2001年宇宙の旅
2005-12-24 06:17
の小説版を読む。子守の合間に。
最初に読んだときはその未来の設定に何の違和感も覚えなかったが、2005年ともなるとさすがにいくつかの点が気になる。部屋にタイプライターがあったりね。
あとはディスカバリー号の中で飛行士達が電子的に転送されてきた新聞を読むシーン。小説の中ではまともな新聞だけ読んでいるのだが、今ならば絶対2chもチェックするはずだ。「ボーマンだけが帰還することを願うスレ」とか「ディスカバリー号は存在しない!」とか「木星計画をガンダム風に語れ」いろいろなスレッドをチェックするだろう。時にはそっと書き込みもするが、「神」と呼ばれるような行為はやはりはばかられるのであった。
映画の方ではやはりCGの異常な発達が気になる点。これだけCGが発達したのは偶然だったのだろうか必然だったのだろうか。今読んでいるiConとかからかいま見えるのは、それがほぼ偶然の連続によるものだった、ということだが。興味から必然性のない進歩がおこる。みんなが「おわっ」と思う。人と金が集まり発達する。
この「おわっ」というのががあると思いもしない領域が発達していったりするのだろうか。五十嵐氏のTeddyはスケッチベースの3Dモデリングという分野を活性化させた。今言われているインターネットだってそうに違いない。昔の地味なText baseからこんな状態になったのはブラウザを初めて見た人がみんな「おわっ」となったからだ。(だと思う)
もう一つこの小説を書いている時点で予測がつかなかっただろうことは、お互いに接続する手段を手に入れた時、これだけの人間がこれだけの情報を公開するという現象だ。理屈で考えれば確かに馬鹿げている。そんなもの書いたって誰が読むんだ?他人にそんな文章読ませて何の得があるんだ?しかし結果はごらんの通り。今や大抵の質問にはGoogle様が回答してくださる。これは正に驚くべきことではないだろうか。
などと真面目な話になってきたし、長くなりそうなのでとりあえずここまで。