題名:片目のマドンナ

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日付:1998/2/5


 昔,梅雨で大水がでたあと,名古屋の西のほうの田圃で金魚の子供を拾ってきたことがありました。田圃の中を流れる用水に,うようよと泳いでいたのです。そのときは大水のせいで,養魚場から逃げ出して来たのだと思いましたが,金魚養殖の業者は傷物の金魚はそういうふうにして捨ててしまうのだと後で聞きました。

 金魚の姿は、大きくなるにつれて,子供の時とはすっかり変わります。拾ってきた時,どれもこれも黒い鮒のようだった彼らもどんどんと変わっていきました。でも,みんな遺伝的に欠陥があったのか,殆どは早い時期に死んでしまい,ひとり生き残ったのは,白い色でひれが大変に長い一匹だけでした。色が白いといっても,半透明な白で,中の血管が透いて見えるような,ちょっとピンクがかった銀色と言ってもいいような色でした。

 そして,胸ひれも,背ひれも、そして尻尾までも、とても長くって,それをひらひらとゆすっては泳ぐのでした。

 右側から見ると,まるで水中の舞姫のように、ほんとに優雅な金魚でした。というのも,彼女の左の目はどうしたことか,ただの真っ黒な固まりが埋まっているだけで,ものの見える目ではなかったのです。

 彼女の一生のあいだに,金魚鉢のなかでいろいろなことがありました。仲間の中には、いじめっ子もいましたし,マドンナをかばってくれる大きな金魚もいました。

 その後、いつのまにか我が家では金魚を飼わなくなり,子供たちもみんな巣立っていきました。

 それから長い月日が流れました。

 わたしの人生のある時期,ある美しい少女を見かけました。彼女のお父さんは仕事の同僚で、やはりとてもハンサムな人でした。

 ところがどうしたことか、彼女もまた、左の目の視力がなかったのです。「片目しか見えないのですが、生まれたときからですから、距離は物の大きさで判断しているらしいんですね。全然不自由してないんです」お父さんは、彼女のことを、そんなにふうに言っていました。

 その少女も,すらっとして,色が抜けるように白くて,水色がかった服なんか着ると,まるで妖精みたいに見えるひとでした。本当に美しいひとでした。

 この世の中で,わたしは片目のマドンナに二回会いました。そして多分、もう二度と会うことはないでしょう。

 でも,世の中には一生の内に、いちども片目のマドンナに会ったことのないひとのほうが多いでしょう。

 わたしは会えてよかったと思っています。そして,片目のマドンナたちのことを死ぬまで忘れることはないと思っています。

 

 

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