題名:2000年9月12日

五郎の入り口に戻る

日付:2000/9/12

午前4時 | 弘明寺-戸塚-静岡 | 静岡-岡崎 | Short way to home


Short way to home

私はしばらく呆然とした。そのうち頭をふるととにかく何か食べることにした。お腹をあまり空にしないこと。トイレには行っておくこと。問題は一つでも少なくしたほうがおそらくはよく対処できるだろう。

まずは、さっき買ったようかんを食べてやろう、と思う。それから数分間格闘したがどうしてもビニールを破ることができない。しまいには人目もはばからず(人間疲れとストレスがたまると羞恥心は引っ込むようである)歯でかみ切ろうとしたが、それでも破れない。しょうがない。何かまともな物を食べよう。

岡崎というのはそこそこ名前が知られている場所だが、JR岡崎駅の周りにはあまり何もない。一軒あったら定食屋らしきところに入ってみると、中は大繁盛だ。この繁盛ぶりが、今日の交通事情に関連するものであるかどうかは知らないのだが、とにかく人が混み合い、店の人の対応が全く追いつかない状況である。近くのテーブルでは

「まだ注文してないんだけど」

と声があがる。店の奥に店員さんらしき人はいるのだが、手に持ったうどんを運ぶべきか、オーダーをとるべきか判断がつきかねてその場に足踏みしている。私は荷物を於いて数分立っていたが、自体がどちらにも進展しないのを見ると店をでた。

 

とぼとぼと歩いていくと、弁当屋を見つけた。中には愛想のいい店員が立っている。ここならおそらくすぐに注文を取ってくれるだろう。はいると「ピリ辛餃子弁当」を頼んだ。ついでにはさみをかりて、さっきのいまいましいようかんのビニールを破る。

 

しばしの待ち時間の後に弁当を手にした私は店を出た。さて、どうしよう。これからまた同じ鈍行の旅を繰り返すのは気が進まない。今の職場交通の便だけ考えればなかなか恵まれた場所にある。朝一番の新幹線で名古屋をでても余裕で職場に着くことができるのだ。となれば今日は遅れついでにどこかに泊まってしまおうか。しかしその計画も明日の始発から新幹線が

「平常通り」

動いたとしての話である。先の事は解らない、というのは今日いやというほど経験した。となればとにかく出来る限り横浜に近くまで移動しておく方がよかろうか。

そう思うと再び改札をくぐる。今は券売機は「調整中」のランプがつき沈黙している。改札のところで駅員は乗客の応対に追われていて乗車券をうる余裕などないようだ。そこに

「乗車証明」

なる紙があるから、それをもらおうとすると

「どこまで行くんですか」

と聞かれた。私はしばらく言葉につまったあげく

「東京の方」

と実に間抜けな答えをした。相手は内心なんと考えたか知らないが侮蔑の表情をうかべるでもなく

「豊橋までしか行けませんがいいですか」

と聞いた。私にしてみればNo Problemである。ここでさらに

「ノー・プロブレーモ」

などと間抜けな事を叫ばなかったのはありがたいことで、そんなことを言っていたら気がたっているであろう駅員さんに駅の外に放り出されていたかもしれない。

 

さて、ホームに降りてみると豊橋行きらしき列車が止まっている。中はがらがらだ。私はさっそくさっき買った弁当とおはぎ(手作りおはぎを目の前で作ってくれる店があったのである)を食べ出した。普段あまりこの列車で弁当を食べている人など見ないが、こうした状況であれば許されるだろう。異常な速度で食べ終わり、ホームにゴミを捨てにいくと、ホームでも数人弁当をぱくついている。

しばし待った後に電車は動き出した。とにかく電車が動くというのは偉大なことだし、中が空いているのはさらにありがたい。私はご機嫌になっていた。まあいろいろあったがとにかくこうして無事にアパートに向かっているわけだ。後のことは後で考えよう。

そんなことを考えていると右斜め前方に女性が座っているのに気がつく。彼女は今日何度かみた

「電車の中でメーク」

をやっている。しばし私がその手つきに(顔にではない)みとれていると相手と目があった。相手は結構頑丈そうな体格で、派で目の顔つきをしている。あわてて目を伏せる。しばらく視線を別のところに振ってみる。まだ化粧をしているだろうか、と思い様子を見るとまた目があう。これはまずい。所謂

「おめえ何ガンつけてんだよ」

状態なのかもしれない。私は下を向いて寝たフリをした。

さて、そんな事をしているうちに電車はなんなく豊橋に到着する。理論的にはここで泊まる宿を探すことも、鈍行をさらに乗り継ぐこともできるが私はとりあえず新幹線のホームに向かう。細い通路を通っていくとそこら中に人間が座り込んでいることに気がつく。弁当の空き箱やらなにやらのゴミがちらかっており、ぐったりという表現がピッタリの人たちと相まってなんとも言えず退廃的な雰囲気だ。こんなに人間がいる、ということは上りの新幹線もとまっているのだろうか。とりあえず乗車券を買おうと思い改札に並ぶ(例によって自動券売機は「調整中」だからだ)本来この改札というところは乗車券を販売する場所ではないから、列はとてもゆっくりと前に進んでいく。

そのうちアナウンスが流れた。

「11番線から名古屋行きが出発します」

その瞬間、それまでけだるそうに座り込んでいた人たちが一斉に跳ね起きて改札に殺到した。なんとしても今日中に名古屋にたどり着きたい人がたくさんいるのだろう。とはいっても自動改札機もまともに動いていないようで、人は通り放題である。私の前にいた人は乗車券を売る列が進まないので駅員に呪いの言葉をはく。しかしながら彼がいかに効果的に駅員にのろいをかけたところで列が進むわけでもない。そのうち彼は乗車券もかわずに改札をくぐり抜けていった。

私はと言えばのんびりしたものである。まだ2時前だし、のんびりと家に帰ればよい。どうせ今日は休暇なんだし。ホームにおりていくと、新幹線が停車している。とくに中に入るなとも言われていないし、扉が開いているから中に乗り込んだ。

「久しぶりに動いた新幹線に乗客が殺到」

状態になるかと半ば覚悟していたのだが、中はがらがらである。あまりにがらがらだから回送車か何かかと思ったが、他の乗客もちらほら乗っている。こちらは椅子に座ってご機嫌だ。望みを低く持つということは幸せになる簡単な方法のうちの一つである。今の私はとにかく椅子に座れて、かつその椅子に座っている間に目的地に近づく可能性があれば大満足だ。驚いたことにそのうち列車が発車するというアナウンスがあった。あまりにあっさり事が進んで行くので拍子抜けするほどである。車内にアナウンスが流れる。

「7時ちょうど発のこだま○○号。ちょうど7時間おくれて発車しております。」

7時間遅れ?そんなに長い間とまっていたのか、と一瞬思うが私にしてみればどうでもいいことである。7時間遅れだろうが、37時間遅れだろうが大事なのは今動いているということ。列車が動き出したのでちょっと車内を偵察にでかける。

座席の間にはありとあらゆるものが捨てられている。弁当の箱、ペットボトル、おかしの空き箱。それを捨てた人を非難することはできない。すでにゴミ箱は満杯になっており、これ以上何をつっこむこともできないからだ。満タンになっているのはゴミ箱だけではない。トイレの扉には張り紙がしてあり

「1号車と3号車のトイレをお使いください」

だそうである。もっとも今の私に必要なのは男性専用のトイレであり、それはちゃんと機能しているから問題ない。このゴミの散らばり用をみると、おそらく朝の7時に乗車し、そこから数時間車内で待った人たちがいたのであろう。その人達がどこに行ったのかはわからない。今乗っている人たちはほとんどが数十分前に乗り込んだ人ばかりのようなのだが。

そんなことを考えていると、女性が

「これころがってきたんですけど、あなたのじゃないですか?」

といって乾電池を見せてくれた。私のものではないが、そうした心遣いはうれしいことだ。私はにっこりと笑って

「違うみたいです」

といった。人間心の余裕がある場合にはずいぶんと心ができた人間のように振る舞えるようである。

さて、列車の中には時々

「前に列車が止まっているためしばらく停車します」

というアナウンスが流れるが、全体的には快調に東へと進んでいく。行きに苦労して一駅一駅進んだ区間を何の苦もなくとばしていく。そのうち外の雲がきれ、晴れ間さえのぞきだした。

隣の席では男性が携帯でしゃべっている。

「いやー。6時間もかけて名古屋についたらさ、イベント中止だって。しょうがないから今戻る新幹線のなか」

なるほどご同輩はたくさんいるのかもしれない。今日のニュースでは

「対応の遅れに乗客の不満が爆発」

とかやるんだろうか。

こっから私の考えは例によってぴょんぴょん飛び出す。古来江戸っ子は

「やせがまん」

を美徳としていたという。火事で家が燃えても

「幕府の対応の遅れ」

を非難するよりも

「てやんでい。火事と喧嘩は江戸の花でぃ」

といきがっていたわけだ。やせ我慢だけでは何事も進歩しないが

「○○の対応の遅れ」

をさけんでいるばかりでもつまらない。日々のご飯の心配はおそらく江戸時代より少なくなっているはずだ。であればその余った時間と力を

「あらたなやせがまんの探求」

に振り向けるのはいかがなものであろうか。有名な話であるが、ドイツの爆撃をうけ入り口を吹っ飛ばされ、大穴が空いたイギリスの商店は

"Open Today"(本日開店)

なる看板を掛けたそうである。どうにかこの感覚から学び、非難だけではなく、笑いのネタにすることはできないか。

最近は反応が固定化しているが昔には日本にもそうした概念があったのではないか。ここで頭に何の脈絡もなく

「イキと野暮」

という言葉が浮かぶ。なんだかわからないがこの言葉は江戸っ子のやせ我慢とどこか関連があるような気がする。JRの対応の遅れを声高に叫ぶのが「野暮」ってのはどうだ。しかしイキってのは一体何なんだ。

 

酔っぱらった時であるとか半分寝ている状態、というのは便利なもので、頭の活動レベルが大変に低下しているからこんなわけのわからない話でもとにかく自分が何かを考えているような気になる。おお、これはよい考えだ、などと自己満足に浸っている間に眠気が訪れた。考えてみれば朝の4時におきて、緊張のしっぱなしだったのである。もう今日はこの後頭を悩ませることはおこらない。くだらない考えに頭を患わされることもなく、ぐっすりと眠ってしまった。

 

目がさめれば小田原の駅に停車している。どうやら何事もなく新横浜に着きそうだ。頭がぼけているから時間は飛ぶようにすぎる。外は日がてっていてとても水害に悩まされていたとは思えない。

新横浜に着きホームにおりると、数人の係員とおぼしき人たちが乗客に何かくばっている。何だろうと思い、手渡された物をみれば、弁当であった。大変ご迷惑をおかけしました、ということなのだろうか。気が利いているというのか、どこかピントが外れているというのか。そんなことを考えながら改札に向かう。自動改札機はすべておしゃかになっていて係員の女性がたっている。チケットをみせたら、

「これは払い戻しの対象です」

と言われた。この新幹線が何時間以上おくれたら特急券を払い戻してくれる、というのは幼少のころ一度経験しただけで、その後は耐えて久しくやったことがない。おまけに今日に限って言えば確かに列車は7時間遅れだったかもしれないが、私にとってみればせいぜいが10分遅れである。こんなのでいいのだろうかとは思ったが、切符を差し出すと素直に払い戻してくれた。その額が特急券の額よりも多かったのでまた私の頭には?マークが浮かんだが、くれるといっているのだから素直にもらっておいた。

 

あたりまえの事だが横浜市営地下鉄には何の影響もでていない。あっさりとアパートに帰り着き、スーツを脱ぎ捨て(ようやく)パンツ一枚になるとホット一息である。TVをつけてみるとそこには驚くべき光景が展開していた。

遅れた新幹線の映像は予期していたが、今回の大雨による被害はそれどころではない。名古屋の一部は完全に水没している。しかもそこは3年前私が働いていた工場があるエリアではないか。よくよく見ると確かに見覚えのある通りやら看板やらがある。ただ水が異常な位置に存在はしている。

あっけにとられながら、

「これでは会社に半数も出勤できないのも無理はない」

と考えていた。さて、さっそくもらった弁当で夕飯とするか。横浜駅で配っているくらいだからシュウマイ弁当だろうと思って開けてみればシュウマイが2個、何魚だかしらないが煮付けが一切れ、あと漬け物の類少量にご飯という取り合わせである。お詫びのしるしであれば、もう少し高級な弁当をくばればいいものを。などと思いはしたが、この質素な食事は体重に気を配る私としては大変ありがたい。さっそく全部たいらげた。

そうしていう間にも水害の報告は続く。しばらく阿呆のごとくそのニュースを見ていたが、そのうち自分の上腕に妙な変化が起きているのに気がついた。

 

上腕一面に赤い発疹ができている。両腕にだ。どうやらこれはかの蕁麻疹というものではないか。この原因はなにか、と言えば、さっきの弁当くらいしか思い当たらないのである。私はしばらくあっけにとられて自分の両腕を見ていた。ついさきまではとくに何もなかったところに赤い点々がびっしりと。これは異な物と感心するばかり。昨今は食い物に何がはいっていてもニュースになり、私はそのうち

「○○で販売されたブドウの中から種が発見された。販売した業者は自主回収に乗り出した」

というニュースが流れるのではないかと思っている。そんなくらいだから

「JRがお詫びにくばった弁当で蕁麻疹」

等と言えば、一部報道機関は大変喜ぶだろう。しかしこの蕁麻疹の原因が弁当だと特定されたわけではないことに注意しなければならない。さんざんニュースになった後

「蕁麻疹の原因は、部屋につもったホコリ、ゴミ、そこに繁殖したダニによるもの」

などと診断されたら立つ瀬がないではないか。実際この部屋には必要以上にホコリ、ゴミが存在しており、きっとダニもたくさん居るだろう。特に痛みもかゆみも(少ししか)ない。しばらくはこの珍しい蕁麻疹でも眺めてくらすことにするか。

 

さあ。もう寝よう。今日はいろいろなことがあって楽しかった。明日はまたあの何もない会社だ。

 


注釈