題名:豊蟹物語

重遠の入り口に戻る

日付:2002/1/14


私たちは半世紀前に中学校を卒業しました。毎月、同期会を開いています。

なにせ、全員古希を過ぎ、仕事から離れ、人生に残された日々が愛おしく感ぜられるこの頃なのです。

そんなこともあって、この会を楽寿会と名付けています。

毎月、第1火曜日の夕方に、決められたレストランに、有志が適当に集まってくるのです。毎回、10人弱集まります。

メンバーが亡くなったあとは、奥様が出席されます。

メンバーが生存中、本人が一度も集まりに出席しなかったのに、本人が亡くなってから、奥様が出席されるというケースもあります。

そういえば、40年前に交通事故で亡くなった同期生の奥様が、常連として出席しておられます。もちろん、40年前には、こんな会などなかったのですが。

要するに、固いことを言わない、気楽な会なのです。

 

大体、夕方6時頃に何となしに集まり、好きなものを注文します。おつまみとしては生ハム、串カツ、コロッケなどに人気があります。

ダイエット派には、冷や奴も好まれています。

みんなが飲んべえというわけではないのですが、どちらかといえば飲むことの好きな人が多いのも事実です。

もっぱら、飲み物はビールです。

生ビールがメジャーではありますが、メンバーの中には瓶詰めのキリンに固執し、生ビールはどうも薄いような気がするとおっしゃる御仁もおられます。このように、理屈を無視し感覚を尊重する意見を開陳しても平気でいられることから、会の空気を察していただけると思います。

また、「孫の話、病気の話、政治の話はしないこと」が、この会の三原則になっています。このことからもまた、メンバーの年令と良識が分かっていただけるでしょう。

 

この会は、だいぶ前から開かれていたようです。私も誘われていましたが、常勤を退いた頃から出席させて貰うようになりました。

最初の頃は、たとえば税金問題のような経済問題から、外交問題、さらには自動車のデファレンシャル・ギアのような技術の話まで、わりとテーマのある会話を中心に飲みながら意見を交わしていました。

 

この会が、3年ほど前から、定例の会とは別に、月に一回、グルメの日をスタートさせました。

美術展を見たり、オペレッタを楽しんだり、会員の芸のご披露を観賞したりしたあと、有名店で会食をするのです。

 

さる有名なレストランに行ったときのことです。

ヒラヒラした黒い制服を着たギャルソンが、最初に、格好良いグラスに、透き通った液体を注いでくれました。

「さあ、ビールの乾杯で始めようか」とひとりが言いました。

「お前、それ水だぞ。こういう高級な店じゃ、ワイン、ワイン」と窘めるのは、パリを愛し何回も訪れた経験を持つ森君です。

このレストランでは、一番安いワインが8000円でした。後日、同じ銘柄のワインが、量販店では1800円で売られていたと、わざわざ調べてきたメンバーのひとりが報告しました。

その高級レストランを出たあとで、近くの安い店で飲み直しました。

「オイ、あの店、肩が凝ったなあ」「オレは、こういう大衆的な店が好きだ」「ああいう店のあとだから、こんな店でも良く思えるのだ」など、勝手なことをワイワイ言いながらオダを上げたのでした。

上品ぶった会でないことが、分かっていただけるでしょう。

 

やがてグルメの会も定着し、一度、泊まりがけでどこかに遠征しようではないかという話が出てきました。

その結果、去年12月始めに越前にカニを食べに行くことに話が決まったのです。

参加者は男3名女2名でした。車1台に丁度の数です。

北陸自動車道を武生インターで降り、最初に、メンバーのひとり、森君がつくった工場を見に行きました。

森君は工場長として、ここ武生に7年間単身赴任していました。

その間、まだ草ぼうぼうだった用地の購入から始まって、完全に生産が軌道に乗るまで、企業の代表者として采配を振るい、地元社会のなかに定着させたのでした。

想像以上に立派な工場だったので、一同、その昔、可愛い中学生だった森君を見直したのでした。

 

この越前蟹グルメの案内役は、当然森君です。先ず、彼の案内で、大変美味いと評判の蕎麦屋に入りました。

昔、級長さんだった森田君は、先程からその店にビールがあるかどうかと、大変、気がかりの様子でした。

うまい蕎麦を供する有名店の中には、主人が偏屈で、オレの店では酒など飲む客には蕎麦を食わせない、と剣突を食わせることもあるという話しも耳にするのであります。

目的の店にビールがあるかどうかまでは、森君も知りませんでした。

森君は店に入るやいなや、目ざとく、透明なケージの中にビール瓶が冷やしてあるのをみつけ「おい、ビールあるぞ」と声をかけました。森田君「えっ、どこ?」と喜びの声を上げ、指さす先を見て目を輝かせました。

こうして、その日はよかったのですが、次の日に入った蕎麦屋は、難しいほうの店でした。

客の座敷が倉庫兼用になっていて、壁際に北海道00村農協など生産者名が印刷された蕎麦の大きな紙袋が置かれてありました。

注文だって、われわれが「僕2枚」、「私1枚」など口々に注文すると、「あんたたちのグループ、まとめて何枚なの?」と言われるような、まさに食べさせていただくタイプの店でした。

森田君が電話をかけに台所の方へゆきました。

そのうち、何だか声を荒らげている様子でした。

彼は、こわばった顔をして帰ってきました。

「森田君、何枚にする?2枚か?」、男性はみんな2枚ずつ注文していたのです。森田君は「1枚、1枚だ!」と噛みつくように言い放ちました。

 

台所では、気に入らないことが二つあったのだそうです。

自宅に電話したところ、通話料を知るために交換手が出てきて「今、お掛けになっている電話の番号を教えて下さい」と言ったのだそうです。番号を親父さんに聞いて伝えると、市外番号は?、と重ねて聞いてきたのだそうです。

それにたいして親父さんは、そんなこと言わなくたって分かってるはずだと相手にならなかったのだそうです。

 

また、親父さんに「ビールはありませんか」と尋ねたところ、うちの店では出してないと言われました。

そこで、棚に置いてあるお酒に目をつけ、酒でもいいら飲ませてくれないかと頼むと、これは自分が飲む分で、お前にはやれぬと言ったのだそうです。

 

かっときた森田君は、こんな店で食ってやるものかと啖呵を切りたかったのですが、みんなの手前、我慢して1枚と妥協したとのことでした。

それ以来我々グループでは、ことあるごとに《ビールがないと森田君が怒る》と、冷やかす種にしているのです。彼が本心からそれまでビールに痺れているのか、それとも仲間の笑いを引き出す役として演じているのか、私のように酒の味が分からない男には不明なのですが。

 

越前町の厨(くりや)集落にある宿までは、左に海、右に断崖の続く道を北上しました。

冬の北陸にも、こんな良い天気があるのかと驚くほどの良い天気でした。

海の彼方に丹後半島がうっすらと見え、大きな夕日が穏やかな海面に沈んでゆきました。

 

宿は、その晩、お客はわれわれだけのようでした。

ご主人と、仲居さんが付ききりで、色々解説したり、カニの身をほじくったりして食べさせてくれました。

カニはズワイガニです。

町立の蟹博物館で勉強したところによると、ズワイガニのオスは深いところに、メスはそれよりも浅いところに住んでいるのだそうです。そして、オスは何回も脱皮して大きくなるのに、メスは脱皮しないで小さいままなのだそうです。

越前町の漁協が捕ったカニは、その場で腕に黄色のテープを巻かれます。こうして品質保証されたエリート・カニになるのです。

この宿では、そのエリート群のなかから、さらに二重ガニ(ふたえがに)というのを撰んで食べさせてくれました。

二重ガニとは脱皮直前のカニなのです。脱皮後は、しばらく絶食するので、栄養をため込んでいるのだそうです。いわゆるカニみそが、普通は黒っぽいのに、二重ガニのは綺麗な黄色をしています。そして、足を折ると、内側の柔らかい皮ごと、スルッと身が抜けてきて大変食べやすいのでした。

次から次から出てくるカニ尽くしの料理を、もう、喉元まで詰め込みました。

最後のカニ雑炊まで胃に収まったのは、信じられない思いでした。

それも最後の最後まで、美味しいと思っていただいたのでした。

 

ところで、去年のビール・フェスタのことは、どうしてもここで書き留めておかなくてはいけないと思うのです。

去年泊まったとき、宿の大将と仲居さんは、カニを掴んで奮闘しているわれわれを、よく助けて食べさせて下さいました。

そしてまた、ビールを大変沢山、召し上がりもしたのでした。

最初、「まあ、ひとつ」と、われわれが勧めたのは認めます。

でも、いつの間にか自分たちで、冷蔵庫とテーブルの間の畳がすり切れるほども行ったり来たりしては、お手盛りでビールを召し上がりました。

そのさまは、じつに盛大でした。なにせ、勝手知ったる、わが家なのですから。

この昨年の夜のビール・フェスタは、ともかく大変に印象的でありました。

 

とても快活な仲居さんでした。

名古屋の南区のお生まれで、こちらにお嫁に来られたとのことでした。

森君が単身赴任していたときの住みかの、近くに住んでいるのだそうです。

そんなことから話が合って、盛り上がりました。

どこの料理屋の娘さんはお嫁に行ったとか、何とかいう芸者さんは元気だとか、そんな話をしていたようです。

まあ、7年も単身赴任していれば、幾らでもありそうな話題です。

昔の土地の人の現況など、私にとって関心のある話ではありませんから、もっぱら、胃袋に詰め込むことに専念していたのです。

 

翌朝、私は洗面所で歯を磨いていました。

部屋で電話の呼び出し音が鳴っていました。

そのうちに、ワイワイという騒ぎになりました。

 

最初、帳場で取り次いだ声が「森田さんにお電話です」と聞こえたのだそうです。それで森田君が出ました。

すると電話の相手は知らない女性で、話がとんちんかんなのだそうです。その挙げ句「私、豊菊と申しますが、森さんをお願いします」ということになったのだそうです。

あとで聞いた話ですが、森君は電話口に出た途端に態度が変わり、今まで聞いたこともない優しい声で、メロメロの会話を続けていたということです。

 

帰りの車中では当然、武生でナンバーワンの芸子さんである、豊菊さん、通称「豊ちゃん」が話題になったことはいうまでもありません。

根ほり葉ほり、しつこくからかったのは、女性軍でした。

森君だって、からかわれながら、まんざらでもない様子でした。

この日の結論は、来年またカニを食いにこよう。そして、豊ちゃんを呼ぼうということでした。

豊ちゃんの花代を、だれがどう負担するかが最大の争点でしたが、森君はどうしても自分が持つとは折れませんでした。

 

その後楽寿会では、この話題を、ほぼ1年間、毎回楽しんだことはいうまでもありません。

森君は酔っぱらうたびに、ついつい、お惚気めいた失言を繰り返したようで、また、女性軍はそれを克明に覚えていて、冷やかす種は増える一方だったのです。

 

秋口になりました。

森君が「おい、ほんとにやるかい」と、言い出しました。

だれかが「なんのことだ」と聞き返しました。

わたしが「決まってるじゃないか、豊ガニさ。豊ちゃんを呼んでカニ食いにいくのさ」と言ったのです。

わたしには、妙に豊ちゃんという芸子さんが、カニのイメージと重なるような気がしていたのです。

平家ガニというカニがいます。甲羅が人の顔にも見え、壇ノ浦で沈んだ平家一門の怨霊がこもっているのだという話がついています。

カニが森君を8本の脚で抱え込み、ハサミでボリボリ刻んでいるようなイメージもあります。

そして、失礼ですが、武生の芸者さんなら、山本富士子のような容姿の人ではなかろうとも思えるじゃありませんか。

 

この件は、先まで文章を書き進む前に、ここで即刻、お詫びと訂正をさせていただきます。

豊ちゃんは、実際には、とても美人でした。鄙にも稀れ(ひなにもまれ)というのはこのことでしょう。

「こんなに美人だとは、想像していませんでした」。実際に会った途端に、わたしはこう謝りました。ほかの連中も、そんなような意味のことを言っていました。

 

グルメ報告が、順序不同、支離滅裂になってしまったついでに、今年のビール・フェスタがどうなったかも、ここで書いてしまいましょう。

今年は、宿は満室の盛況でした。

昨年の挙動から、我々グループは騒々しいお客だと評判を取ったらしく、最上階へ隔離されました。

この日はカニを積んだ漁船が次々に港に帰ってきて、セリにかかったのだそうです。宿の大将は、そちらが忙しくて、われわれの席では、1人分だけカニを捌いて見本を示しただけで、それ以後は現れませんでした。

もうひとりの飲み手である仲居さん、レイコさんも、沢山のお客さんにお運びが忙しく、落ち着いて飲むなんて、とてもできませんでした。

そういうわけで、飲んだのは、もっぱらわれわれグループでした。

帰るときにお勘定してみると、ビールが42本、お酒が11本でした。このビールのうち5本は、朝、帰る前に飲んだのです。

まったくこれでは、ほかの人のことを、とやかく言える筋合いではありませんね。

 

そうそう、豊菊さんの花代の持ち分をどうするかの協議は、結局、宿へ入る直前の蕎麦屋までもつれ込みました。

誰がどう見ても、昔、豊ちゃんと知り合いだった森君がモテるに決まっています。宴が果ててから、楽しんだ程度によって負担を査定する案もありましたが、結局、各人、均等負担に決まりました。

もちろん、均等負担であることを念頭に置いて、自分だけ良い子になることは固く禁ずる旨の協定を結んだのです。

 

さて宴が始まりました。

豊ちゃんは、テーブルの末席に座りました。隣は富永君でした。

富永君はとても頓知の利く人なのです。

面白い話を次々と繰り出します。最初は、豊ちゃんとの会話は、彼が独占しているという格好でした。

森君は、何度も「お前、蕎麦屋協定を覚えているだろうな」とイエロー・カードを出していました。

それにも関わらず、富永君の弁舌は、アルコールが入るにしたがって、文字通りメートルが上がってゆきます。

とうとう「お前、協定違反だ」と、森君に言われるところまできました。

森君は、このあたりまでの状況を記憶した頃から、酔いが回り、記憶が薄くなったに違いありません。翌朝、富永君に「昨夜、お前ばかり楽しんで・・」と文句を言っていました。

でも実態は、律儀な豊ちゃんは、ほぼ均等にみんなの横に座ったのです。

そして森君とは特別に長時間、昔話にふけっていたのでありました。

森君は名家の出であります。善意の人たちに囲まれて育っているので、意地悪ということを知らない人なのです。

芸者という難しい接客業をしている人は、人を見る目には素晴らしいものがあるのです。セクハラに目くじらを立てていては勤まらないのですから、随分嫌な客もいることでしょう。そんな日々のなかで、森君のような人の席に侍るのは、さぞかし息抜きになっただろうと、私にも理解できるのです。

森君と豊ちゃんは、双方ともお互いに好意を持っていて、久しぶりの再会なのですから、当然、話は弾むはずです。

テーブルの向かい側に座っていた女性軍によれば、森君は豊ちゃんの手を握ったとのことでした。わたしは、森君と同じ側に座っていましたし、カニの脚との格闘に気をとられていて、気がつきませんでしたが。

 

豊ちゃんはひとりでしたから、テープを伴奏にして踊ってくれました。

そして、女性がお見えだからと言って、特別に河内音頭も追加して披露してくれました。果たせるかな、仲間の女性は、わたしこれ大好きとおっしゃって一緒に歌っていました。

この踊りにつられて、森田君も見事な日本舞踊を披露しました。

 

要するに、楽しい夜でした。

均等負担とのバランスで考えると、次のような結果になるのではないでしょうか。

富永君と、森田君は自分の才覚で十分に楽しみました。

森君は、その人柄と過去の蓄積で十分以上に楽しみました。

女性軍は、お付き合いしてくれたということなのでしょう。

もしも、女性が昔馴染みの太鼓持ちを呼んできたとき、私がどれほど楽しいかと想像すれば、付き合ってやったというところだろうと思うのです。

さて、お前の戦果はどうだったのかと聞かれれば、カニを一番沢山、しかも美味がって食べたのは、この私に違いありません。

わたしは、初対面の人には妙に気後れして、あまり口を利けないのです。昔、現役の頃、お呼ばれしても、知らない店だと黙りこくっているので、不機嫌なのかと気を揉ませるのが申し訳なかったのです。

「僕、黙ってるけど、結構楽しんでいるんだよ」など、わざわざ断りを入れることもあったのです。「分かってるわよ。結構、サマになってますよ」そんなにいってくれる女の子もいました。

 

だれも、会社を背負って心肝を砕き、全力投球する機会があります。その頃のことについて、本人も最高の時期だったと一種独特の追憶があるものです。

芸者さんから見ても、その時期の男は一流プレイヤーに見えることでしょう。

わたしは、森君が、この北陸路で送った全盛時代の様子を、自分の過去に引き直して心の中で暖めていました。

いい人たちが、仲良くしているのを見るのは楽しいことです。

豊ちゃんが「こんな同級生の集まりは、肩が凝らなくて一番好き。また、来年もきてね。来年は途中で待ち合わせましょう。私もスラックスはいて、地元の名所を案内してから一緒にここにきましょうね」と言いました。

わたしは、そんな言葉を素直に聞いていたのです。

読者にはお分かりですね。かく申すわたしも、口よりも耳を働かせて、十分に楽しんでいたのです。

 

さて、カニ雑炊も食べ終わり、一人減り、二人減り、段々、静かになりました。そして、仲居のレイコさんが、この部屋に腰を落ちつけました。

 

彼女は、アジア諸国を、かなり広く訪ねているようでした。

そして、体力があるうちに、飛行時間が長くてつらいヨーロッパ観光を済ませておこうと、最近は北欧へ行ってきたのだと言っていました。

それに対して、わたしは私で「飛行機の旅は座っているだけなのだから、苦行ではない。むしろ登山で消耗した体力の回復、休養の時間なのだ」など、ホラを吹いていたようです。こうして書いている今になって振り返ると、大部酔っぱらっていたと反省させられるのです。

 

お察しのように、レイコさんは、タダ者ではないようなのです。

世を忍ぶ仮の姿という言葉がありましたね。彼女の旦那さんはお堅い公務員なのだそうです。

海外旅行は、お里に帰るなどの名目を使って、旦那に秘密で行っているのだと言っていました。

去年、われわれがここに泊まった夜、レイコさんは武生の自宅に帰るなり、芸子の豊ちゃんに電話して、昔の森工場長が云々と報告したのだそうです。

その結果が、翌朝の電話になり、ひいては楽寿会で延々と「豊ガニ事件」を楽しんだ挙げ句、今度の訪問につながったのでした。

 

同じ中学に入ったのも何かの縁、楽寿会に顔を出したのも縁、森君の武生単身赴任も、この宿に泊まってレイコさんに当たったのもみんな縁、そんな縁のつながりの末に、仕掛けられた豊ちゃん網に森君が召し取られ、われわれも手や足が引っ掛かり・・・・。

まったく、これもご縁ですねえ、楽しい縁でよかった。

 

重遠の入り口に戻る