題名:私と山

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日付:1998/2/5


 私と山との長い関わり合いの中で,いま,山についてなにかを言うとすれば,山は私にとって,”もっとも正確な物差し”であることである。

 私の趣味が山登りだと聞くと,世間の人は,良いご趣味ですねとか,偉いものですねなどと感心してくれる。そんな時,私はいつも,いいえ,ただ頭が悪いだけなんですよと答えることにしている。

 実際の例を挙げてみよう。よく山頂泊で下山していると,登ってくる人達と途中ですれちがう。彼らは,夏の午前十時頃の日差しのなか,急坂に重荷を背負い,汗びっしょりになって,はぁはぁと息も絶えだえに登ってくる。

 自分も登る時は同じ事をしているのだが,自分の時は客感的に見ていないので,気がつかないだけのことである。頼まれもしないのに,なぜこんなに苦労しているのかと考えたら,これは既に,馬鹿じゃないかしらという段階は通り過ぎ,もう立派な馬鹿そのものだというのが私の説なのである。

もっとも,私は馬鹿が嫌いではない。言わば,喜んで馬鹿になっているのである。

 自分では家を建てて住むくせに,自分の周りに建物が建つと自然破壊だと非難したりするような,器用な利口者よりも人間らしく生きたいと思っているだけなのである。

 

 山での生活は厳しく,かつ自己完結型である。いつも冷えたビールを飲もうと望めば,ビールと冷蔵庫と発電所と燃料とを持って歩かなければならない。

 そこでは往々にして,体力の限界,精神力の極限に近い生活を強いられる。したがって下界の普通の社会生活で身に纏っている色々のカモフラージュを,いつも身に付けていられるほどの余裕はない。

 そして,あるがままの赤裸々の自分が,他人の目で計られるのてある。

 厳しい山行で,2泊3日のテント生活でもすれば,ある人が愚図なのか,それとも慎重なのか,ただの法螺吹きなのか,それとも自信家なのか,思いやりのない人なのか,それとも癖のない淡白な人なのかなど,その人が持って生まれた性格がすっかり分かってしまう。

 

 また,山は決してお世辞を言わない。夜のクラブでならお金の威力で,美姫が「まあ,お若く見えること。すっかり四十代ですわよ」と持ち上げてもくれよう。しかし,山は五十なら五十,六十なら六十と,正確な年令を,いやと言うほど知らせてくれる。正確にというより,むしろ無情にと言ったほうが良いかもしれないぐらいである。

 

 私は山行を重ねながら,その無情にも正確な物差しに計られて,自分の年令を意識し続けてきたつもりである。

 そして何時からか,若い人達の足を引っ張るのを警戒して,彼らのグループに参加することを控え始めている。

これから先は,何といっても若い人達の世の中であり,若い彼らの人生に幸多かれと,ただ祈っているのである。そしてやがては山と相談して,自分の引退の時を決めたいと思っている。

 ここで一寸話を大きくしよう。所詮,この世を構成する人間は,あんまり立派な生き物ではないし,かといって全然駄目な存在でもない。わけの判らない些細なことで戦争を始めると思えば,不幸な被災者には,莫大な国際的援助活動を展開する。

 上に立つ人にとって,人類とは一体,性善と性悪の間の,どの程度のものかという,正確な物差しによる認識が重要であろう。

 この見地からして,皇太子殿下が山にお登りになり,日本山岳会にご参加下さるのは,わが国だけでなく,世界のためにも大いに慶賀すべきことだと思料するのである。

 

・春愁や共に登りし日記繰る

   

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