メダルなんかなくても
2006-02-22 11:09
全くかまわないと思う今日の私。というかとれそうもない人間を大本営やゲッベルスなみの想像力を駆使して祭り上げるより、まず現実を見据えてはどうか。
でもってこの記事
金メダルよりも価値がある!?選手ブログに寄せられたお宝コメントたち
限られた範囲と聞きかじりの記憶で書くが、米国ではオリンピックというのもに対する関心が日本ほど(あるいはかつての日本ほどと書くべきか)高くない。すばらしいプロスポーツにどうしても隠れてしまうのか、、と思っている。あるいは無意味な愛国的熱狂がスポーツに関しては発揮されない、というべきか。
しかしいつかのオリンピックであるTV局は
「選手のエピソードを感動的に取り上げる」
方法で視聴率を伸ばしたのだそうな。つまり金だ銀だよりもその選手がいかに努力したかを訴え、視聴者の共感を得たのだろう。(ただし米国のTV局が作るものだから、日本のTV局のような幼稚で扇情的なものではないと思うが)
そこにこの記事である。つまりメダルなんかなくても観客の共感を得ることは可能なのだ。上村選手がどのように努力したか、を感じ取れば手作りの金メダルに涙をしたとしてもおかしくない。
国威発揚のために国家や企業の金をつぎ込むのは中国や韓国に任せておこうじゃないか。彼らはそれが「国威」につながると思っているのだから。日本もかつてはそうだったのかもしれない。前畑がんばれ、という声と活躍は当時の日本では今とはよほど違って受け取られていたのだろう。
しかし今はそんなにしゃかりきになって
「日本はすごいぞ」
と叫ばなくてもいいはずだ。であれば、メダルなしのオリンピックだって十分に観客の共感を呼べるはず。メダルなしでも「感動をありがとう」と言わせることはできるはずなのだ。そしてそれは狂ったような
「大本営発表」
よりもはるかに望ましいと思うのだが。