夏の終わり-番外:名古屋遠征

日付:1998/12/22

五郎の入り口に戻る

その1

その2

その後


番外その1-2章

さて表にでると、例によって結構な人通りだ。ここから2次会の交渉になるわけだ。この場合一番怖ろしい光景というのは、女性の幹事ともう一人くらいが「にっこり」笑いながら近付いてきて「今日はどうもありがとうございました。じゃ家が遠い子もいるんで、失礼します」とこちらにものも言わせないうちにまくしたてることだ。この場合私には「にっこり」笑って「じゃあ駅まで一緒にいきましょうか」と答える以外選択肢はない。こうなれば私は後でHNYに殺されていたかもしれない。

今日は幸いにしてそういうことはなかった。携帯と話していると「女の子は大丈夫だと思う」ということで、2次会の場所の選定にはいったのである。しかしながら今は忘年会&クリスマスシーズンである。果たしてこの大人数ではいれる場所があるだろうか。

私は3-4年前によく2次会で使ったバーを思い出した。あそこはこの時間であればまだはいれるはずだ。とはいっても第一に場所を覚えていない。第2にまだ営業を続けているかどうかわからない。飲み屋の寿命というのは長かったり短かったりなんとも不確定なものだ。みんなを引き連れてさまよい歩いたあげく、店がしまっている、なんてことになってはそれこそ「なし崩し的に2次会お流れ」パターンではないか。

私が固まっていると、携帯が「ジガーバーは?」と言った。考えてみれば彼女たちは栄えの飲み屋に関して我々よりもも何倍もくわしいのだ。私は深く考えもせず「おお。それにしよう。それにしよう。」と言った。すると横からチアキが「あたし割引券持ってる。あたしも役に立つでしょ」と言った。

さて意見がまとまったので(行き先が空いているかどうかは全く気にせずに)一同はだらだらと移動し始めた。途中で、携帯に呼び止められた。気管支はやはり調子が悪いので帰るという。今から思えばこの合コンで私が唯一話をしていなかったのがこの気管支だった。従って彼女がどのような人だったのか-外観も含めてのことだが-私は全く覚えていない。しかし後から聴取した内容を信じるとすれば、このとき男性のうちにかすかな落胆の色が広がっていたことだろう。

 

2次会の会場までの間、私は携帯と話しながら歩いていた。携帯と、チアキが長いつきあいの友達であるのか?と聞くと。腐れ縁のようなものだと言った。若い頃はお互いにアリバイ工作(これは私にはどんなものか緩やかに想像がつくだけで、実際にどんなものかはわからない)をして助け合ったこともあるのだそうで。

さて目指すビルについてみると、そこは私が知っている場所とは似てもにつかないところである。外から中を覗いてみると、ちったあ空きがありそうだ。私は中にずてずてと入っていって「9人」と言った。

この日我々はおそらく大変な幸運の星の下に行動していたいに違いない。この込み合う年末にあって、-かなり狭かったが-席を確保することができたのである。中にはずずずっっと詰めてすわることになった。狭い席にずりずりと詰めていって決まった2次会の配置は以下の通りだった。

さてここで私の隣にすわっているのは、(右隣に座っているbunを除けば)1次会で全く話す機会のなかったミニスカである。彼女はどちらかと言えば落ち着いた感じの女性だ。

最初例によってお互いの神経を使い果たすような会話の最中「えーっ、あたし年いってますよ」と言った。私は「でも携帯の後輩ということは20代でしょ」といったら、彼女はうなずいた。考えてみれば、私も自分が26のころは28歳の女性を「年増」などと言っていた。所詮年が行っている、行っていない、というのは相対評価によることが多いのではあるが。今の私にとっては、20代というと「果たして話が合うだろうか」と心配になるってなものである。

さて彼女と何を話していたかというと、まず映画の話をやたらしていた覚えがある。(この日はあちことで映画の話しばかりしていた気もするのだが)まず例によって例のごとくTitanicの話題になった。彼女は「あのヒロインはボリュームたっぷりよねー。水流にさからって、斧を持って歩いていくところで、きゃしゃな女の子だったら”あれー”なんて言って流されてしまって話しにならないわよね」と言った。私はこの話を聞いて異常に喜んでいた気がする。確かにそうだ。あの映画はたくましい女性の話と、いうこともできるかもしれない。氷のような(実際そこらへんには氷が流れているのだ)北の海で凍死せずに生き延びるためには、なるほど彼女くらいの脂肪層をたくわえておく必要があるだろう。最後に生き延びてすばらしい人生を送ったのは結局女性。ディカプリオ君は世界中の女性の嬌声を浴びたかも知れないが結局氷の海のなかにぶくぶくと沈んでいってしまった。かくの通り女性はたくましい。

次にはこれまた私の愛する"Silence of the Lambs"の話しになった。私はレクター博士とクラリスの最後の会話のところのAnthony Hopkinsのまねをやったら(これは多分にお世辞もはいっていただろうが)彼女は「似てる似てる」とほめてくれた。このものまねというのはすごい上目使いでやらなくてはならないので、実際に自分がどんな顔をしているのか見るのは不可能に近い。この映画がオスカーをとりまくったアカデミー授賞式で司会者が"What was it ?"というセリフをまねしていたが、彼はあれをどうやって練習したのだろうか。彼が一人部屋にこもり、鏡に向かってあのセリフを練習しているところを想像しただけで熱い芸人根性に涙がこぼれるというものではないか。

同じくこの映画でアカデミーの主演女優賞を取ったJodie Fosterにの話しもした。私は彼女を大変愛しているのである。彼女の知的な感じと、時折見せる無邪気な笑顔が大変チャーミングだ。一時彼女がレズである、という話が流れたときに、私はこう主張していた。

「仮に彼女が本当にレズで、”指一本体には触れてはいけない”という条件付きだったとしても、彼女と結婚できればしあわせだ」

何故かこの信条を女性の前で披露する度に、声にはでないが、なんとなく侮蔑の雰囲気を感じる。今日もよっぱらってご機嫌の私はこの話題を持ち出し、ミニスカからなんとなく「なんなのこの男は」と言った感じの反応を引き出してしまった。こんなに何度も顰蹙を買えば少しはこの話を持ち出すのを遠慮するべきだとは思うのだが、そこはそれ。愛は盲目なのである。

次に話していたのは、、何故この話題になったのか覚えていないのだが、彼女の大学時代の話である。彼女は学園祭の実行委員をしていたのだそうだ。私が知る限り大学祭の実行委員というのは大変つらいが、それだけにやりとげた時の感動もひとしお、というものらしい。自分はやったことはないが、その思い出を語ってくれる人の話をきくにつけ、そういう風に思える。

彼女はきっと学生時代のころから今のように落ち着いた雰囲気の人だったのだろう。どのような実行委員であったかを想像することはそんなに難しいことではない。私は「その時何かロマンスなどなかった?」と聞いた。げんに私の友達で学園祭の実行委員をした縁で結婚した男もいることだし。そうした修羅場を共にくぐった仲から恋心が産まれても何も不思議ではない。

彼女はちょっと遠い目をして「そうね。それも昔のことになったけどね」と言った。そこから「なにー。(にーにアクセントをつけること)おせーて、おせーて」と言えるような雰囲気ではとてもない。部外者の私としては彼女の言葉からどんなことがあったかを想像し、そして全く女性に縁のない学生時代を送った身として、ちょっとだけうらやましがってみるか。

などと妙な感想にふけっている暇はない。話はどんどんと移っていく。いつのまにか話題はこの日映画と並んで私があちこちでわめいていた「私のホームページ」になっていた。最近すっかりとずぼらになった私は何か質問されると「それはホームページに書いてある」と手抜きの返答をしていたのである。「そのホームページはどうやったら見れるの?」と聞かれる度に、私は自分の名刺を渡し「Yahooを除いた検索エンジンでこの名前をいれれば一発ででてきますよ」とわめきちらしていたのである。

後日携帯を話をしていた時に「大坪さん。合コンで名刺をくばりまくってがんばっていたわね」と半ば皮肉な調子で言われた。別に弁解するわけではないのだが、このセリフを聞いて初めて「ああ。なるほど。そうも見えたかもな」ということに思い当たった。確かに4-5年前は合コンであるとか、結婚式の2次会であるとかでやたらと「合コンのご用命は大坪五郎。大坪五郎へどうぞよろしく」とわめきちらしながら、名刺に電話番号を書いてくばっていたことを思い出した。しかしさすがにそんな時代は終わりをつげた。何事にも終わりはあるのだ。今でも合コンは企画するし、よばれれば、すきっぷして横浜から名古屋に遠征するのもいとわない。ただ名刺に電話番号を書いてくばるようなことはしなくなった。これが年というものか。

さて私がミニスカに渡した名刺をbunがみて「大坪さん。電話番号が書いてありませんよ」と言った。そう聞いた私は「そうか。それはいかんな」とかなんとか意味不明のセリフをつぶやいて、25歳からボールペンを借りて名刺の裏に電話番号を書いたのである。もっともこの名刺は少なくとも私が把握している間では机の上におかれたままであり、本当にミニスカが持ち帰ったかどうかも定かではない。

 

さて私はそこで話をいったん打ち切り、トイレに行った。何度も書いていることだが席が極端に狭いのでトイレに行くのも一苦労だ。何人にどいてもらったことだろう。さて用を済まして帰ってくるとなんと席が替わっている。私の席がなくなり、FNから向こうに一つずつずれたような形になっている。これがFNの言うとおり私が再度奥にはいる手間を省くためのものであったか、あるいは彼に何らかの意図があったかは私の知るところではない。

さて私は再びチアキの横に来た。チアキは「今日のことホームページに書くの?あたしのことも書いておいてね」などとわめきちらしている。実はこの日のことをホームページに書くつもりは当初全くなかったのだが、あまりあちこちで言われるものだから書かなければならん、という気になっていた。さてここで例によって各女性をなんという名称で書くかが私の関心ごととなった。

チアキはチアキ以外に思いつかなかったのだが、その話をすると「うーん。ちびまる子よりはいいと思うかな、、」と再び彼女はうかない顔である。なんとなく罪悪感にかられた私は、数少ない頭のなかにある芸能人の顔をめくって「あなたは水沢アキに似ている」という提案をした。その言葉を聞くと彼女の表情が少し晴れた(と少なくとも私は思った)ので一安心である。しかし確かに彼女は黙っていれば水沢アキタイプ(自分で書いていて水沢アキの顔をあまり覚えていないが)である。しかしひとたび口を開くと、やはり「チアキ」という名前が私の脳裏をかけずりまわるのである。

さて私と話していた以外の時間(ということは結構長い間ということだが)チアキは隣のKMYとなかよく話していた。後から聞いた話だが、このふたりは二人だけの世界を構築して、カクテルをがんがん頼んでいたらしい。彼は大変律儀な性格なので、最後に精算するときに「私、たくさんのんじゃったんですけど、割り勘でいいんでしょうか」と心配していた。私はもともとおざっぱな上に酒がはいり、おまけに合コンで素敵な女性がたくさんきたから、上機嫌になり「いやー。こういう場所では飲んだもの勝ちだよ。わははっはは」と言った。もっとも翌日になり、請求書を改めて見れば、確かに彼らに多少多く払わせたほうがよかったかもしれない、とは思ったのだが。

さて私は正面に座っている携帯とも話すチャンスに恵まれた。彼女とはいろいろな事を話した。そして彼女は「今の会社でがんばるの?」というセリフを吐いた。

これは全く普通の会話だ。しかし今の私にとってはSaving Private Ryanの最後のセリフ"Am I a good man ? Do I have a good life ? "と同じくらいこの質問はこたえた。さんざん難癖をつけてみたり、選り好みをしたあげくに、「まあこんなところで」と全ての面において中途半端な選択肢を(中庸を得た、とも思ったのだが)ガードを下げて選んでしまえばこの始末だ。No Risk no gain,逆にIf you hope no gain, you can avoid risk. riskを避けてGainを望めば入ってしまったのはなんと人材派遣で食っている会社だった。しかしこれも全て自分がおろかだったためだ。今は薪に臥し、肝を嘗め、自分のおろかさを忘れずにひたすら耐えるしかない。変えることができるのは未来だけだと思えば、今は10年後に今を振り返りそして「あの経験は安くついた」と思えるようにするしかない。

 

さて私が妙な四字熟語と妙な感慨にはまっていようがいまいが、回りは結構な盛り上がりをみせていた。私がいない方、すなわちbunとFN、ミニスカと二五歳のテーブルは大騒ぎである。感心していると、チアキが「あたしもう終電がでるから」ということで席を立った。盛り上がりが悪い宴会であれば、一人が帰ろうとした瞬間に会がお開きになるのはよくある話だ。しかしこの日はこれしきのことでは一同解散にはならなかった。チアキはにっこりわらって場所を後にし、それからなおしばらくの間我々は歓談を続けていたのである。

そうはいっても楽しい宴もどこかで幕を引かなくてはならない。私は「ではそろそろこの辺で」と言ってその店を後にした。この間際にHNY が携帯に向かって何かを書いてもらっているのが目に入った。ここまでやれば彼としても「えっつ。何もきめないでここを出るわけ」とは言わないだろう。

 

さて外にでると帰宅の相談となる。今日は男性が二人車で来ていた。(そして彼らはちゃんとアルコールに触っていなかったのである)しかし相談の結果女性は男性二人とは関係ない方向に住居があるということが判明した。逆になんとか頼み込める方向に住んでいるのが男の三名である。車を運転してきたHNYははやばやと一人さようなら。彼が駐車したところは明後日の方向にあるのである。そこから栄駅に歩く間に、bunが新たな提案をし出した。

彼は「なんだか歌いたい気分だ」というのである。合コンの二次会で女性とカラオケに行けば浜田なにがしなどを歌っているbunもたまには彼の本来の持ち味、パンクを歌わなくては禁断症状がでるのだろう。私もKMYも明日は特に何もない身分だ。そこで「男だけでからおけに行こう」という案が急遽まとまったのである。

さて栄駅の入り口で我々は女性に別れをつげた。にっこり笑って手を振るといきなりFNが「えっつ?何?カラオケに女の子こないの?」と大変不服そうな声をあげた。私とbunとKMYは顔を見合わせて笑った。うーん。正直な奴。確かに詳細な説明を聞かずに「カラオケに行く」と聞き、女の子も来るのね、と思った彼を誰が責めることができよう。しかし笑い物にすることはできるってもんだ。

そこから男三人、bunの駐車場が12時にしまるので、それまでというタイムリミットを抱えつつカラオケ屋を探したのであるが、さすがにこの年末になかなかはいることはできない。というわけで2−3軒回ったところであっさり白旗をあげて、解散した。ここで一人電車でかえるのがFN。残りの三人はbunの車で順に送っていただく、という寸法だ。

車に乗り込むと男の子三人の間で「今日の反省会」が行われた。この合コンはまれにみる大当たりであったから、反省会がとても華やいだ雰囲気になったのも当然だ。

この合コンの後の反省会というか、男と女がそれぞれのグループに戻って行われる会話というのは結構興味深いものがある。いつか読んだ「はみだしYouとPia」に載っていたネタというのはこういう風だ。

 

男の子グループ「今日の女の子、よかったな。」「うん。そうだな」「今後何かあるのかな」

女の子グループ「あたしちょっと買い物によるわ。」「じゃああたしも行く」

 

この何気ない会話の裏に秘められた男女の感想の違いがわかるだろうか?

今日女性の間でどのような会話が交わされたかは-少なくともこの時点までは-定かではない。従ってそんなものを気にしてもしょうがないわけだ。会話は誰がいいだの、誰と誰が仲がよかったの。そんないつもの他愛もないものだが、これはとても楽しい。

まずKMYが二次会でチアキと大変仲良くしていた、というネタが語られた。これは衆目の一致するところだ。KMYの弁明というのが「いや。僕はチアキの親戚だかなんだかに似てる、って言われてただけだよ」というものである。

その瞬間私とbunは一致して答えた、それはナンパのもっとも古典的な手口であると。「あれ、君、誰誰じゃない?、えっ?違うの?いやー、信じられないくらい似てるなー」なんてのはいきなり知らない人に話しかけるもっともポピュラーな手口である。こうしてそれからしばらくKMYいじめは続いた。

それから彼らの話題は一次会で帰った気管支に移った。彼らは気管支が一次会で帰ってしまったのは、彼女がご機嫌ななめであったからではなかろうかと心配していた。KMYの証言によると、彼女は今日が合コンは一〇年ぶりだったということである。それなのに一次会で帰ってしまうなんて。私は自分が聞いたとおり「彼女は気管支の調子が悪かったようだよ」と答えた。実際彼らの懸念を肯定も否定もできるほど私は彼女のことを見ていなかったのである。しかし今日参加した他の男の子達は私ほど注意力散漫ではなかった。ある男は彼女は「吉川なにがし」という芸能人に似ていた、といった。しかし芸能人音痴の五郎ちゃんには、果たしてその言葉が何を意味しているかわからなかったのである。しかし多分その言葉はほめ言葉であろう、ということだけはわかった。

それからしばらく彼女の合コン歴について話題が続いた。一〇年ぶりということは、一体彼女はいくつなのだろう?そして前に合コンに参加したときはいくつだったのだろう?一〇年もの長きにわたり合コンに参加しなかったというのは何を意味しているのだろう?直感的な推測というのは、彼女がその期間は彼氏持ちであったことを指している。しかしこれは彼女の過去に対する単なる憶測であり、何の確証もなければ、現在になんらかの意味を持っているわけでもない。ちなみにこの会話の間中、例の女性は「気管支」と呼ばれていたが、そのうち何故か「扁桃腺」などという妙な名前で呼ばれ出した。失礼なことであるが私は彼女の本名を全く覚えていない。

そうこうしているうちに、実はある男が、某女性の電話番号を聞いていたことが判明した。うーむ。さすがにすばやいやつ。何かを携帯に聞いていたHNYといい、今回は男の子達の個人攻撃の技が光った合コンであった。

「その男」はまた、二次会において私がトイレに去ってFNが来た後のテーブルのもりあがりようを話してくれた。彼によれば、ミニスカが(その名の通りミニスカートをはいてきたのであるが)足を組んだのだそうである。その瞬間から彼はこみ上げる鼻血と必死にたたかっていたらしい。

ちなみに私が彼女がミニスカートをはいてきたことに気が付いたのは二次会がお開きになって外にでたときである。その時初めて彼女のコートの丈が短いこと。そしてそのコートの下には足があることを発見したのである。ということはコートの下にあるはずの彼女のスカートも、コートと同様に大変短かったわけだ。

実は二次会において彼女と「合コンにおいて男性は女性をどの程度詳しく観察しているか」という話題を語っていたのである。私は得意げに過去に一緒に合コンに参加した男性の詳細な観察眼を語ったものだ。曰く「足首のふとさまでチェックしている」曰く「顔が可愛くても歯並びが悪いとアウト」曰く「合コンのリターンマッチにおいて、前回と化粧の印象が変わったことを見抜き、前回は化粧と服装がマッチしていなかったが、今回は雰囲気の調和がとれていた、と感想を述べた」などである。

さてそうやって他人の話を得意げに話していた私は、前に座った女性がミニスカートをはいていたことすら気が付かなかったわけだ。ミニスカにとってみれば「何なのこの男は。得意そうにぺらぺらと、あんたの顔に二つ並んでついている丸いものはなんなのよ」ってな感じであったかもしれない。

 

さてそうこうしているうちに、私は少し静かになった。夜空なぞをながめながら、今日の楽しかった合コンをあれこれと思い返していたのである。何故遠くまで遠征して合コンするとこうしたいいことがあるのだろう?何故何も期待しないと良い合コンにあたり、めらめらと燃えて望むとろくでもない結果になるのだろう。これが世の常という物ならば私はいつまでこんなことをしているのだろう。私はいつになったら腰をすえることができるのだろう。うだうだうだ。と暗い夜空を見上げながら考えていた。するとbunがいきなり聞いた「大坪さん。眠いんですか?」

私は「いや。そんなことはないよ。ご機嫌なだけさ。」次にbunは同じ質問を後席のKMYに向けた。彼の答えも私同様だ。何が言いたいのかと思えば、彼はまだカラオケ一時間計画を放棄していないらしい。よかろう。私は今日とてもご機嫌だ。

それから3人で我々の家に近いカラオケ屋に行った。こんな時間というのに、空いているのはレーザーカラオケの部屋だけだ。はいってみるととても曲が少ない。しかし考えてみれば、通信カラオケなる物が普及するほんの少し前まではこれがあたりまえだった。部屋の片隅には偉大な機械的構造物、高さ二mちかくはあろうか、というレーザーディスクチェンジャーが大きな音をたてながら、曲を探している。しかしこの機会が如何に偉大な代物であろうが、通信カラオケに曲の数で張り合うことはできない。どちらかといえばマイナーなパンクであるとか、私が歌いたい英語の曲は、母数の少ないレーザーカラオケでは期待できないのである。

 

さて根がパンクのbunはこれで万事休すか?しかしbunが入れる歌は、どこから探してくるのかどれもこれもパンクばかりだ。レーザーの壁も彼の「パンクを歌いたい」という硬い意志をくじくことはできなかったというわけか。

さて一時間歌って、今度こそ本当にさようならとなった。そしてまた安らかな気分で家に帰り、眠りにつくことになった。明日も休み、そして明後日はまた会社だ。無意味な会議に黙って座って演説好きな人達の話を聞いていれば給料がもらえる時間がやってくる。

 

その後について

この物語はまだ始まったばかりで、、、この先何があるのかないのかすらもわからない。いくつかの事実だけ書いておこう。

・ある男は2対2で食事にいく約束をとりつけた。

・ある男はお目当ての女性に電話をした。交渉は進展している。

・名刺を何枚くばったか解らないが、結局参加した女性のなかで新規に私のホームページにアクセスした人はいなかった。

Life goes on.


注釈

28歳の女性を「年増」などと言っていた:この件に関しては、YZ姉妹の2章を参照のこと。当時の私は26だったから無理もないが。本文に戻る

 

Silence of the Lambs:(参考文献参照)この映画もTitanicにまけずおとらずあちこちで話題にできる気もする。本文に戻る

 

にーにアクセントをつけること:思い切り恥と外聞をすてて、「にー」を強調すると、正しい名古屋弁(トピック一覧)で発音ができる。私はなんといっても名古屋弁のNative Speakerなのである。本文に戻る

 

Yahooを除いた検索エンジン:私のフルネームをいれれば大抵の全文検索型検索エンジンで容易にこのサイトにたどりつくことができる。しかしYahoo Japanには二度登録申請をしたが、二度ともはねられている。Yahooに登録されている個人のページをみるにつけ、何が基準なのが理解に苦しむことしきりである。本文に戻る