検索という名のドグマ
2006-01-19 16:33
Gates:今日の検索は満足できるものではありません。検索には平均5分かかります。検索結果に表示された項目が、ユーザーの居場所から遠いのか、近いのかの判断もできません。「ピザ」と入力すると、1000マイル(約1610キロメートル)も離れた場所のピザ屋が検索される始末です。今日の検索は、ユーザーが製品の使用方法を調べようとしているのか、それとも購入前のアドバイスを得ようとしているのかを理解することができません。ユーザーは専門家なのか、過去のデータを調べようとしているのか、それとも最新のデータを求めているのか--こういったことを検索エンジンに理解させることは可能なはずです。
Ballmer:そもそも、現在の検索の半分はユーザーが求めている情報を提供していません。
Gates:今日の検索はパーソナライズされていないのです。検索に関しては、当社はいくつかの進歩を成し遂げました。ユーザーが求める情報との適合率はどんどん上がっています。サードパーティの専門能力を取り入れ、検索をプログラミングすることも可能になりました。
GatesとBallmerが話している「検索」という行為には、暗黙のうちにある前提がなされている。それは
「ユーザは自分が何をほしいか知っている。現在の検索の問題点はそれを察することができず、ユーザに余分な操作を強いていることだ」
というもの。
しかし彼らは間違っている。というか「仕事のためのインフラ」たるWindows+Officeを作っている会社の人間の言葉としては正しい。しかしそれはいまやどこにでも存在しいつでもONであるPCの使い方の一部でしかない。
多くの場合、人間は何も考えていない。あるいはただぼんやりと「なんかおもしろいことない?」という曖昧模糊とした欲求を持っているだけだ。
こういうユーザに対してBillとSteve(Ballmer)は何を提供してくれるだろうか?彼らの力点の置き方は間違っている。
Nothingまたは曖昧模糊とした人間が考えることは、目にしたもの、あるいはそこから想起されたものに従ってあちこち飛び回る。学習原理主義者は「それすら学習して個人適合できる」と主張する。しかし私はそれが実際に動いたのを見たことがない。山のような
「嗜好適合」
研究がありながら、それが商品価値を高める技術になりえないのはなぜか。そのことについて誰も真面目に考えないのか。
BillやSteve、それに多くの学習原理主義者は人間の合理性に過大な幻想を抱いている。人間はそんなに合理的なものではない。和定食をいくつも見た後でたまたま目に入ったそばを注文する。あるいはTVで放映されていた名物メニューめあてに店に行きながら、結局違うものを注文する。
そのように行き当たりばったりの行動をとりながら、それを直視することができず、あたかも自分の行動に理由があるように考えるのが人間というものだ。
私が裏で作っているものは、このような考え方に基づいている。