題名:書評

五郎の入り口に戻る

日付:1998/3/8

修正:1998/8/22

歴史関係 | CanLearnSomething | 中国関係 | 小説 | 漫画 |Computer | Military関係 | Indexへ


歴史関係

ガリア戦記

ユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)著、國原吉之助訳。講談社学術文庫

実はこの本、一度かなりの速度で読み飛ばしただけなのだが、今の正直な感想は「うえっ」である。

最近私が古代ローマであるとかそこらへんに関して何かを言ったり書いたりしていれば、そのネタはすべて「ローマ人の物語」から出ている。この本において、ガリア戦記については、キケロと小林秀雄の書評があげられている。キケロの書評は短いが印象的だ。

「(前略)カエサルは、歴史を書こうとする者に史料を提供するつもりで書いたのかもしれないが、その恩恵に浴せるのは、諸々のことをくっつけて飾り立てた歴史を書く馬鹿者だけで、思慮深く賢明な人々には、書く意欲を失わせてしまうことになった。」

ここまで書かれていれば読んでみようと思うではないか。そう思って書店でふらふらとみればありがたいことに文庫本がでている。手にとってぱらぱらとめくってみるとなんだかとっつきにくそうだ。なんといっても古代の知りもしない部族の名前がやたらと出てくる。そんなことを思い、しばらく買わずにほっおっておいた。

あるとても疲れた午後。私は書店をさまよっていた。そして「少しでも今の気分を変えたい」と思い、少し敬遠していたこの本をとりレジに持っていったのである。そしてさっそくぱらぱらと読み始めた。

「ローマ人の物語」にあるとおり、この戦記は前書きも何もなく「ガリア全体は三つの部分に分かれていて、」という言葉から始まる。そして気がつけばなじみの全くないモリニ族だのトレウェリ族だのという言葉の山もなんのその、自分がずんずんと読み進めているのに気がつく。

キケロの「それはむき出しで、率直で、優雅である」と言ったとおりの文章がそこにある。何をかざるわけでもなく、おそらくは素晴らしいスピードでカエサルが記したであろうその文章は、私のような怠け者の読者にすらどんどん先を読み進めさせる。

一通り読んだところで、こういう文章を書かせる物は何なのだろうと考えてみる。生まれつきの、そして後天的に学んだ文才。確かにそれはあるだろう。しかしそれに加えて私が感じるのはカエサルという人が常に現実性と合理性をもち、かつ明確な目的意識を持って行動していたのではないかということだ。現実性がなければ文は観念や華美や見え透いた弁明に流れる。合理性がなければ文は第三者にとり読みやすいものにはなりにくい。そしてカエサルが持っていたであろう目的意識は、読者にも伝わり、明確な目標に向かい文を進ませる。

人そのものがむき出しになった文がこれほど人をひきつけるのだから、ぐうの音も出ない。私などにでるのはせいぜい「うぇっ」といううめき声くらいだ。

私はカエサルについては「ローマ人の物語」とこの本以外には何も知らない。しかし「文は人なり」という言葉に価値を認め、これが彼の声だとすれば、それは唖然とするような人間がかつて存在したことを示しているように思える。

これは勝手な想像だが、カエサルと同じ時代に生まれて幸運だったと思う人間がいる反面、それを呪った人間もいるのではないだろうか。

もう一つ余計なことを。私は曹操が書いた文を詩以外に読んだことがない。あの男はどのような文を書いたのだろうか。

 

アドルフ・ヒトラー(?)参考文献に戻る

ジョン・トーランド著、永井淳訳。集英社文庫。全4巻。アドルフ・ヒトラーの出生からその死までの伝。膨大なインタビュー、調査などを通して書かれており、内容はとても重厚だが、非常に読みやすい。読み進めていくいろいろな問いが頭に浮かんでくる。

ヒトラーは形式的には民主的な手続きで政権の座についたこと、何故それが可能になったか、といこと。彼の根底にある思想は「我が闘争」で明白だったのに、何故日本は脳天気に軍事同盟など結ぶ気になったのか。あるいは英国、フランスは最初彼に対して宥和政策が有効だと信じたのか?今でも独裁者に対し、寛容こそが有効な手段だと叫ぶ人が絶えないのは何故か?同じ「開戦」という政治的決断なのだが、日本とドイツでなぜこれほどそのプロセスが異なるのか、など学ぶこと、考えるネタはつきない。ここでは一つの例をあげておこう。

もしこの文章を読んでいるあなたが、「神は実在する。なぜならばこの世には神が行ったとしか思えない奇跡があるからだ」という考えを持っている人ならば、是非この本を読んで私に教えてほしい。ヒトラーが数々の暗殺の企てをまさしく奇跡的にくぐりぬけ、結局自殺するまで生き延びる様子がこの本には描かれている。それは確かに日常的な感覚で、偶然の連続とは言えないほどのものだ。

そしてヒトラーは叫ぶのだ「これは神が私をして私の使命-ユダヤ人の抹殺-を完遂させようとしているのだ」と。

あなたが信じる奇跡と、ヒトラーに起こった奇跡の差違はなんなのか?そしてあんたの考えによればヒトラーは神に守られた存在であり、ユダヤ人の虐殺は神の意志だったのか?

 

 彼の評価についてはまだ書けるほど考えていないが、日常生活では多分一生お目にかからないような特異な人間であったことは間違いないようだ。

 

軍閥興亡史第1巻(1998/8/6)

伊藤正徳著、光人社NF文庫全3巻のうち第1巻のみ。(今後順次発行に従い追記予定)

軍閥という言葉は本を読んでいると時々耳にするが、日本の昭和史物を読んでいるとよく突き当たるとおり、その言葉の定義は明確ではない。この本では「国家の機構内にある軍部そのもの」を指している。その誕生は明治維新にあり、日清、日露の戦役を経てその勢力は拡大し、ひいては自殺的な戦争に突入しその存在を自ら消すことになった。

第2次大戦を扱った本を読むときにまず考えることは「事実」の把握である。その点からして私はあまりに情緒的な本は避けてしまう傾向がある。次に考えることは「何故そのようなことになったか」「当時の状況を考えると他に選択肢はあったか」「他の国に類似の現象はあるか。その理由に類似点はあるか。もし無ければそれは何故か」などであるが、これはとても答えが簡単にでるような問いではない。

一般的に言われていることとして「日清、日露の戦役までは軍部と政治の統合がうまくいっており結果として日本の勝利につながった。ところがその後軍閥の勢力拡大、統帥権の独走により自殺的な太平洋戦争に突入することになった」というのがある。もしこの説が正しいとすればそれにはそれなりの理由があったはずである。また途中まで優等生だったものがいきなり気が狂ったような行動をしめすわけもない。勝ち戦の中にも何か芽があったはずである。

そうは漠然と考えていたが、実は今まで日清戦争、あるいは日露戦争の始まりについてまじめに勉強したことがなかったのである。この本はちょうど軍閥の誕生から日清、日露の戦役を扱っている。本来昭和32年に刊行されたものであり、ときどき参考文献としては見ていたのだが、今回改めて文庫本として発行されたのを機会に読んでみることとした。なにぶん筆者は明治22年生まれの方であり、情緒に走った記述が散見されるのもやむ終えないだろう。

日露戦争の発端の記述に以下のような物がある

「勝利の公算はなかった。正確に言えば「僅少」であった。が、勝てるから戦う、負けそうだから止める、という「算盤」の問題ではなかった。国の生命線が侵されてきたのである。もはや一戦を賭して、正義の上に天帝の加護を祈る以外に独立国日本の進路はなくなった」

この表現だけみればまるで太平洋戦争前の陸軍のセリフそのままである。この文の後に「このときの状況は太平洋戦争の前とは全く異なっていた」という説明が長々と続くのだが、すべて情緒的な記述でありこの本の記述だけでは何が違うのかさっぱりわからない。

こうした物足りない点は多少ある物の、全般的には複雑な政治、軍事の動きを要点をしぼり簡明に記述してあり大変参考になる。軍閥の興亡を通して勉強したことがない私にとっていいとっかかりになってくれれば、と思っている。

 

昭和史発掘6巻〜13巻(参考文献に戻る

文集文庫。推理作家松本清張氏が昭和初期の歴史に挑んだ作品。6巻〜13巻は永田軍務局長惨殺から2.26事件の集結までにあたる。

著者は終章で自著についてこう語っている。(この前に如何に自分が今まで未発見の資料を活用したか、に関する自慢の記述が2Pほどある)

「できるだけ客観性を失わないようにし、面白くないことを承知で資料をもって語らせるようにして、筆が恣意的な叙述や「描写」にわたることを避けた。

資料をもって語らせる以上、事件に対しての受け取り方は読者に委せてある。わたしの文章は資料と資料の間をつなぐ説明であって、決して思い上がった「解説」ではない。ときには感想を書いているが、それはわたしの随想的な断片にとどめ、資料の印象を拘束しないようにつとめている」

著者はこれを「謙遜の気持ち」を持って書いたのかもしれないが、幸か不幸か本書に対する非常に正確で、妥当な評論になっている。短い言葉で言うと「本書は資料集+断片的な感想、説明」と言っているわけだが、まさにその通りだ。

随所に「いかに自分が重要な未発見の資料を発掘したか」という自慢の記述が見られるが、確かにこの本は資料集としては興味深い。ただしその並べ方は「とにかく手に入った物を手あたり次第に複写した」という感じであり、結局話の大筋をつかむ仕事はすべて読者の負担になる。(実際随所に「何故こんな細かい資料を引用するか」ということに関する言い訳が挿入されている)従って2.26事件及びその前後の状況を概略頭にいれてはいるが、もうちょと原資料などにあたりたい、という人に好適な書となっている。

 

ただし別の読み方もできる。人の興味をかきたてる文書を「創作」することを生業としている人が、客観性が要求される歴史物を書くとどうなるか、ということだ。これは前述の「断片的な感想、説明」に関する部分に言えることである。

 

この人の「感想、説明」に共通する特徴をいくつかあげみてる。

 

まず著者の「人は派閥を作る。人は派閥で動く」という強い先入観である。

7巻相沢事件の項にこういう記述がある。後に2.26事件の際に靖国神社参拝を行い、有罪判決を受けた新井勲中尉が永田鉄山に紹介状を書いてもらった部分を引用した後で

「将来陸相を約束された彼が部下に配属された一士官候補生のために十数通の紹介状を書いたという人情は、かれもまた派閥の形成になみなみならぬ心がけをもっていたといわねばならぬ。」

と「感想」を述べる。松本清張がどのような会社生活を送ったか知らないが、「部下の面倒見が良い」=「派閥形成に意欲満々」と断言できるような派閥が横行する会社であったに違いない。ただ本人はそれが社会一般から見れば特殊な世界であることに気が付いていないようだ。私から見ると、派閥の形成に血道をあげるのは所詮自分に自信のない「小人」が行うことであり、永田という人はそういう小人を超えたスケールの人物であったように思えるのだが。

これは私だけが言っている事ではない。実際著者も上記の記述の2ページ後に「永田はあまりに自信があり過ぎた。自力を頼みすぎた」と書いている。「自力を頼みすぎた」人間が「派閥の形成になみなみならぬ心がけを持っていた」と言うのである。派閥とは私が理解しているところによれば自分の意をくんでくれる人間を多く集め、その中で統一された意志の元に行動を行うことである。「自力を頼みすぎる人間」が多くの人を集めようとするだろうか?他人とその数にたよって自分の意志を通そうとするだろうか?

この種の前後矛盾した「感想」はこの本の中で珍しくない。しかし「解説」ではなく「感想」である、と強弁してしまえば多少矛盾していても問題はない。人の感想などその時の雰囲気でいかようにも変わる物だからである。こうした「前後矛盾した感想」も特徴の一つにあげてもいいだろう。

 

もう一つの特徴は「根拠薄弱な仮説を根拠とした推理の積み重ね」である。

8巻「北、西田と青年将校運動」の項で、「第一師団の満州移駐は、統制派(またもや派閥力学だ)が過激な運動を起こしかねない青年将校をまとめてやっかいばらいするために画策したのではないか」という仮説をかかげる。

この後にいくつかの関係者の話を引用し「以上の関係者の話は、第一師団の渡満には青年将校対策の意図はまったくなかったことで一致していて、疑問をはさむ余地はなさそうである」とまとめる(とりあえず)

しかしその後に自分の疑問が消えない、と言い、彼なりの「根拠」をあげる。その根拠たるや渡満計画にたずさわった人間が「いずれも、統制派か、非皇道派である」というだけのことである。これまた「人は必ず派閥を作る。派閥は何かをたくらむに違いない」という著者の強い思いこみが感じられる。

そして最終的にはこの「関係者の証言は一貫して否定しているが、思いこみだけに基づいた仮定」を元にして

「しかし、筆者の推定を基点とすることがゆるされるならば、軍中央部が青年将校対策として打った第一師団の満州移駐策は、かえって青年将校に実力行使の時期を早めさせたことになる」

と更に「感想」を述べる。客観的な証言が全て否定している「仮説」を元に「その処置は逆効果」だったなどと空中楼閣のような感想を述べるというのは、この著者があくまでも「小説家」であることを示している。

 

小説ならば、確かに「軍部内にはひそかに派閥が形成されており、常に争っていた。そしてお互いをつぶそうと闘争を繰り返していた」という大筋をたてて、それを表すようなエピソードを付け加えていけば、さぞかし面白かろう。エピソードや、それの背後にある意図というのは全て作者が都合の良いよう(というか読み手が面白いと思うように)作り上げればよい。それが簡単だとは言わないし、なんといっても松本清張は小説家として名を為した(とは言っても私は読んだことがないが)人なのだから、その能力においては一級品だったのだろう。

 

しかし同じ態度を客観性を要求される「歴史の記述」に持ち込まれてはたまらない。「この本は資料集だ」と私が主張する理由はここにある。

 しかしおそらくこの本は数ある2.26事件シリーズでもかなり売れたのだろう。人間はいったん有名になったり、高い地位に昇ったりすると大抵のことは易々と通るようになる、と私は最近考えているが、その「仮説」の裏付けとなる本かもしれない。

 

ローマ人の物語(参考文献に戻る

新潮社。塩野七生著。著者は1992年からローマ帝国一千年の興亡を描く「ローマ人の物語」を年に一冊ずつ書いている。現在7冊目まででている。

私がこの本を読むきっかけはなんでもないところにあった。考えてみれば私はヨーロッパの歴史について何も知らない、とある日今更のように気がついた。受験では世界史を選択したから確かに言葉は残っているが、どうも今ひとつ生きた知識とはなっていないようだ。当時私は失業中で時間が山ほどあったから「うんだば一発勉強してみるべえ」と思って本屋にならんでいるローマ関係の本をぱらぱらとみたあげく、「これがよさそうだ」と思って買ったのである。

買ったのはいいのだが、どうも漫画やなんやかやのほうに視線が流れてなかなか読み進まないのもいつものことであった。ちょっと読んでは投げ捨て、また拾ってもうちょっと読んで、「おっ。こりゃけっこうおもしろいでねえの」というわけでばりばり読む。しかし本に記述されている内容はちょっとした気分で読み終えることができるほど薄くはない。疲れて放り出す。そしてまた読んでみる、といったことを繰り返して今日に至っている。

私の意見ではこのシリーズは実に見事である。何が見事、かと言われるとはたとつまるのだが。前述したとおり私はヨーロッパの歴史について何も知らないから、この本の歴史に関する部分がどうだとかこうだとか言うことはできない。従ってこの本の著者が歴史の細部を知っている、という点で見事だ、と言っているのではない。

私がこの本を読んでいって最初に笑ったのは以下の部分だった。

「カエサルは神になったのだ。この件になると、これまではカエサルを高く評価していた研究者たちも、キリスト教という一神教の文明から自由になるのが難しいからか、叙述が苦しくなるのが面白い。合理精神の持ち主カエサルだから神にされて困惑したのではないか、などと書く。しかし、業績を認めてか祟りを怖れてかにしても、菅原道真も明治天皇も何でもかんでも神にしたあげくに、八百万もの神々をもつようになってしまった国に生をうけた私は、キリスト教徒の研究者たちの感ずるとまどいはいっこうに感じないのである。」

この文を読んで「菅原道真や明治天皇が神様になる前から、日本には八百万の神がいたぞ」などという人はたぶんこの本を読まない方がいい。こうした「日本流のわるふざけ」でないユーモアはそこかしこにあふれている。

それとともに確かな資料の評価と読み込みに裏付けされた歴史の記述とともに強く感じるのは、著者が古今東西おそらくはそう大きく変化しなかかったであろう「人間社会」というものに対する目と、その現実をよくふまえてのしっかりした意見である。

例を一つあげてみよう。実は著者が女性だということを知ったのは読み始めてしばらくたってからのことである。クレオパトラに関する記述で「私も女だから女の浅はかさ、という言葉は使いたくないが。。」というフレーズがあるのを見て、初めて知ったのである。そう思って見ると女性ならではの人の世の中に関する記述も面白く読むことができる。これはクレオパトラがアントニウスをひっかけることにした箇所の記述

「ひとかどの女ならば生涯に一度は直面する問題に、彼女も直面したのかもしれない。つまり、優れた男は女の意のままにならず、意のままになるのはその次に位置する男でしかない、という問題に直面したのではないか。この問題にどう対処するかで、女の以後の生き方が決まってくる」

私は「ひとかどの女」に出会ったことがあるのだろうか、ないのだろうか?出会ったが私が気がついていないだけかもしれない。

とかようにこの本は単なる歴史に関する記述、という枠をこえて読むことができる。ちなみに著者の「奴隷制」に関する記述と「キリスト教」に関する記述はこれまた興味深い。おそらくこの二つの問題に関しては著者もいろいろな人といろいろな議論をする機会が多かったのだろう。どんな議論をふまえて著者が書いているか、、そんなことを想像したりもできる。

最後に一つだけ。ローマ人の歴史にはカンネの戦いなど歴史に名をとどめる戦いがいくつもある。この本ではそれらの戦いに関して適切な図による解説がなされていて、その戦いがどのように行われたのかわかりやすく読むことができる。こうした適切な解説図が著者によるものなのか、編集者によるものなのか知らないが、この本を読む楽しさの一つに数えてもいいだろう。この本が毎年一冊ずつ読めるというのは大変ありがたいことだ。

 

チャーチル参考文献に戻る

河合秀和著、中公新書。二つの大戦において英国政府の指導的な地位にいたウィンストンチャーチルの伝記。私はチャーチルに関する事はこの本でしかしらない。従ってこの本の内容がどうのこうのと言うことはできない。しかしながら、この本は実に平易に読み進むことができるのだがその平易な記述がどれほどの量の研究にささえられているか、ということを考えるとき、専門家というのは何事によらずすごいものだ、という感想を持たずにはいられない。

内容に戻って、チャーチルという人は実にいろいろな言葉を残している。そのなかで私が好きなのは本書にでてくる以下のセリフだ。1922年の総選挙で急性盲腸炎を押して戦ったが落選したときのものである。

「私はまばたき一つする間に、官職を失い、議席を失い、党を失い、そしておまけに盲腸まで失った」

私は常々Sense of Humorというのは日本の笑いのセンスとはちょっと違ったものだと思っているが、このセリフを読むとき、ああ、ユーモアのセンスとはこういうものかもしれないなと思ったりもする。私があと何年生きていられるかしらないが、こうしたセリフがはけるようになるとはとても思えない。いつかヒッチコックだかだれだかが、サーの称号をうけることになったときの記者会見の模様を覚えている。

記者:「なぜサーの称号をうけるのに、これほど長くかかったんだと思われますか」

ヒッチコック:「忘れてたんだろ」

こうしたやりとりはなかなかできるものではない。この本に時々出てくるチャーチルのセリフを読んでそんなことを思い出した。

この本に書かれている第2次大戦のときのチャーチルの姿を思い浮かべるとき、太平洋で英国と対峙していた某国の戦争指導者たちのことも頭に浮かんでくる。日本は軍国主義の国ではあったが、独裁というか権力の集中という点からすると英国よりもはるかに劣っていた。かたや批判はいろいろあるが強大な権力をもった政治家、かたや頭の中身は中隊長レベルの意見がばらばらな軍人の集団。局所的な戦闘を除けば勝負は明白である。

真珠湾攻撃の報道が飛び込んできたとき「彼の言葉は「最大の喜び」に弾んでいた。「結局のところ、われわれは勝ったのだ」」

かたや日本は局所的な戦闘の成果に喜んでいた。その後もシンガポールの占領、2戦艦の撃沈など日本にとって景気のいいニュースは続いたが、それはチャーチルのような政治家にとってみれば、勝利への階段をちゃくちゃくと上っている途中のちょっとしたエピソードでしかなかったのだ。今の日英の政治が同じような状況にあるか否かは私の知るところではないが。

 

男の肖像

塩野七生著、文集文庫。ここでは14名の男達がとりあげられている。

私は著者が少なくともギリシヤ、ローマ及びイタリア・ルネッサンスに関する大変興味深い本を書いていることを知っている。そして特にユリウス・カエサルの項において思うのだが、その時代に属する男達の肖像は、他の著書も併せて読んだほうがいいかなと思ったりもする。

しかしそれはマイナーな事だ。(考えてみればユリウス・カエサルを限られたスペースで描くこと自体が無理なのかもしれない。)全般的には著者特有の明確な人間観と文章で男達の肖像が描かれる。たとえば日本史において、世界に通用するドラマの主人公となりうる人物としてモンゴルを撃退した北条時宗がとりあげられ、私などは「なるほど」と感心する。不思議なことだが、モンゴルがいかに残虐な部族であったかは日本ではあまり教わらないように思う。日本人自身がいかに残虐であったかを叫ぶのはあれほど好きなのに。しかしこれは日本が幸運にも彼らを撃退できたからこそできる「ボケ」なのかもしれない。

毛沢東語録に関する著者の感想は「6分の3は私にはつまらなかった。残りの6分の2はもっとも至極なことが書いてあり、面白いと思ったのは残りの6分の1しかなかった」とあり、私も「ふむふむ」と思う(もっと面白いと思った比率は低いが)。そしておそらくその語録は著者の想像力を刺激しなかったのだろう。毛沢東に関しては「男の肖像」はほとんど描かれていない。私もあの語録に書かれている言葉から私が知っている限り最大級の数中国人を殺した人間の事を伺い知ることができない。そのほかにも「同感」と思ったり「なるほど」と思った部分は多い。しかしこの本はそれだけではとどまらなかった。読んでいて私は自分に決定的に欠けている「あること」に気がついたのである。

それは男女(あるいは男同士の)愛情である。それに気がつかされたのは織田信長の項だ。ここで著者は

「秀吉は藤吉郎の時代から、信長に惚れ込んでいたのではないだろうか。惚れ込む、というよりも愛していたのではないだろうか」

と書く。(所謂ホモのような浅い論議ではないので念のため)そして次のように続ける。

士は己を知る者のために死す、のだそうである。そして「己を知る者」という表現は、合理的に解釈すると、己の能力を認めてそれを活用してくれる者となってしまう。だが、それだけであろうか。(中略)

私には、それが、愛情と言い換えてもよい、官能的なまでの感情であるような気がしてならない。(中略)

女はいかに自分の才能を認め活用してくれようが、女のためには絶対に死なない。」

これは私には全く思いもよらない考えであった。私は人間が持っている自己顕示欲と拒否される恐怖感のはてしない均衡の間で「己を知ってくれる」ことは命をささげてもいいことなのだ、と考えていた。しかし確かに著者の言うとおりなのかもしれない。女の為に死んだ女を聞いたことがない。私の仮説ではこの男女間の差異を説明できない。しかし何故この「男女間の愛情」というものが私の頭に浮かばなかったか。

そう考えたとき、頭に浮かんだのは次の考えだ。

「たぶん私の今までの生涯のなかで、男女の愛情、あるいは男同士の愛情というものが決定的に欠けているからではなかろうか。」

愛情というのは所詮非合理なものである。そしてその非合理なものに正面から直面すること少なかった私には、非合理な存在である人間、というものは所詮理解できないのかもしれない、といったことを考えたりしてしまうのだが。

この本は古本屋でたまたま見かけて270円で買った。そしてその値段でここまで考えさせてもらえれば十分大当たりということなのだが。

 

陸軍省軍務局

保阪正康、朝日ソノラマ。太平洋戦争開戦直前の状況を陸軍省軍務局の高級課員、石井秋穂を中心に描いたドキュメンタリーである。

何故日本が負けると解っている戦争を始めたか?誰もが抱くこの疑問にこの本はヒントを与えてくれる。多少なりとも官僚的な組織で働いたことがある人ならば、ここに描かれている官僚達の矮小な世界のよりあつまりが国の運命を決めていた、という事実に多少の驚きは感じるかもしれないが理解はできるのではないか。そしてその官僚的な組織で実際に出世している人であれば「なるほど。戦争にいたったのは止む終えなかった」と堂々と主張することができるかもしれない。

こう書いてみよう。たとえば「誰か良識と勇気のある人間がいれば戦争に至らずにすんだのではないか」とは誰もが一度は抱く想像だと思う。そして「架空戦記」なるあやしげな作品群にはそうしたものが多いし、私も一度は考えたことがある。しかしこの本はそうした妄想にとどめをうってくれる。この本から得た私の結論は以下の通りだ。

「いかに良識あり、勇気がある個人がいたところで戦争への道を止めることはできなかった。第一に誰も決断を下していなかった。第2に誰も責任を持っていなかった。第3に良識があり、現実を見つめる勇気をもつ人間は政策集団から除外されていた」

この結論は当時だけにあてはまる事柄ではない。今でもそこかしこに見られることだ。この本はそうした官僚達の「正気で知的で任務に献身的だが、全体として見れば完全に狂っている世界」を淡々と描いている。(こうした集団ではこの「全体としてみれば」というのを誰もやらない、というのが要なのだが)著者の主張は時々静かに語られる。そしてそれは静かであるだけにより重みをもって迫ってくる。

この項を読んでくれる人が何人いるか知らないが、私はこの本は多くの人が読むべきだと思っている。文章は平易であり、読みやすい。読みながら「この集団の中にいたとしたら何ができただろうか」と考えるのはなかなか興味深い事だ。そして官僚社会の体質が戦前からあまり変わっていないとすれば、ここ書いてあることは現在の日本にも起こっていることでもあるからだ。

個人的な感想だが、今の会社はもとお役所である。そしてその性質を色濃く残している。久しぶりにこの本を読み返してみて、以前よりもよりよく理解できることに気がついた。何事にも良い面はある、と言っておこうか。

歴史関係Part2 


注釈

文は人なり:(トピック一覧)この言葉が正しいとすれば、私はこのサイトにある文章のような人間ということになるのだが。本文に戻る

 

曹操:トピック一覧)彼も現実主義、合理主義、それに文才でしられた男だが。本文に戻る

 

人間はいったん有名になったり、高い地位に昇ったりすると大抵のことは易々と通るようになる:トピック一覧)日本人は特に関係ない有名人のコメントを挟むのが大好きだ。本文に戻る

士は己を知る者のために死す:(トピック一覧)トピック一覧を観てもらうとこの言葉に関するあれこれの(私の)考察が参照できる。本文に戻る