題名:長い友達(後編)

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日付:1998/1/12


1994年10月30日の夜。私は名古屋駅の近くにある「ADビル」に向かっていた。この「AD」とは何のことだ?と思ったら○デランスの最初の2文字のことらしい。

 

私は自分がそのビルにはいるのに当たっていかに神経質になっていたかを覚えている。日曜の夜だというのにビルの周りにはなぜか結構人通りがある。人がもし私がこのビルにはいるのを見たら、なんと思うだろうか?そう思った私はできるだけ人通りがない瞬間を選んで「こそこそ」とビルの中に入って行った。

矢印に従い、階段を下りていくと受付がある。かくかくしかじかと言うと、この部屋で待っていてください、といって部屋に通された。

しばらくして現れたのは(当然のことであるが)漫画や宣伝にでてくるような女性ではなくて、おそらくは私と同じくらいの年のお兄さんである。彼はにこやかに挨拶していくつかの質問と説明を始めた。曰く脱毛はどのようにして起こるか。どのようなタイプの脱毛があるか、などである。

それではさっそく調べてみましょう、ということで彼らがほこる秘密兵器が登場した。頭にあてるカメラ+ライトという感じである。これをもって頭皮がどのような状態になっているか調べようと言うわけだ。

映し出された画像は、彼が説明したいくつかのタイプのうちの一つに非常によく適合していた。彼の説明によればハゲには、ふけ性、赤い皮膚(血行不良)、毛根が衰えているタイプ、それに脂が毛穴につまっている状態があり、私の頭皮は脂が毛穴につまっているタイプそのものであった。

彼は「整髪剤使ってますか?使ってない?それでこんなに脂がつまっているのは珍しいですね。」と言った。確かに最近ふけがでないと思ったばかりだ。母親の説によれば頭皮の活動が衰えるとふけがでなくなるそうだが、そうでなくてもこれだけ頭皮が脂まみれになっていればたしかにふけも出にくかろう。

それと同時になぜ私の頭皮がそのような脂だらけの状態になっているか、なんとなく察しもついた。当時私は狂ったように合コンをやっている状態であり、、、合コンを夕飯代わりにしていると、すべてのおかずは脂っこいものになるのである。串カツだ、あげものだと。。

 

さてそんな私の考えをよそに、彼のほうはこれからが勝負である。

まず彼は「頭皮のマッサージはしていますか?」と言った。当然のことながらそんなことはしていない。次に彼は私に「頭皮の改善が必要である」と言い出した。○デランスのヘアケアコースに来れば、ほれこの通り、頭皮の劇的な改善が可能です。これが使用前、これが使用後です。という話をしだした。

次には数あるマスメディア上の宣伝では決して語られない数値、「コース全体のお値段」が提示されるのである。

 

最初に彼が勧めたのは2年間で50-60万円のコースである。なにせ頭皮の改善をしなくてはならないのだから、これくらいの期間と費用はは必要だ、というわけらしい。

その場でいきなり50-60万円のコースを納得して契約するのは。。。このくらいの年になるとちょっと難しくなる。従って私はなんだかんだと言ってそれを断った。なんといっても、彼が(うかつにも)示唆してしまった「頭皮のマッサージ」を試みる手があるし、合コンずけの生活はもうすぐ終わり、私の食生活も遠からず正常に戻るはずだから。

もう一つの問題として、一度このコースにアプライしたら、今後本当に頭がはげはじめるまで、私はこのコースから離れられない、という点も気になった。仮にコースにアプライして4年後に頭がはげていなかったとする。しかし私がそれがヘアケアコースのおかげか、そうでないか判断することはできない。

仮に「へっつ。ここまでやればもう卒業だ」と割り切って、その時点で辞めようとする。すると、彼らに「えっつ!ここで辞めるんですか。せっかくこんなに頭皮が改善したのに。辞めたら元に戻りますよ。すると今までかかった費用は全部無駄ですね。。」とか脅されるに決まっている。そうなったときに果たして断ることができるか?そしていつの日かヘアケアシステムが効力を失って本当に禿始めたときに、今度は私は彼らの「かつら」システムのお世話になるわけだ。

今後の人生を○デランスのお世話になって暮らすと決めるにはまだ早すぎる。。。

 

なんだかんだと文句をいう私に対して、彼は「本当はこのコースはおすすめしたくないんですけど」と言って「1年間。30万」のコースをだしてきた。表向きの理由は「一年では効果が期待できない」からだそうだが、商売の点からみて最初から短いコースを勧めるようではセールスマン失格だ、という理由の方が真実に近い気がする。

それにも私が興味を示さないとみると、彼は脅しにかかった。まず私の親戚にはげた人間がいるかどうか聞く。母方の祖父が「ハエトマルスベル」であることを知った時の彼は実にうれしそうだった。「それじゃ、遠からずはげますよ」と私に言い放った。いままでさんざんやってきた「脱毛の種類」や「頭皮のチェック」の結果もどこへやらである。とにかく親戚にひとりでも若くして毛髪が薄くなった人間がいれば「禿になる」と決まったようなものだ、というわけだ。

彼はさらに追い打ちをかけてきた。「今決心しないと、一年後には私が気がつかないくらいかわっていますよ。(「かわっているかもしれませんよ」、ではない)それから来ても遅いですよ」とまくしたてた。

こうやって相手が商売に走ってくれば、こちらは「にっこり」笑って「そうかもしれませんね」と言えばすむことだ。そうだよな。いつか読んだ漫画とかCMみたいに、無料で診断をしたあげく「気をつけて手入れすれば大丈夫ですよ」と笑顔で送り出すようなことをやっていたらとても営利企業とは言えないだろう。しかしもうちょっとセールストークが上手でないとお金はもらえないようだね。

それからしばらく雑談をした。彼はあきらかに落胆していた。せっかく日曜日の夜に出勤してきたというのに、彼の努力は無駄になったのである。私は半分皮肉を込めて「どうですか。カツラ産業というのはもうかりますか?」と聞いた。彼は半ば下を向きながら「いや。よく”もうかってるだろう”とか言われますけど、そんなことないですよ」と言った。

しばらくして、丁重にお礼を述べて私はそのビルを後にした。将来カツラ産業のお世話になるようになったとしても、絶対○デランスにはお世話にならないぞ、と決意しながら。


さて企業のお世話にならないと決意はしたが、それで抜け毛が止まったわけではない。それからも(少なくとも主観的には)脱毛は続いた。。もっとも生まれてこの方脱毛は止まっていないわけであるが。

ある日にはしばらくぶりで会社の元の部署にいた女の子にあった。彼女は「あれ?今日はちょっと髪型がおとなしいような。。」と言った。明らかに私の髪の毛は勢いを失っていたのである。そのときは適当にごまかしたが。。。

また別のある日。実家に帰ると、今度は母親と毛髪談義に花が咲く。彼女は「一時薄くなったけど、戻ったわよ」と豪語した。こりゃありがたい。「生還者」の体験談ほど心強いものはない。おまけに私の母がこうした「体験談」にかこつけて、私にあやしげな育毛剤を売りつけることもあるまい。「どうやったの?」と聞くと「とにかくちゃんと栄養のあるものを食べること。原料がなかったら髪の毛が生えるわけがないじゃない」と言った。

私はちょっと首をひねったが、とりあえず母親の忠告に従うことにした。それまで朝御飯はコンビニで買った「饅頭、野菜ジュース、イカの足」、昼は「大きなメロンパン一個」という食生活を送っていたのだが、それを「朝御飯:牛丼屋で納豆定食、昼御飯:コンビニおにぎり2個」に変更した。以前、「私の朝飯は炭水化物、ビタミン、それにタンパク質を含んでいる」と主張していたが、たぶん納豆定食のほうが体にいいだろう。

それからしばらく髪の毛のことは忘れていた。数ヶ月たって、実家に帰ったときに「あんた、髪の毛が戻ってきたわね。一時は’この子大丈夫かしら’と思ったけどね」と言った。その話をうれしく聞いたとともに、本当に薄くなってきてもなかなか人は教えてくれないのだな、と思った。そりゃそうだ。そんなことを簡単に言える人は多くはないだろう。

実際のところなにが私の頭髪復活に貢献したのかよくわからない。あれから宴会の回数はへり、朝は納豆定食をたべ、毎日洗髪するようにした。その全部が効いたのかもしれないし、どれか一つだけが効いたのかもしれない。しかし全体的にみれば依然として微分係数は負の値なのである。以前は35あたりで髪の毛が0になる予想だったのが、10年ほどのびただけの話だ。

たまに同期入社の人間が集まると、そろそろ髪の毛が寂しくなってきた人間がちらほらと見受けられる。さけられぬものとは知りながら誰もうれしくはない。私もみんなと同じ道の上に立っている。しかしまだ本当に彼らの気持ちになることができるわけもない。何の因果かとりあえずまだ髪の毛は残っているからだ。私の父の妹の旦那ははげていた。そして「禿の気持ちは禿にしかわからない」という名言を残している。私もその言葉の意味をかみしめるときがくるのだろう。

 

などとうだうだと考えていたある日、私は24の女教師と話をしていた。彼女はもともと自称「馬鹿お嬢」という感じの女の子であり、、また彼女の職業がそれに少し拍車をかけていたかもしれない。

彼女と「中年男はどう?」という感じの話をしていた。すると彼女はこういう風に言い切った。

「あたしね。デブは許せるけど、ハゲは許せんのだて」

肥満はある程度個人の意志でコントロールすることができる。ハゲはそれよりもずっとコントロールが難しい。ほとんど不可能に近い。しかし彼女はそんなことは一切意に介していないようだった。彼女はデブもハゲも自分とは別のサイドにあるものだと思っているのだろう。かつての私がそうであったとおり。

思い返してみれば中学のころ、ハゲの先生をからかう語彙に関しては多くのものを学んだような気がする。フランシスコ・ザビエルとか、マジックハゲとか。今から考えてみればあれはずいぶん残酷なことであった。当時あまりからかわれた先生が「そんなに言うんだったら、貴様らこの頭に髪の毛を生やしてみろ」とどなりだした、という噂がまことしやかに流れていたが、きっとあれは真実だったに違いない。

 

私が愛読しているOL進化論にも関連のねたがある。二人の幼なじみの男の子がいた。いつも一人が先生役「女ってのはな。。」、もう一人が生徒役になっていた。

ところが最初にはげたのが生徒役のほうだった。「最近髪の毛が柔らかくなってなぁ」という「先生役」に対し「覚悟を決めるまでは大変だぞ」と生徒役は豪語する。

 

著者がこの漫画で言いたかったことは違うかもしれない。しかし確かに私の髪の毛は昔に比べれば柔らかくなってきている。「覚悟を決めるまでが大変だ」という言葉を胸にこれからもてけてけ歩いていくか。


注釈

狂ったように合コン:トピック一覧)特にこの10月は週に一回以上のペースで合コンをやっていた。なぜか重なるときは重なるものである。本文に戻る

 

コース全体のお値段;最近コースの「一部」の値段は宣伝で連呼するようになった。当然のことながら、その値段を聞けば「ちょっと試してみるか」と思うような「値段」である。

しかしそれはあくまでも「一部」の値段であり、全体のお値段がそんなものですむとは夢にも思わない方がいいだろう。アムウェイのスタートアップキットがとても安いのと同じような理屈だ。本文に戻る

 

セールスマン失格:(セールスの基本:トピック一覧)いろいろな「売り込み」を見ているとある程度共通の要素があるような気がしてくる。いずれも小手先の技術で、それで顧客の信頼を勝ち取り、契約に結びつけられるとはとても思えないようなものだ。映画"NIXON"(参考文献一覧)に次のようなセリフがでてくる。「本当に売り込むのは何かわかってるか?お前自身なんだ」この言葉を本当に理解しているセールスマンはそんなに多くないかもしれない。あるいは自分が本気でその商品がいいと思っていなければ、セールスマンも魅力的には見えず、所詮セールスはうまくいくわけがない、ということなのかもしれない。本文に戻る

 

禿の気持ちは禿にしかわからない:この言葉は一般化すれば「人間誰しもその人の立場になってみなければその人の気持ちはわからない」(トピック一覧)ということかもしれない。しかしこうして特定化したほうが身に迫るものがある気がするのは何故だろう。本文に戻る

 

さけられぬものとは知りながら誰もうれしくはない:人の死のようなものだ。たいていの人は「いつかは死ぬんだし」とか言いながら、あまり死にたくはない。誰かの和歌もあったような気がする。戻る

 

また彼女の職業:私の「ハエトマルスベル」の祖父は「男は役人になるな、女は教師になるな」という言葉を残している。私の役人、先生と呼ばれる人々に対する偏見(トピック一覧参照)はどこか祖父から受けついているのかもしれない。戻る

 

フランシスコ・ザビエル:日本史の教科書を見た人ならば説明は不用だろうし、おそらくこの言葉は全国で普遍的に使われていたのではあるまいか。戻る

 

マジックハゲ;ハゲというか、髪がすべて脂でべたべたになっていて、頭に非常に薄く、かつ隙間なく張り付けられていた(あるいはそのように見えた)先生を指している。その髪型は(そうよんでいいのかどうかわからないが)は、あたかも頭にマジックで書いたように見えたのである。戻る

 

OL進化論:週刊モーニングに連載されている私の大好きな漫画の一つ。(参考文献一覧へ戻る