題名:ミレニアムつれずれ

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日付:2000/1/20


わが家の台所に、自動炊飯器と自動パン焼き器が並んでいます。

どちらの機械も、調理完了時間の予約に使う時計は、今の時代ですから、当然デジタル表示になっています。

パン焼き器のほうはN社製で、24時間表示になっていますから、セットするのになんの疑問もありません。

ところが、炊飯器はS社製で、午前と午後の12時間表示になっているのです。

 

ある日のこと、妻にご飯が12時に炊きあがるようにセットしてくれと言われました。

妻が言っている12時というのは、もちろん昼の12時のことです。

 

この炊飯器を前にして、わたしは昼の十二時が午前12時なのか午後12時なのか、しばし迷っていました。

 

いつまでもすっきりとはしませんでしたが、そのうちに、午前11時59分59秒に続く、午前12時とするのが何となしに妥当のように感じられてきたのです。

 

一応セットはしましたが、自信がなかったのでスイッチの入るのを待ち受けていました。

炊飯時間は約50分と考えていましたから、11時20分まで見ていました。そこで、とうとう待ちかねて予約を解除し、炊飯のスイッチを押したのでした。

妻の要望に遅れること10分で済みました。

 

あとで考えてみれば、セットする前に、予約用の時計をよく見ていて、午前11時50分の時にもう一回、10分単位のボタンを押してみて、午後12時に変わるのを確認すれば良かったのです。

 

結論が証明された後で、妻は「そうねえ、昼の12時は午後12時だわねえ」と言いました。

 

 

広辞林を引いてみました。

午前と引くと「夜半の零時から正午までの間」、また午後は「正午から夜の十二時までの時間」として載っていました。

私だって、この程度の常識は持っていました。でも、正午が「まで」に含まれて午前に属するのか、あるいは「から」に含まれて午後に属するのかは、辞書からは分かりません。

ともかく、これは決め事ですから、どちらかに決められていて、その決めを小学校で教えていて、世間の常識になっているのかもしれません。

なにせ、私は学校での勉強には自信がないのです。

 

S社の炊飯器は、正午は午後に入るとする考え方を採っているのです。

これは、法律を解釈する場合「1メートル未満」には1メートルは含まれず、「1メートル以上」には1メートルが含まれる、とされているのを準用すれば、午前を正午未満、午後を正午以降とする考え方を採用しているものと想像されます。

こうして午前11時59分の1分後が午後12時になり、午後12時59分の1分後が、午後1時になるのです。

 

結局のところ「ゼロ」がないのです。

 

人類が「ゼロ」の概念を発見してから、もう、かなりの年月が経っています。

女チンパンジーのアイだって、ゼロが分かるようだと言うではありませんか。

S社の設計者が、ゼロの概念を持っていない訳はありません。

多分、どう表示するべきかと、社内で議論されたのでしょう。

昼の12時を指す表現には、午後12時のほかに、正午とか24時間制の12時とかがあります。

でも、デジタル時計に正午という表示は馴染みません。

あれやこれやで、炊飯器を扱う台所のおばさんたちには、一日24時間制よりも、午前・午後12時間制のほうが分かりやすいと、結論されたのでしょう。

 

NHKは、12時間制を使っていますが、ゼロの概念の入った、たとえば「零時15分」という表現を使っています。

同じ時間を表わすのに、午後12時15分というのと、午後零時15分というのと、どちらが抵抗なく聞こえるでしょうか。

1の前が0ではなくて12だとというのには、やや無理があると言わざるを得ません。

やはり現代の日本では、「零時」のほうが自然だろうと思います。

 

ところで日本では、西暦1989年は、始めのホンの一部が昭和64年であり、残りの大部分が平成1年であることを、別に不思議がらずに素直に受け取っています。

この場合は、平成は1年の途中から始まっている訳です。

でも人々はそんなところを、数学としてでなく、歴史上での時間の表現として受け取っているのだと言ったらよいでしょうか。わが家の孫が生まれたのは、平成元年だというように。

それなのに日本人は、西暦の話になると、途端になにか理論的、科学的なものと感じてしまうように思われます。

それですから、本心では自然に、2000年1月1日0時から、21世紀に入ると感じたのでした。

そして、21世紀は2001年から始まるのだと教えられても、それを理解・納得するというよりは、丸暗記のように呑み込んでいように見えるのです。

 

私は長年、電力会社に勤めていました。

電気は24時間休まず生産・販売されています。従業員も24時間働いています。

こんな環境の中では、0時から24時の間のどの時間も、同じ重要さを持っています。だからもう昔から、24時間制を使っています。

JRも同様です。

ところが、証券市場に上場している立派な会社でも、まだ12時間制を改めようとしない会社もあります。始めはびっくりしましたが、実際には、そんなに支障があるわけでもないのです。

普通の企業では、意味のある時間は、せいぜい昼間の9時間程度でしょう。

だから9時から会議というのは午前9時のことですし、5時に退社というのは午後5時を指しているのです。

家庭では、活動の対象になる時間は企業よりは長いのですが、生活のパターンが決まっていますから、6時に起きると言えば午前6時に決まっているように、ここでも別に具合が悪くはないというわけです。

 

このように普通の人には関係がなくて、どうでいい時間というのもあります。たとえば、寝てから起きるまでの時間です。

きりもなく飲んでいて、日付変更線を越える「午前様」は、ごく特別な人です。

だから、正午に対応する真夜中を指す言葉はありませんし、午前12時何分という時間も、普通の人には、まず必要はないでしょう。

先ほど理屈をこねた、午前午後12時間制の不合理さも、実質は午後12時台だけが問題になるのです。

 

ところで、私が大切に保存している葉書があります。

それを保存している理由というのも、その文面が、東京の有楽町のビルの会議室で「午前2時」から会議を開くとミスプリントされているからなのです。

その葉書は、ある大きな学会からの通知なのですが、当時、仲間たちと「泥棒に入る相談でもするのだろうか」と、楽しんだのも懐かしい思い出です。

 

年を表わす下2桁が00になることによる、コンピューター誤作動の問題は、コンピューターがゼロの認識を持っている現代的な機械であることを自から主張したことになります。

 

今回は騒いだわりに、いわば何事も起こらず過ぎてしまいました。それを残念に思う人もあったことでしょう。

ハイテク・ジャンボとか、原発とかが大事故を起こし、大勢の死者が出て、そこに政府とか大企業とかの責任が絡めば、張り切って筆を揮いたかった人たちがいたはずです。

そんな人たちが、システムの不具合を一生懸命探した結果が、正月の新聞紙上に並んでいました。

 

30年以上前のことです。コンピューターの導入初期でした。

ソフトウエアが小さくて、まだ使用者の手に負えた頃です。

あるとき、計算機が止まりました。いろいろ原因を調べてゆくと、計算機の中にクロックが3個あって、ほかの2個が停止したとき最終的にバックアップする、その特定の時計を使用している条件で、月をまたがって日が変わるときに不具合が起こることが分かりました。

そのとき私は、世の中に、完全にデバッグ(不具合を除去すること)できているソフトウエアは存在しないに違いない、と主張したことがありました。

 

いまは当時とは比べにならないほど、スケールも技術レベルも高度になっています。

しかしそれだけに、やはりバグのないソフトウエアなど、あり得ないだろうと思っているのです。

コンピューターは確信犯的態度で、常識外の間違いを平気でやってくれるものなのです。

現に、世間で動いているあちこちのシステムでは、ときどき不具合が起こっているではありませんか。

それらの不具合の中で、とくに広範囲に通信が止まったとか、座席の予約が出来ないとか、報道の種になると判断されたものだけが、世間の目に触れているのです。

そういう訳で、ある程度コンピューターなりソフトウエアについて知識のある人にとって、システムの現状とは、平常の使用に差し支えない程度に不具合が取り除かれているに過ぎない、とするあたりが共通の認識でありましょう。

 

実は、私のパソコンだって、Y2Kでトラブっているのです。

「世間であんなに騒いでるのに、どうして私には何にもしてくれないの。私なんか軽く見てらっしゃるんでしょう」。私の中身スケスケのパソコンが、そう拗ねているのが聞こえたのです。

そこでこの際、久しぶりにメモリーのバックアップを取っておくことにしたのです。

さて、ソフトは動き始めましたが、あまりスラスラとは進まないのです。帰省していた息子が「固まってるよ」と言います。

わが家のバックアップは、どうもデジカメを取り込んだ頃から、大変時間がかかるようになっているのです。もっとも、そのまま長時間やらせておけば、最後は終わっている様子だったのですが。

でもこの際は、パソコンに詳しい息子が異常だと言うのですから、やはり正常ではなかったのでしょう。

 

私も「2000年を迎える時に、コンピューターでトラブったのです」、そう、コトあれ主義の人に、教えてあげたら良かったかもしれません。

 

前回、19世紀が終わるときには、やはり終末論が流行したと聞きます。

ある特定の時期に、年の区切りが来るのは、どの国の暦についても、何時かは来ることなのです。

キリスト様をベースにした西暦だけが、地球を律する暦であると信ずる人たちは無邪気でした。しかし今回の騒ぎでは、世界中の多くの異教徒までが、西暦の世紀末だけが大変な意味を持つように感じたのは、やはり心のどこかで、西欧先進国を賛美しているからなのでありましょうか。

 

前回の世紀末には、地球がハレー彗星の尾に入り、人類は毒ガスで死んでしまうなど、本気になって恐れた人があったと聞きます。

 

そのときにも、やはり科学めいた解説をした進歩的な市民がいたことでしょう。また、話に尾ひれを付けて、触れ回った人もいたでしょう。

それを素直に信じて、自分なりの防衛策を講じた人もいたでしょう。

また、同時に、クールに構えていた人だって沢山いたに違いありません。

 

でも、あれから100年経った今となっては、流言を信じた愚かな人がいたということばかりが、強く伝えられているように思います。

しかし、当時、きちっとものを言うべき学者は、その時に当たってどうしていたのでしょうか。

またマスコミは、どんなふうにして、騒ぎの舞台の飾り付けをしていたのでしょうか。

 

今回の騒ぎでは、自分自身は、そう大した事件にはならないと思いながらも、世間の金回りが良くなるだろうと期待して、騒ぎに協賛した向きも結構、大勢いたようです。

実際、システム・ソフトの改修に便乗して、自社の古いシステムをバージョンアップしたところは、少なくないでしょう。

また、身の回りの生活必需品の売れ行きも、多少は上昇したと聞きます。

確かに、日本人の貯蓄性向という固い殻に、針で突いたほどの穴は開いたようでした。

100年前に世紀が変わったときにも、世間の大騒ぎにうまく乗って、ほくそ笑んだ人はいたのでしょうか。

それらの点で、いま私は、100年前に世紀を跨いだときに、人類がどんなふうに反応したかを改めて知りたくなっているのです。

ともかく、100年前のハレー彗星騒ぎのときに起こったような人々の反応を、今回は自分の身の回りに見ることが出来たのですから、生きていて良かったと、つくずく思わずにはいられません。

 

つぎに、読売新聞から時事川柳を4句、引用させてもらいます。

 

・紅白のあとカンテラを用意する

と、楽しみにしたのですが

 

・何事も起きず水割り薄くなる

・汲み置きの水を飲み干す二日酔い

・備蓄した水を植木にかけてやる

と、はぐらされてしまったのでした。

 

私の好みから言えば、計算機が誤動作してジェット機が落ちたりする話より、ほうき星のしっぽに入って毒ガスに巻かれる話のほうが、なんとなくロマンチックに思えるのですが。

 

さて、そこで次回の暦の数字合わせはどうなることでしょうか。

暦の区切りでは、10年というのも、90年代とか言われ、一応意識されていますが、大騒ぎするほどのパンチ力には届きません。

かと言って、西暦3000年を待つのではちょっと遠すぎます。

だから、世紀末という魅力的なネーミングのある、2100年がお楽しみの本命です。

その時は、まだ人類の絶滅には早いでしょうから、殆ど今回と同様に騒いでは楽しむことになるのでしょう。

ところで、その時の騒ぎの種は、いったい何になるのでしょうか。

1900年に、コンピューターの誤動作問題を予想した人はまずなかったでしょう。

だから、100年先の話になると、その時の騒ぎの種が何になるのか、とても想像できるとは思えません。

この点からもやっぱり、10年より100年先のほうが、お楽しみの大騒ぎにふさわしかろうと思うのです。

おわり

 

 

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