ユーザインタフェースの研究に感じる疑問

2006-07-27 14:48



などと大げさなタイトルではあるが、例によってネタ元はLife is Beautifulなのであった。



まずは「ユーザーにどんなことをして欲しいのか、どんなライフスタイルを提案したいのか」をしっかりと考えるべきである。メーカーの人たちと話をすると、十中八九、彼らは「UIEngineはFlashやJavaとどう違うのか」という個別の技術論ばかりしたがるので困る。



私は最近メーカーで働いている人(日本においてはこの言葉は「メーカーという枠組みの中で一生を送る人」と同義語である)はまあこれでしょうがない、と思うようになった。彼らはそうした価値観だけの中で生きている。他の世界のことを話してもしょうがないではないか。荘子にあったが


「夏だけ生きる虫に雪の話をしてもしょうがない」


のである。


それより印象に残ったのはこのエントリーに対する以下のコメント


「現在はいろんなコンサルティングファームが、競争力の重要な要素として『イノベーション』を語りたがるが、IDEOといわゆる経営コンサルティング企業との提供するバリューの違いは?」という質問に対し、「彼らは理論やらフレームワークといった『抽象』を現実の問題に適応するというアプローチを採る。それに対し、われわれは現場での観察から問題解決に入っていく。こうした経験(から得られる知見)が何百とあるのは他にない強みだ」


なぜこれが印象深いか?ユーザインタフェースの新技術と呼ばれるもの、、たとえば「嗜好学習に基づく情報推薦」などだが、、、はいずれも「エンジニア(もしくは研究者)が勝手に想像したユーザの姿」を元に進められているように思えるからだ。


そもそもユーザはどのように情報を選択するのか、したいのか、という観察からはじめなくてはならない、と最近強く思うようになった。なぜならユーザの行動というのは常に私のような「視野の狭いエンジニア」の想像を超えているからだ。


しかしながら研究や技術開発というものが「そもそもユーザをHappyにするためにはどうすればよいか」を抜きにして「情報を与えればいいだろう。履歴を学習アルゴリズムに突っ込めば嗜好が抽出できるだろう」という無邪気な(これはよい意味で使っていない)思い込みからスタートしているように思えるのだ。


これは引用文中で触れられている「理論やフレームワークを現実にあてはめる」コンサルティングファーム的なアプローチである。こうすると実に理論性前途したプレゼンをすることができる。問題は現実世界で役に立たない、ということだ。


IDEOに関して翻訳された2冊の本を読むと、そこに書かれているのは「問題解決のためのアプローチに関する方法論」であり、抽象的な「かくある論」ではない。私にはIDEOのアプローチが正しいように思える。現実は「かくある論」で一般化するにはあまりにもバラエティに富んでいるのだ。


というわけでユーザインタビュー、行動観察を「陰で」こそこそ進める今日この頃。表向きには「新規独自技術」がないと仕事と見てもらえないからねえ。