日付:2001/10/28
93才になる私の母は、昔からの家にひとりで住んでいて、自分の流儀で、曜日ごとにパン、玄米、白米のお粥を作っては食べています。先日来、パン焼き器の調子が悪くなったと、訴えることが多くなりました。
そんなとき、私はいつも「そのうちに見てやるよと」返事をしていました。
でも実際には2,3日すると、母が「パン、ちゃんと焼けたよ」と言う結末になっておりました。
私には、おおよその事情が想像されていたのです。
もう、10年以上も前のことです。母から、キリスト教無教会派の仲間でカセットテープを回し聞きするので、カセットテープレコーダーを買ってほしいと頼まれました。
「お年寄りにも使いやすい」と唱った製品を選んでやりました。
たしかに、オートリバースなど複雑な機能は付けず、表示も大きな字で書いてありました。
でも、使い始めてから「故障したよ」とか「どうして動かないのかね」といわれ、始めは本気で調べました。この機種はポータブルでしたから、取りはずしできるコードの接触が悪かったこともありました。しかし、なんといっても、一時停止のボタンが押されているのがほとんどの場合だということが分かりました。
母の場合には、一時停止は不要な機能でしたから、ボール紙で小さな箱を作ってかぶせ、セロテープでとめて、押せないようにしました。
まだ父が生きていた頃からのテレビは、画面のサイズが色々変えられます。
母は、外国語映画の下の文字が見えないと、しょっちゅう苦情を言います。
いつの間にか、画面サイズのボタンに触っているのです。
「ジャストを押せば、ちゃんと直るんだよ」「要らないときは触っちゃ駄目だよ」と、何回言ったことでしょうか。でもこれは、とうとう母の記憶の引き出しに入らないようです。
基本的に、要らないボタンや触っていけないボタンは、ないことが望ましいのです。
長命の条件でしょうか、母はなにせ耳が遠くなり、電話が鳴っても出ないことが多くなりました。
そのせいでしょう、私の家に電話がかかってきて「お母さんにお電話しているのですが、ちっとも出られません。お元気でしょうか」というお問い合わせが多くなってきました。
そこで、できるだけ機能が少なくて、文字の大きい留守番電話を買ってつけました。
これも実際に使ってもらって、1週間ほどのうちに、さして要らないのに間違って押すチャンスがある「スピーカー」「再呼び出し」などのボタンをボール紙でマスクしました。
もう米寿を過ぎた頃でしたから、ちゃんと使えるようになるかどうか、一抹の懸念はあったのですが、一月ほどで使えるようになったのには感激しました。
母は、パン焼き器はもう長年使っていましたから、十分馴れてはいるのです。
それでも人間ですから、たまには失敗も考えられます。
なにも90才を越した老人でなく、22才年下の私だって、ちゃんと失敗しているのです。
一回は、かき回す羽根を取り付けずに焼いたことがありました。
また、こぼれた塩を適当に入れたら、膨らみかたが足らないパンができたこともありました。わが家では、こんな出来損ないでも、フランスパンみたいで美味しいといって、食べてくれたのでした。
ともかく、電源コードの接触不良まで含めれば、たまには失敗もあるのは当然のことで、放っておいてもそのうちに「今度はちゃんと焼けたよ」という言葉が聞かれることだろうと、事情を想像していたのです。
孫はもう、あるメーカーの部長さんです。
母のパン焼き器が不具合だという苦情を聞くやいなや、新しいパン焼き器を買ってきてセットしてくれました。
それを見て私は、最初に使うときに、やって見せるからねといっておきました。10日ほどたったとき、母は「やっとパンがなくなった」といいます。一斤のパンがそんなに長く持つのです。
もう、様子は分かっていますから、私の家からボール紙とガムテープ、ハサミ、サインペンを持って行きました。
「予約」だとか「天然酵母」のボタンにボール紙で作ったカバーを、ガムテープでとめました。仕事がすむと、べたべたとテーピングしたお相撲さんみたいなパン焼き器になりました。
母に、小麦粉、砂糖、塩、バターなどどれだけ入れるのかと聞かれました。
その項目を、説明書から探すのが一苦労でした。
説明書はA4判で60ページ以上もあります。
そのうちで、母が知りたがっているパウダーミックスの量を書いてあるところは、わずかに7x5センチぐらいでありました。
最近の器具の説明書には、決まり文句のように、この器械を踏み台にしてはいけませんとか、電源コードを囓ってはいけませんというようなことが、書いてあります。
これらのページが、使う人のためにあるのではないとは言い切れませんが、どちらかといえば何か事故があったときに、メーカーとしてPL法の言い訳に必要なのでありましょう。老人にとっては、邪魔であります。
老人は、能力は低下しても、自尊心だけは失っていないものです。
必要な介護の程度を調べるために調査員が来ると、しゃんとして、なんでも自分でできると断言し、かつ、やってみせます。しかし、その人が帰った途端に、平生に戻ってしまうのは、すべての老人に共通の傾向だそうであります。
ガムテープをベタベタ貼られたパン焼き器を見るたびに、なんとなしに、徘徊老人をベッドに縛り付けているような惨めな気持ちになります。
こんなに広く、電気機器にマイクロコンピューターが取り入れられている時代なのです。最初にカバーを開けて条件をセットしておけば、あとはカバーを閉めておき、1,2と刻印された、せいぜい2つまでのボタンを、その順に押せばすむような設計はできないものでしょうか。
もっと原始的に、操作面にぴったりかぶさるカバーをつけ、触れて良いボタンのところだけ穴を開けられるようにしてはどうでしょうか。
年を取ると、押すつもりでないボタンに、知らぬ間に触ってしまうことも多いのです。
このことは、最近、私自身、食べているときにつまんだものを箸から落とすだけでなく、落としたことに気が付かなくなっていることでも分かります。
93才になって、美味しいものを食べたいから、店で既製品を買わずに、自分でパンを焼くという気持ちは、素晴らしいというべきではないでしょうか。
これからも、世間に老人の数は増えます。
説明書が読めないくせにとか、順序を覚えられないからとか、要らないボタンに触れるからとか、老人のくせにそんなこと自分でやろうと思うなというべきではないでしょう。
かく申しながらも、私は、お前こそ、いまの世の中が分かっていないのに、賢しらげにいろいろと妄言を弄し、まったく老廃人のくせに自尊心だけ強いんだから困っちゃうと、厳しいコメントを頂戴することを覚悟しているのですが。