
生後1,5ヶ月の、チビでした。
そして、家内はアイちゃんに気兼ねして「アイちゃんに可哀想だから、二匹目はブシュ(ブス)な顔のを撰んであげたんだよ」とも言い、また「今度の子は、悪い子で、ブシュなんだよ」とも言っていました。
家内は、だいぶ何回も、ケイちゃんのことをアイちゃんと呼んだりしていましたが、
ついに「ケイちゃんはどうしても口から出てこない、いたずら者でおかしな顔だから、ジロと呼ぶのが似合う」と改名を宣言しました。ケイちゃんという名前は、たった2日しか使ってないから、問題ないと主張するのです。
名前が確定しましたから、ここで、もう一度整理します。
前からいたほうがアイちゃん、皇孫の愛子様のアイです。わが家のアイちゃんの命名の方が先ですから、天皇家にはご容赦願います。
後から来たほうがジロ、二匹はちょうど2才、年令が離れています。
二匹目の犬がわが家に入ったとき、彼等に起こった食欲の異常について、まとめて記録しておきます。
新しく来たジロは、買ってきた日の夕食は、よく食べました。そして水をガブガブ飲みました。
夜中、ヒーヒー鳴いていました。
次の朝、固い便と柔らかい便をしていました。
朝飯にはまったく口をつけませんでした。この日は、結局、何も食べませんでした。
犬屋では冷房してたよねえと、私たち老人2人で言い合って、冷房を入れて寝ました。
家内は、真夜中に、心配になって見てみたそうです。すると、なにか食べたそうな様子だったので、餌を作ってやると、食べたとのことです。
次の日は、冷房が効果をあげたり、新しい生活にもだんだん慣れて来るだろうと期待していました。ところがまた、何をやっても全然見向きもしないのです。水も飲まないでタダ、うつらうつらしています。もう、まる2日、まともに食べていないのです。
夕方、とうとう心配になり、買った犬屋に連れてゆきました。
犬屋ですから、いろいろの犬が一杯いて、それはそれは喧しいのです。犬の世話をするおねえさんが、ほかの犬たちにやるために作った餌を、ジロにも分けてやりました。
すると、ジロはパクパク食べ、飼い主に恥をかかせてくれたのです。
照れ隠しに、喧しいと食べるのかしらというと、店にきていたよそのお客さんが、ラジオをガンガンかけてると良いよ、と教えてくれました。
ジロは、こんな風にして、いまだに、本調子とはいいかねますが、どうにか、危機は脱したという状況です。
受け入れた方のアイちゃんも、なにか食欲がないようでした。
一夜明けた朝、いつものように時間になるとチャイムが鳴り、いつものようにねだり、いつものように与えておきました。
しばらくして、家内が、アイちゃん全然手を着けてないじゃないと言います。私は厳しいですから、腹が減れば食べるだろうからと、餌を引いてしまいました。
夕方には、ちょっと食べたのです。
翌朝、カーペットの上に3カ所、吐いた跡がありました。
それでも、朝、少しは食べたのです。
ジロはまだ幼いので、1日3食やることになっていて、昼にも食べさせました。アイちゃんにも、指をくわえて見ているだけでは可哀想だからと、間食代わりにジャーキーをやりました。
ところが、昼過ぎに見ると、カーペットの人目につかないあちこちに、朝のも、昼のも、食べたものを、アイちゃんは全部吐いていたのでした。
与えられた食べ物に関心を示さないのは、グルメ指向、言ってみれば贅沢なのかもしれません。でも、嘔吐となると、これはもう完全に病的であります。
私など、どんな嫌な奴がいても、食べるものだけは、しっかり楽しむしかないでしょう。こう申し上げると、お前は人間としても、並はずれた食いしん坊だから、自分のことを人間としての一般論のようにいうなとお叱りを受けるかも知れません。
ともかく、犬は、犬畜生など蔑むどころか、人間などよりずっとデリケートな生き物であるように思われます。
ゴリラとチンパンジーとを比較してみると、人間に似て狡猾なチンパンジーよりも、ゴリラのほうが、はるかに単純、善良、家族的だと本で読んだことがあります。そしてゴリラのほうが絶滅の危険度は高いのです。
食欲については、犬はその延長線のもっと遠くに位置し、もっと環境変化に抵抗力がないのかも知れないと思えてきました。
地球上で、他のほとんどの生物が個体数を減らしている中で、人類だけが爆発的に増殖しているのは、複雑な言語を持つとか、文字を持つとかいった知識能力のお陰ではなく、どんな環境にでも適応する図々しさがその原因であるかもしれません。
アイちゃんとジロとのすることを見ていると、飽きることはありません。
年令の違いと、性格の違いがミックスして現れているのでしょう。
ジロを籠の外に出しているときに、アイちゃんに餌をやりました。
ジロは、早速飛んできて、アイちゃんを押しのけて食べ始めました。
アイちゃんは、あっけにとられて引き下がったのです。
家内は可哀想がって「アイちゃん、それあんたのよ。遠慮することなんてないじゃないの」と応援します。
でも、アイちゃんの様子は、まるで、小学校の優等生が、ガキ大将を追い払うこともできないで、「よその人が僕のお弁当、食べちゃってる」と、半ば恐れ、かつ不審がっているようなふうなのです。
2年も、うちの気弱な夫婦に飼われていると、こうなっちゃうのかねといった感じなのでした。
ジロは、ソファから事もなげに飛び降りました。これはアイちゃんにとっては、相当大きくなるまでできなかった行為なのです。
玄関の階段も、どんどんアタックします。アイちゃんは始めの頃、いかにも恐そうにするので、「アムナイ(あぶない)。アムナイだもんね」といつもからかわれていたものでした。
ジロは、風呂場出口に置いておいてある自分の体の何倍もある足拭きマットを、銜えて引っ張ってきたこともありました。木張りの床の上は引っ張ってきましたが、絨毯にかかると滑らなくなり悪戦苦闘していました。
アイちゃんは、2年前、始めてうちにきたとき、水飲みのボウルを大層大事にしていたのだそうです。家内は、水が生存上大事なことを、本能的に知っていてそうするのかと、大変記憶に残っているのだそうです
ところが、ジロは水のボウルに後足と尻を入れてしまい、大騒ぎして檻から出せと要求するのです。
あるときは、水をすっかりこぼしてしまい、その空のボウルを銜えて、得意げに歩いたりしました。
「アイちゃんはそんなことしなかったよね。ジロは、ほんとに馬鹿な子だ。ほんとに悪い子だ」。家内はいつもそう言っていたのです。
でも、一週間ほど経ったある日、「ジロって、なんて可愛いんだろ。もう、買値の10万円、元とっちゃったわよ」、そう、言っていたのです。
自分より万事につけて優れた偉大な亭主(これは私のことです)を相手にしているのとは対照的な、無邪気で、かつ明らかに自分より劣る存在が、彼女の心を癒していることは十分に理解できるのです。
そうこうするうちに、夏休みで、千葉から孫たちが3人やってきました。もう、上へ下への大騒ぎです。
ジロが家へ来てからまだ3週間しか経っていませんでしたから、犬たちにとっては激動する環境変化は、過酷な日々だったと想像されます。
家内が述懐しました。「よかった、孫たちは小さいジロばっかり可愛がるかと心配してたの。でも、アイちゃんもちゃんと可愛がってくれて」。
こうも言いました。「アイちゃんの私を見る目つき。浮気女が自分のペットを連れ込んだ。裏切り女めが、そう言う目をしてる」。
ジロが実際に来るまで、家内がジロばかりを可愛がるとは,想像できませんでした。
なにせそれまでは、すっかり、アイちゃんに溺愛していたのですから。ジロの世話は、むしろ私に押しつけられることだろうと想像していたのでした。
でも現実になってみると、小さくて、世話が焼けて、でも、そんなほうを余計に可愛く感ずるものなようです。たしかに、幼くて、おシッコを垂れても、まるで他人事のように、焦点の合わないような目つきをしている幼犬は、なんともあどけなく可愛いものであります。
公平に見て、家内がアイちゃんから浮気女に見られるのは、もっともなように思われました。
アイちゃんが、この世で2番目に信頼しているのは、中学2年の孫、聡美であることは、その目が教えていました。犬は目で、お話しするのです。
チンパンジーは何種類かの言葉を持っています。でも、それで長時間お喋りするほどの会話はできないのでしょう。動物園で長時間見ていても、群の中で、とても人間のようなお喋りは聞くことができません。
犬はチンパンジーよりも、もっとボキャブラリーが少ないのです。でも、犬は目で話します。「目は口ほどにものを言い」といいますが、人間ほど喋る、口を情報源にしている動物は、ほかにいないのではないでしょうか。
ともかく、アイちゃんが聡美に「聡美好きだよ。そばにいたいよ」そう言っているのが、目と態度でよく分かるのです。
長女の聡美と末っ子の太一は、犬たちと一緒にいたくて、母親と中の子が来る前からきていて、また帰ってからも残っていたのです。
こうして孫たちの嵐が過ぎ去ったのは8月下旬、ジロは生後3ヶ月になっていました。
アイちゃんが2年前、家にきたのが、生後3ヶ月のときでした。
ここで、いま感じているジロの性格について書いておきましょう。
固有の性格のほか、年令も違いますから、厳格な話ではありません。
ジロは体育会系のきかん坊なようです。
ジロは、わが家にきたばかりの日に、アイちゃん目がけて飛びかかるのに、まず、いったん後退して助走を付けるのを見て、びっくりしました。
アイちゃんが相当大きくなるまでできなかった、ソファからの飛び降り、階段の駆け上がりなど、始めからこともなげにやっています。
自分で行きたいところを決めると、途中に人が寝そべっていようが、水の入った皿があろうが、避けようとはせず、一直線に突っ走ります。
絨毯の上にお粗相をすると、懲らしめのため、鼻を押しつけ叩かれるのです。そうするとジロは、自分がどんな理不尽な仕打ちを受けているかを、世間に訴えるかのように、キャンキャンと大騒ぎするのです。それのみか、押さえつけられまいと、歯を剥いたり、机に下に逃げ込もうと、あらゆる努力をするのです。
それの一連の行為が、また、言葉に表せないほど、巧妙かつ有効なのです。これらは、もう、生まれつき備わった本性としか考えられません。
アイちゃんが幼児の頃は、こんなときに、ただひたすらに申し訳ながって、恐縮していた記憶であります。
アイちゃんに何か食べ物をやっても、ジロは自分のリーチの範囲ならば、自分以外の者のことなど、まるで考えない様子で奪いにきます。そんなジロの態度に「北朝鮮」というあだ名をつけました。
足拭きマット、雑巾、水やりポットなど、手当たり次第にくわえて歩いている様子を見て「北朝鮮もこんなに働けばいいのに」と言った人もありました。
二匹の犬で面白いと思ったのは、お互いに、相手が自分よりも美味しい食べ物を貰っていると思いこんでいる点です。
アイちゃんはジロが食べているドロドロの幼児食を食べたくて食べたくて、檻の周りをウロウロするのです。
ジロはジロで、アイちゃんがカリカリ音をさせて食べる固形食を、少しでも残していると突貫してくるのです。
そんな意地汚さに負けて、私たちは、しばらくのあいだ、相手の主食をほんのひとつまみだけ、加えて与えていました。
そうそう、そういえば、まったく同じ水道の水でさえも、相手のところへきては、さも、美味そうに飲んでいるのです。
何ごとも他人のものの方がよく見えることを「隣の庭の芝生は青い」といいます。私も家内も、あまりその性癖が強いほうではありません。そんな二人と2年暮らしたアイちゃんでも、隣の芝意識は極めて強いようです。犬たちには、この性癖がよほどしっかり遺伝子に食い込んでいる様子です。
ここでついつい、「隣の芝」意識論へと、脱線するのです。
「隣の芝生」意識は、人間界では、どちらかといえば無力なものが、抱く感情であります。なってみれば崖っぷちの道を歩いているような、ストレスだらけの権勢者にでも、なってみたいと憧れたりもします。
犬が強い「隣の芝」感情を持っているのは、長い長い歴史の中で、人間に仕え続けてきた、自主性のない動物だからなのでしょうか。
知能よりも本能のほうが遙かに優位な昆虫たち、たとえばミカン科の植物の葉しか食べないアゲハチョウの幼虫では、「隣の芝」意識は考えられないことです。
他方、人間に近い知能を持ったチンパンジーの世界でしたら、羨ましがりはかなり強そうな気がします。
すると、隣を羨む感情は、知能の高さとともに、増加してゆくものかもしれません。
そして、その感情は犬あたりで最高になり、人間、それも善知識を積んだ一所不住のお坊さんにまで知能が高まると、また、隣を羨むという因業は極端に低くなってしまうものなのでしょうか。
私はもう昔々から、朝に散歩をする習慣です。
アイちゃん一人だった頃は、それまで同様、朝5時に家を出て、約1時間歩いていたのです。
アイちゃんが、わが家へきた始めの頃、指導書などを見て、最初はウンチを外でするように躾るつもりでした。まず、約200m離れた山崎川まで連れてゆき、長い間見ていましたが、いっこうにウンチもシッコもしませんでした。仕方がないので、家へ引いて帰りオリに入れ、そのあと私がひとりで散歩に出かけていたのです。そんなことが、1週間ほど続いたと思います。
幼犬のワクチンの効果が出て、散歩を許されてから、私の散歩ルートを、アイちゃんにもある程度歩かせました。疲れてくると、布製の買い物袋に入れ肩に掛けて連れ帰りました。
そして、案外早い時期から、約1時間の行程全部を歩かせていました。
小型犬の幼犬としては、ヘビーな負荷だという評判でしたが、「オリンピック選手にするんだ」と称し、譲りませんでした。
ジロがきて何日かたった朝、昔を思い出して買い物袋を取り出し、ジロを入れて歩き出しました。アイちゃんに、いつものとおり、近くの電柱でおシッコをさせ、次の角でウンチもさせました。
そのあと、いくらもゆかないうちに、リードが重くなりました。アイちゃんが足を踏ん張り、私の顔をじっと見ているのです。行きたくないと言っているのです。自分のものだと思っている買い物袋に、他人を入れているのが気に入らない様子でした。仕方ないので、帰りました。
そのことを家内に話しましたら、あとでアイちゃんを「これ、あんたのなの」といって、袋に入れたところ、「出ようとしないのよ」だったそうであります。自分のものだと主張したかったのでしょう。
この件は、すぐに解決しました。アイちゃんはいったんは拗ねたものの、すぐに「まっ、いっか」と譲ってくれたのです。
それで、今は2キロを超す子犬を袋にいれて、肩に掛け歩いています。
おなじミニチュア・ダックスフントが、1匹はリードで引っ張られ、もう1匹は肩に掛けた袋から、上半身を乗り出して世の中を眺めているのです。
ヤッパ、老人にはかなりこたえます。早くワクチンの効果を信じて、歩かせたいものです。
こんなスタイルで歩いているので、この日頃、散歩道で「子供ん?」、「赤ちゃん生まれたの?」、「お母さんなの?」と、行き交う人たちから、何度、声をかけられたことでしょうか。
2年前のアイちゃんを覚えていて、いま改めて「昔、アイちゃんもよく頑張って歩いてたね」といってくれる人もありました。
二匹の犬は、山崎川、朝の散歩族に、いままでの倍以上、話題を提供していてくれるのです。
とうとう、ある朝、さる奥様が「このかた、まだ歩けないんですか」と、袋から上半身乗り出しているジロにお声をかけて下さいました。
最初、散歩していて、アイちゃんのことを「男の子?、それとも女の子?」と聞かれて、戸惑っていたのは昔のことでした。
そのうちには「この子気が小さくて」といわれて、「うちの子は、ボーッとしてるんです」など、ごく自然に対応できるまでにはなっていたのですが、今朝の「このかた」には、真実、恐れ入りました。
ジロがわが家にきてから一月半、生後3ヶ月になりました。このところ急に飼い主をジーと見つめるようになりました。
いよいよ、躾教育を始めても、やり甲斐がある年頃になったのです。
これから二匹、じゃない二人で長生きして、いろいろと未知の世界を見せてくれることを期待しているところです。