理系文系
2006-03-13 07:29
私は文句ばかり言う男なので、世の中に嫌いなものがたくさんある。その一つがこの「理系・文系」という言葉だ。
というかこの言葉がでてきた時点で、後の言葉は「ふんふんそーですね。トイレいっていいすか」モードにはいるほどだ(こうして大事な事を聞き逃していくのかもしれん、、)
理由をいくつか書いておく。
・Stanfordですごした2年間でこの言葉を聴いたことがない。そもそも英訳できんのではないだろうか。
・使われている文脈からして、この両者を分けているのは数学、理科が得意かそうでないか、らしい。しかし文系と区分されるであろう経済学で使われている数学は「理系」のバックグラウンドを持つ私には全く歯が立たないほど難しかった。
心理学でも実験結果の整理に数学は欠かせないはずだ。では心理学は理系なのか文系なのか?という問いは自分で書いていてもばかばかしい。
・そもそも定義が曖昧なレッテルを他人や自分に貼り、それをベースに議論をしようなどとは全く愚かな行為と思える(大きな声では言えないが、同じ理由により●●屋、という言い方も大嫌いだ)
というわけでまだスマートな言葉は無いけれど、私が考える「区分」はこうだ。
・物事の多様性、相対性の存在を知り、自分が体験したことの卑小さを実感する人
・曖昧で誰にも定義できない区分を作り上げ、その中に閉じこもり世界を狭くすることで、相対的に自分の存在を大きくしようとする人
なんかいい言葉ないですかね。
何故こんなことを書き出しかと言えば、以下のブログ参照
ぼくは、オオバタンが何と言っても、
日本のいわゆる「思想系」の人たちが
サブカルに堕しているという印象は変わらない。
自分たちを「文系」と規定している
時点で、アウトである。
勘弁して欲しいよ。
別にフランス現代思想やフッサールや
ベルグソンを読んでいればそれで済むんじゃなくって、
物理もやれば、ネットワーク・サイエンスも
追って、脳科学をやり、
web 3.0も考えなければならないんだよ。
そうじゃなくっちゃ、世界全体なんて
見えてこないし、
そもそも現代と向き合うことなんて
できるはずないじゃん。
現代では
「文系」=「サブカル」
(部分問題を解くヒト)ということを
肝に銘じて欲しい。
もちろん、その意味では自分を
「理系」と規定してそれで良しとする
人もまたサブカルであるが、
思想系の人たちは、あたかも世界全体を
引き受けているような顔をしているから、
時に始末が悪い。
かつては哲学が支配していた問題領域のいくつかの問いは科学によって答えが得られることが解ってきている。というかここ数百年それは明白なのだが、まだ「文系領域」に閉じこもって世界を語る人間がいる、というのには驚かされる、、わけでもない。繰り返しだが、自分の存在を大きくするためには世界を狭くすることが一番手っ取り早いのだ。