透視するのだ
2006-02-02 09:12
私が定期的に見るTV番組は少ない。そのうちの一つがトリビアの泉である。
その中に視聴者からよせられた疑問を元にトリビアを探求する「トリビアの種」というコーナーがある。昨日のテーマは
「FBI超能力捜査官は福袋の中身を当てることができるか」
だった。
私がこの類の「超能力捜査官」について知っていることはごくわずかだ。行方不明になった人を探す番組でときどき見かける。
その限られた知識で書くのだが、この超能力捜査官というのは「思わせぶりと言い訳の芸術」だと思う。
例えば行方不明の人を探すときには、捜査官がいくつかのキーワードを言う。するとスタッフがそれに当てはまる場所を一生懸命探す。そんなことを繰り返す。
番組では3っつか4っつのキーワードしか取り上げない。しかし有るときちらっと写った紙には20-30は超えるであろう数のキーワードが記載されていた。
そこから推察するに、超能力を持つ人はとにかくキーワードを山ほど言うのではなかろうか、と。異国の地であってもあれこれ曖昧なキーワードを並べておけば、「あたっている」と思える場所を見つけることはそれほど難しくないのだろう。もちろんそこに行方不明者がいるかどうかは別問題である。とりあえずあちこち走りまわっていれば番組としては成立するのだ。
でもって昨日の「福袋の中身を当てる」では超能力者が苦労していた。もちろん山のようにつまれた福袋の中身なんかわかるはずがない。ここは鍛え抜かれた「言い訳」の技術を駆使するときだ。
「あっ、今それらしき袋があったけど、誰かに買われてしまったの」
とか言ってみるが、スタッフは許してくれない。候補を二つあげてもどちらか選べと言われる。開けてみた結果は気の毒なことに普通の人が買ってあたっているのと同じくらいの確率だった。「形はあってるでしょ」とか「色がちかいわね。できには満足しているは」とか言ってみたものの外れたという事実は動かない。
思うにこういう人は「白黒はっきりつけられる」場所に引きずりだされた時点負けなのだろう。とにかく曖昧で結論がまず出ないような問題に相対している間はその才能を存分にはっきりできるが。
ちなみにその「超能力捜査官」は競馬の勝ち馬を見事透視して面目を施していた。そのレース前の不安な表情、レース中の祈るような表情、勝った時の喜びの表情などは超能力とは無縁の物。しかしそうであってこそ見ているほうも安心できるというものだ。競馬の結果を透視できるなら、もっといい暮らしをしているはず、なんて野暮な突っ込みは無し無し。