題名:ケータイあれこれ

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日付:2001/8/12


いつでも、どこからでも電話を掛けられるケータイが普及してきて、世の中、まことに便利になったものです。

昔、まだケータイがなかった頃、電力会社で仕事をしていて、こんなことが出来たら良いなと思っていました。

 

それは送電線の作業のことです。

送電線は、一般的に、故障が起こってもお客さんを停電させないため、一号線と二号線のように、2つの送電線を鉄塔の左右に配置し、1組にして作ってあるものなのです。

新しく電気を使うお客様に電線を接続するときのように、電気を止めなくては出来ない仕事をするときは、片方の送電線を止めて作業をするのです。

いざ、送電線を止めるとなると、それまで延期し貯めてあった仕事を、まとめて同時に行うことになります。

そのため、何十キロという長い送電線の、あちこちで仕事をすることになるのです。

 

片方の線だけで送電していると、万一故障が起これば、たちまち停電になってしまいます。

そのため、工事は出来るだけ短い時間に終わらせ、早く2回線送電の状態に戻したいのです。

 

沢山の工事の中で、一番時間がかかるものが夕方16時に終わると見積もられれば、送電再開は16時10分というように、作業に入る前にあらかじめ決めておきます。

工事している場所では、電話が使えないのが普通でしたから、その時間になると、もう誰も送電線の近くには「居ないはずだ」と思い込んで、離れた発電所でスイッチを入れ、送電するのでした。

 

また、もし万一、送電線に故障が起こり自動的に停止すると、通常ならば直ぐにスイッチを入れて再送電するのですが、それが作業している隣の送電線だった場合は、待避時間として10分間は再送電を待つことにしていました。

それは、その停電の原因として、隣の送電線で工事をしている人が感電事故に巻き込まれている可能性があるからなのです。

鉄塔の腕金を、赤色、黄色などに塗り分けたりして、間違いを防止するように努力はしていたのですが、それでも、作業するために電気を止めてある線と、まだ電気を送り続けている線とを間違って感電してしまうことは、過去に何度も起こったことがあるのです。

お客様の停電時間を出来るだけ短くはしたいのですが、それでも感電した人を送電線から引き離すのに10分間だけ待って頂こうという、綱渡りの選択なのです。

 

もしも最近のように、良いケータイ・システムを使うことができれば、現場の人たちにケータイを持たせておいて、「何号鉄塔の工事終わりました」、あるいは「何号鉄塔に、誤って梯子が引っ掛かりました。取り外しが終わりました」などと、ケータイを使って直接に連絡が入れられれば、送電のスイッチを入れる人は、どんなにか心やすらかだったことでしょうか。

 

ケータイは、とくに、双方が移動しているとき、例えば、待ち合わせの約束が、何かのトラブルで躓いた時などの有用性は絶大であります。

 

昔、まだ昭和の頃です。

同じ職場にいたOさんがケータイの会社に変わられました。

会社の名前も、その当時はまだ堅苦しく「移動通信」といっていたころのことです。

ある日、Oさんを、お招きして近況など伺ったことがありました。

そのときOさんは、商売道具のケータイを持ってこられました。

30x20x10センチぐらいの大きさで、約1、5キロほども重さがあり、どうしてもこれより軽くならないとのことでした。

そんな重い移動電話ですから、当然、ベルトがついていて、肩から掛けられるようになっていました。

当時は、それまで移動通信装置といえば自動車電話だったものが、ようやく車の外に、人間にくっついて動き出した頃の思い出話です。

 

私もPHSならば、最初出始めた頃、持ったことがあるのです。

会社の関係で、頼まれ使ってみたのです。

車で名古屋に帰って来たときに「今、インターだよ」というようなことを家内に電話していました。

どうしてPHSの使用を止めたかというと、家の中から掛けられなかったからなのです。

電波が弱くて、電波到達外のマークが出てしまい、通じなかったのでした。

家内が長電話をしているときに、使えないようなものでは持っている価値はないと腹立たしくて、会社を辞めると同時に解約してしまいました。

その頃と較べると、遙かに高機能になっている最近のケータイについて、とやかく言う資格があるかどうか極めて怪しいと自分でも思います。

それでも正直に感想を言えば、個人の生活のなかで、ケータイがどれだけ本当に「役に立っている」かどうか、かなり怪しいものだと思っているのです。

 

他人がケータイを使って話しているのが、聞くともなく聞こえてきます。

ある人は、散歩の途中から「今日の夕飯はなんだい」と訊ねていました。

また、ケータイの使用をご遠慮下さいというアナウンスが聞こえているJR車内で「なに! 男が出来たんだって」と、大声を張り上げ通話して、アウトローぶっている女子高校生がいました。

こんなように、「なくたってどうということもない用途」に使っている人が、かなり多いのだろうと想像します。

お分かりのように、私の判断にはこのように、なにが不必要かを区別するのに、昔の老人の価値評価の特徴が表れているのです。

 

メル友になったため、悪い男に殺された女性のことが、一再ならず報道されています。

ケータイがなかった時代にでも、そういう犯罪はあったのでしょうが、およぶ範囲は限られていました。

 

ケータイのお陰で、井戸端会議が容易に出来るようになったと言えましょう。それは、まさに隔世の感があるほど、随時、大規模かつ頻繁に開催できるようになりました。

 

話は変わりますが、このところ、大学生たちが授業中に交わす私語の激しさは、周知の現象であります。

ところがなんと、お葬式の読経中に、親族の席の中でも、がやがやと私語が始まったことがありました。

最初は、新発見の感動に、息を呑んだのでしたが、今ではこれも、かなり普遍的に見られるようになっています。

 

現在のマスコミ報道の大部分は、社会の中で起こっている非行を題材に取りあげています。

他人の非行について、見たり聞いたり、叩いたりするのが楽しいという、人間の本姓もありますが、そんなチクリ記事に、i モードとかが果たしている役割は小さなものではありますまい。

ケータイは、システムの端末としてIT革命の一翼を担い、それを使ったメールの匿名性ゆえに、密告が横行するようになっていると思われます。

 

千葉県に住んでいる娘からのメールによれば、最近、娘が新しいケータイを買ったので、今まで使っていたものを中一の孫に、また、その子の持っていたのを小五の子にと、お下がりにしたのだそうです。

中一の孫は「ケータイが近くにあると安心する」「ママが怒っているときは、これでメールすればいいんだ」と、もう、しょっちゅうケータイの画面を眺めているのだそうです。

娘自身も「なかなか面白くて、自分も眺めては若い人になったような気分」なのだそうであります。

 

荒っぽい話ですが、ケータイの使用分野を、仕事上と仕事外に分けた見たら、どんな割り振りになるものでしょうか。

 

身近なところでは、宅急便で配達する人たちが上手に使っています。大工さんなど工事屋さんたちも、結構上手に使っています。

しかし、100%仕事的な用途よりも、なんといっても非仕事的な使用の方が多そうであります。そしてこの問題を突き詰めてゆくと、上手に仕事を進めようとすれば、非仕事的なコンタクトを、日頃十分にしておくべきであることに思い至るのであります。

 

多少、短絡的になりますが、ここでケータイの功罪を見てみましょうか。

 

まず、ケータイシステムの端末、中央装置、伝送路、ソフトウエアなど、その生産に携わる人の数は膨大で、経済の活性化に大きく寄与しています。

 

しかし他面で、ケータイを使った業務の効率化の流れの中で、多くの失業者を生んでいるのもまた現実であります。

 

このほか、新しいケータイが世に出て、旧型との交換は無料ですなど煽るたびに、廃棄物の山を築きつつあることも、また事実であります。

 

そしてさらに、ケータイを持って眺めているだけで心の安静が得られるとなれば、それはもう宗教の段階に達しているといえるのではないでしょうか。

 

薄暗い教会の小部屋で、神父様に告白なんかしないでも、ケータイのボタンを指でつついて、他人に心の内を吐き出せば、心の安静が得られるようなのです。

信心深い方からは、お叱りをこうむるとは思いますが、従来の宗教の神に対する罪の懺悔だって、一方的な言いっ放しの面もあるのですから。

 

冒頭の送電線の工事で、こんなことが出来たらいいなと思っていたことが、ケータイなら出来るようになったということを述べて来ました。

 

以上見てきたように、送電線だけではなく、いわばあらゆる事について、ケータイが出現したことにより、出来たらいいなと思うことが出来るようになったといえます。

その結果「人間とは、かくもお喋りをしたがるものか」ということを明らかにした点で、ケータイとは、まさに画期的なツールであるといえます。

 

昔、「沈黙は金なり」という格言がありました。なんでもぺらぺら喋ってしまうと、その人がどれほど利口でどれほど馬鹿か分かってしまう、だから、黙っていれば、他人は実態より利口ではないかと誤解してくれるという意味であります。

 

このように見てくると、ケータイの最大の功績は、やはり、やりたい放題をやらせて見れば、人類がどれほど利口でどれほど馬鹿であるかを、現実に見られるようにしたことではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

 

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