エキスパートシステム再び

2006-01-26 15:58



2007年問題をAIで解決するより


ここで、2007年問題に話を戻してみる。果たして、当時エキスパートシステムと呼ばれていた仕組みは、今話題になっている2007問題の解決の手段になり得るのだろうか。1980年代に比べ、コンピュータの性能は飛躍的に向上している。当時であれば難しかった大量な知識ベースも、現状のシステムであれば難なく運用できるであろう。推論エンジン部分の計算処理能力やメモリ空間も、当時の数千倍から数万倍のものを、安価に実現できるようになった。


 さらに、当時では難しかったマルチメディアデータを取り扱うことも容易だ。テキストデータだけで専門家の知識を表現するには限界もあったが、現在ならば、図やイメージ、音声、動画も含めて、知識のデータベース化によって2007問題の解決が可能かどうかを判断することができる。また、文章でルール化しにくいノウハウを、パターン認識などの方法で学習し、知識ベースに加えることも可能であろう。


えーっと。80年代にはやったエキスパートシステムが簡単にすたれたのは、果たしてComputing Powerが足りなかっただけの理由でしょうか?


この記事を書いた人は、何故昨今身体性を持たせることが必要という論がたてられているか、あるいは記号接地問題とかあまり考えていないのかな、、と考えてしまう。


当時若いエンジニアだった私は、新しいものだったら何でも好きだった。(今もその気はあるか)であるからエキスパートシステムについても勉強しましたよ。


でもってそれが何故挫折したかを考えるにつれ、記号処理型の人工知能と称するものには超えられない壁が有るという結論に達した。つまり容量とスピードを増やせば解決する、というわけではない問題が有る。


成長しつつある子どもを見ていると特に感じる。言葉をしゃべることはできなくても感情はあるし、行動も可能だ。そもそも言葉をどうやって学ぶのか、という問題自体とても興味深いものに思える。


そこに記号で記述した知識を山ほど詰め込めば問題解決、、といわれてもねえ。年をとった昨今では「人間が口にする言葉は一切信用しない。行動を観察してそこから結論を導き出すこと」と考えているくらいなのだが。


というかなんですね。若いころの経験を思い返すと、言葉を文字通り受け取ったがために自分がどれほど馬鹿なことをやっていたか身にしみて悔やまれるわけですよ。特に男女関係で。そういう人間の「知能」を記述するのにはたして記号処理型の人工知能は適しているのでしょうか?


人間というのは信じられないくらいいいかげんで、柔軟だ。多分この二つの性質は関連しているのだと思う。人間は自分の行動を説明することはできるが、私は最近そうした「説明」は全て(というかほとんど)後付のものではなかろうかと考えている。となるとますます言葉で書かれた知識なんぞをあてにするわけにはいかない。となると人間はどうやって柔軟な行動を可能としているんでしょうねえ。。。この記事が問題としている「ノウハウの継承」の「ノウハウ」なんてのは、それこそ記号処理型人工知能で扱い難いものだと思うのだけど。