日付:1998/2/5
どうもこの小屋では,夕食を食べたあとが床を敷く解禁時であるとの,暗黙のルールになっているらしかった。それで,馴れた人達はそれに従って,有利に立ち回っていたように思われる。
私は寝床についてはうるさい方ではないので,その事についてとくに文句がある訳ではない。しかし,寝ながら考えてみると,私も年をとったせいで,過去に泊まった山小屋の数もかなりのものとなった。そこでこの際,山小屋での寝場所の決め方のいろいろを,まとめて見るのも面白かろうと思った次第である。
もともと,山での生活は,平地での普段の生活にくらべて,浮世のしがらみに縛られることが非常に少ない。山小屋での宿泊も同様である。たとえば平地では絶大な威力を発揮する金も肩書も,山の生活ではその価値の減小が著しい。極端な場合,生死ぎりぎりでの状況下では,まったく無力になってしまうことすらある。そのため山では自然に,個人の持つ人間性や能力が割に素直に出てくる。
山小屋で人々が勝手に振る舞っているのを見ていると,人間の集団の中でルールと言うものがどのような過程を経て出来てくるのか,そしてそのルールにはどれぐらいの幅があるものなのかなど,中々興味深いものがある。
冒頭に上げた例は,山小屋における一夜の寝場所の専有についてのルールが,慣行がものを言う,経験者有利の条件で決められている例と言えよう。
このときは,土地問題の始まりは,元々はだれのものでもなかった土地に,ある時賢い人が線を引いて「ここは俺のものだ」と宣言したことにあるのだ,という話を思い出してしまった。
事の一番始まりの,その賢いといわれる人は本当は悪賢い人であったかもしれないけれども,それからあとは既得権の尊重という世間で一般的に通用するルールが尊重されているといえよう。
経験者が有利になるのは,世間のかなり一般的なルールではあるが,この山小屋の例については,別の視点から見れば,いわゆる正直者が損をする社会だと言われても仕方あるまい。言ってみれば,ちょっとダサイ民主主義方式とも言えよう。
さて,今までの私の経験の中で一番混んだ山小屋での夜は,某キレットにある小屋でのことであった。
その時は連休の最中で,始めから当然混むことが予想された日であった。それで,小屋に着くと同時に,到着順に紙の札を渡された。
夕飯がすむと小屋番から,「今から寝て貰いますから,みなさんトイレへ行っておいてください」と予告があった。いよいよ寝る段になると「さあ,番号札の1番から5番まで」と呼上げて,次から次に頭と足とを互い違いにして寝かせ,「仰向けでなく横になって。はい,そこで腰を上げて」と言って5人単位でぎゅっと横から押しつけるのである。
「はい,次は6番から10番」といった調子で詰め込み,最後に上から毛布をぺろっと掛けて,出来上がりとなるのであった。
「山小屋じゃ男も女もない,いわば材木みたいなもんだな」その夜のぎゅうぎゅう詰めの話をするたびに,私はそう付け加えたものである。
当時は,山は若い人ばかりであったから,体形はおおかた幅よりも奥行きが薄かった。だから,この詰め込み方は非常に有効だったと言える。
昨今では,どこの山でも元気な年配者が幅をきかせるようになり,ひょっとすると幅よりも奥行きのほうが大きいのではないかと見受けられる人も,ふつうに見掛けるようになってきた。本当は他人事ではなく,私もそうなってしまったのであるが。
しかしいまや,前述のような恰幅のよい体型の人が多くなっても,依然として先に述べた互い違い圧縮方式は有効であるように思われる。と言うのは,おなかの出た人は胸の筋肉がげっそりと落ちているのが普通であるので,互い違いにすればやっぱりスペースが節約できるからである。その上なんと言っても,おなかは軟らかくて押せば凹むものだから,横にして押すのは依然として有効な手段なのである。
もうひとつ,山小屋で混んだ例を上げて見よう。
南アルプスのある小屋に泊まった時のことである。われわれは早着きしたから,板の間に入れてもらった。いやに詰め込むなと苦情を言っているうちはまだましで,後から来た連中を,とうとう土間にまで寝かし始めた。結局,私達は窮屈な思いをしながら寝てしまったが,その夜は遅くなっても,いつまでもお客がとびこんで来る気配であった。そして翌朝出る時に見てみると,とうとう小屋に入り切れなかった連中10人ばかりは,小屋の外に周りと天井に水色のビニールシートが懸けられ,地面の上に寝せられて夜を過ごしたことがわかった。
いくら混雑しても,隣のホテルに行って泊まってください,と言えないのが山小屋の掟であるから,こんなことが起こっても,お互い仕方がないと諦めるよりない。
これら2例は,小屋に来た人は,誰ひとり決定的なダメージを受けないようにするために,各個人がリーダーの指示に従い,不便に耐えている形態である。人口過密な発展途上国における強権的社会主義とでも言うべき姿であろう。
ところが同じような,どうしようもない混雑の場合でも,次のような対処方法もあり得るのである。
北陸の某名山の山頂小屋でのことである。お盆の前,まさにどうにもならない多人数が押し掛けていた。
どうやって寝たらいいんですかと小屋の人に聞くと,「まあ,皆さんで相談してください」と言う返事だけが返ってきた。
つまり,ぎりぎりと詰め合うなり,夜を時間的に半分に分けて交代で寝るなり,お客同士で相談し,遣り繰りして決めたらいいじゃないかと言う訳である。
こんな状態だったから,一旦トイレに立ったらもう一巻の終わりで,結局,トイレの簀の子の上で朝まで過ごすことになってしまった。
この時一緒に行った友人からは,今でも登山シーズンになると「貯金はできましたか。夜,トイレに行かない練習はできましたか」と便りが来るぐらいで、まことに深刻な思い出となっているのである。
これなどは,良く言えば民主主義体制,正確には自由放任主義な処理方法と言えるのではなかろうか。
いっぽう,完全にがらんがらんの山小屋に泊まったこともある。これについても二つばかり例を上げて見よう。
そこは,ある山と山の間の窪みに二軒の山小屋があって,お互いに風呂があることをセールスポイントにして,お客を呼んでいるのであった。
秋ももう終わりのある日,雨の中,結構塩っ辛いこぶを幾つも越え,長駆してその窪みに着いた。もういい加減バテテいたから,ガスの中から最初に現れた小屋に,迷うことなく飛び込んだ。そうしたら,お客はたった二人であった。そこでその夜は,ストーブを囲んで,小屋のご夫婦のほかに犬まで交ぜて,夕食を食べ,いろいろの面白い話を夜おそくまで聞かせていただいた。
その夜の泊りは,ひとりで一部屋を,まったく通常の料金で使わせていただいた。
もう一回の経験は,北アルプス前衛の山のある小屋でのことだった。この時も早く,1時過ぎにはもう小屋に到着した。小屋に人のいる気配がないので,なんとなく覗いていると,いきなり「いらっしゃい」と女性の声がした。そこは女性が一人で管理人をしている小屋だったのである。
それから夕方までのあいだ山頂にピストンなどしたが,今夜女性と二人っきりで過ごすことになるかもしれないと考えると,何か気詰まりで大いに落ち着かなかった。幸いなことに日の暮れる前に,もうひとり男性が飛び込んで来てくれたのでほっとしたことがあった。
その夜はたった三人だから,斉藤さん,中島さんなどとファーストネームで呼び合い,怪談など聞かされ楽しい思い出を授かった。
後者の二つの例のような幸運は,狙って得られることではない。平生の私の所業を知っている人ならば,すっぽんが月の世界に迷い込んだような気がしただろうと冷やかすに違いない。
もっともガラガラの山小屋の欠点は,寒いことである。布団はいっぱいあるから,勝手に掛ければいいのだが,山小屋の布団はだいたい湿って重いから,何枚も重ねると,夜中に熊にのしかかられた夢など見る可能性が高いから,要注意である。
いずれにせよ空いた山小屋は,多少贅沢な例えだが,アメリカ西部の広々としたフロンティアで,カウボーイが人恋しく思っていると言った趣がないでもない。
あれやこれや思うとき,やはり丁度いいのは,到着順にちゃんとした場所が確保できて,最終的にひとり一枚づつの布団があたり,歩き回る通路が残っているというぐらいではなかろうかと思う。
その上に話好きの人がいて,車座になって話が盛り,山でのいろいろの情報など仕入れられれば,それに越したことはない。
それからついでに言うと,山小屋での泊に関することで,わたしは次のような経験も持っている。
ぜひその中の一人は女性であってほしいと思う。これはあまりみなさんの賛成が得られないのだが。つまり私は五十才近くなってから,初めて単身赴任の経験をした。そのうちに,寮でどうもよく眠られなくなってしまった。ところがそんな時でも,山へゆくと山小屋では時々ぐっすり寝られることがあるのである。そんな経験を何回も重ねた末に探り当てた法則は,小屋で寝ているお客さんの中に女性が一人でも混ざっているとよく寝られるのだということである。小屋のなかのどんな遠くでも、居りさえすればいいことがわかってきた。
「結婚して二十年もするとそういう体になってしまって」と私は主張するのだが,たいていの人は「逆じゃないですか,女性がいると気になって却って寝られない」と反論する。多分私が愛妻家で,女性に対して変な野心がないのがその理由に違いないと自分では思っている。
ともかくも,山小屋も程々が一番いいと私は思う。
今の日本のように,程々の人口と程々の富とを与えられ,自由主義のもとに,各人がそれぞれ体面を重んじ,順法精神が強い住みよい国家がそれに擬せられよう。
京都大学の川那先生が,鮎の生態研究について本にお書きになったのを読んだことがある。
それによると鮎の友釣りができるのは,鮎の生息密度が中間程度である場合のみだとのことである。
つまり鮎の数が多すぎると,場所を独占しようとしても近寄って来る鮎が多すぎて追っ払うのに時間を取られてしまい,自分で餌をとる時間がなくなってしまう。そこで,みんなで共同であちらこちらと適当に場所をうろつき廻り餌を漁ることになる。また,鮎の数がうんと少なくなれば,場所を独占する意味がなくなってしまう。そこで程々の密度の場合のみ場所とりが成立し,進入する囮鮎に突っかかるので友釣りが成立するのだという。
どうも鮎の過密対策は自由放任主義によっているように見受けられる。
して見れば,混んだ山小屋で互い違いにして押しつけるのが,一番人間の人間らしいところなのだろうか。
さて,スペースの確保に関して人間の執念は極めて強いものがある。過去の戦争の多くは国土の争奪に関するものであった。有史以来おそらく億に達する人の命が土地問題で失われたことであろう。
ところが山小屋の場所争いで刃傷沙汰になったと言う話は聞いたことがない。実際には山小屋に集まる人達は例外なく,ナイフ,つまり強力な凶器を持っている。それなのにトラブルがないのは,山男に悪人なしという都合の良い俗説が本当であることを証明しているのであろうか。
おそらく,その原因は権利の有効期間がすこぶる短いことにあるのだと私は思う。殆どが一夜,長くても2,3日の連続した逗留の期間に限られる。前回泊まった時の権利など全く次回には継承されることはない。
自由主義国家,社会主義国家を問わず個人に土地の所有権を認めない国がある。土地に絡む問題が解決すれば、良い社会のように思われるが,現実にそういった国がそう幸せそうでもないのはどうしてだろうか。一度調べて見たいような気がする。