題名:主張

五郎の入り口に戻る

日付:2001/1/9


今そこにある言葉について

私の出生地は宮城県仙台市ということになっているが、そこにいた期間は出生後数週間にすぎないと聞いている。今は横浜に住む身の上だが、基本的には高校まで名古屋で過ごしたのである。

高校を卒業して大学だー、ということで東京さでできたわけだ。大坪家は元々名古屋土着の家ではないから比較的名古屋弁はゆるやかである。しかし東京もんに言わせると

「よく名古屋弁でしゃべってるじゃないか」

ということなのであった。たぶん

「なにー。(にーにアクセント)名古屋弁なんてしゃべっとらんでしょー(しょーにアクセント)」

などとしゃべっていたのではなかろうか。

当時私がどのようにしゃべっていたかは今となっては解りようもない。しかし時々何気なく発した言葉が

「?」

という反応を引き起こすことは覚えている。本人が気づいていない方言という奴である。後になってなんとなく気がついたのだが、疲れた時、気がゆるんだ時などにお里の言葉がでるようだ。何かよれよれと疲れた拍子に

「ああ。えらい」

と言った。関東地方の土着民であるところの友達は怪訝な顔をして

「何を威張って居るんだ」

と言った。これはおそらく西日本方面の方ならば解ってもらえる人もいると思うのだが名古屋で「えらい」と言えば(もちろん文脈によるのだが)「疲れた」もしくは「しんどい」という意味である。逆に私は「しんどい」という言葉を知ってはいても使ったことはない。

さて、この言葉はまだ怪訝な顔くらいで済んだのだが、次の奴はそうはいかなかった。

「B紙」

といって何のことか解るだろうか。小学校だか中学校だかの時に学級新聞を作るのに使った、あの白くて大きな紙である。名古屋ではあれをB紙と称する。そして大学で初めてこの言葉を使った時、関東地方の連中は爆笑したのである。

しかしながら私は主張したい。なんだあの関東地方で使われる「模造紙」というやつは。私は最初その言葉を聞いたとき

「一見紙に見えるが、実は違うもの」

という何に使うのだかよくわからないものを想像した。広辞林で「模造」という言葉をひけば

「まねて造ること。似せて造ること」

と書いてあるではないか。改造人間と言えば仮面ライダーだが、模造人間といえば「人間に似せて造ったモノ」なんだかマグマ大使の人間モドキのようだ。模造紙。それが意味するところは「紙に似せて造ったモノ」なのだ。それは一体なんだ。白くてでろんとしているが字を書こうとすれば破れ、排泄時に使おうと思えばデリケートな部分にささる、といったそういう類のものではないのか。

それに比べてこのB紙。おそらくあの大きさは日本が愛する規格、Bサイズの0版なのではないか。(実は確信がないのだが)大きさがB0であるからしてB紙。これのどこが爆笑に値するというのか。

等という話をしていたら、愛媛出身の友人はこういった。

「うちの地方では鳥の子用紙という」

今度は私が爆笑する番である。なんだそれは。どっから鳥がでてくるんだ。模造人間と同じくらいそれは妙ではないか。

 

しかしながら今この文章を書こうとして辞書を調べていて恐ろしい事実に気がついた。「模造」の次にはちゃんと「模造紙」という項目がありこう書いてある

「模造紙:鳥の子紙に似せて造った、つやのある丈夫な洋紙」

うげげげ。「模造紙」という言葉が辞書に載っているだけではない。私が哄笑した「鳥の子用紙」とちょっと違うがだいぶ似ている言葉がここにでてきているではないか。おまけにこれならば「模造」という意味もちゃんと通じる。何も人間モドキを持ち出す必要はない。どきどきしながら「鳥の子紙」を見てみると

「鳥の子紙:日本紙の一種。ガンピとコウゾの原料を混和して空いたモノ。鳥の子色をし、強くてなめらかで、文字が書きやすく墨のうつりがよい。」

この「鳥の子色」たぁなんだと見れば

「鳥の子色:鶏卵の殻の色。淡黄色」

となっている。Oh my God。これでは辞書に載らず意味の連鎖からはじかれているのは親愛なるB紙のほうではないか。もしやと思って辞書をめくってもヒースとビーズとピースはあるがB紙は載っていない。これはまずい。とにかくあの愛媛出身の男にこの事を知られるのは大変まずい。ついこないだ彼の家に招いてもらった時も私はこのネタで大笑いしたのだ。いやいや大丈夫。奴の奥さんは名古屋出身だからB紙派だ。

というわけで急いで話題を変える。元々何でこんな事を書き出したかと言えば、「会話するときの話題」について書こうと思ったからである。仲間内での会話というのは平和なものだ。なぜならお互共通に知っている事項が多いから。仕事の仲間であれば、会社の悪口だの、職場でのうわさ話だのすれば話は通じる。プライベートな仲間ではどうだろう。私のバンドでは練習の途中で必ず一回休憩を取ることにしている。いまや私は彼らと働いている会社も住んでいる場所も異なってしまったのだが、同期の近況などを聞けば寒い中、自動販売機の前での立ち話であっても「わっはっはっ」と話は盛り上がるわけだ。このように「同期」という共通項が無くても同じ日本に住む者同士であれば「あの叶姉妹というのはつまるところ何者なのか」という話題だっていいだろう。問題は時々遭遇する

「共通項はほとんどないのだけど、なんとか話をしなければならない状況」

である。仕事で別の会社の人と一緒に昼飯など食べるときはこうした状況に陥りやすい。先ほどの定義でいけば仕事の話をすればいいのだが、それまでさんざん会議とかやった後であれば仕事の話はうんざり、という気分にもなっていよう。元々仕事自体が大嫌いな私であればなおさらである。あるいは合コンでもこうした状況には出くわす。相手はついさっきまで顔も見たことがなかった相手なのだ。何に興味を持っているかもわからない。いきなり叶姉妹など持ち出して奇異な目で見られたらどうしよう。相手が目を怪しく輝かせながら彼女たちについて異常に詳しく語り始めたりなんかしたらもっといやだ。

そうしたときには何を話そう。あまり個人的な話題というのは盛り上がる可能性もある反面、危険である。ふとしたことから目の前に座っている男が37歳で独身だ、という事が解ったとしよう。

「実は男性が好きなのではないですか?」

と心の中に浮かんだ疑問をどうすればいいのだろう。話をそらすにしてもどこへもっていけばいいのだろう。かくのごとく個人的な事情に言及することは危うい。

となればどうすればいいのか。そうした時にこうした「気がつかない地域密着の言葉」は大変便利だ。うまく行けば結構な盛り上がりを取ることができるし危険性も少ない。同じ効能を持つ話題として、

「お雑煮とは」

というのもある。うまくいけばあなたはあんこのはいった餅を入れる雑煮すらこの日本に存在することを知り、一体どのような味であろうかと思いをはせ気持ち悪くなったりするだろう。もっともこうした話題が有効なのは、色々なエリア出身の人間が集まっているとき、という条件がつく。同一エリアの人間ばかりではなんともならない。

いや、実は世の中そう捨てたものでもないらしい。元々何でこんな文章を書きだしたかと言えばといえば、私が愛する「それだけは聞かんとってくれ」の 「第153回 バベルの御飯」を読んだからである。ここに書かれているのは大坪家では「色ご飯」と呼ばれているものの様々な呼称についてである。同じエリアであっても実に様々な呼称があることに気がつくだろう。私は「かやくご飯」という呼び名が存在し、どうやらそれが大坪家では「色ご飯」と呼ばれているものと同じものではないか、と考えているが自信がない。いずれにしてもこの「かやくご飯」という言葉はなんとなくキナ臭くなってくるようで好きではない。ふと気がつくと導火線がでている気がする。

 

などと書いている間に時間になったようだ。んだばでかけますかね。では合コンに行って参ります。適当に帰ってきますから。はいはい。お母様なんですか。女の子の一人でも見つけてこいと。はいはい。承知しております。大丈夫。知らない相手でも盛り上がる話題もいくつか仕入れましたし。はいはい。回数だけ行って成果が上がっていないのは承知しております。こうした事態に陥りましたことは、まことに遺憾でありまさに断腸の思いであります。この状況を改善すべく、この問題を内閣の最重要課題と位置づけまして総力をあげ、不退転の決意で取り組んでいく所存でございます。はいはい。もうこのフレーズも聞き飽きましたか。大丈夫ですよ。今年の私はひと味違います。21世紀はNew大坪なんですから。なんですか。7年前もNew大坪でしたか。Evolved 大坪、Improved大坪、Extended大坪、ネオ大坪、ヌーボー大坪も使いましたか。では漢字に戻って今年は「大坪改」でいきましょう。「改」は「改造」の「改」。大丈夫。模造人間なんかには負けません。では行って参ります。大船に乗ったつもりでいてください。はいはい。これも弟の物まねですか。すいませんね。想像力が貧困なもので。では今度こそ本当に行って参ります。こら。アイちゃん。扉の前をどきなさい。君は本当にノータリン犬なんだから。なんですか。ノータリンは私ですか。はいはい。ではノータリンは出かけて参ります。 

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注釈