日本人の英知-深読みジャパニーズ

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日付:1998/11/8

 


財政再建法案が可決され、国会は終わった。

法案審議は、なぜ、こんなに長引いたのか。

それは責任政党の自民党が前回の選挙で大敗し、参議院で過半数に20人も不足していたため、野党の同意を得るのに苦心惨憺していたからである。

大蔵大臣の宮沢さんは、良い法案は通ると思って、法案を提出した。

「長銀を潰すと、金融についての信用をなくす。潰してはならない」と彼は力説した。

ところが野党にとって最悪の事態は、相手政党が良い政策を採り、国民を喜ばすことである。国民が幸せになっても、自分たちが生きていけなくては仕方ない。これは、古今東西を通じて、変わらない政党の原理なのである。

忘れもするまい村山さんの時代に、野党としての社会党が何を言っていて、責任政党になった途端に何をしたのだろうか。野党にとっては責任を持たされることは、ナメクジが塩を掛けられるのと同じことなのである。

当然、今回も野党民主党は「銀行が首脳部の失敗のため潰れるのを、なぜ国民の税金で助けなければいけないのか。一旦は潰してしまえ」と国民感情を武器にして主張した。

ところが国民は、自分たちの投票でこのような政治情勢を作ったなど考えもしない。小渕が、菅が小沢が政治をやるのだと思って高見の見物である。人ごとだと考えているのである。

それだから、ただ気楽に、胸の支えがおりて、すっとする意見に、いいぞ、やれやれと手を叩く。

人の選択に責任を持つか持たないかの例え話として、こんなのはどうだろうか。

縁のない他人に対しては「並みのカーチャンよりは美人女優と一緒になった方が良いに決まってる、さあどんどん離縁しろ」と囃すようなものである。青島、ノックなど、みなこの伝で選ばれた知事であろう。

ところが自分の妻の場合は、もし離縁したらたちまちに困る現実が目に浮かぶ。ましてや美人女優が結婚してくれるわけもない。現実としては今の状態が一番良い、そう思ってみんな暮らしているのである。それが本気で考えるということなのだ。

大衆におもねるだけのマスコミの煽られ、自民党けしからん、役人、銀行、大企業みんな堕落してる、そう言ってくれる野党に投票しよう。あるいは、菅さんて男前じゃないと、ただそれだけで選んだ自分たちの政治なのである。。

健全銀行向け公的資金枠が、13兆円であったものを、自分たちが選んだ政治が、税金の投入を止めろと気っぷの好い啖呵を切るのを快く聞いているうちに、25兆にまで傷口を広げてしまったのである。

あくまで民主主義国家の主人公は国民なのである。

 

ところが、本当に日本人て、そんなに愚かなのかと疑はしく思いませんか。

 

ひとつの考えは、投票の票数の読み違いである。

自民党を奢らせてはならない。常に牽制しておくことは必要である。

その意味で、民主党へもある程度は票を入れるべきである。しかし、他人が誰に投票するかは分からないから、開けてみるとちょっと野党が多すぎたと思っている日本人がいるであろう。これは投票が真実、個人の意志によってなされている証拠で、素晴らしいことである。

こんなことなら、共産党へでも入れれば、まだましだったという解釈もあろう。

 

しかし、本当はもっと日本国民はしたたかで、不景気歓迎という不人気な言葉を避けながら、やりたいと思っていることをちゃんとやっているのではなかろうか。

 

まず、住宅の着工件数が減っているのは、あの大事な母なる自然を破壊する量が減っていることなのである。

車の生産台数が何ヶ月も前年同期を下回っているのは、道路での事故、渋滞、排気ガス、騒音など、交通戦争の緩和に役立っているに違いない。

働き口が減っているのは、企業の社員定着率を高め、職場の規律を取り戻させていることであろう。

昨年末、京都の国際会議で決まった、まだホヤホヤのCO2の削減計画にしても、責任者たちが馬鹿正直に無理だと言っているのに対して、マスコミがいとも簡単そうに、政府と企業のやる気のなさが問題であるような論評を流していたのは、国民の投票の結果がもたらす、今日のこの建設、交通、生産などあらゆる分野での、エネルギー消費の減少を予測していたからなのであろう。これで、国際社会の場で恥を掻かなくて済みそうではないか。

また先刻、いわゆる有識者たちは、もう物の時代は終わった、これからは心の時代だと、声を大にしていた。まさに将来も含めて、懐を寒くし物を買えなくすることが、その一番確実な実行手段なのである。

 

結論的に締めくくるならば、25年前に新聞の大見出しに躍っていた「クタバレ G N P 」の夢を、日本国民は、今まさに手中にしているのである。

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