題名:山岳会の「海征かば」
中央構造線を学ぶ
(2006/10/22〜26)

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日付:2006/12/12


・ 地学巡検四国四県
今度の四国訪問は、旅の途中まで、紀行文なんか書けないんじゃないかと思っていたのです。
なにせ、日本山岳会、山の自然学研究会の面々が、四国地方の中央構造線を見て歩こうという旅なのですから。
中央構造線というのは、日本列島を関東地方から九州まで貫いている地質的な巨大構造線(断層群、延長1000km余)なのです。山の自然学研究会では、植 物、動物などの研究もしていますが、今回の視察は、日本の山はどのようにしてできたのかを研究テーマとした企画だったのです。
実際、写してきたデジカメの画面をデスプレイさせて眺めると、岩と説明の看板ばかり飛び出してくるのです。
でも、旅の終わりの頃になって、ひょっとすると読んでいただけるものが書けるかなあと思い始めたのでした。ともかく、まあ書き始めてみましょう。

      

       ・流行歌耳に秋思の竜馬像
・旅の概要
総勢10名が参加、全行程、2台の乗用車を使いました。
グループとしての行程は、最初の日は高松空港を出発し高知の桂浜泊、二日目は松山の道後温泉泊、最終日は徳島空港で解散でした。
わたしは例によって、夜行バスを使っているので前後1日づつ多いのです。
名古屋から四国までは、飛行機やJRを使う手段が順当なのですが、ヨーロッパやアメリカに行くときは、夜行も含めて何時間も狭いシートに座って飛んでいる くせに、夜行バスだけを嫌だというのも理屈がとおらないと、妙なシバリを感じているのです。
夜行バスは料金が安いことももちろん魅力ですが、ゆったりした座席間隔や、深く倒れるリクライニングシートなどが、飛行機のビジネスクラスへの憧れを満た してくれると負け惜しみを申しておきましょうか。

・馬鹿丸出し
宿泊は2晩とも国民宿舎でした。質素な旅だといえましょう。
グループの皆さんの研究歴、旅行歴など聞いているうちに、なんという恵まれた方たちだろうと思いました。頭が良く、経済的に余裕を持ち、自由な時間に恵ま れ、好奇心に溢れ、また意志が強い方たちなのです。
上高地で、観光客に山の自然の解説、保護などを説明するインタプリターのボランティアをしておられる方も多いのです。人間が植林さえしなければ崖崩れが起 こらないように騒ぐエコ原理主義者とは出来が違います。
最初は、ただただ尊敬の念が湧いてきました。でも、そのうちに妬ましくさえなってきたのです。
大きなお世話だといわれそうですが、みなさん岩石のように堅物で、テレビに出てくる人気タレントとは正反対の性格なのです。若い女性にキャーキャー騒がれ るのには、いささか無理だろうと心配させていただきたいのです。
なにせ自分で喋るよりは、じっと相手の話を聞いているタイプなのです。
お金のない私などは始めから論外ですが、たとえお金と時間があっても、こんな軽さのない性格では、残念ながら世間で女性にモテるわけなどないでしょう。人 間、「理性的」であることは、まさに玉に瑕だと思えてきました。

でも、奥様方についてのお噂を聞かせていただいているうちに、弓の有段者だとか、いろいろ秀でた女性たちであることが想像されました。
世の中、うまくしたもので、こんな重っ苦しい男たちにも添ってくれる、奇特な女性が日本のうちに多少はいるようで、この馬鹿な私も安心いたした次第です。
        ・秋の海淡路島とは大きかな

・「じゅんけん」
桂浜国民宿舎での朝のことです。その日案内して下さる地学の先生は「それではジュンケンに出発しましょう」と言われました。
聞いたほうは、一瞬「えっ」という感じでした。
わたしといえばその言葉から、濃尾平野の西の端っこ、養老山脈の麓を通っている「巡見街道」を思い浮かべました。村落を貫いてつながる道で、昭和30年代 までは、主要道路でありました。
かって、幕府のお役人が民情視察の巡見に使った道だそうで、南の鈴鹿山脈の麓へと延びているのです。
ついでにちょっと広辞林で調べてみました。

巡検、見回り取り調べること、巡検使、鎌倉幕府で、時を定めて指定の国中を視察し、民間の苦楽を察し、年の豊凶を調べた職名。

巡見、みまわり、巡見使、江戸時代に、五畿七道を巡回して政道を視察した職名。

いずれにしても堅苦しくて、なにかカミシモでも着たような雰囲気が感じられます。
地学の世界で使っているジュンケンは巡検のほうです。いずれにせよ、現代では、地学の世界の特殊用語に限定れていると思います。
明治初期にドイツから東京帝国大学教授に招聘されたナウマン氏らを、最高学府の大先生が案内するときに「巡検」という言葉を使ったとすれば肯けましょう。
この解釈は、わたしの、まったく根拠のない推論で、面白半分に申しているのですが。
        ・会心の秋空得たり子規の里

・海征かば山岳会

日本の山が、どのようにしてできたのかを学ぶためとはいいながら、山屋たちが海岸にゆくのはちょっとした方向違いのようにも思われます。
高知市から約20kmほど南西に車を走らせました。五色が浜という看板のある道路脇の駐車場に車を停め、海岸に下りてゆきます。
案内して下さる先生から「一カ所、嫌なところがあります。30人ぐらい学生を連れて行くと、2,3人落ちるのがいます。今日は、山岳会の方と聞いています ので期待しています」といわれました。
車道から海浜に下りるまでの崖には、ちゃんとした道がついています。
このあと3時間ほど、説明を受けながら、海岸を歩き回りました。
地質のことはあまりに専門的になりますから、2点のみ紹介することにします。

・チャートとは、大洋に住む放散虫という小さな生物の殻が積もってできた硬い岩の名称であります。ここでは層になった赤い色のチャートが、皺くちゃになっ た断崖がありました。津軽塗りとか輪島塗の漆器でこんな模様を見たような気がしました。ともかくも大変な奇観でありました。

・また、このあたりの石灰岩は赤い色をしているのです。石灰岩 だといわれても、始めはとても信じられませんでした。

いろいろ本を読んでみると、日本にある、北勢地方の藤原、大垣 の赤坂、渥美半島の田原、大分の津久見、関東の武甲山などで見慣れているあの白、あるいは灰 白色の石灰岩は、地球規模ではむしろ例外的に純度が高い石灰岩なのだそうです。珊瑚礁でサンゴ虫の骨格が純度の高い石灰岩を作ったもので、とくに礁性石灰 岩と呼ばれます。

世界各地、たとえばニュージーランドを旅していて、石灰岩とい われても赤や黄土色で、これが石灰岩?と訝っていた訳がやっとわかりました。

・秋の潮洗う褶 曲著き崖




太平洋に面した崖の下を伝い歩きするのは楽ではありません。砂浜を歩けば一歩一歩、砂に足が埋まります。また、大部分の浜では、大きな岩を上がったり下 がったりすることになります。体のバランスが悪く、筋肉の衰えた老人は、若い人のようにピョンピョンとは飛んで歩けないのです。
ある意味で、北アルプスの登山道を歩いているより、もっと塩っぱい道だといえます。
そのうちに、予告された、例の難所に差し掛かりました。岩の崖をこちら側から登っていって、その裏側を下りるところが難所の様子なのです。経験のある先生 が先に通過し、後続者に「そこで左足をもっと右に」などと、アドバイスをしてくださいます。
臆病なわたしは最後尾につきました。前の人たちが問題の難所でやっている姿は見えないのですが、向こう側から手を回してつかんでいる指先だけは見えていま した。
わたしの番がきました。岩にしがみついて下りてゆき、最後のところで右足を伸ばしましたが、下の岩には届きません。みんなが苦労していたのはここだなと思 いました。この15センチほどの空間を、ずり落ちたり、飛んだりしていたのだと思いました。
わたしは先行者を見ていて、手をかける岩の状態は勉強させて貰っていました。それで、いったん右足を引っ込め元の岩角に戻しました。そして右手をもっと下 の位置に持ち替え、もう一回右足を伸ばしました。こんどは十分の余裕を持って最終の着地点に足がつきました。「うまい!」先生から声が飛びました。
76才のじじいの自慢話、以上でございます。

・地学のショーウインド四国
3日間の地質の勉強を終えた感想として、高知大学の先生が親切に教えて下さったからお世辞を申し上げるのではなく、四国では地質学が盛んで、実によく調べ られていると感嘆しているのです。
その理由を、わたくしなりに考えてみました。
まずその第一の理由は、四国の南にある南海トラフで海洋底が沈み込んでいるため、教科書に書いてあるとおり、沈み込みによって付加された岩石が、東西の線 に整然と並んで陸地を作っていることがあげられましょう。
第二に、活動中の火山が近くにないため、地表が火山灰で覆われていないので地層の観察が容易なことです。
       ・道後の湯も億劫となる菊の酒

・新しい地学
わたしたちの世代は、戦争を経験しています。
昭和19年、中学校3年生の夏から、学校にはまったく通わず、工場で飛行機の部品を作ってばかりいました。
地学はおろか、西洋史も数学の対数も学校では教えて貰っていません。
30才で結婚したあと、岳父の趣味だった考古学との関連から地学にも興味を持ったのです。最初に買ったのは岩波新書の「日本列島」の第8刷、昭和38年 (1963年)発行の本でした。
その本は今も手元にあります。そのころの日本列島の形成論は、大陸の端が海底深く沈み、そこに土砂が堆積し、その後の地球規模の造山運動の時期に、日本で も隆起し、日本列島が現れたとされています。
要するに、同じ場所で沈降、隆起をしたと説かれています。

現在の地学では、すべてがプレートテクトニクスで説明されています。
プレートテクトニクスというのは、例の、地震が起こるたびにテレビ解説に登場する、日本列島の下に太平洋プレートが潜り込んできているという理論です。太 平洋プレートがブルドーザーのように、岩石を押して、盛り上げたのが日本列島だというのです。

わたしの話は、こんなようにして、また理屈っぽい話になりそうですから、もう止めましょう。そして、こんどの旅行で、地学が好きな人たちと、3日間一緒に いて感じたことを、3点ばかり書いてみましょう。

・今でこそ、三重県の四日市市と伊勢市、あるいは四国の高松市と高知市は、それぞれ車で走れば1,2時間の距離です。
でも、地質としてみると二つの都市の間には中央構造線が走っていて、北と南とでまったく別の地質なのです。
中央構造線の北側は高温低圧でできた岩石、中央構造線の南側は低温高圧でできた岩石で構成されています。
南側の陸地は、そこの岩石に入っている生物の痕跡から、気温の高い赤道付近でできた陸地が今の位置まで移動してきたのだと解釈されています。
コンクリートの建物に、運転を誤った大きなトレーラーが横腹を擦りつけてきて止まってしまった事故を想像してみましょう。
コンクリートの建物が中国本土などのユーラシア大陸、トレーラーが高知市、伊勢市など、中央構造線より太平洋側の土地に当たるのです。
大昔に起こった衝突事故なので、その後一体となり、同じような力や浸食による変形を繰り返し、いま見るような姿になっているのです。
接触面の中央構造線では、激しく擦れ合ったあとが、砥石で研いだときの汁ように、細かい粘土の層になっています。
ただ、その衝突が起こったのが1億3千万年も前からのことで、こすれあっていた時間も6千万年間という、まさに地質学的な事件だったのです。


           ・秋の浜の岩幾億年の旅語る

・衝突のときに、ビルの壁にトレーラーの塗料がこびりついたことを想像してみましょう。
中央構造線に沿って、点々と見いだされる黒瀬川層という地層がそれに当たるとされています。
その中の石灰岩が4億二千万年前のもので、中国南部のものと同じと聞かされました。
今年の初夏、アンコールワット遺跡とハロン湾の石灰岩からなる島々を見てきました。そしてハロン湾の石灰岩が、桂林など中国南部の膨大な石灰岩塊と同じも のだと聞いて驚き、その成因は一体なんだろうかという疑問が頭に残っていたのです。
その片割れが日本列島まで数千キロの旅をしてきて、現在、黒瀬川層の石灰岩としてこびりついているというのです。伊勢の地面はベトナムから動いてきたもの だと聞かされると、ちょっとしたショックではないでしょうか。
固い岩のプレートが異動するといっても、どこから動き始めて何処で終わるのか、その疑問と想像はどこまでも広がるのです。

・五色が浜の巡検を終わり、教えて下さった高知大学の先生に一同からお礼申し上げました。それに対して先生からは「熱心に聞いてくださったので大変嬉し かったです。こちらからもお礼申し上げたい」と、お言葉を返されました。
先生のお気持ち、よくわかりました。
地学というものは、推理と、その検証とが、ない交ぜになった、いわば推理小説風な学問で、本当はとても面白い分野なのです。でも、考古学や天文学と同様、 現世の御利益からはほど遠く、かつ、なかなか理解するのが難しくて、関心を持つ人の数が少ないのも現実なのであります。
そんな社会なので、沢山の人が熱心に聞いてくれたことを嬉しく感じられたのでしょう。


        ・秋暮れて大鳴門橋明滅す

・格差ということ
いっとき、デジタルデバイドという言葉が流行しました。
コンピューター、インターネットなどデジタル機器を縦横に使いこなす若い世代と、デジタルと聞くだけで腰が引ける職場の敗者、オヤジ族などとの格差を指し た言葉でした。

いつ頃からでしょうか、人類の科学の進歩は恐ろしいスピードで進み始めています。
DNAの研究が進みいろいろのことがはっきりしてきました。
ゴリラ、チンパンジー、オランウータンのどれが人間に近いかという議論は、DNAの研究が進んだ結果、チンパンジーのDNAが人間のものと98.5パーセ ントまで同じだという説が出され、人間に最も近いとされました。
また、ピテカントロープスがネアンデルタール人を経て進化し、現生人ホモサピエンスになったという説は、DNAの研究により否定され、共通の祖先から別々 に分かれて生じたとされるのです。
DNAを読むことによって、ある人が特定の病気に罹りやすい体質なのかどうかががわかるとか、生命倫理学の危険水域にまで進んできてるようにも聞きます。

考古学でも岩石の生まれた年代や環境の判定が、いろいろの方法で進んできています。
放射性炭素の崩壊、地磁気、植物花粉などの研究が新しい知見を吹き込んだのです。
縄文時代を前期、中期、後期と3分していたのは50年前の話でした。
いまでは草創期、早期、前期、中期、後期、晩期と細かく分けています。
弥生時代も400年としていたものを、今では中期前半など細分するようになっています。

天文学でも光学望遠鏡の進歩、大気圏外に打ち上げられたハッブル望遠鏡、電波望遠鏡、通信技術を結集した望遠鏡群による観測など恐ろしい進歩があります。
50年前の知見では太陽系を含む銀河の範囲に止まっていた宇宙が、今ではどんどん広がっています。
星の誕生、成長、終焉などの発見が、かまびすしい昨日今日です。

紀伊半島南部の地質は、50年前には「年代不詳の砂岩」とされていました。その頃は、年代がわかる化石が含まれていないと見られていたからです。
その後1970年代にフッ酸で岩石を溶かし、放散虫の殻だけを残し顕微鏡で観察できるようになったのです。その結果、その岩が堆積した時期、そしてその岩 が遠い旅路の果てに今の場所に移動してきたことなどが分かるのです。

地震が起こったときテレビ解説で繰り返される太平洋プレートの沈み込みの話には、わたしは昔からある種の疑問を持っていました。
岩というものは、品質管理された工場で作られた板のような均質なものではないことは、目で見れば自明のことであります。
地盤がずれるといっても、粘土のようにズルズル滑ることもありますし、岩と岩が押し合ってガクッと外れることもあるはずです。また、大きな岩盤がバリッと 割れることだってあるでしょう。
最近、そのあたりにも学者の鋭いメスが入れられ、研究が進んでいることを知りました。
たとえば海洋底の沈み込みで生じた歪みが、アリューシャンでは滑りなしに100%蓄えられ、いっきに地震のエネルギーになるのに、日本付近では半分程度は 滑って解消されているのだそうです。これだって、わたしの理解はおおざっぱな話で、学者たちは三陸沖の特定の場所で、どこはどうなっているというようなレ ベルの議論をしているのです。

なにも理系の話だけではなく、文学、法学、経済学などの分野でも、研究の最先端が想像以上に進んでいる様子は同じではないかと想像します。

ここで、200年前までニューギニアには現実に残っていた、外界から隔絶された集落のことを想像して下さい。
その集団のなかでの、村のインテリと、村の大衆との間のインテリジェンスの格差、デバイドはどのようなものだったでしょうか。呪文を唱えて病気を治そうと する長老と、それに頼る患者との間のインテリジェント・デバイドは些少なものであったに違いありません。

現代のインテリジェンス・デバイドは、極めて大きなものです。
その格差の大きさは、マスコミを通し目についたり耳にしたりする情報からは考えられないほどの大きさであります。
そのうえ、インテリジェンス・デバイドは、この瞬間も急速に拡大しつつあるのです。
そして、それに気がついているのは、ほんの少数の人だけで、かつ、格差を埋めることにたいして、無関心であるか、あるいは、絶望感をいだいているかのどち らかであります。

わたしは、もう憎まれてもなんということはなくて、本当のことを発言してもよい年齢になりました。
マスコミは大衆に媚びて、大衆に分かるように説明しない専門家が悪いという理論展開をするのが常であります。
しかし、はっきり言って、ある事柄が理解できる人と、できない人とは存在するものなのです。
「キラキラ星よ」で、宇宙論が叙述できるものではありません。
勉強に時間をかければ、正解答案の書き方を覚えることなら可能ですが、それは、ことの本質を理解できるようになるということとは違うのです。
ホモサピエンスという生物は、その集団の中に、理解できる人があり、また理解できない人がいるというように、多様な性格に作られているのです。
だから、理解できるといっても自慢することではありません。また、理解できなくても、卑下することではありません。背が高いか低いか、声が大きいか小さい かと同じことなのです。
去年までのことはすっかり忘れて、「今年は異常気象だ。大変だ」と思い込み、毎年毎年同じことを書き立てることができるのは、マスコミ人にとって不可欠の 能力であります。
また人類の過去の所行から目を逸らせ、親が子を殺し、子が親を殺す、末世になったものだと嘆き、頭に血をのぼらせることは、詩人にとって有利な資質であり ましょう。
そんな、ある詩人に「斎藤道三は実の子の義竜に殺されたんじゃなかったっけ」と私が申しましたら、「あれは昔のことですから」とご返事がありました。その とき、やっぱり私には、ろくな俳句など作られるわけはないと納得したのです。

実際、「今年の秋は異常に暑いから、大地震がくるっていう噂だよ」と一座が盛り上がっていても、世の中になんの支障があるわけではありません。
また、宇宙の始まりが140億年前であろうが、137億年前のほうがもっと合理的であろうが、社会に何の変わりがあるわけでもありません。

地学だって考古学だって、地震予知のためだとか、人類の将来を考えるよすがだとか、いかにも役に立つように主張することを非難する気はありません。
でも、現世で確実に御利益があるとは、正直、思えないのです。

       ・宿の朝刻もてあます老四人

・飲水思源
最近、「飲水思源」という熟語を習いました。
水を飲み喉を潤すときには、その水がどこからきたのか、その恵みに感謝せよといった教訓的な熟語でありましょう。
現実に殆どの人は、燃料電池は水素と酸素を反応させて電気を起こす、その際、出てくるのは水だけで究極の無公害エネルギーだ、と書いたり感じたりしていま す。でもその源、原料とされる水素がどこでつくられるのか、その時どれだけの温暖化ガスを発生するのかなど考えもしないのです。
そんな人類、ホモサピエンスではありますが、1万人にひとり、あるいは10万人にひとり、ただ「飲水思源」に取り付かれ、何かの根源を、どこまでも突き止 めることに一生をかけたがる人がいるのだと思うのです。

そして、こうしてできるインテリジェンス・デバイドは、社会に余裕と自由がある限り、また、ホモサピエンスという種があるかぎり、未来永劫に増大を続ける だろうと思うのです。

         ・濁り酒肥えダミ声の大女



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