腰痛の歌

日付:1999/8/4

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Good Old Friend

その日

次の日

Brief History about Back Pain

1997年の冬

Ruby Tuesday


Ruby Tuesday

火曜日の朝私は目覚めた。

昨日の午後「この調子では明日も休みだな」と考えた。だからはなから会社に行く気はなかったのだが、どうも結構調子はいいようだ。昨日までは基本的にからだが重く固定されているかのように感じた物だが、今日は寝返りのひとつもうってみようか、という気になる。しばらく寝ころんだままどたん、ばたんとして、トイレに行こうと立ってみた。

かなりの行程と気遣いを省略してもなんとか立ち上がれる。おお。これはいけるか、と思って歩き出したら、まだまだ問題があることに気がついた。確かに歩くことはできる。しかし腰は依然として痛い。

トイレに行った後、しばらく考えた。確かに無理すればこの状態でも会社にいけないことはない。そうして多少でも体がちゃんと動くと「なんでこんなにちゃんとした体なのに、家で寝て居るんだ」とうなんとも言えないいやな感じになる。「働かなくていいのか」という強迫観念が迫ってくる。

そういえば昔私が初めて腰痛をやる直前、会社で腰痛になった人がいた。その人は私と違いすでに責任ある仕事をしていたから、休むわけにはいかなかった。杖代わりに竹刀をついて会社を歩いている姿を見るのは、はたからみてもつらいものであったが。その人の姿を思い出す時、自分はこれでいいのだろうか、と思ったりもする。少なくとも私は今杖をつかなくても会社の中を移動できそうなのだ。

しかし冷静に自分を省みれば、7月1日から今日まで、実質的に働いたのは10時間未満である。つまり何もしてないわけだ。何もしていないのだから、別に休んだところで誰に迷惑をかけるわけでもない。単に私の年休がへるだけだ。そう自分に言い聞かせてもどっか落ち着かない感じがするのは、日本のサラリーマンの血がなせる技であろうか。

えい、休んでしまえ、と割り切りをつけ、会社に電話をした。今の職場は配属されて一月近くたった今でも自分の上司が誰であるかもはっきりしない場所だから(N○○ではこれが当然のことらしいが)とにかく電話にでた人に「すいません。休みます」と言った。これで今日も安らかにお休みだ。

腰の調子は大変いい。ただし未だに体の右側を下にして寝るのは禁物のようである。もうクーラーのみよこんに手をのばすのに10分もかける必要はない。ひっくりかえって安らかにお休みだ。かなり退屈しだしたが、それよりも眠気のほうが勝っているようだ。ちょっとパソコンをいじり、ぐーぐ眠り、ちょっと本を読み、ピザを頼んだ。今日もピザに「コーラ4本とウーロン茶4本」などと頼んだから相手はちょっとびっくりしたようだった。それにも増してびっくりしていたのは配達してくれたお兄さんである。たくさんの飲み物を持たされればこれは大人数だと思うのだろう。しかしでてきたのはぼーっとした中年男が一人である。しかし昨日に比べれば状況は遙かにましだった。私はちゃんと立って応対ができたからである。

ぱくぱくピザを食べるとまたお昼寝をした。二日ぶりに外に出たのは夕方である。二日前脂汗を流しながら渡った橋もなんなく渡れる。空気はとても暑く重い。それでも自由にあるけるというのはなんとありがたいことか。

 

翌朝はさらに快調に目覚めた。なるほど。これではもう会社を休んではいられない。それでなくてももう4連休にもしてしまっているのである。

早朝ではあるが、空気はすでに暑くしめってきている。その中を颯爽と通勤するはずだったのだが、家を出て20mもいかないのに腰の調子は今ひとつのようだ。駅までおよそ歩いて10分なのだが、その距離が結構こたえる。とはいっても通勤しないわけにはいかない。幸いにして学校が夏休みにはいってからというもの電車はけっこすいている。座るとパソコンを広げた。久しぶりの通勤途中でのメール書き、というやつである。

鈍行であるから、途中で待ち合わせがあり、なんやらがあり、結局電車にのっているのは1時間くらいだ。「次は品川」と言われたところで私は自分の腰にあまりかんばしくない感触を感じていた。最初はけっこう快調にパソコンなどいじっていたのだが、そのうち停止・発進時の加速度がやけに腰に響くことに気がついた。座席というのは進行方向に対して、横向きになっているから、当然のことながら加速度は私の腰を横にずらす方向に働く。どうもそれが行われるたびに私の腰はご機嫌をそこねているようである。どうもこれはいやな予感がする、、、と思って早めに立ち上がった私は正しかった。その瞬間腰は悲鳴をあげたのである。

私はしばらく吊革にぶらさがって硬直し、脂汗を流していた。はたからみればがらがらの車内でなぜ吊革につかまって立っているのであろう、と思えるかもしれない。しかしこちらにしてみればそんなことにかまっている余裕はない。とにかくあと数十秒で腰のご機嫌がよろしくならないと私は痛む腰を抱えたまま、電車の中に取り残されて車庫に放り込まれる運命にあるのだ。品川駅に電車が滑り込み、ドアが開く。私はよれよれとホームに降り立った。

私の朝の行動はいつも決まっている。長い長い品川駅の通路を歩くと駅前の中華料理屋にはいる。ここは中華料理屋といいながら朝にはあれやこれやの定食をやっている。朝はご飯の大坪くんにとってこの店の存在はなによりもありがたい。

そこに顔をしかめながら入った。いつものなじみ客であるから、店の人も私のどこかがおかしいことは気がついたようである。「どうしたの?」と聞かれたから「腰が痛くなっちゃって」と答えた。

すると相手は「あたしもやっちゃってねえ。腰にはゴムのバンドを巻くと楽よ。あたしのでよければ持ってきてあげるけど、サイズが違うからねえ」とかいろいろ話してくれた。

いつも思うのだが、どうもこの店の人は私を実年齢よりも10歳ばかり若く考えているのではないかと思う。この店に来ている客の中で私は際だって若く見えるからであろうか。。。。口調はまるで親が小さな子供に話すかのようだ。しかしここでまた新しい「腰痛仲間」と出会えたことはうれしいことであった。それにこの会話は私が数日ぶりに生きている人間とまともにした会話だったのである。

いつもの通り納豆定食を食べると、にっこりと笑って「ありがとう」と言って店を出た。

さて、この日私が会社に来たかったのは理由がある。この日は私がこの部署に移ってきてから2度目に会議に出席することになっていたのである。実際この会議に私がどのような関係があるのか当時もわからなかったし、今もさっぱりわからない。しかしそんなことはどうでもいいことだ。とにかく珍しく何かすることがあるのだから会社に行ったほうがいいだろう。会議の前、部屋で座っていると来た人は口々に「どうしたの?大丈夫?」と聞いてくれた。一人だけ例外があったのだが。

さて会議が始まった。これほどおもしろい会議というのはそう滅多に出席できるものではなかったかもしれない。その会議は米国の企業の人間との打ち合わせであった。そして内容はと言えば典型的な「米国企業のカルチャーと、日本企業の文化」の激突というやつだ。日本側は「判断するには、もっと情報がほしい」と言い続け、米国側は「情報は全部だしている。今度はそっちが決断する番だ」と迫る。

私は別にどちらがいいとも悪いとも言うつもりはない。単に二つの異なるカルチャーが何度もすれちがっていたのを見て「話でこういう文化の差異は知っていたがこれを目の当たりにするのは始めてだ」と感心していたのである。話は経営判断に類することだし、私のような下っ端が助けにはいることもできない。二人いた米国人の一人は何度もお互いのすれ違いを調整しようとしていたのだが、それは全くの不調に終わった。

しかしながら私はそうしたすれ違いを楽しんでばかりはいられなかった。腰が悲鳴を上げ始めていたからである。これ以上座っているとしばらく立ち上がれなくなりそうだ。それでなくても先ほどからすれ違っている会話はハタで聞いているだけでも大変腰に響くのである。

私は会話の途中でよれよれと部屋を抜け出した。外にでるとしばらく硬直状態である。いつかはこの腰痛からもフリーになれるのであろうか。

まもなく会議は終わった。会議に出席した人は「大坪君。途中で抜けたのは腰の具合が悪かったの?大丈夫?」と聞いてくれた。私としては「まあまあです」としか答えようがない。一人だけ私の腰をきにもかけなかった男は「議事録を書くこと。今日中」とだけ言ってのけたが。こう言える人間が大変出世しているのは別に所以のないことではない。

その日は這々の体で帰った。帰るとまた横たわる生活だ。しかし体の調子は立って活動していれば腰が痛くなるが、寝ていると退屈するような非常に中途半端な状況だ。しかしとにかく寝るしかない。それ以外にこの状況から脱する手だてはないのだ。

 

こうした「寝たきり生活」の間に、従来から考えていた生活環境改善作を一つ実行にうつすことにした。いすの交換である。今回の腰痛生活から、あぐらが、非常に腰に悪いこと。反対に正座が非常に腰のためにいいことを発見していた。しかし正座をするとどうしたって長い時間の後には足がしびれてしまうのである。

さて、世の中には同じ問題を抱える人もいるらしく、「楽に正座が出来るいす」なる物も発売されている。以前あるデパートで見かけてよっぽど購入しようかと思ったが見送ってしまった。しかし今にしてみればあれは馬鹿な判断だった。早速購入し、以前使っていた座椅子は分解してゴミの日に出した。新しい椅子はなかなか好調で、腰の調子も少しはよくなってはきているようだが。

 

さて、この文章を書いているのは腰痛の大王がふってきてからほぼ一月後である。だいぶ腰の調子はよくなったが、未だに全く腰痛を忘れた生活ができるわけでもない。こうして昔からの腰痛生活をあらためて文にしてみると治りがだんだん悪くなってきているのに気がつく。デパートで時間をつぶすろときに杖をみて思わず手に取ってみるのも以前ははしなかったことだ。時々腰痛のときの自分と同じような歩き方をしているであろう、年が上の方を目にすることがある。あの人達もああした痛みと戦っているのであろうか。

以前はそうした姿を見ても自分とか関係ない物だ、と気にもとめなかった。しかし今は確かに自分の姿を少し重ねて見ている。そして以前自分がしていたことで、今では到底やりたくないことも増えてきている気がする。想像しただけで腰が痛むような運動だ。年を取るに従ってできなくなってしまうことはやはり厳然として存在するようだ。しかしいつでも自分が持っているカードでゲームをするしかない。これからはこのちょっと気むずかしい腰のご機嫌をとりながら暮らしていくか。

 


注釈